第64話 想いが、重ならなくても。


「え、あ、なん、で……!?」


 クラウスの姿を認識した瞬間大きく跳ねた心臓がバクバクと激しい鼓動を続け、言葉にならない声を上げると私の声に反応したクラウスが私を見つめる。


「なん、クラ、えっ、ル・ティ……!?」


 何でここにクラウスがいるの? ル・ティベルは大丈夫なの――?

 次々頭を占める疑問が詰まって上手く言葉に出来ないでいると、クラウスが困ったように微笑んだ。


「アスカ、落ち着いて。あ、そうだ……アスカと再会したら食べようと思ってた物があるんだ。とりあえずこれ食べて落ち着いて。甘くて美味しいよ?」


 翻訳魔法を使っているんだろう、口の動きと合わないクラウスの声がすんなりと頭の中に入ってくる。

 そして指を鳴らして出現させた紙袋から、1粒取り出された桃色のプチトマトを優しく口に押しあてられた。

 普通なら拒むけれど、驚きが強すぎて私の口はそのままプチトマトを受け入れてしまった。


 ジワり、と滲むまるで桃と甘い柑橘系が交わったような甘さが口いっぱいに広がる。

 今、それどころじゃないんだけど――という思考を許さないように甘く美味しい味わいに少し動悸が落ち着く。


「まだいっぱいあるから、座って食べよう? 話したい事いっぱいあるんだ」


 落ち着いた私を見てクラウスはにっこりと微笑んで、テーブルに紙袋を置いて畳に手をつく。


(私も、聞きたいは色々あるけど……)


 その前に、とスマホに充電コードを差した後、キッチンからお皿を持って改めてクラウスと対した時には、やはり小鷲なラインヴァイスがちょこんと頭を俯かせて座っていた。


「……ラインヴァイス、さっきから元気ないみたいだけどどうしたの? 何処か痛いの?」

「キィ……」


 違う、と言いたげな細い鳴き声と、ちょっとだけ首を横に振る仕草をする。

 体調が悪いとか怪我をしてる訳じゃないようだけど、物凄く落ち込んでいるのは伝わってくる。


 でもクラウスは微笑みながら私を見つめている――という凄く異様な状況の中で白い平皿に桃色のプチトマトが鮮やかに映える中、1粒摘まんで再び美味しさを堪能しつつ、気になる事を切り出す。


「クラウス……何で貴方がここにいるの?」

「アスカと一緒に転移した後、透明化と魔力隠しを使って隠れてたんだ。見つかると絶対向こうに連れ戻されちゃうから地球に降りてから、と思ったんだけどなかなか話しかけるタイミングが掴めなくて……車に乗った時はラインヴァイスに大きくなってもらって追いかけたけど、それ以外はずっとアスカの傍にいたよ」

 

 微笑みながらストーカー行為を語るクラウスに薄ら寒い恐怖と怒りを感じる。


「そんな……ラインヴァイスが来たらル・ティベルが酷い事になるのに、何で……!」

「ああ、それは大丈夫だよ。色神は宿主がいなくなって暴れて消滅した結果、これまで抑えていた災厄の力が行き場を失って崩壊に至るんだ。だから宿主の中で生きてる間は暴発しない。疫病の災厄を受け止める存在がいなくなったから病気は流行りやすくなってるだろうけど1、2節したら戻るんでしょ? 大した問題じゃないよ」


 気がかりではあるけれど――災厄から守る超常的な存在なんて地球にはいないんだから「地球と同じ状態なだけ」と思うと心を圧し潰す程じゃない。

 だけど――それで死ぬ人がいるかもしれないと思うと、やっぱり良い気はしない。


「……どうして着いてきたの?」

「どうして……? 変な事を聞くね。アスカが大切だからに決まってるじゃないか。 今のアスカを一人で地球に行かせる訳にはいかないと思ったから……ほら、アスカのお父さんを殺した人の安否とか……僕がいればアスカが不安になっても大丈夫だから、安心して?」


