第7話 浜辺に集うカップル達・2(※アーサー視点)
照りつけるような日差しが一面に広がる白く細やかな砂に反射し、目を眩ませる。
砂は全身を覆う青灰色の水着に執拗にまとわりつき、鼻につく潮の生臭さと共に実に不快な状況を作り出している。
何故私がこのような所にいなければならないのか――全ては2週間ほど前。
<息子達がサウェ・ブリーゼの星鏡を見に行くので、貴公に護衛を頼みたい>
ロベルト様からそんな手紙が送られてきたのが発端だった。
『海の青と森の緑が混ざる土地への行き帰りの護衛とは……なかなか厳しい命令が来たが、どうする? 辛いかも知れないが、星の日の浜辺には人が寝静まった後に星鏡に惹かれた星鉄蟹や星銀亀が集まる、という話を聞いた事があるし、護衛ついでに狩ってくるのも良いかもしれないな。そうそう、護衛と言えばネーヴェ皇子が何故か自分の専属護衛はリチャードがいいと主張しているそうでね、ツヴェルフ転送の一件のほとぼりも冷めてきたから、リチャードを戻すように皇家から要請されている。星鉄が取れたら私にも少し分けて欲しい。皇都まではリチャードと一緒に――』
手紙を読んだ父上は私に同情の目線こそ向けたものの、私の是非を聞く事もなく実に軽い感じで送り出した。
そして何故自分が皇子の専属護衛に指名されたのか分からず、困り眉をより一層下げた
今、私が少し目線を横に向ければ、ルクレツィア嬢が僅かに間を開けて座っている。
昨日、ホテルでラリマー一家と遭遇してしまい、何故かラリマー公から今日一日のルクレツィア嬢の護衛を頼まれたのである。
『今の娘はツヴェルフとして狙われる可能性もありますからね。妻達や娘の学友も連れてきている今、ラリマー家の護衛だけに全てを守らせるのは心許ない……3番目とは言え婚約者なのですから、問題ないでしょう?』
ドゥエル荒野の決闘に勝った事で一層毛嫌いされたかと思ったら、向こうから話しかけてくるから驚いた。
そして私が既にレオナルド様達の護衛の任務を賜っている事を理由に断ると、ラリマー公はレオナルド様に圧をかけた。
多くの貴族が集まる場で不要な対立は避けたい、と判断したレオナルド様からもルクレツィア嬢を護衛するように命じられ――今に至る。
一つため息をついて視線を真正面に戻せば、白い砂池の向こう一面に広がる空の青と海の青。
軽く顔を撫でていく風は涼やかではあるものの、やはり微かな生臭さが鼻につく。
そして父上が言っていた通り、砂浜の後ろにはディゾルディネ大森林に続く森が広がっている。
海から滲み出る、まだらな青に対して木々から漂うまだらな緑の魔力が混ざり込む、ここの混沌とした青緑の大気こそまだ耐えられる範囲ではあるが――一魔界の一歩手前、と表現してもいい位の不快を感じる。
海の近くなど、私が最も苦手とする水色の魔力が渦巻いている。あの辺りはまさに魔界である。
そんな魔界の波打ち際でボールを投げあって遊んでいるルクレツィア嬢の友人らしい3人娘、泳いだり水柱をあげて楽しんでいるラリマー公の奥方達――彼女らは皆露出度の高い水着を身に付けている。
彼女達の護衛として着いてきただろう侍従達こそ身動きの取りやすいラッシュガードを纏っているようだが、守られる側は実に無防備に肌を晒している。
主は露出度高め、従者は実用性を重視した地味な水着――それはこのビーチにいる他の貴族達にも大体共通している。
私からすれば上半身裸の男も、胸と尻しか隠していない女も、実に無謀としか言いようがない。
「あ……あの、アーサー様……本当に申し訳ありません……!」
この環境の不快さに私の表情が大分歪んでしまっていたのか、ルクレツィア嬢から心底申し訳無さそうな謝罪の言葉が零れ出た。
成り行きがどうであれ、レオナルド様からルクレツィア嬢の護衛を承った以上、不快にさせるのは本意ではない。
一つ息を吸い、表情を緩めるように務める。
『いや、君が謝る事は何も』
「私も、ここがプールであれば彼女達のように可愛い水着をお披露目する事が出来たのですが……!!」
どうやら彼女は私が推測した理由とは全く別の理由で謝っているらしい。
私がここにいなければならない状況を作り出したルクレツィア嬢はアイスブルーの長袖にふくらはぎ辺りまで包んだ藍色のズボンタイプの水着――水着を飾るような物は一切ついておらず、確かに可愛さとは無縁な地味な水着を着込んでいる。
