第21話 漆黒と真紅と翠緑と(※ダグラス視点)


 翠緑の蝶グリューンの気配を追って夕焼けの空を飛ぶ中、並走する真紅の巨竜カーディナルロートに乗る赤に風波を調整する魔法オンダベルヴェントの陣について説明する。


「ふむ……とすると、こんな感じでいいのか?」


 赤が構成した魔法陣を見ると、色を調整して魔法を発動させる為の最低限の物しか書き込まれておらず、言語の一つ一つも荒い。その癖、魔法陣が無駄にデカい、と一目見ただけ多数の問題点が浮上する。


 だが、魔法学に精通してない人間が作る陣など皆こんな物だ。

 この国に住む貴族の大半が生活する上で必須な魔法や護身の為の防御壁などを一般教養として学ぶが、それ以外の魔法は必要に応じて個々で学ぶ。


「カルロス卿、波を鎮めるのはともかく風を鎮めるのは貴公の色ですと相性が悪いので安定の言語を入れた方がいい。それと長時間陣を維持しなければならないのですから、このような陣の構成にして魔力の無駄は極力減らした方がいい」

「ぬぬ、大分複雑な陣だな……」


 赤は今いる公爵の中では魔力が低い方だ。その上こうして眉を顰め、目を細めながらぼやく姿を見ているとそもそも魔法自体苦手としている事がよく分かる。


 歴代のリアルガー公の中には炎や溶岩、血を自在に操るほど魔道に長けた者もいたと聞くが――少なくとも赤は馬鹿息子同様、あまり頭がよろしくないのだろう。


「これ、もうちと簡単にならんか?」

「生憎ですがこれが私の最良省マナ安定構成のオンダベルヴェントです。これ以上の質を求めるならシーザー卿に聞いた方がよろしいかと」

「あやつが素直にワシに魔法を教えると思うか?」


 思ってないからこうして教えている訳だが。

 ぼやきながらも自分の陣を私のものと同じ構成にしようとしている赤に対し、疑問を呟く。 


「……ノース地方にも海はあるのでは?」


 風波を調整する魔法オンダベルヴェントは海がある地域を統括する公爵ならば知っていて当然の魔法だ。

 なのに赤は初めて見たかのように私が作り出した魔法陣を注視している。


「地図だとそうなっとるな。だがワシ自身は転移防止結界の範囲より北には行った事がない。北の海を見た事もなければ、雪山を超えた先に何があるのかも知らん」


 北を統べる者らしからぬ意外な発言に違和感を覚える。確かに、私も世界地図で見ただけで実際に北の海を見た事はない。


「そう言えばお主、アルマディン領の未開地に入ってレアメタルを採掘していたそうだな? まあコンカシェルが『自分達の武具が新調できた!』と喜んどったし口煩く言う気はないが……くれぐれも転移防止結界の外には行くなよ?」

「結界の外に……何かあるのですか?」

「だから、知らんと言っとろうに。ワシも気にならん訳じゃないがカーディナルロートが嫌がるから行きたくても行けんのだ。皇家からも禁足地扱いされとるしな」


 右手で陣を調節しつつ、左手で頭を乱雑かつ豪快に掻きながら赤が答える。


「……ならば私が行ってみて教え」

「グオオオォォォォォォン!!!!」


 突然近距離で放たれたけたたましい咆哮に思わず両耳を塞ぐ。収まったか、と思った所で少し耳から手を離すと、赤が苦笑いした。


「……ほらな、行こうとするとカーディナルロートが怒るのだ。禁足地にお前が足を踏み入れたらカーディナルロートはお主を敵とみなすし、ワシもお主と本気の戦いをせねばならん。まあ、そうなったらなったで楽しそうではあるが」


 白の核が抜けて公爵達ともリスク無く戦えるようになった今、赤と険悪になろうと問題ない――と言いたい所だが、飛鳥さんの機嫌が悪くなるような事をしたくない。

 そもそも雪山の向こうに何があるのか、赤を敵に回すほど興味がある訳でもない。


「ワシも自分が知らん禁足地の事をお主が知るのも気に入らんし、悪い事言わんからやめとけ」


 確かに、皇家からは転移防止結界の外――禁足地や他国に許可無く行かないように、と公爵になった時に言われている。

 青の言葉を借りるなら、私も自分の視界に入らない世界の事はどうでもいい。


 皇国に危機が迫っているとか、至急大金が必要になったとか、飛鳥さんがさらわれた、という状況で無い限り私がわざわざ禁足地や他国に足を踏み入れる事はないだろう。


 飛鳥さん――そうだ、飛鳥さんといえば。


「……カルロス卿、話は変わりますがアシュレー卿が私の飛鳥と番を比較するのを注意して頂きたい。これまでは飛鳥も聞いてないだろうと見逃していましたが、今回は飛鳥が聞いて傷つき、何故フォローしてくれないのかと私が責められました。これ以上看過できません」


