第210話 白の狂気・5(※クラウス視点)


 目を覚ましてすぐに時間を確認する。日付はもう変わっている。

 午後起きられる時間が伸びたのだから目覚められる時間も少し位早くなってくれればいいのに。


(本当に……どうせアスカに気づかれなかったんならキスしておけば良かったな……)


 僕の中の黒の魔力を流しきればしばらくは時間の制限がなくなる。ラインヴァイスの言葉が今更ながら重く伸し掛かる。


(……もう、その事を悔いてても仕方がない。それに、まだ、間に合うはず)


 もう倫理に負けてる場合じゃない。アスカや他のツヴェルフを守る為に、アスカを眠らせてキスをする。

 あくまでもアスカを助ける為――アスカの為に僕は倫理に反するんだ。


 後悔も程々に廊下に出て魔力探知を行うと、近くにリチャードの魔力を感じる。既にパーティーから戻って来ているようだ。

 アスカはどうなったのだろう? 連れ戻せなかったのか、それとも馬車を使って塔に向かっているのか。


 青白い星に照らされた廊下をリチャードの魔力を感じる方向に歩いていくと、予想通り以前僕が使っていた部屋の前でリチャードが立っていた。


「アスカは……?」

「一時は説得できたのですが、セレンディバイト公に追いつかれ……」


 やっぱりアスカを連れて行こうとすればあいつが邪魔してくる。

 公爵に対抗できるのは同じ様に色神と神器を持つ公爵だけ。カルロス卿には転送時に協力してもらわなければならない。

 今、アスカをあいつから強引に引き離すのは――僕の役目だ。


「クラウス様……アスカ様は洗脳などされておりません。あの方は自らの意思で戻られたのです」

「どうしてそう思うの?」


 紡がれた言葉こそとても不快なものだったけど、アスカに対して負の感情を抱えるソフィアと違ってリチャードの視点は冷静で客観的だ。

 理由は聞いておいた方がいい。


「アスカ様が戻られたのは……恐らくメイドを守る為、ですので」

「……メイド?」


 リチャードは少し言いづらそうにパーティーで何が起きたのかを説明してくれた。


「……セレンディバイト公とロベルト様の話を聞いていた限りでは、アスカ様が漆黒の下着を身に着けてセレンディバイト公を誑かした疑惑が掛けられていて、共犯者と思われるメイドを差し出せばそれで終わらせてやると……それを聞いてアスカ様が帰ると言い出したそうなんです。」

「ば……馬鹿じゃないの……!?」

 

 話のバカバカしさも相当なものだけど、あいつを下着で誑かそうだなんて――アスカ一体何考えてたんだろう!?


(やっぱり、アスカは放っておくと何仕出かすか分からない……!)


 だから目が離せないし、面白いんだけど――いや、流石にあいつを下着で誘惑するのは面白くない。

 それにしてもリチャードが少し赤面しているように見えるのは話題が話題だからだろうか?


「リチャード……話題が話題だから下着の想像は仕方ないけど、アスカが身に付けてる姿は想像しないで欲しい」

「クラウス様、僕はアスカ様の事優しいし良い人だなって思ってますけど本当に恋愛感情はありません。なのでアスカ様の話題になる度にそんな風に睨まれるとちょっとしんどいです」


 困ったように両手を振って否定される。そんなにリチャードを睨んでるつもりはなかったんだけど。


「ああ……じゃあ自分の色の下着を身に着けてるソフィアを想像したの?」


 リチャードが目を見開いて咳き込む。この純朴な青年がよくソフィアの気性の荒さや自由奔放さについていけるなと思う。


「……リチャードはソフィアの何処が好きなの? 美人だなとは思うけど、我儘だし自分勝手だし君への当たりも結構キツイよね? 君が彼女を好きになる理由が分からないんだけど」

「ソフィア様は……上手く言えないんですが、一目惚れと言うか、一声惚れと言うか……そして接していく内にその強さに惹かれ、弱い部分を守りたいと思うようになりました。クラウス様、どうか、ソフィア様の態度を責めないでください……ソフィア様自身とても思い悩んでおられるのです。けしてアスカ様を蔑ろにしている訳ではありませんし、進んで見殺しにしたい訳でもないのです」


 頬を掻きながら少し照れたように惚気けた後、真っ直ぐに僕を見据えてくる騎士の眼差しには悲痛な想いが込められている。


「……分かった。でも僕はアスカを地球に帰す。アスカを守るついでにソフィアも守るつもりではいるけど……ソフィアの身の安全は保証できない」

「構いません。ソフィア様は僕が最後まで……この命にかえてでもお守りします」

「……そこまで想うのならこの世界に引き止めればいいのに」


 純粋な疑問をぶつけると、リチャードは困ったように苦笑した。


「……ソフィア様の器の大きさを考えれば、継げる家も無く皇家の近衛騎士でしかない自分には分不相応な想いです。お互い花を咲かせられる場所も違う……彼女の幸せの為にこの命も想いも散らせるのなら本望です」