「ラリマー家の者として、海を前にするとどうしても可愛さより実用性を優先してしまいまして……こういう水着じゃないと落ち着かないのです……! 戦える訳でもありませんのに、私ったら……!!」
どうやらルクレツィア嬢は海で遊んでいる同級生達と自分を比較して落ち込んでいるようだ。
彼女が私と同じ様に薄水色の長髪を幾重にも括っているのも、もし海中戦になった際に長い髪が邪魔にならないようにする為だろう。
『……万が一に備えて、見た目より実用性を優先する事はいい事だ。謝る必要など何処にもない』
そう伝えるとルクレツィア嬢が両手で自身の顔を抑える。
これで納得してくれればいいが――いや、だからと言ってこれから先、全く危険がない場所で露出の多い水着を着こまれても困る。
『……それに私は露出度が多い水着より、今の君のように露出を抑えた身動きの取りやすい水着の方が好ましい』
「あ……アーサー様、優しすぎますわ……!!」
付け足すやいなやルクレツィア嬢が顔を真っ赤にする。
納得してくれたのは良いが、こんな場所で顔を真っ赤にされてもハンカチを持ってきていないから困る。
彼女にはラリマー家が建てた豪勢なテントの方にいてほしいのだが。
『ルクレツィア嬢……学友達と海で遊んではどうだ? あの位の距離であればここからでもすぐに駆けつける事が出来る。友人達との一時をこんな所で無駄にする事はない』
「いえ、私はアーサー様の傍にいられる事が最高の娯楽ですので……私が友情より愛を優先させる人間である事はあの子達も分かっておりますから、どうかお気遣いなく」
――こうなったら一秒でも早くアレクシス公子の修行が終わるのを期待するしかない――とはいえ、あの頼りない少年が早々に修行を終えれるとも思えないが――とまた一つため息をついた所で、私達を影が覆う。
「3番目の男として婚約したとは聞いたが、揃いの髪型にするまでに進展しているのか」
タートルネックの濃灰のノースリーブに黒のハーフパンツ――その程度の軽装でこの環境に耐えられる友を羨ましいと思いつつ、誤解を解く。
『偶然だ。万が一海中戦になれば髪は邪魔になる』
「万が一海の魔物が暴れた時は私が潰してやる。こんな海の近くに何しに来たのか知らんが、橙色が無理をするな」
ダグラスが指を鳴らして資材を出現させてテントを立てだす中、私が何故こんな所にいるのか、設営を手伝いながら事情を説明する。
「……青の娘の護衛ならそこの
『あの場所ではレオナルド様とマリー様に何かあった時にすぐ駆けつけられない』
レオナルド様の『ルクレツィア嬢を守れ』という命令に対して、ロベルト様の『レオナルド達を守れ』という命令が破棄される訳ではない。
ロベルト様とレオナルド様、両方の命令を果たす為にはルクレツィア嬢とレオナルド様夫妻の両方守るしかない。
「相変わらず頑固だな……まあいい。このテントは3人で使うには広すぎる。飛鳥さんには私から説明するからお前達もここを使え」
『気持ちはありがたいが人のデートを邪魔するつもりは』
「気にするな。お前が遠慮しようがしまいが、今日は邪魔者だらけだ……デートは明日以降でもできる」
「邪魔者だらけ……?」
今このビーチにいるのはラリマー家一行と、ポツポツと見える貴族の一行。
特に邪魔になりそうな存在など――と思った時、一人の男がフワリとテントの前に降り立った。
「よう、やっぱり来たか」
「この時期でもなければこんな所に旅行など来ない」
いつものように気さくに声をかけてきたヒューイは肩が出たゆったりとしたシャツにズボンという軽装だ。
「お姫様はどうした? 専属メイドだけに護衛させるのは……」
「ペイシュヴァルツにこっそり見守らせている。お前が心配する事じゃない」
キョロキョロと辺りを見回すヒューイに対してダグラスが素っ気ないのはいつもの事だが、今日は言い方に大分棘を感じる。
『……ヒューイは何故こんな所に?』
「ああ、今日はサウェ・ブリーゼが一年で一番賑わう日だからな。どうしても人手不足になるから、毎年海で溺れた奴助ける救助員のボランティアをしてるんだ。こっちのビーチにいるのは有力貴族ばっかりだから、助ける側もそれなりに地位を持ってる奴じゃないと面倒事が起きる」
