第10話 六茶会・4
「あ、えっと……」
突然の声かけに戸惑っているうちに美少女は綺麗なカーテシーをして、微笑みを絶やす事無く自己紹介を続けた。
「私、クリスティーヌ・フォン・フィア・シルバーと申します。よろしければ私達とあちらの席でお話しませんか? アスカ様と以前から一度お話してみたかったのです」
クリスティーヌ嬢が示した先は、テラスのテーブルの一つ。
丁度二人分の席が空いていて、他の席に座っている令嬢達がこちらに微笑みを向けている。
あのテーブルで談笑しているうちに私と話してみよう、って流れになってこの子が呼びに来た――ってところだろうか?
(どうしようかな……)
シルバー家はこの六茶会にも関りが深い家の一つ。その家の令嬢からのお誘いを断るのは気が引ける。
さっきの空気から嫌な予感しかしないけれど、貴族達と交流を深めるいい機会なのも間違いない。
お話したい――という事は、相手が私に聞きたい、あるいは言いたい事があるという訳で。
相手が好みそうな話題を提供するより、聞かれた事に応答する方がずっとハードルが低い。
良い感じに接して私の最悪な評判を挽回できれば、敵意や悪意を持つ貴族も減るはず。
「……分かったわ」
席を立ちあがってティーカップを手に取ると、アンナが心配そうに私の顔を見上げる。
「アスカさん……大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。セリアも着いて来てくれるし」
短く答えた後、クリスティーヌ嬢の後に続いてテラスに出る。
歳は私より少し下くらいかな? クリスティーヌ嬢の美しい容姿と凛とした佇まいは、まさに貴族のご令嬢――ルクレツィアと同じ、生粋のお嬢様感がありありと感じ取れる。
立ち話している人達が何を言わずとも私達を避けて道を作る中、風は思っていた程冷たくない事に気づく。
陽の光もあって、室内よりテラスの方が温かく感じる程。
「では、アスカ様はこちらの席へどうぞ」
クリスティーヌ嬢に席を促されて、改めてテーブルに向き合うと、同じテーブルの見知らぬ令嬢達の視線を浴びる。
(これはこれで、ちょっと怖いわね……)
皆、年齢は私と同じくらいか、少し低い位。とりあえず、何か嫌な事言われたら受け流そう。
カッとなっても言い返すより前に、セリアに目配せして――と改めて自分に言い聞かせて、頭を下げる。
「皆さん、初めまして。
自己紹介した瞬間、令嬢達の何人かの表情が嫌らしい笑みに変わった。
「まあ……」
「な……何か変でしたか?」
「いいえ……名前の中にツヴェルフを入っている方、初めて聞きましたから。ちょっとおかしくて」
「あら、おかしいだなんて言ってはいけませんわ。この世界に馴染もうとなさってるのですから……違和感しかありませんけど」
明らかに嫌味で言っている文言だけど、私だって漢字と横文字が混合した名前に違和感が強くてそこまで怒りは感じない。
外国の人と結婚した人達も違和感凄かっただろうけど、これって慣れるのかな――? と思いながらとりあえず席に座る。
「ですが、ツヴェルフは重婚ですから、アスカ様はこれからどんどん家名が増えますのよ」
「まあまあ、名乗るのが大変ですわね。お気の毒に」
オフェリアさんにした時にはなかった、嘲笑。
お気の毒にと言いつつ、その表情はよっぽど他人の心に疎い人間でなければ馬鹿にされてるのが分かる程度の悪意が滲み出ている。
(この場所じゃ、迂闊な事は言わない方がよさそうね……)
今のやり取りで確信した。こちらがおかしな事を言えば絶対に揚げ足取られるパターンだ。
それでこちらが怒れば状況が悪化する、実に嫌な状況。
以前は地球に帰るんだから、と売られた喧嘩を買った事もあるけれど――この世界で生きると決めた以上、同じ轍は踏まない。
