第22話 メールリッドホテルへ


 暗い空に青白い星がハッキリと浮かび上がった頃、私達は海辺の休憩所ログハウスを出て、ジェダイト女侯がいるというメールリッドホテルに向かった。


 シャニカが気にかけていたのもあるけど、私もジェダイト女侯と話がしたい。

 今彼女がどういう状況でいるのかも気になるし。


「ジェダイト女侯と言えば……今のシャニカの記憶を少し覗いてみたんだけど数日前に『あのツヴェルフの事はもう諦めなさい』って言ってて、それでシャニカが単独行動起こしたみたいだよ」


 ラインヴァイスに乗ってメールリッドホテルに向かう中、思い出したようにクラウスが呟く。

 そっか、行き来を繰り返した過去の記憶は見えないけど今世の記憶は読めるのか。


「まだ最近の記憶しか読めてないけど、明日には今のこいつの記憶は大体把握しておくね」

「ありがとう。今のジェダイト女侯に私に対する殺意がない事が分かっただけでも助かる。数年間の記憶を読むのはかなり大変だと思うし、あまり無理はしないでね」

「分かった」


 そんなやりとりをした後、海辺から少し離れたホテルに降り立つと、海からホテルに戻ってきた貴族や近隣の住民達がザワザワとどよめく。


 もちろん、どよめきの原因は神々しく輝く純白の大鷲と、幻の貴公子――だけど当の本人は涼しい顔で微笑む。


「この球体を浮かせたまま移動するとややこしい事になるよね? ラインヴァイス、僕が球体が維持できる所で待っててくれる?」


 クラウスがそう言ってシャニカが入った球体をラインヴァイスに乗せて空に飛ばした。

 致し方ないとはいえ強引に寝かされたり閉じ込められたりのシャニカが少し気の毒になってくるけど、今はそれを気にしてる場合じゃない。



 メールリッドホテルの中に入ると、私達が泊まっているノーブルビーチホテルと違ってお店や吹き抜けはなく。

 少し高めの天井に華やかなエントランスにカフェが併設された、色味や雰囲気こそファンタジーを感じるもののザ・高級宿と言った感じのホテルだった。


 カウンターでジェダイト女侯爵に用がある事を告げると『確認しますのでお待ちください』と告げられる。

 丁度喉も乾いてきた所だったので、カウンターの人に言づけてカフェで一休みしながら待つ事にした。



 星明かりを浴びる海が一望できるカフェの、座り心地の良い席に座り、眼鏡をかけて高級そうなカバーが着いたメニュー表を見る。


 そこにはアイドクレース邸でも飲んだ緑茶やロイヤルメロンジュース、アズールベリーのムースなど乙女心ををくすぐるものからグリーンスムージーという青汁を連想させるような物まで幅広く書かれていた。


 お店のメニュー表ってどうして見てるだけでこうテンションが上がってくるんだろう? ワクワクしながら目を通していると、気になる飲み物を見つけた。


「マナベリージュース(桃、青、黄、緑)って書いてあるけど……これ何?」

「マナベリーは皇国中で幅広く取れる、木苺に似た手の平ほどの大きさの果実です。魔変種なので産地によって色も味も異なる為、このような書き方になるんですよ。でも、アスカ様は飲んではいけません」