 クラウスの言葉に違和感を覚える。

 そう言えばあの会話をしたのは車の中だ。クラウスは聞いてなかったんだろう。


「クラウス、その事なんだけど……」


 お父さんを撥ねた人が生きていた事を告げると、クラウスは一瞬無表情になった後、へぇ、と呟いてまた微笑んだ。


「そっか、その人、生きてたんだ……良かったね。アスカが落ち込まないか僕凄く心配だったから……アスカが色んな事に押し潰されたりしないようにと思って……喜んでくれると思ったのになぁ……」


 確かに。もしお父さんを跳ねた人が自殺で亡くなっていたら、私は今こんな風に驚いてもいられなかったかもしれない。

 クラウスにまた抱擁してもらって、精神落ち着かせないといけないような状態になっていたかもしれない。


 それが実際は生きていて、2年前に刑期も終えている。

 今も多分生きて普通の生活をしていると思ったら、これまでずっと心に伸し掛かっていた重圧の大半がサラサラと砂塵のように消えていった。


 だから今、私はクラウスに頼らなくても自分の足で立てるし、動ける。


 生きてた。私は人殺しじゃ無かった。良かった――そういう気持ちで溢れて、黙って地球に着いてきたクラウスに対して苛立ちを覚えている。


 ――そんな、自分の薄情さと身勝手さが嫌になる。


 心配してくれた事が嬉しくない訳じゃない。だけど、嬉しさ以外の感情が強すぎる。

 そんな私の気持ちを察したのかクラウスは表情を曇らせた。


「……僕、また余計な事しちゃったみたいだね。船から降りた後目覚めたラインヴァイスにも散々つつかれたし、本当、自分の選択に自信無くなっちゃうな……」


 クラウスが顔を俯けると、視界にラインヴァイスが入り込む。

 ラインヴァイスが落ち込んでいる理由がようやく分かった。

 目覚めたら、そこは見知らぬ異世界だった――となれば人だって鳥だって驚くし、パニックになるだろうし、落ち込むだろう。


「あのね、クラウス……」


 ラインヴァイス同様、落ち込んでいるクラウスには酷だろうけどちゃんと言わないといけない。

 私が向き合わなきゃいけないのはダグラスさんだけじゃない。ちゃんとクラウスとも向き合わないと。


「私、ダグラスさんが好き。確かに酷い事もされてきたけど……でも、ちゃんとあの人と向き合ってみたいのよ。だから……私の事は……」

「向き合えばいいよ。別に2人の邪魔したりはしないから」

「え?」


 何を言ってるのか理解できなくて思わず声を上げると、クラウスは活気のない目で微笑む。


「アスカがダグラスを好きなのは分かってるよ。でもそれと僕がアスカを好きなのは全く別問題だ。2人の仲に干渉するつもりはないから安心して?」

「……」


 ああ、そうだ――ずっと私の傍にいたって事は、あの音石に吹き込んだ告白をクラウスも聞いていたんだ。


 どう返せばいいんだろう? 邪魔しないから好きでいさせて――なんて言われて「分かったわ、好きにすればいい」なんて言っていいんだろうか?

 と言うか、こんな状況じゃクラウスが気になって落ち着いてダグラスさんと付き合えない。


「……それとも何? もう僕はいらない? ダグラスがいればそれでいい? ダグラスに操を立てたいから僕を捨てる?」


 今にも泣きそうな顔で微笑うクラウスに心が揺さぶられる。


「捨てる、なんて……元々クラウスは私の物じゃないから」

「侯爵裁判が始まる前にキスしてくれたのは……?」


 縋るような目で見つめられて体が一瞬ビクつく。


「あ、あの時は……クラウスが泣きそうな顔してたから、落ち着かせようとしたっていうか、これでクラウスと会うのも最後なのかなって思ったら、つい……」

「そので僕は拾われちゃったんだよ。あの時アスカに許された気がしたんだ。だからもっとアスカの役に立ちたい、アスカに襲い来る不安から守りたい、傍にいたいって思ったんだよ」