禍根残して殺意持たれるのも嫌だし、禍根を聞きつけたダグラスさんがまた私に隠れて魂イジメみたいな事しないとも限らない。
「それで、クリスティーヌ嬢……私とお話したい事って何かしら?」
聞かれた事に簡潔に答えて、会話が途絶えた隙を見て退席しよう。
愛想笑いを作って銀髪の美少女に問いかけると、彼女は穏やかな表情で言葉を紡いだ。
「……私達、アスカ様が何故戻って来たのかお聞きしたかったのです。アスカ様は地球に帰りたかったのでしょう?帰れたならそのまま地球に戻れば良かったのでは?」
「それは……ダグラスさんと一緒にいたいと思ったから」
他に綺麗な言い訳が思いつかない以上、ここは本音で語るしかない。
新聞にも思いっきり<愛の巣作り>とか書かれたし、結婚した身で恥ずかしがってても仕方ない。
「それなら何故逃走を図られたのです? 貴女に振り回されるセレンディバイト公や皇家、他の公爵様達が気の毒ですわ」
「そうね……それは私も悪かったと思ってる」
「私も? 私が、ではなく?」
クリスティーヌ嬢の声調は穏やかだけど、言葉は私だけが悪いような言い方をしている。
周りの令嬢達は息を潜める様にじっと私達のやり取りを聞いている。
(ああ……このグループのリーダーはこの子か)
そうよね。六茶会にも深く関わっていて、恐れられてる私を一人で堂々と誘いに来れる度胸は立場が下の人間じゃ考えづらい。ただ――
(……まあ、そこは私が気にする事じゃないか)
今はこの状況を無難に切り抜ける事に集中しよう。
「ええ……ダグラスさんも悪い所はあったし、私も悪い所があった。でもそこから色々あって、お互い一緒にいたいと思ったから今私はこうしてここにいるの。色々騒がせて、ごめんなさい」
さっき頭下げたら『公爵夫人が公の場で頭下げるな』って叱られちゃったけど――対公爵家に対してじゃないし、ここは頭を下げておきたい。
私がこの国に色々迷惑をかけた事は事実で、こういう場所でそう何度も頭下げるつもりもないけど、一度も頭を下げないのは誠実じゃないと思うから。
下げた頭を戻すと、眉を潜めてたりちょっと口元が緩んでたり。でもちょっと驚いた様子の令嬢もいる。
先ほどとはほんの少し、空気が変わったかな――と思っているとクリスティーヌ嬢が一つ息をついた。
「セレンディバイト公と一緒にいたいから……素晴らしい愛のお話ですね。ですが、矛盾していませんか?」
「矛盾?」
「強制出産刑が課せられている以上、アスカ様は他の殿方とも子を成さねばなりません。愛する殿方がいながら他の男の子どもを産むのは、全く持っておかしな話です」
「ええ……確かに全く持っておかしな話だけど」
クリスティーヌ嬢の言葉に心の底から同意すると、彼女はちょっと調子が崩したのか一瞬顔を歪ませた。
でもすぐに先ほどと同じ微笑みを作り上げる。
「でしょう? ましてやセレンディバイト公の宿敵とも言えるダンビュライト侯と、友人のヒューイ公子……宿敵や友人と妻を共有せねばならないセレンディバイト公が本当に気の毒ですわ」
「そうね……そこは本当に気の毒だと思ってる」
「本当にそう思っておられるなら、今からでも刑の変更を皇家や公爵達に願い出てはいかがですか? 私、僅かながら力になりますわ」
「それは……」
一瞬、それができるなら――と考えたけど、すぐに考えを改める。
「気持ちはありがたいけれど……この国が私に課した刑を、私が嫌だから他の刑に変えてって言うのはおかしいと思う」
「気持ちをありがたく思う割に、刑を変える事を嫌がるのですね」
「だって……周りが刑を変えるならともかく、『死刑が嫌だから無期懲役に変えて』『無期懲役は嫌だから死刑に変えて』なんて罪人本人が言って変わったら問題でしょう?」
