第52話 真っ赤に染まる女達


 授業が終わる頃には雨もすっかり上がり、この世界の夕日によってオレンジ色に染まった訓練場へと足を運ぶ。


 『狩りが終わったから』と早々に帰る人もいれば『せっかく来たのだから』と予定通りに騎士や兵士に訓練付けていく人もいるようで、最初にここに来た時に比べて少し人は減っているものの、訓練場は活気づいていた。


「訓練用の武器は室内訓練場の方にありますので、そちらに行きましょう」


 セリアの案内に従い、学校の体育館程の大きさ――高さはそれ程高くはないけど――の屋内訓練場に入る。


「まずは弓でしたね。アスカ様、試しに弓を引いてみてくれますか?」


 弓と矢筒を持ってきたセリアから弓と一本の矢を手渡される。矢尻の溝を弦にあてがい、遺跡の時と同じように弓を力任せに引く。

 訓練用の弓だからだろうか? あの白い弓に比べるとずっと引きやすい。


「アスカ様、弓を引く時はもっと上の方から、下に滑らせるように……」


 セリアが説明しながら弓を構えるのを真似してみると、力任せに引くよりずっとスムーズに引く事が出来た。

 それでもこの体制を維持するのはかなり力がいるけれど。


 同じような感じで剣、槍、斧と一通りレクチャーされる。

 スカートだから思い切った動作はし辛い物の、それぞれの感覚の違いを何となく掴む。


 「使った武器を片づけてきます」とセリアが離れていくのを見送った後、訓練場の天井をぼんやりと見上げてパーティーの時のダグラスさんの言葉を思い返す。



『私はセレンディバイトの黒の魔力とダンビュライトの白の魔力をその身に平等に宿した上で子を産んで頂く事を目的に、貴方の召喚を希望しました』



『同時進行がお嫌であれば、先に向こうの魔力を貯めてからこっちに来られても構いません。ただ、先に産んで頂くのは私の子です』



『――これは私にとって、とても重要な事ですので――』



(……確かに、ダグラスさんもメアリーと同じ事を考えているのかもしれない)


 ダグラスさんからは恋だの愛だのという<感情>こそ見えないけれど、私を大切にしようとする<意志>は感じる。


 私の態度に思う所はあるようだけど、それでも私を人の悪意に巻き込まれないように囲って、魔物から庇って、私の希望は極力叶えようとするその姿勢だけはブレていない。

 自分で言うのもなんだけど、私が壊れる事を彼は望んでいないだろう。


 自分との子づくりの際に私がマナアレルギーを起こさないようにクラウスを巻き込んでまで私を守ろうとしている――と思うと、何とも言えない重苦しい気持ちが心にのしかかる。


 ――それを知った所で、何? 大切にしてくれているから、何? そういう事ならさっさと、言ってくれれば良かったのに――言われてどうする? 情に絆されて子どもを産む? 皆と一緒に帰る事を、それで諦められるの?――


(っていうかセックスって……ダグラスさんと、セックスって……!!)


 巻き込まれたクラウスの気持ちはどうなるの――? 子どもさえ産めば2年位で帰れるのだから? ふざけないで!


(卑猥、猥褻、セックス……!?)


 様々な思考ち卑猥な言葉が頭の中を泳ぎまわり、無意識に奥歯を噛みしめる。



「カ様――アスカ様?」


 気づけばいつの間にかセリアが目の前に戻ってきていた。


「え、あ、ごめん、聞いてなかった……何?」


 頭の中がいっぱいいっぱいで、何か問いかけていたらしきセリアの言葉が全然頭に入ってきていなかった。


「アスカ様はどんな風に強くなりたいのですか?」


 改めて聞き直してくれたセリアの質問から自分の理想の戦闘スタイルを想像する。


「弓が使えて、いざって時には接近戦もできるように……後、回復魔法とか使えたら。装備は守備力より機動性重視かなぁ……」

「弓ひとつ取っても動かない者を狙うのか、動く者を狙うのか、馬に乗って射るのか、立って射るのか……それによって弓の引き方も大きく変わってきますが……」


 ボンヤリと想像した事をそのまま伝えてみると、セリアから淡々とした答えが返って来る。


 狩りの時は無我夢中で引いた白い弓が太い光線を出して広範囲の魔物を浄化したけど普通の弓は細い矢をつがえて動く敵を射る訳で、その難易度はただ白い弓を引くよりよりずっと高い。言われてみれば、当たり前のことだ。


「単純に強くなると言ってもなかなか難しいのね……」


 狩りの前に行った護身術の訓練でも、セリアの動きには全くついていけなかった事を思い出す。頑張った所で果たしてあそこまで動けるようになるだろうか?