 若いから、馬鹿だから、番に出会ったばかりで惚けているのだと思い、表立って注意はしなかったが、以前も飛鳥さんより番の方が可愛いだの胸が大きいだの好き勝手言っていた。


 飛鳥さんは私にフォローしてほしかったと言っていたが、そもそもフォローしなければならない状況を作り出した赤の馬鹿息子が絶対に悪い。

 いい加減鉄拳の一つや二つ食らわせた方が良いだろう。


「ぬ……分かった。全くあいつは……ワシはアマンダと他の女をわざわざ人前で比較しようと思った事はないというのに……まあ、ワシも18で出会っとったら若気の至りでうっかり失言しとったかも知れんなぁ」


 馬鹿息子の話を持ち出されて陣を構成し続ける集中力が途切れたのか、陣が消えて赤が腕を組んで考え込む。


「言われてみれば、カルロス卿が結婚されたのは確か18年前……30も半ばの晩婚ですが何か理由があったのですか?」

「理由? ……学生時代は武術と訓練に明け暮れ、卒業後は10年近く雪山に篭っておったから単純に女との出会いが無かったのもあるが……アマンダに会う前にワシにとっての『良い女』に出会わなかったのが最大の理由か」


 そう言えばリアルガー家の直系は学院卒業後、<修行>と称して領内の雪山に籠もると聞いている。

 夏季のほんの僅かな時期しか地肌を晒さない山の麓にわざわざ別邸を立ててまで行われる修行はもはやリアルガー家の伝統行事となっている。


「……アシュレー卿も卒業後は雪山に?」

「いや、運命の女と出会って1年も立たずに雪山籠りで離れ離れは流石にお互い可哀想じゃろ」


 聞いて返ってきた答えに安堵した。

 赤の馬鹿息子自体は目障りだからいなくなってくれればと思うが、彼の番は飛鳥さんの友人でもある。

 友人の落ち込む姿を見て飛鳥さんが表情を陰らせるのは面白くない。


「じゃから先に次男のジェフリーを行かせて、アシュレーには10年後に行ってもらおうと考え……お、おったおった」


 黒雲が大分差し迫った場所で、鮮やかな翠緑の輝きを放つグリューンが見える。

 更に近づくと向こうは既にこちらに気づいていたようで、緑が怪訝そうにこちらを見据えている。


「……何故ここに?」


 いつも会えば嫌みなり余計な一言なり言う緑が、言葉少なに問いかけてくる。


 海上を見ればうっすらと輝く巨大な紺碧の魔法陣。

 そこから作り出される大きな障壁の外側の波は大きく荒れ、空はチラチラと閃光が輝くどす黒い雲に覆われている。


 そして障壁の内側の波は穏やかに、空は晴れて黒雲とくっきり別れている。

 その荒れと平静の差が風波を調整する魔法オンダベルヴェントの効力の凄まじさを表していた。


「こんな巨大な魔法陣、『緑の魔神』と言えど10時間も持つまい? ワシらも協力しようと思ってな」

「……君達は星鏡を見にサウェ・ブリーゼに来たはずだ。こんな所で魔法陣を展開していたら星鏡はおろか、せっかく年で一番美しいフェガリと星空もまともに見られないよ?」

「ワシは言うほど星鏡に興味がない。しかし、この嵐を抑えれば明日には星鏡よりずっと美しい妻と子ども達の笑顔が見られる」


 赤の惚気に緑は酷く冷めた視線を向けて口元を歪める。


「愛する妻や子どもの為に、か……本当に、他人の為に動く君達が哀れに見えるよ。自分が必死で頑張ってる時に裏切られてるかも知れないのに」


 言い終えると同時に雷鳴が轟き、ピリッと空気が張り詰める。


「何じゃいきなり……アマンダに限ってワシを裏切るなぞないわ」

「そりゃあル・ジェルトの民は強き者に従うからねぇ……? うちの駄目侯爵に一目惚れしたル・ジェルトの民だってヴィクトール卿に負かされて以来、ラリマー家の別邸から離れようとしない。ボクが君を打ち負かせばアマンダ夫人もボクの所に来るんだろうね」


 明らかに怒りを帯びた赤の声色に一切怯む事無く――火を煽る風のように、緑が煽る。


「ああ、別に意見を言っただけでそうする気は一切ないよ。ただ、異世界人の本能を利用して愛だと主張している君が哀れで、ついからかいたくなってしまった」


 沈黙を守る火が炎になるのを望むような緑に煽られた赤は、長く息を吸いこんだ後、大きなため息をついた。


「……ダグラスは愛を知らんかったが、お主は愛を忘れたのだなぁ。『好きな子の照れた顔って、見てるだけで幸せになるんだよねぇ』とヘラヘラ笑っていたかつてのお主は何処に行ったのやら」



 一体いつの時代の話をしているのか――今の緑からは信じられない。

 緑も触れてほしくない話だったのか眉を顰め、明らかに悪意を持った眼差しで赤を睨む。


「馬鹿な男には遠回しに言っても伝わらないから困るねぇ……率直に言うと君達がいると邪魔なんだよ。心配しなくてもボクとグリューンでこの嵐を抑えてあげるからどうぞ、愛する者と美しく神秘的な星鏡を見て、何の価値も見返りも求めない真実の愛を誓いあって幸せになればいい」