 迂闊だった。クラウスから好意を持たれているのは分かっていたはずなのに。


 最後だから、クラウスに良い想い出をあげようと思った? 違う、そんな上から目線の奢った感情じゃない。

 あれは、男女としての感情じゃなくて――


「僕はアスカが別の人間を想っていても好きなんだ。いらないならいらない、ってハッキリ言ってよ。僕も一度アスカにいらないって言ってしまった事があるから、アスカにも言っていいよ。言ってよ。アスカが僕を突き放さない限り、僕もアスカの大切な存在になりたいって気持ちを消せそうにない」


 答えが弾き出される前にクラウスの言葉が重ねられる。

 3ヶ月前まではクラウスは私と同じで一夫一妻の思考だったはずなのに、その考えと価値観が歪んでしまっている事に愕然とする。


 いらないとか、捨てるとか――そんな言葉で突き放せるほど、クラウスは軽い存在じゃないのに。


「……それにまだ2人共出会って3ヶ月だ。2人の愛はどちらともなく消えるかもしれない。燃え上がれば燃え上がるほど冷めるのも早いっていうしね。アスカがあいつに愛想をつかす可能性も低くないし、あいつがアスカの重い面に嫌気が差してまた暴走したり他の女に目移りするかもしれない……そういう事も考えちゃうんだよ」

「……それはクラウスにだって言える事でしょ?」

「僕はアスカが我儘で欲張りで狡くて重い女性ひとなのはよく知ってるから。その上でアスカが好きなんだ。アスカはそれ以上に良い所がいっぱいあるから」


 私がダグラスさんにフラレたらクラウスに乗り換える? そういう未来を考慮した上でダグラスさんと付き合うの?


 そんな事、許容できるはずがない。私とダグラスさんを馬鹿にしないで欲しい。

 クラウスにそんな、自分を貶めるような立場に立ってほしくない。


 クラウスが私に抱く感情と、私がクラウスに抱く感情は違う。きっと違う。男女のドキドキとかそういうのじゃない。


 暖かくでじんわりするような優しさと、白の魔力の心地よさと、クラウスに対する罪悪感、それと――


「……何で僕、いつもアスカに対して間違えちゃうんだろう? 僕はアスカを幸せにしたいのに。アスカを助けたいだけなのに、いつもアスカに迷惑をかけてしまう……」


 悲痛な声に返す言葉に詰まるうちにクラウスがおもむろに立ち上がって、ベランダの方へと歩きだす。

 窓が空いたそこから出ようとする仕草に私も慌てて立ち上がる。


「ど、何処に行くの!?」

「アスカ、僕がいると辛そうだから……いない方がいいかなって」


 悲しそうな表情が酷く痛々しくて心に刺さる。ここから出て何処に行くつもりなんだろう? 変な人に騙されたりしないだろうか?

 また、不安が心に流れ込んでくる。


「い……行くあてなんて無いでしょ? それにクラウスが地球に住んじゃったらラインヴァイスが困るでしょう? ……私、用が済ませてル・ティベルへ帰る時までに答えを出すから。それまでここで暮らせばいいから。ね? ラインヴァイスだって帰りたいわよね?」

「キィッ!」


 ラインヴァイスが両翼をあげて喜ぶ。ああ、この場にラインヴァイスがいてくれて良かった。

 この重苦しい雰囲気、一人じゃ耐えられそうにない。


「……分かったよ。でも今からアスカ、色々する事あるんでしょ? その間ちょっとラインヴァイスとその辺探検してきてもいいかな? 地球がどんな星なのか興味あるし……少し頭も冷やしたいから」


 諦めたように微笑むクラウスの言葉に戸惑う。確かにクラウスの言う通りやらなければならない事は山積みだし、何より私もクラウスも冷静じゃない。


 今この状況で話し合いを続けるのは危険な気がする。だけど、大丈夫だろうか? 慣れない地球でトラブルを起こされても困る。

 ただでさえクラウスは見目麗しくて注目を集める姿をしてるし――


「……さっきみたいに透明になって、人に迷惑かけずに探検する分にはいいけど……」


 私がそう言った瞬間、クラウスが小さく口を動かしてとラインヴァイスの姿が景色に溶けるように消えた。


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