第51話 白の崩壊・1(※クラウス視点)
目の前の視界が掠れていく中、ルクレツィア嬢の術で意識を失ったアスカが自分の腕の中に戻ってきた事に強い喜びを覚えていた。
近くに人がいるとわかっていても、温かいアスカの温もりに高ぶる感情を抑えられない。周囲から見えないように白の防御壁を張って口づけに耽る。
もっと、もっと触れたい――
そういう感情も心の奥から滲み出てきた時、アスカが一瞬動いた気がした。
それだけの事なのに何故かアスカに拒絶されているような気がして、口づけ以上の事はできないまま、ただ嫌わないで欲しい――傍にいさせて欲しいと願いながら意識が完全に無くなるまで魔力を注いだ。
その後コッパー家の客室で意識を取り戻した後、ルクレツィア嬢から『魔物退治から氷竜退治になったけどこのまま協力して欲しい』と言われる。
『私、エドワード様からアスカさんを連れて行ってもいい、とちゃんと許可を得えておきましたので!』と言う彼女の言葉に承諾した後、アスカの部屋を尋ねた。
自分の中に白の魔力が異様に溜まっているんだ。僕が何をしたのかアスカは嫌でも把握しているだろう。
意識がない内にキスをした事を謝ろうとすると、アスカはそれを軽く流した。
前も意識がない内にキスした事があるから、僕からの口づけに慣れたのかも知れない。
特に嫌がってる訳でもなさそうなアスカに安心すると同時に、意識がある時にアスカとしたいなんて言ったら顔を曇らせるんだろうなと思って、寂しくなった。
「アスカとまた会えて良かった。もう二度と会えないかも、って思ったら……辛くて仕方がなかった」
だからもう逃げないでね、という念を込めた言葉で話を切り上げてコッパー家の中庭から飛び立つ。ラインヴァイスは純粋にアスカとの再会を喜んでいた。
アスカから何の混じり気もない笑顔を向けられるラインヴァイスが羨ましかった。
コッパー邸からアスカを連れ出す事は成功したけれど、アスカを連れて村に入りたくなかった。
村に多くいるだろう怪我人の姿にアスカは心痛めるかもしれないし、コッパー家の騎士団やリビアングラスの騎士団がアスカに気づく可能性も高い。
アスカの顔はこれまで何度も新聞に載ってるし、ラインヴァイスに人を乗せて避難させなくてはいけない事も考えると、いくらフードを被っていても全てを覆う事はできず、村人達も油断できない。
村から離れた場所にアスカ達を下ろして、僕の気持ちを理解してくれたルクレツィア嬢に見張っていてもらえば大丈夫だろう――そう思ったのが間違いだった。
村の怪我人達を癒やして回った後、馬車に乗せきれなかった民を近くの街に避難させた時に強い青の魔力の波を感じて不安になって戻ってみれば――半透明な青い防御壁の中でアスカが大蛇に飲まれかかっていた。
しかもただの蛇じゃない。遠目からでもその蛇が
そしてアスカと向かい合っているのは青の公爵。ルクレツィア嬢の姿は見えない。アスカを助けないと、と思って白の弓で攻撃してみても青の公爵の防御壁はビクともしない。
青の公爵に敵意はなかったのか、僕に気づいて防御壁を解除したからそのままアスカに向かい合って助けようとすると、
「クラウス、落ち着いて。食われてる訳じゃないわ、飲み込まれてるだけだから」
なんて、とても正気とは思えない事を言い出す。
青系統の家は幻や催眠や魅了――洗脳したり惑わしたりする
だけどアスカをじっと見つめてみても洗脳されている気配はない。念の為に大丈夫かと改めて問うと表情を歪めて怒られる。
「だから大丈夫だって! 服が溶けるとか変な事考えないでくれる!?」
だって、服が溶けたらアスカ、裸で出てきちゃうじゃないか。誰にも見られたくない、アスカの、裸に――
疲れてしまってるせいなのかその想像が抑えきれずに顔が熱くなる。
「いや、駄目だ……アスカにちょっとでも酷い事言ったらまた離れていく……!」
『アスカは警戒心がなさすぎるんだよ……!』だなんて言ったらアスカは絶対気を悪くする。とにかく引き抜かないとと思ってアスカを抱えようとすると、
「ちょっ、やだ、やめて! エッチ!!」
先程の思考を覗かれたかのように思い切り突き飛ばされる。
どうしようもなくなって青の公爵に頭を下げたらグチグチ言われ、あいつの時止めに協力しろという要求に反射的に拒むとアスカがアズーブラウに飲み込まれた。
「アスカ、大丈夫!? 生きてる!?」
「大丈夫、本当に飲み込まれてるだけだからヴィクトール卿の話ちゃんと聞いて。クラウスが協力するしないの是非はともかく、クラウスが協力しない分ヴィクトール卿に負担かかってるのは事実だし、今のクラウスの態度は普通に失礼だわ」
必死に呼びかけてみればまた冷静な顔で叱られる。流石にここまで感情に差があると苛立ちが湧いてくる。
僕がこんなにアスカを心配しているのに。僕はこんなに必死なのに。
(駄目だ、こんな感情抱いたら駄目って、分かっているのに……!)
