第117話 惑わされた女
「あああああああ!!!」
自分の部屋に戻って来るや否や、真っ先にベッドに駆け寄り靴を脱ぎ布団に潜り込んで思いっきり叫び、のたうつ。
餌付けされた。羞恥以外の何物でもない。手袋してたから思念や記憶読まれる心配こそしなかったけれど、その分思い知らされる羞恥と恐怖のイリュージョン。
寄り添うように隣り合い肩に手を添えられ、どうしようもない緊張感が張り詰める中、一気に飲ませてくれればいいのに首の角度を固定されて少しずつ飲まされる事の羞恥。
固定から解放されたと思うと恍惚とした表情で甘い声で「もう一杯いかがですか?」と耳元で囁かれて耐え切れず「結構です!!」と部屋を飛び出してきた。ああもうこれ以上何も語りたくない。思い出したくない。恥ずか死ねる。恐い。
皇家にあの人に辱められたと通報したいけど『貴方が先に彼を辱めたんですよね?』と言われそうだからできない。悔しい。というかあの状況でよく肩をちょっと抱かれただけでハグもキスもセックスもされずに逃げ出せたもんだと思う。今思い返せばあれ十分貞操の危機。もう二度とお菓子に釣られない。余計な事しない。
「アスカ様……早めに仲直りした方が良いとは言いましたが、あれは流石に距離詰め過ぎです。ダグラス様だっていきなり恋人扱いされては困惑してしまいます。まだお二人は婚約者以上、恋人未満の繊細な関係なんですから……」
布団越しにセリアの呆れたようなため息と声が落ちてくる。何そのおかしな関係。
彼が暴走したのは心の準備が出来ていなかったから? 違う。むしろ心の準備が出来ていたらもっと凄い事をされていたと思う。そういう意味では心の準備が出来ていなかったからあの程度で済んだの? だけど最終的に向こうが積極的過ぎて私が困惑する羽目になった。悔しい。恥ずかしい。
「困惑……あの人にも私は困惑させる色香振りまいてるとか言われた……!」
歯の浮くような甘い言葉を並べ立てられたらそれはそれで困るけれど、好きな女性に向けて言うならもう少しまともな誉め言葉があるんじゃないだろうか?
私は言葉遣いを学んだ方が良いのかもしれないけれど、あの人は女の口説き方を学んだ方が良い。
せめて<思ってる事をそのまま素直に言わない事>の大切さを誰か彼に教えてあげて欲しい。
「人を困惑させる色香……ダグラス様、アスカ様を盲愛しているように見えてそこは冷静に分析してますのね。やはり公爵たるもの、ただ恋に溺れるような純朴な男ではいられないという事でしょうか……」
セリアの追い打ちの言葉が突き刺さって頭が少し冷えた後、何とかあの体の動きを止めてくる魔法に抵抗できないかと考える。
私を包んだ黒い球体だって、私が魔法を防ぐ術を使えていたら抗えたかもしれない。ドタバタしている内にすっかり頭から抜け落ちていた、魔法を防ぐ方法――
のそのそと布団から這い出て靴を履き、私物の箱から魔護具のナイフを取り出す。
「……セリア、これの防御壁をもっと上手に張れるようになったらあの人の魔法も止められる?」
「そのナイフはあくまでも非常時の護身用ですのでどれほど防御壁の精度を高めても強力な魔法を防ぐ程の効力は見込めません……ただ、あの方がアスカ様が何も抵抗できないと思い込んでおられたら魔力を最小限に抑えるでしょうし、その場合少しは可能性が開けるかと……しかし、あの方の魔法を止めるとは一体……?」
「……もし致される時にさっきみたいに動き止められたら恐いなと思って」
そう、今回はあくまで餌付けだったから精神的なダメージだけで済んだけど、あれをキスやセックスの時にまで使われると非常に困る。断固として阻止しなければ。
「あの方が初夜にアスカ様に対して魔力を使うような事があれば即私が介入しますから、そう心配なさらなくても大丈夫ですよ」
「でもセリアあの人に勝てないでしょ? どうやって私を助けるの?」
淡々と答えるセリアに純粋な疑問を抱いて問うと、微笑んで首を横に振る。
「それは秘密です」
「どんな方法で助けてもらえるか分からないなら、やっぱり自分にできる最大限の努力をするべきよね」
そう言って早速防御壁を張ってみせるとセリアは少し不服そうな顔をした後、自身のスカートのポケットからメモ帳位のノートとペンを取り出す。
<アスカ様 これは内密にお願いしますね 私がこういう手段を持っている事をこの家の人間に知られては 守れるものも守れなくなります>
テーブルにミニノートを置いて書き込みだした文字を眼鏡を持ち出して覗きこむと緊迫した空気を感じとる。
<あの方がアスカ様に強引に迫った時やマナアレルギーを発症した時は 私がアスカ様をワープで皇城に飛ばします>
<ワープって使えないようになってるんじゃないの?>
羽ペンを取り出してそこに日本語を書き込み、セリアに眼鏡をかけさせて見てもらう。
<ワープの悪用を恐れてそういう結界が張ってあるのは事実です ですが転送場所を皇城に定めたこの転移石は結界を無効化する特殊な加工が施されています>
眼鏡を返されセリアが再び書き綴った後、首元から銀色のロケットペンダントを取り出した。
セリアがチャームを開くと半透明の鮮やかな緑色の石が艶やかに煌めいている。
<これはツヴェルフが貴族の館に来る際に専属メイドに託される物です 貴族の館でトラブルが起きた際はどうしても対応が遅れてしまいますので>
なるほど――トラブルが起きた際にメイドがその場に介入するって言われても返り討ちにあったらどうするんだろう? って疑問に思ってたけど――転移石を使ってツヴェルフと皇城に逃げるだけなら難易度はグッと下がる。
<分かった。ありがとうセリア、話してくれて>
そう書き記して眼鏡を渡す。
セリアは満面の笑顔を浮かべてそのページを破り、少し悲しそうな眼をした後手の平で燃やした。
こんな重要な事を書き記した紙切れを残しておく事はできないんだろう。
いくらあの人が大丈夫と言っても、何かしらトラブルが起きて私がマナアレルギーを起こす可能性は否定できない。
そして、その場合はセリアが強制的に私を皇城に転移させる、って事は――
(状況によっては錯乱状態の全裸で飛ばされるって事じゃない……!!)
助けられなければ地獄、助けられても地獄――安心してくださいねと言わんばかりのセリアの笑顔に、上手く笑顔を返す事が出来なかった。
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