「断る。お主のこの魔法陣は見事だが、一人で持たせられるとは到底思えん。お前が倒れた時に助けんといかんし、ワシは絶対ここを動かんぞ」

「助ける……? 気に入らない人間が一人英雄気取って力尽きるのを見て馬鹿にする、の間違いじゃないのかい?」

「は? 馬鹿にせんでもらいたい! 他人の為に力尽きた者を笑うような下卑た根性もっとらんわ!」

「どうだかねぇ。嫌いな人間を何の企みもなく善意で助けようなんて、ボクには偽善としか思えないんだよ」

「嫌いな人間は自分の力で打ち負かしてこそ楽しいのだ!! 勝手に力尽きるのを見てもちーとも面白くなかろうが!! なぁダグラスよ!?」


 馬鹿と性悪の至極どうでもいいやり取りを漠然と眺めていたら、唐突に話を振られる。


 嫌いな人間を自分の力で打ち負かす事が楽しいのは否定しないが――勝手に痛い目を見て落ちぶれていくのも同じくらい楽しい。


 否定も肯定もできない問いかけに無言を貫いていると、赤が至極残念な者を見るような眼差しを向けてくる。


「聞く相手を思いっきり間違えちゃったねぇ……ところでダグラス卿、何で君まで着いてきているのかな? クラウス君も近くに来てるのは分かってるだろう? 彼、あの子を星鏡に誘って君より先に愛を誓いあうかもしれないよ?」

「アスカ殿はそんな不義理な事はせん!」

「どうかな? 彼女……アスカ君の甘さは、ダグラス卿もよーく知ってるはずだ」


 私の不安を煽るように緑が口元を歪める。

 指摘された通り、不安はある。大いにある。

 飛鳥さんはアレに甘い。私との仲をことごとく邪魔してきたアレを許すばかりか、2人目の夫となる事すら許した。


 アレがお膳立てした舞台で愛を誓うのが癪でここに来たが、逆に私が守った星鏡でアレが飛鳥さんに愛を誓うのは最も阻止したい流れだ。


 だが――


 ――ダグラスさん……あの、私、ダグラスさん戻ってくるまで起きて待ってますから。私もダグラスさんと星鏡見るの、楽しみにしてたので――


 飛鳥さんは『私と』星鏡を見るのを楽しみにしているのだ。


 地球に行って飛鳥さんを連れて戻ってから今日この日まで、私は自分の欲求を抑え、飛鳥さんの期待に応えられるように最高のロマン溢れる場所を用意した。

 彼女の気持ちを更に高まらせる為のプレゼントも用意してある。


 そんな私の努力と想いに飛鳥さんも応えてくれる――そう。そうだ。


「……仮に私が戻る前に愚弟と星鏡を見ようと、愚弟が愛を誓おうと関係ない! 飛鳥さんの愛は私にある……その後、彼女と心身ともに愛を誓い合えるのは私ですから!!」

「おお……よく言った! 男たるもの、ちょっとやそっとの不安で狼狽えてはいかん! 見直したぞダグラスよ!!」


(当然だ……飛鳥さんは今頃私の為に大胆で、過激で、凄い下着を身に着けて待ってくれているのだから……!!)


 ああ、そう考えればそういう下着を身に着けた飛鳥さんを前に愛を誓おうとする愚弟の、何と愚かしく哀れな事か。


 想像するだけで自然と顔が緩んで口角が上がってしまう。飛鳥さんの愛を信じるだけでこれ程までに幸せな気分に浸れるとは。


 しかし、下着については綺麗で、可愛くて、似合ってる以外の事は言うなとメイドから言われている。

 心は緩んでも口まで緩まないように気を付けなければ。


 そんな幸せに浸る私を、緑が何やら可哀想なものを見るような目で見据えてくる。


「……裏切られないと良いねぇ」

「ええい、うるさい!! お主いい加減その減らず口を止めんか! お主のような性格ねじ曲がった男、一人で何とか出来ると言っても信じられん!! だからお主を監視するし、お主が倒れたら助けるし、お主の魔力が尽き次第ダグラスとワシが嵐を止める!! もうヌシの同意はいらん!!」


 先程のカーディナルロートばりの赤の怒声が薄暗くなった空に響く。


 赤の言う通り、緑が何と言おうと私は飛鳥さんと飛鳥さんの下着勇気に応える為に何としてでもこの嵐を抑え、最高の星鏡を維持しなければならない。


「……ボクが何を言っても聞くつもりが無いなら、その耳障りな声と魔力を感じない位離れた場所で監視してくれないかな? 馬鹿な男が二人も傍にいると流石にボクも疲れる」


 緑は諦めたように重い溜息をついて肩をすくめると、これ以上会話するつもりはないと言わんばかりにこちらから背を向けた。


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