「飛鳥さんが来るから、ではないのか?」
「……今年に限ってはそれもあるな」
ヒューイの返答にダグラスの表情が凍りつく。
ダグラスの様子を見る限り、どうやらヒューイは既にアスカ嬢に対して何かしらの行動を起こしているようだ。
仲の良い者同士の仲が決裂するのは心に来るものがあるが、だからと言って私が口を出すような話でもない。
静かに成り行きを見守っていると、ダグラスの眉が潜まる。
「ヒューイ……お前が父親に脅されて飛鳥さんに近づかざるを得ないのなら、私が何とかしてやる。だから飛鳥さんに関わるな」
「……親父の圧がかかってるのも事実だが、前に話した通り、俺にとってもあの子は都合が良いんだよ……って、そう睨むなよ。あの子に強い慕情を抱いてるらしいローゾフィアの公子より俺にしといた方が絶対いいと思うぜ? そいつが『自分も二人で過ごす権利がある、3等分にするべきだ』って言い出したら厄介だろ?」
ミズカワ・アスカは黒の公爵と白の侯爵の間を1節ずつ交互に行き来するらしい――という話が新聞に書かれていた。
もしそこにロイド公子が入れば、アスカ嬢がダグラスの元で過ごすのは2節おきになる。
まるで得体のしれない物を見たかの如く表情を強張らせたダグラスにヒューイは手応えを掴んだのか、更に言葉を続ける。
「俺は妊娠中こそあの子にアイドクレース邸で過ごしてほしいと思ってるが、出産後に所有権を主張するつもりはない。俺はお前が思ってるより都合良い男だと思うぜ?」
「……お前は身の回りに問題がありすぎる」
「そこを突かれると痛いんだが、お前に迷惑かからないように上手くやるからさ……だから、俺にかけた呪術」
「断る」
呪術――そう言えば、ヒューイがアスカ嬢に触れたら黒の炎が生じる誓約呪術を書かせたと、前にダグラスが言っていた。
友人間で誓約するなら永遠の友情が定番だが、女に触る触らないの誓約――そこに呪術を混ぜ込む友と、いちいちそんな誓約を要求される友の両方に正直呆れを禁じえない。
「そうか……お前がこの呪術を自主的に解いてくれればこっちもありがたいんだが、それができないってんなら、もうちょいあの子と仲良くなって、あの子からお前にお願いしてもらうしかないよな?」
「ぐっ……卑怯だぞ……!!」
アスカ嬢がお願いする姿を想像してしまったのか、ダグラスが酷く動揺している。
ダグラスが呪術を解かない以上、卑怯な手段に出るのは致し方ないと思うが。
「ま、それはそれとして、アーサー……呆れた視線でこっちを見てるけど、そこのお嬢様は大丈夫なのか? ずっとあっちの方から厳しい視線が向けられてるけど」
あっちの方――ヒューイが指差した先でラリマー家の薄水色の髪の従僕がこちらを見据えているのを確認した後、視線を下に落とせばルクレツィア嬢が虚ろな瞳で海を眺め――ていない。視点が定まっていない。
彼女の横に膝を付き、眼の前で手を上下させてみるが反応がない。間違いなく気を失っている。
『……ルクレツィア嬢、大丈夫か?』
「……はっ!! も、申し訳ありません、お揃いという言葉に意識を奪われておりましたわ……!!」
あまり刺激を与えないよう淡々と念話を送ると、実に情けない失神理由を告げてくる。
この言い方だとテントを設営する前から失神していたようだ。
「あ、あの、アーサー様、もしお揃いがお嫌ならば、私……」
「あっ、いたいた!」
聞き覚えのある声の方を振り向くと、アスカ嬢がレオナルド様達と一緒にやってくる。
ダグラスがアスカ嬢の露出過多な黒の水着姿を凝視し、驚愕の表情で固まっている。
「わ……! ルクレツィア、もしかしてアーサー卿と髪型お揃いにしてるの!? そうしてると本当恋人同士みたいでお似合いね……!」
アスカ嬢の余計な一言でルクレツィア嬢が再び失神し、砂地に落ちかけた彼女の後頭部を即座に受け止める。
受け止めたのは良いものの、やはり、懸念していた通り鼻から出血する――彼女の名誉を守る為に何か塞ぐ物を、と思った所でヒューイからティッシュが差し出された。
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