そう思っても、アスカにもほんのちょっとでも分かってほしくて零れでた言葉にアスカの表情が歪んだ。
許されないんだ。僕は君にほんの少しの想いも分かってもらう事すらも許されない。
(駄目だ、駄目だ、こんな思考じゃ駄目だ。アスカが離れていく……!!)
「ラリマー公……度重なる失礼、申し訳ありませんでした……! どうか、アスカを解放してください!! お願いします!!」
そう言って青の公爵の依頼を引き受けて、アスカのお願いも聞いて、ラインヴァイスに背中突かれた後、再び麓の村に降り立つと――先程降り立った時にはなかった無数の氷の刃の下で大量の魔物が絶命していた。
時間がない。白の弓を空に引いて村全体に癒やしの雨を降らすと再び歓声が沸きあがる。
「クラウス様! 戻ってきてくれてありがとうございます……!」
リチャードが右足を引きずるようにヨロヨロと駆け寄ってくる。
「リチャード……君も負傷したの?」
足の甲をガードする金属ごと貫かれた箇所から出血している。あの氷の刃に巻き込まれたんだろう。足を治療してあげるとリチャードが安堵の息をついた。
「ありがとうございます、助かりました……僕みたいに上手く動けない者はあちらの家の方に避難させています」
「分かった。その人達を治療した後、村にある遺体全部弔うから1箇所に集めておいて」
怪我人や遺体を一人一人相手したら追いつかない。癒やしの雨で動けるようになった人はそれでもう十分だろう。ただ――
「リチャード、今この村に魔獣使いが来てるらしいけど……」
「ああ、ローゾフィアの人達ならあちらの方にいるかと……」
リチャードが指し示した先を歩いていくと、数人の騎士達に囲まれる朱色のマントを羽織った、騎士というよりは冒険者風の出で立ちに近い男女達とそれに寄り添う大きな狼のような魔獣が見えた。
魔獣使い達のリーダーと思われる朱色の髪の女性を筆頭に5人の男女が騎士達を前に頭を下げている。
「お前達が勝手な行動を取るからアーサー様が……!!」
「アーサー様に何かあったらどう責任を取るつもりだ!!」
騎士達は叱責を浴びせるだけでけして何か投げつけたりはしていない。騎士として恥じぬ行動を取らないように教育されているのだろう。
「本当に、この領の次代の侯爵を巻き込んでしまった事は申し訳ないと思っている……」
責められていながら逆らう事も震える事も無く強い声で謝罪する女性に強さを感じつつ、この重々しい雰囲気は治療どころじゃなさそうだ。
「何かあったの?」
「ダンビュライト侯爵
騎士のリーダーらしき男に問いかけると怒りを堪えたような声が返ってくる。
この魔獣使い達を庇う為に自ら囮になったアーサー卿は余程信頼されていたんだろう。塔で見た橙色の髪の侯爵令息の姿が頭をよぎる。
だけどそんな事――僕にとってはどうでもいい。
「氷竜ならラリマー公が討伐する。アーサー卿が見つかった時に負傷しているようなら僕が癒やすから、今は一旦引いてくれないかな?」
「しかし……」
「ラリマー公は僕がここの怪我人達を治療して避難させてから氷竜討伐に出ると言っている。今は時間が惜しいんだ。ローゾフィアの民に物申したい事があるなら全ての事が済んだ後にしてくれないか?」
僕の言葉に騎士達が少し動揺して小声でやり取りする。最終的に分かりました、と頭を下げて騎士達はその場から離れていった。
僕が魔獣使い達に向けて治療を開始すると、ポニーテールの女性が遠慮がちに顔を上げた。
「ダンビュライト侯、私達は先程の雨で大分癒やされたので……」
「そうはいかない。アスカと約束したんだ。ちゃんと君達と魔獣を治療するって」
「アスカが……!?」
朱色の髪と目を持つ男がアスカの名を呟く。その精悍な顔立ちと驚いたような瞳に妙な胸騒ぎがする。
(……まさか、ねぇ?)
とは思いつつ、疑惑を振り払うことが出来ない。
彼らを治療する間、何故アスカと面識があるのか尋ねると氷竜に襲われて落下した所を白の魔力や上級回復薬を使って助けられたのだと説明された。
その流れで朱色の髪の男女がローゾフィア侯爵家の人間である事やルクレツィア嬢がアーサー卿を追いかけた事、その後青の公爵がやってきた事を理解した。
それだけなら、良かったのに――
「……姉上、アスカにロイを贈ったら受け入れてもらえるだろうか? ここまでされたらもう待っているだけでは感謝の気持ちを伝えきれない……! 指輪も贈らないといけないし……!」
――アスカに贈る? 指輪?
「ロイド……早まるな。ロイはお前の10年来の相棒だろう?」
ルージュ嬢が見据える先にはロイドと呼ばれた少年の傍に座る魔獣――人との共存を望み、忠誠を誓うと言われる大狼――グロースハウンドがいる。恐らくロイド卿に寄り添うそいつがロイだろう。嫌な予感しかしない。
「俺達の先祖の中には生涯の愛と忠誠の証明として自身の魔獣を贈った者がいると聞いた事がある。俺は……」
「ちょっと待って!」
予想外の展開に思考がついていけず、思わず声に出していた。
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