 隣に立つセリアに向けてメニュー表を指さしながら質問すると、丁寧な説明と一緒に意外な言葉が返ってくる。


「え、何で?」

「マナベリーに含まれる魔力は食した者の器に侵入する特性がある為、自浄できないツヴェルフにとって禁忌の食べ物なのです」

「へ、へぇ……どんな感じか気になったんだけど飲めないんじゃ仕方ないわね……じゃあ、温かい緑茶にするわ」


 セリアのいつになく真剣な表情に言葉を詰まらせつつ、頼むのを諦める。

 興味があるのに飲めない――アレルギーの人ってこんな気持ちなのかなぁと思いつつ無難な飲み物を選択した時、向かいに座るクラウスが呟く。


「飛鳥、気になるなら僕がそれ頼むよ。その中だと黄かな」

「え……クラウスが飲んだらラインヴァイス黄ばんだりしない?」


 灰色の雛の頃のラインヴァイスが黄色く染まる姿――ヒヨコになったラインヴァイスを想像して思わず言ってしまうと、クラウスが軽く吹き出す。


「ふふ……! 飛鳥って本当面白い発想するよね。一杯くらいなら多分大丈夫だよ」

「それでは注文してまいりますね」


 セリアが立ち上がってカウンターの方に向かう。どうやらこのカフェは店員が聞きに来るんじゃなくて従者がカフェのカウンターに行って注文する仕様みたいだ。


 周囲を見渡せばカフェの中のいくつもある席の中で従者らしき人が何人か立っている。


 確かにここで店員が動き回るよりは従者が行き来した方がスムーズだ。

 従者を常に従えてる貴族ならではのセレブ仕様に感動しているうちにセリアが戻ってきた。


「せっかくですので私もマナベリージュースにしました」


 銀色のトレイで運ばれてきた温かい緑茶が入ったカップと青と黄のマナベリージュースが入ったグラスを眺める。

 大きめのワイングラスに注がれた、かき氷のシロップのような半透明かつ鮮やかな青と黄のジュースには氷の球が一つ浮かび、ストローに対するようにライムのスライスがグラスのフチに挟まっている。


「わぁ……どっちも綺麗でおしゃれね。味はどんな感じなの?」

「ちょっと待ってね、先に魔力抜いちゃうから……『奪取ロブ』」


 クラウスがグラスの上に指先をかざして呟くと、ジュースから黄色い魔力が吸い込まれるようにクラウスの指先に絡みつく。

 クラウスはそれを振り払って魔力を散らした後、ストローに口をつけた。ジュースの色がさっきよりちょっと薄まったように見える。


「僕のは……レモンとオレンジを混ぜて甘くした感じかな」

「私のは甘さは控えめで爽やかでスッキリとした味わいです」


 2人の感想を元にジュースの味を想像しながら温かい緑茶に口をつける。

 自覚なかったけど、海からあがった体はすっかり冷えていたらしい。体の内がじんわりと温まるのを感じた。


「ねぇ、それって魔力抜いたら私も飲める?」


 もしそうなら、次見かけた時にダグラスさんに魔力抜いてもらって飲んでみたい、と思ったんだけどクラウスは首を横に振る。


「完全に吸い取れる訳じゃないから、ツヴェルフは駄目だよ」

「クラウスは良いの? 公爵達だってちょっとでも魔力濁ったら駄目、みたいなイメージあったけど……」


 ちょっとでも子どもの魔力の色が違ったら色神を宿せないって話だし、ダグラスさんとクラウスの中にある相反する色の核をわざわざ禁術を使ってまで分離させてたし。

 

「そうだね……僅かといっても色が濁る以上、その間神器の恩恵や秘密の力が使えないとか色神の調子も悪くなるとか色々弊害はあるよ? だから影響する時間を減らそうと思って先に吸い取ったんだ。魔力抜く前だと30分くらいかかりそうだけど、この位なら5分もあれば元に戻るから」

「そうなんだ……え、でもハグとかキスとかでも魔力混ざるのよね? 他の公爵達ってどうしてるんだろう?」


 純粋に思った疑問だけど、よくよく考えてみると他人のそういう行為について言及するのってセクハラかも知れない。

 恥ずかしい事聞いちゃったなと思ったけど、クラウスは表情を換えずに柔らかい笑顔で答える。


「公爵は皆、食べ物とか人との接触に気を付けてると思うよ。カルロス卿はツヴェルフがつがいだからいいけど、ヴィクトール卿は妻に一切触れない事で有名らしいし、シーザー卿だって公爵になってからはツヴェルフ以外は皆サウス地方の別邸に移動させて全く会いに行かないって話だし」

「クラウス……結構詳しいのね」


 素直に感心するとクラウスは薄黄色のジュースのグラスを置いて咳払いした。


「ここ最近怪我人の治療や土地の浄化で色んな所行ってるから。好きな相手がツヴェルフなの凄く羨ましい、って話からそういう話に繋がるんだよ! だから僕がそういう話に詳しいって訳じゃ」


 話題に出なかったロベルト卿はシルヴィさんとは別に正妻がいるはずだけど――その辺まで踏み込んじゃうと本当にセクハラになっちゃう気がして別の話題に移る。


「好きな相手がツヴェルフで羨ましい、ってどういう意味? 子どもに自分の色を引き継げるのって、貴族じゃない人達でも憧れるの?」

「そうですね、色が近いとそれだけで親しみを持ちやすいものですから……全く同じ色となれば更に意識も強まると思います。それとは別に、完全に自分の色に染めてみたい、あるいは相手の色に染められたいという願望を抱く者は男女貴賤問わず多いのです」


