第28話 黒の情愛・1(※ダグラス視点)
気に入らない。
飛鳥と共に幸せな一夜を過ごした後からずっと気に入らない事ばかり続いている。
一つだけ良い事があったとすれば飛鳥がアレとの結婚を否定して無効にしたいと思っている事が分かった位だ。それ以外は本当に、何もかもが気に入らない。
特に飛鳥の自傷癖だ。飛鳥の中で黒の魔力のざわつきを感じる度に自傷行為に及ぶ姿を見る限り、彼女なりに意識の安定を図ろうとしているのは分かる。黒の魔力が放出できないからそうしているのも分かる。
(しかし……痛々しくて見ていられない……!)
本来の、人の姿であれば力づくで止められた。そもそも飛鳥の黒の魔力が荒ぶらないよう押さえつける事が出来た。
だが今のこの体で保持できる魔力は僅かで、以前のように安定させる事ができない。
私には何もできない。だがそれでも自分の体を傷つける方法はやめてほしくて必死に邪魔すると、今度はこっそり唇や口の中――私が手を付けづらい所を傷つけはじめた。これ以上邪魔するとより状況が悪化しそうだ。
半ば諦めつつも目を見張らせていた時、飛鳥の黒の魔力が大きく波打つのを感じた。何か格好の餌を見つけたような感覚を一瞬覚えた後、収まる。
収まったのは飛鳥が足の甲を踏みつけたからだと後で気付いた。内出血の酷さからして相当酷く踏みつけたようだ。
見た目も酷いが、実際も相当痛いのは間違いないはずだ。だが飛鳥はあまり痛がる素振りを見せない。
演技かと思ったがどうも自傷が過ぎて痛みに鈍感になってしまっているようだ。
鈍感になると更に強い痛みで心の安定を図ろうとする。これはどう考えても良くない兆候だ。
(色神の体であれば恐らく飛鳥の黒の魔力が入っている器に飛び込めるはずだが……)
これ以上悪化される位なら私は飛鳥の器に入って直接中から安定させた方が良いのかも知れない。
(しかし、もし私だとバレてしまったら……)
私も最初はペイシュヴァルツを利口な猫だと思って自分の中に受け入れていたがあれが人並みにハッキリした自我を持ち、喋る事を知ってしまってからは受け入れる事に少し抵抗を覚えるようになってしまった。
付き合いが長い、仲が悪い訳でもない私とあれでさえそうなのだ。もし私が飛鳥の中に入った事に気づかれたら飛鳥は不法侵入だと騒ぐだろう。
そう思うと勇気が出ない。私はペイシュヴァルツのようにずっと黙っていられる自信もない。
だがこれ以上自分の体を傷つける飛鳥を見ていられない。どうしたものか、と頭を抱えている内に現れたアーサーの異母弟――彼も中々の曲者だった。
私がいくら言い聞かせても聞く耳持たなかったであろうアレの執拗な好意を飛鳥に伝えてくれた事や飛鳥がアレに好意を向けてない事が分かった事は感謝している。
しかしアレを呼んでいいか聞いてきた時は思わず『呼んだら潰すぞ』と警告してしまった。
できるだけ自分の事は彼女に近しい人間には伝えたくなかったのだが。
それよりもその後だ。飛鳥に対して一番気に入らないのはその後遭遇したアーサーの異母弟に対して剣を教えてほしいと乞うた事だ。
飛鳥が強くなろうとするのも、アーサーのものすごく余計な言葉も、アーサーの異母弟が私の警告を聞かずにそれを手助けするのも、父親が強く止めに入らないのも――全てが気に入らなかった。
器の小さい、魔法を学んだ事もない盗賊や山賊に身をやつした低俗な人間でも魔力を圧縮した弾――魔弾を2、3発打てる程度の魔力はある。そしてそれをいかに効率良く使うかも考えている。
魔物もそうだ。強い魔物は強い魔力を、弱い魔物は魔力を持てずとも群れをなし抗う術のない女子どもを殺す力を持っている。
一人で生きようとするツヴェルフの女など容易に捕まり、様々な理由を経て最終的には産み腹あるいは慰み者として雑に扱われるか、殺されるかのどちらかだ。
只でさえ女は力が劣る。余程鍛えている者や戦いの才能に恵まれている者でもなければ魔力が無いと話にならない。それは飛鳥も分かっているはずだ。
(誰の魔力をアテにしている? それともこれから探すつもりなのか……!?)