 ソフィアの器は母様程でないけれどかなり希少だ。確かに侯爵家とはいえ後も継げない騎士が一人で占有できるような存在じゃない。

 いくら二人の間に愛があろうとソフィアは別の男との子作りが課せられるだろう。最悪、リチャードの立場や命を人質に子作りを強制される可能性もある。


 そんな未来が目に見えているからこそリチャードはソフィアが地球に帰る事を応援しているのだろう。

 それならリチャードが一緒についていけばいいのにと思わないでもないけど。


(……家や家族に迷惑を掛ける訳にもいかないか)


 僕達ル・ティベルの人間は器の中に魔力を、そして魔力を作り出す核を宿している。

 魔力を宿したツヴェルフが元の世界に転送されても核を作る遺伝子を持っていないから大した問題にはならない。


 魔力は使い方を知らなければただ引き継がれていくだけ。使い方を知って使用、あるいは危険が迫った時等に無意識に消費していけばいつかは尽きる。


 だけど核を作る遺伝子を持つこのル・ティベルの人間あるいは胎児が他の世界に飛ぶ事は大きな問題になる。

 魔力を持たない人間の世界に魔力を持つ人間が住みつき、増殖していく――それはその星の未来を大きく変える。それはいつしかこの星にとっての脅威となりかねない。


 だからツヴェルフと他の星へ駆け落ちした人間の家なんて例え公侯爵家でも断絶を免れない。

 少しでもこの世界に愛着があり未練がある人間にはツヴェルフと一緒に帰るという選択肢すら頭に思い浮かばないだろう。


(それでもハグやキス位すればいいのに)


 相手が子を孕む可能性のあるセックスを避ける気持ちは分かるけど、好きな相手を自分の色に染めたいという欲望はリチャードにもあるだろう。

 それなのにリチャードは自分の魔力をソフィアを一切注がないよう徹底している。

 

「リチャードはどうしてソフィアに魔力を注がないの? 地球に帰らせるのならキス位」

「あ、あの、クラウス様……アスカ様を助けに行かないのですか?」


 何故注がないのか訪ねようとした矢先に相手から言葉が重ねられる。そうだ。今はこんな話をしている場合じゃない。


 気弱そうに見えるけれど意外と芯が強い騎士に上手くはぐらかされた気もしつつ、すぐ近くの窓を開き出現したラインヴァイスに飛び乗ってアスカがいる場所へ向かった。




―――そして、今に至る。




 青白い星が地上と僅かな雲を淡く照らす空の下、セレンディバイト邸の真上でラインヴァイスが止まる。


『とりあえず、この館にいる人間まとめて眠らせる』


 ラインヴァイスが呟いた後、青白い魔法陣が館を囲むように地面で光り輝いて消える。姿形の進化だけでなく明らかにラインヴァイスの力もパワーアップしている。


 本来の力を取り戻しかけているラインヴァイスにとっては館一つ覆う陣術を即座に使うなんて大したこと無いのかも知れないけど、大量の魔力とそれを制御する技術を要するこんな芸当を何の補助もなく扱える人間はこの世界中探しても二桁もいないだろう。


(アスカ……今、助けてあげるからね)


 バルコニーの方に降り立とうとすると、ペイシュヴァルツが壁をすり抜けて飛びかかってくる。

 ラインヴァイスの作り出した防御壁がペイシュヴァルツの爪を弾く。以前この館で眠らされてる所を見かけた時より明らかに数回り大きくなっている。人を数人乗せられる位に。


『我、こいつ何とかする。お前部屋入ってアスカ連れ出せ』

「大丈夫なの?ペイシュヴァルツ、前より少し大きくなってるみたいだけど。皆寝てるならでペイシュヴァルツを何とかしてから入った方が……」

『任せろ。我も大きくなった。アスカ、ダグラスと同じベッドにいる。早く行け』


 その言葉に即座にラインヴァイスから飛び降りてアスカの部屋のバルコニーに降り立つと同時に、館全体が強い閃光に照らされる。


 突然目の当たりにして呆然とされるよりは先に言っておいた方が良いと判断したのだろうラインヴァイスの善意は僕の思考を止めた。


 背後を振り返る事無くガラスの扉の施錠部分を破壊して部屋に上がり込んでベッドの方を恐る恐る見下ろす。



 そこには――ラインヴァイスの言ったとおりダグラスの腕に抱かれたアスカが眠っていた。



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