第132話 記念写真・2


 執務室に通されると大きな机の手前に薄灰のロールスクリーンが天井のあたりから垂れ下がっていた。その下にはアンティークな黒い椅子が置かれている。


「お久しぶりです、ダグラス様」


 ソファに座っていた、癖のないショートカットのダークブロンドに橙の眼を持つ穏やかな印象の女性が立ち上がる。

 向かい側のソファに座っていたルドルフさんも立ち上がり、2人でこちらに歩み寄ってきた。


「初めましてアスカ様……グスタフの妻のルネです。よろしくお願いします」

「よ、よろしくお願いします」


 優しい笑顔を浮かべるその女性にも丁寧に頭を下げられて、言葉をかえす。頭を下げちゃいけないんならせめて言葉はしっかり返さないと。


「先代の夫婦写真と同じ感じで宜しいですか? 子どもが出来た際の記念撮影との比較もできるので個人的には一番推しのスタイルなのですが、思う所があるようなら……」

「いや、何も問題無い」


 両親の写真と同じ撮り方――確かにルネさんが気を遣うのも分かる。だけどダグラスさんは特に気を悪くした様子も無く了承した。


「では、早速。アスカ様はそちらの椅子にお座りください」


 指し示された黒い椅子に座って、チラ、と写真と同じポーズを取ってみる。

 すぐ横に立つダグラスさんを見上げると、とても温かな眼差しでこちらを見下ろしてきたので慌てて真正面に向き直す。


「アスカ様、もう少し手を重ねるように、左手の上にもうちょっと右手を……そう、そんな感じです。ダグラス様はもう少しだけアスカ様の横に近づいて……」


(写真……本当に良いのかな?)


 ルネさんの細かな調整に従っていく中で、また疑問が噴き出す。


 私がこの世界に居続けるならまだしも、帰るのに――帰るのに、こんな仰々しい写真撮っていいんだろうか?


 真正面には恐らく光を出すライトの様な魔道具が2つ。カメラとは少し違う形だけどレンズの様なものがはめ込まれているそれも魔力で作動するものなのだろう。


 それらの後ろに立つ皆、笑顔だ。この写真を撮る事が喜んでいる。


(でも私が帰ったら……みんな今日の事をどう思うんだろう?)


 ぐるぐると思考が巡る度に綿あめのように不安と罪悪感が膨らんでいく。


「では、お二方とも笑顔で……」


 私がいなくなったら、ダグラスさんは怒るだろうか?

 さっきみたいにカッコ悪い事言ってられないくらい落ち込むんだろうか?


「……アスカ様?」


 今の状況――クラウスに嫌われて地球に帰れるかどうか怪しくなってきたけど、まだ望みが潰えた訳じゃない。

 あと数週間でこの世界から離れる事になるかもしれない私は――本当に、この写真を撮っていいんだろうか?


 この写真は、後で彼を追い詰めたりしないだろうか?

 

(私は……本当にこの写真に写っていいのかな?)


 また、後で『いらない』なんて言われてしまったら――


 ポタ、と手に落ちる水滴が私を現実に引き戻す。


「……すみません」


 メイクが崩れないように手袋の先でそっと目元の水分を吸い取らせる。


「アスカ様、どうしました? 気分が優れないのですか?」

「そう言えば、体が重いと今朝……」


 ルネさんの言葉に続いてセリアの呟きが聞こえる。さっきまで微笑ましい空気だったのに私のせいで戸惑った感じになってしまっているのがすごく申し訳ない。


「すみません……」

「いいえ、大丈夫ですよ。緊張して上手く笑えない事はよくある事ですから……どうしましょう? 少し休まれますか?」


 ルネさんの言葉は優しいのに。ここにいる人達の視線は皆、温かいのに――何故か不安が煽られていく。

 このまま中止になってくれたらという願望とここまでさせて中止にさせてしまう事の申し訳なさが、頭の中でぐちゃぐちゃに入り乱れる。


「ヨーゼフ……悪いが、飛鳥さんと二人に……」

「承知しました……私共は食堂の方に……落ち着きましたら……無理そうであれば遠慮なく……」


 バタバタと会話が続いた後、皆を執務室から出ていってダグラスさんと二人きりになる。



「飛鳥さん……大丈夫ですか?」


 静寂の中、ダグラスさんは私の前で膝をついて私の右手を取り優しい表情で見上げてくる。


「すみません……」


 ここに座ってからもう何度謝罪の言葉を繰り返しただろう? 他に思いつく言葉もなくただただ謝罪を繰り返す。


「いえ、元々飛鳥さんが乗り気じゃないのは分かっていましたから……無理をさせてしまって……謝るのはこちらの方です。写真を撮るのは中止しましょう」

「でも……」


 申し訳なさで頭がいっぱいになり、反射的に否定の言葉を紡ぐ。


「そのドレスを着た姿を見る事が出来ただけでも私は良かったと思っています。ヨーゼフもルドルフも彼らに会う事が出来たのですから飛鳥さんが気に病む事はもう何もありません」