自分一人で生きる為に、自分の身に降りかかる火の粉を払う為だけに私以外の人間に魔力を注がれるなど、そんな事は絶対に許さない。
協力しないように全力でリチャードを脅した。だが――
「すみません……いくらダグラス様から警告されてもソフィア様の願いだけは譲れません!!」
肝が冷える思いがした。必死に飛鳥に違う、違うと叫ぶ自分を思い返すと酷く滑稽で笑えてくる。
その後、『ダグラスさんに内緒だからね!? 約束できる!?』と言われ、ここで抵抗すればまた何か嫌な事が起きそうな気がして仕方なく頷けば、突然顎を撫でられる。
私もペイシュヴァルツの顎を撫でた事は何度か有る。しかし私は猫ではない。顎撫では口づけより卑猥に感じて私は咄嗟にベッドの下に避難した。
餌付けといい顎撫でといい、どうして飛鳥は過激な行動に出るのだろう? ああ本当に、何もかもが気に入らない。
ベッドの下に避難して飛鳥が去るのを待つ。依代である飛鳥が離れれば離れるほど息苦しくなっていき、観念してこっそり後をついていく。
(こんなにイライラする位ならアーサーに着いていった方が良かったのかも知れない……)
自傷も訓練も目に見える場所でやられるから苛立つのだ。飛鳥が数節鍛えた所でたかが知れている。
何も知らずにアーサーに預けた黒の音石を依り代に自分の器のヒビを治す事に専念すれば良かった。
だがあの時――飛鳥をこのまま一人にしたらまた逃げられてしまうような気がした。誰かに取られてしまうような気がした。また自分の体を傷付けるんじゃないかと思うと心配だった。
しかし残ってみた所で飛鳥の自傷癖も一人で強くなろうとする事も止められない。アーサーと共に行ったとしても魔物の大群の前に今の私は何の役にも立たない。
この無力な子猫生活は物凄く惨めだ。色神は食事や排泄をしないからまだ良いもの、それらがあったら私のプライドは(いっそ時が止まったままで良かった)と思う位にズタズタになっていただろう。
守りたい者もまともに守る事が出来ない弱者の気持ちが、今はよく理解できる。
飛鳥に気付かれないように食堂の壁をすり抜け、死角から彼女を見守る。
訓練できる事が嬉しいのか食事が美味しいのか、飛鳥の顔が少し綻んでいる。気に入らないことだらけだがそれでも、飛鳥の穏やかな顔を見ると安らぎを覚える。
(私はただ、貴方と幸せになりたかった)
私の子どもを産む為に召喚した飛鳥を元々大切にするつもりではいたが、いつしか子どもの事より飛鳥の方に意識が向いてしまい、想いが強まれば強まる程衝動も強くなって飛鳥を何度も傷つけてしまった。
それでもあの夜、私達は分かり合えたはずだった。飛鳥の記憶さえ吹き飛ばなければ、今頃2人であの時同様甘く幸せな時間を過ごせていたかも知れないのに。
(まだ飛鳥の中に特定の誰かがいないのなら……また私が飛鳥の心の中に入る事が出来るなら……)
もし器のヒビが治って再び飛鳥と話せた時、指輪の事は誤解だと私に訴えてくれれば私も誤解をして酷い事をしてしまったと仲直りできる。
しかし飛鳥が剣を学びたいと言ってから私の器のヒビが治る前に何処かに行ってしまわないかと心配で仕方がない。
まさかこの館から抜け出そうとするとは思えないが、それでも不安は拭えない。
(今まで生きてきた中で滅多に経験した事のない不安も心配も、飛鳥と出会ってから格段に増えたな……)
それほどまでに私の中で飛鳥の存在が大きくなっているのだと思うと自嘲せざるをえない。
黒の公爵が、皇国の英雄が、一人のツヴェルフに入れあげた挙げ句力無き子猫と化し、今なおそのツヴェルフに見限られないかと不安で震えている。なんてざまだ。
食事を終えて温室へと向かう飛鳥達の後を追っていると、目の前の扉が開き、