外国じゃ『こっちの刑とこっちの刑、どっちにする?』って刑を罪人に選ばせるケースもあるらしいけど、一度正式に決まった刑を途中で変更する話は聞いた事が無い。
「はぁ……」
私の道理がお気に召さなかったのか、クリスティーヌ嬢は深いため息を付く。
「異世界の方でも分かるよう、率直に申しますわね。貴方が次々と公爵家の方々と婚約するので私達、とても迷惑しているのです。せっかく人工ツヴェルフが実現し、ようやく異世界人無しでも色神を繋いでいけるようになったのに、貴方がセレンディバイト公はもちろん、ダンビュライト侯やヒューイ様まで誑かすから……」
やっぱり、私が強制出産刑でダグラスさんやクラウス、ヒューイを関りを持ってしまった事が気に入らないらしい。
クリスティーヌ嬢の言葉を皮切りに、令嬢達から次々と言葉を重ねられる。
「そもそもツヴェルフは公爵家とは2人までしか契れないというルールがあったはずですわ」
「……色神を宿す方々を独り占めして、一体何を企んでおいでなのですか?」
「貴方はあの最恐のツヴェルフ……ベイリディアの再来だと言われていますのよ」
「そう言えば、セレンディバイト公は下着で洗脳されたのでは、という疑惑もあるそうです」
「人工的にツヴェルフが作れるようになった今、強制出産刑などデメリットでしかないのに、変更される兆しも無いなんて……」
「公侯爵達は一体何をお考えなのか……」
私に向かって呟かれる物から、隣り合う令嬢達と言葉を交わすものまで様々な囁きが飛び交う。
嫌な事を言われるのは覚悟していたし、私がこの令嬢達と同じ立場だったら令嬢達に同情しただろうから、怒りは特に湧かないんだけど――
「……そんなに不満なら、貴方達自身が物申せばいいんじゃない?」
純粋な疑問が口から零れ出ると、ヒソヒソがピタリと止まった。
クリスティーヌ嬢の方を見ると、扇子で口元を覆い、まるで信じられない物を見るような目で私を見据えている。
「恐ろしい事を……皇家や公爵様の判断に私達が口を挟む権利はありませんわ」
「そうかしら? 皇家も公爵も皆、良い人だし、結構話聞いてくれるわよ?」
言いながら良い人かどうか怪しい人も一人いる事を思い出したけど――言った後で訂正するのもどうかと思ったので気にせず言葉を重ねる。
「貴方達が言う様に、人工ツヴェルフが出来て私の刑の意味が薄れたわ。公侯爵達が他の刑に変えるって言うなら、私はそれに従う」
少なくとも、侯爵裁判では4対3で死刑は免れている。
ダグラスさんやクラウスが恩赦の嘆願書を書いてもらって回った事も考えると、そこを覆される事は無いはずだ。
「刑が変わろうと変わるまいと、私はこれ以上誰かと争いたくないし、騒ぎを起こすつもりもない。自分に課せられた刑を果たして、ダグラスさんやクラウスと穏やかに、静かに暮らしていきたいの。その刑が気に入らないのならば、私にではなく刑を課した人達に言ってほしい」
はっきりそう言い切ると、シンと静まり返る。
周囲の声も静まったのは多分周りの席の人もこのテーブルの会話に耳を傾けていたからだろう。
私は間違った事言ってない。ただ、言い方が嫌味になってなかったか気になってチラ、とセリアの方を見る。
セリアは微笑みを浮かべながら小さく頷いている。大丈夫そうだ。
「……面の皮が厚い方。貴方が逃げ回ったせいでたくさん犠牲者も出ているのに。よく私達にそんな偉そうな態度で物申せますね?」
怒気を帯びたクリスティーヌ嬢の辛辣な言葉がグサリと刺さり、私の中の黒の魔力が蠢くのを感じた。
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