 そう言ってくれる優しさも今は痛い。私が上手く返事が出来なかったのが更に彼の罪悪感を煽ったのか、一つ、小さなため息を付いて小さく俯いた。


「……ヨーゼフは、昔はあんな感じでは無かったのですが……どうも私の父が亡くなってからあれこれと口煩くなってしまい……飛鳥さんから言われて彼に注意をした時に言われた事も少々気にかかりまして、強く止める事が出来ず……すみません」

「何て……言われたんです?」


 ダグラスさんの心を揺らした言葉が純粋に気になって問いかけると、ダグラスさんはすっと立ち上がり、両親の写真がかけられた方に歩いていく。


「……自分が最後に仕える主くらいは幸せになってほしいと思うようになったと」


 ヨーゼフさんが言っていた<心残り>がその事だとピンとくる。だから私の周囲の絆を断ち切りまわってでも私をここに留めておこうとしているのか。


「彼の一族……ギベオン家はずっとセレンディバイト家に仕えていて、彼は私の曾祖父の代からこの家に仕えています。その……飛鳥さんの同情を誘うつもりはないのですがセレンディバイトの人間は黒の魔力を持っている為か、皆、恋愛も子づくりも酷く消極的でその結果孤独な生涯を終える者が多いらしく……そんな歴代の主達を見続けてきた彼自身、思う所があるのでしょう」


 ただただ写真を見据えながら言葉を続けるそのダグラスさんの視線も、自身のお父さんに向けられている。


「彼は両親にいないものとして扱われていた私の親代わりみたいなものですから尚更、家族を知らない私を人一倍哀れんでいる節がある……」


 ああ、両親を亡くした私に優しくしてくれた叔母さんのようなものか。


「全くもって煩わしい無駄な感情です」


 予想外の言葉と自嘲するような表情に、一瞬思考が停止する。


 私は世話を焼いてくれる叔母さんにそこまで思わなかった。ほんのちょっと煩わしさはあったけど、気にかけてくれる感謝の気持ちの方が大きかった。


(多分、ダグラスさんの中にもヨーゼフさんに対する感謝の気持ちはあるんだろう。ただその比率が、私と逆っぽいだけで……)


 と内心フォローを入れているうちに、ダグラスさんの視線が再び私に向けられる。


「……飛鳥さんも最近彼と同じ、哀れみの眼差しを私に向けてくるようになりましたね。貴方のその眼差しはあまり好きじゃないのでハッキリ言いますが、私を哀れむ必要は一切ありません。ですからそういう眼で私を見るのはやめてください」


 確かに、ダグラスさんは私がダグラスさんの事情を知ってる事を知らない。

 その分の哀れみ、というか可哀想だと思う気持ちを向けられたら嫌な気持になるのも分かる。


「私は、自分がどういう子どもだったかよく覚えています。酷く冷めた子どもで人に愛想笑いも向けず、魔法以外の物事に関心を持つ事も無く……一言で言えば本当に可愛げのない子どもだった」


 目を伏せていきなり幼少期の話をしだすダグラスさんに戸惑う。


(ああ、私が子どもの頃のダグラスさんの話を聞いた事で哀れみの眼差しを向けるようになったと思ってるのかな……?)


 親にいないものとして扱われた――その事実だけでも同情を向けられてもおかしくない。


「……前ダンビュライト公に母を連れ去られる際、彼に『君のお母さんはここにいる限り幸せにはなれない』と言われました」


 幼い子どもにそんな酷い事を言える大人の神経を疑う。


「私は『そうですね』と返しました」

「え?」


 続けざまに想定外の言葉が飛び出て思わず間抜けな声が出ると、ダグラスさんは苦笑いする。


「私は、止めなかったんです。私は母に対して何の感情も……いえ、暗い女だ、位の印象は持ってました。その暗い女がここを出て明るくなるならそれでいいじゃないか……そう思って見送ったんです。その後帰ってきた父に殺されかけた事は今でもよく覚えています」


 その自嘲の笑みは若さゆえの過ちと言うにはあまりにも幼い子供時代に向けられている。


「母が私に笑顔を向けてくれた事は一度だってありませんでした……ですが、私も母に笑いかけた記憶がありません。愛を向けない子より愛を向けてくれる子の方が愛されるのは当然です。自分の感情ばかり押し付けて力で支配しようとした父も、そんな父と母に無関心だった私も、愛されなくて当然なのです。私はけして、<温かい家族を奪われ壊された可哀想な子ども>ではなかった」


 そう言って微笑むダグラスさんの表情が、酷く、寂しいものに見えた。


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