 さっき手にした槍にしたって、どれだけ自分を鍛えた所でダグラスさんのように力づくで振り回せる気がしない。強くなる、と漠然と思うだけじゃ駄目だという厳しい現実を突き付けられる。


「それと……武器の扱い方も大事ですが、思い通りに武器を扱うには筋力も重要です。なので武器の訓練だけでなく、早めに筋トレも始めたい所ですね……」


 確かに、今の私に圧倒的に足りないのは筋力だ。高校を卒業してからまともに運動した日なんて数える位しかない。


「そうだ! 私毎朝筋トレしてるのですが、アスカ様さえよろしければ明日から一緒にやりませんか? 少し早く起きて頂く事になりますけど……」


(……やるしか、ない)


 セリアの誘いに頷いて答え、自然と拳に力が入ると屋内訓練場の入口の方が騒がしくなってきた。



「アンナ様、本当にやるんですかぁ!?」



 アンナの名に反応して振り返ると昨日の狩りに着ていったような身軽な服装で、アンナが斧を持ってこちらに歩いてくる。


「アンナ……どうしたの!? 斧なんて持って……!」


 万が一の事を考えたのか私を庇う様にして立ったセリアの横から問いかけると、キッ、と睨みつけるような眼差しを向けられる。


「私も、魔法戦士になります……!」


 誓いの言葉のように力強く宣言するアンナが、昨日までとはまるで別人のようだ。

 顔も真っ赤にしていて、朝会った時と同じように本能的に(これ刺激したらヤバいやつだ)と察する。


「へ、へぇ……が、頑張ってね……!」

「私……アスカさんには負けませんから!」


 無難な言葉をかけてジリ、と後ずさると、アンナはそう言い捨てて私とセリアに背を向けて離れていった。


「……朝みたいにしつこく絡まれなくて良かったですね」


 臨戦態勢だったセリアがホッと胸をなでおろす。


「ねぇ……今日のアンナちょっとおかしいと思わない? 私、アシュレーとそんなに接点無いしアンナにあそこまでライバル視される理由が全然思い当たらないんだけど」


 昨日の夜……いや、今朝食堂で擦れ違うまでアンナから敵対心など一切感じなかったのに。


「恐らく今朝の一件を酷く誤解されたのかと。第三者視点から見れば婚約リボン握りしめたアシュレー様に手首掴まれて引き留められてるアスカ様、という構図でしたから……」


 自分が思っていた以上にヤバい構図だった。


「で、でも、いくら構図がヤバかったとしても会話はアンナ一色だったじゃない? ここまで敵対心持たれるような事だった?」

「酷い雨音で会話まで聞こえてない可能性がありますし、恋い焦がれる人の心は非常に燃えやすく煽られやすい物です。それにアシュレー様とアンナ様はまだ出会われてから日も経っていません……いくら相手が好きでも、相手に好きと言われても、それと相手への信頼は別物です」


 アンナの方を見ながらスラスラ言い切るセリアの酸いも甘いもかみ分けたような表情に思わず納得させられてしまう。


「でも……それにしたって突然変わりすぎじゃない? あれが魔力注がれた事によるマナアレルギーって奴なんじゃ……?」


 セリアはじっと離れた場所でジャンヌに斧の使い方をレクチャーされているアンナを見据える。


「あれは……結構注がれてますね」

「ちょっ、やめてその言い方……! もう注がれてるって言葉自体が卑猥に聞こえる……!!」


 セリアの言い方が淡々としている分、余計にそう聞こえてしまう。


「アスカ様……ツヴェルフの中にある魔力って、つまりはそういう事ですから。そんな、子どもでも知ってる事をいちいち卑猥だとか茶化すような下賤な方はそうそういませんからそんなに恥ずかしがらなくて大丈夫ですよ?」


 考えないように意識している事をセリアが逐一掘り下げてくる。


「でも、その色の魔力の人とハグとかキスしたんだな、って事が皆に分かるんでしょ……!? これを恥ずかしいと思わないでいられる方がおかしいわよ……!」


 今日の授業以降、どうにも聞くワード全てが生々しく感じてしまう。

 最初この世界に来た時は動揺したし生々しくも感じだけど、皆普通にその単語を使うから慣れてしまって他人事のように捉えていた。


 でも、結局それが自分に迫りくる貞操の危機である事に変わりはなく、18禁指定されるような事なのだ。

 しかもその相手も明確になってしまったら、どうしてもそういうのを想像してしまう訳で。


 しかも皆が聞いてる前で『アスカさんはダグラスさんとエッチな事する時は危ないから特に気を付けてね! 予防法は先に他の男とキスとかハグする事!』とか言われてもう明日から授業マジ出たくない。皆に合わせる顔が無い――しゃがみ込んで顔を膝に埋めて、深い溜息を吐く。


「話を戻しますが……今のアンナ様は注がれた赤の魔力の影響で嫉妬深くなられているだけかと。赤は情熱の象徴。火種と燃える物があれば一気に燃え広がると聞いています」


 私を励ます事を諦めたのかアンナの話に戻される。だけ、というにはあまりに露骨な変化だと思うけど。


「とりあえず、落ち着いてる所を見計らって誤解解かなきゃね……」


 頭を上げないまま、話に応える。このまま放置しておいたらあらゆる所で対抗心燃やされる気がする。


「お待ちください。恐らく今のアンナ様にアスカ様が何言っても火に油を注ぐだけです。逆に、油さえ注がなければそこまで被害は大きくならないでしょう」

「……この状況を放置しろって事?」


 そりゃあ、私も説明しようとしたらまた食いつかれてよりややこしい状況になるんじゃないか? という不安はあるけれど――誤解を解かないでいる事のモヤモヤの方が強い。


「どのみち後5、6日でアスカ様もアンナ様もお引っ越しされるのです。そこからアシュレー様と信頼と愛を育まれればアンナ様の誤解も嫉妬心も消え失せるでしょう。綺麗な友情を保ちたいのでしたら、今はとにかくアンナ様とアシュレー様を避けるしかありません。私も協力いたしますから」


 セリアの冷静な助言が下りてくると、もう一度深い溜息を吐いた。


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