『おや、依代からは離れられないと言っていたが結構離れる事が出来るじゃないか』
大分先を歩く飛鳥達と自分たちの距離を目視で測りながら変人侯は口角を上げる。
『しかし丁度良かった。先程黒い封書が届いたのをどう伝えようか迷っていたんだがこれだけの距離離れられるなら一人で私の部屋にも来れそうだね。私の部屋の机の上に置いておくから君の都合が良い時に確認してくれ』
前々からアーサーから変人だとは聞いていた。加えて変人侯という呼び名――だが年に1度、公爵と侯爵が一堂に会する14会合の時は少し空気の読めないやや饒舌なだけの普通の人間だと思った。変人が言う変人は逆にまともなのか、と思っていた位なのだが――
『エドワード卿……魔導機の製造は禁じられているはずだが?』
魔導機――魔道具の中でも用途が限定され一般に広がっている小物とは違い、大量の魔力を使い大規模あるいは複雑な動作を行う大物を指し示す言葉だ。
あの畜生達を世話する部屋にある魔道具は殆ど魔導機と言って良い位大型で複雑なものばかりだった。
『気づかれてしまったか……まあ気づかれるだろうとは思っていたんだ。ああ、彼女達の後を追わなければならないんだろう? それなら歩きながら話そうか』
口元に手を当てて歩を進めはじめた変人侯の後につき始めた所でまた頭に声が響く。
『確かに魔導機の製造は法で禁じられている。便利な分悪用されると厄介だし、魔導機の製造や魔導工学の発展は様々なリスクを伴う事も分かっている。だけど魔導機はちゃんと使えば物凄く便利だからね。だからついつい私用で作ってしまう』
法や規律に最も厳しいリビアングラスに仕える2つの侯爵家の当主のうち1人がこっそり法や規律を犯していると思うと黄に憐みを覚えざるをえない。
この国では禁じられている魔導機の製造を私利私欲の為に行っているだけならまだしも――
『許可なく魔物を飼育する事も禁じられているはずだが?』
変人侯の足がピタリと足が止まる。
あの老いた畜生が住まう部屋の下には魔物の気配もした。魔導機のパイプも地下にも繋がっているような作りだった。つまりこの男は――魔物も飼っている。
魔物を飼う事自体は珍しいものではない。魔物と言っても種族は幅広く、中には運搬・輸送、護衛用、戦闘用、愛玩用、食用――その他あらゆる用途に対応した調教や契約を施されて人と共存している魔物も少なくない。
しかし魔物は魔物。そういう反発を軽減させる為に飼育は許可制。その後は毎年皇国に現状報告しなければならず、誰がどういう魔物をどれだけ飼っているかは一部の領を覗いて厳密に管理されている。
なお公爵は免除されているが召喚で一時的に使役するケースでもいつ、何処で、何を、どれだけ、何の為に召喚したかを申告しなければならない。
『流石公爵だ、地下室は断魔材で念入りに囲ってあるんだがそれでも気づかれてしまったか』
振り返られ、感情のない顔で見下ろされる。本人は威圧しているつもりはないのだろうが女性一人分くらいの高さから見下されるだけでも威圧感を感じる。
『あれはどうあっても許可が降りそうになくてね。見逃してくれないか?』
『……何を飼っているかによる』
どうあっても許可が降りない魔物、と言う時点で厄介な魔物に絞られる。
あの老いたツヴェルフ同様拾った以上死ぬまで面倒を見るつもりか、調教して皇国に対してクーデターでも起こす気か、魔導機の魔力供給用に捕まえたのか――どれににせよ魔導機製造も相まって重大な反逆行為である事には違いない。
『……ベヒーモスだ』
巨獣種の頂点に君臨する魔物の名に自然と目が細まった。
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