 染めたい、染められたい願望は分からないでもない。『貴方の色に染まりたい』的な文句はキャッチコピーでも歌詞でも台詞でもよく見るし。


「例えば恋人達が契る際にお互いの魔力が混ざり合い、お互いの色が普段より近くなるのですが、その際特別な一体感や幸せを感じるそうです。ツヴェルフの場合、それが子どもを産んだり他の魔力が混ざったりするまでずっと続く訳ですね」


 例え話を出されても、その辺の感覚はいまいち理解できない。

 魔力を注がれて器が満たされていく感覚は何度か経験してるけど、『注がれた後に彼らに特別な愛着を持ったか?』と聞かれたら『よく分からない』と答えるしかない。


「その為ツヴェルフが数年おきに召喚されていた頃はツヴェルフを美術品感覚で囲っていた貴族もおり、それ目的の誘拐も少なくなかったとか……」


 この時代に召喚されたのもけして『良い』とは言えないけど、その時代に召喚されなくて良かったと心の底から思――って、ちょっと待って。


(セリアが言ってるのは、注ぐ側ル・ティベル人の感想……注がれる側ツヴェルフの感想じゃない)


 それなら私が理解できなくて当然だ、と納得すると同時にちょっと嫌な推測が頭を過る。


「ねぇ……もしかして、好みじゃないツヴェルフとか嫌いなツヴェルフでも魔力注いだら愛着湧いちゃうの?」

「そうですね……愛着というより、独占欲や支配欲も混ざった、執着に近いようです。そういう意味でも契ったら手遅れと思われたのでしょう」


 研究所でアランに魔力を注がれた時はとにかく無の精神だったけど――万が一あいつにそんな欲抱えられてたら最悪だわ。

 もう二度と会う事はない、と思いたいけどヒューイの双子の兄弟って事を考えると嫌な予感しかしない。


「……そんな事、飛鳥に言わない方が良いんじゃない?」


 クラウスが少し機嫌を損ねた声色でセリアに注意する。

 私の表情が強張ったのをツヴェルフの嫌な事情を聞いたからだと思ったみたいだ。

 言葉を発しようとする前にセリアの言葉が重なる。


「アスカ様は私を信頼して大切な事を話してくださいましたから……私ももう良い事も悪い事も包み隠さずお伝えしようと決めたのです」


 包み隠さず話される内容はともかく、セリアがそう言ってくれるのは嬉しい。


「それに、有力貴族の館の中から出る事がない他のツヴェルフと違って、アスカ様はダグラス様やクラウス様にお願いしてあちこち出かけられるのが目に見えています。出かけられるのはいいにしても、アスカ様には自分がどういう存在であるかをしっかり学び、外に出る際はしっかり警戒して頂かないと」


 確かに、シャニカが来た時に警戒していなかったら多分見事に暗殺されていた。

 親を探す可愛い女の子という、一番警戒を解いて手を差し伸べたくなる相手から狙われたのだ。


 流石に『混沌の魔女』なんて呼ばれてる異世界人をさらってどうこうしようとする人間はいないと思いたいけど、気に入らないからって殺したり強制出産刑なんて課したり下着で魅了されちゃうような人達の世界だ。何が起きるか分からない。


(……と言っても、ずーっと館の中で引き篭もって暮らすのも性に合わない。一ヶ月に1、2回はこうして出かけたりしたいし……)


 その為にはやっぱり、警戒と鍛錬――もあるけど、自分が狙われる理由を追求して解決する事も大事だ。

 ジェダイト女侯爵が話の分かる人なら、お互いに情報を共有してこの件を穏便に解決できるかも知れない。


(……向こうは私とはあまり話したくないと思うけど)


 何せ私は父親の仇のようなものだ。でも、遠慮していたら解決できるものも解決できない。


 もう私に対する殺意がないなら、私だって世界崩壊させたくないって分かってもらえれば、和解の道が拓けるかも――希望を抱きながらもう一度緑茶に口をつけると、


「こんな所に何しに来たんだ、お姫様」


 聞き慣れた声が、背後から落ちてきた。


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