第1部・3章

第65話 7日目の朝


 7日目の朝も晴天。セリアがドアをノックする音で起こされる。


(……早朝筋トレが続くと、キツい……)


 起きてからもう何度目の欠伸だろう? 着替えて筋トレを始めてしばし経つというのにまだ眠気が抜けない。

 昨日もう少し早く寝ればよかった。時間を潰そうと魔法教本を読み始めたのは失敗だったと後悔する。


 だけどこの筋トレの時間は貴重だ。魔法も訓練もできない今、ここで頑張らないと他に頑張れる所がない。

 昨日の筋トレで鍛え、筋肉痛を起こしてる部分を避けるように組まれたらしい本日のノルマをこなす。


 筋トレを終えると時計は6時を示していた。タオルで汗を拭いながらこの後どうしようか悩んでいるとセリアが水の入ったコップと薬を差し出してきたので一気に飲み干す。


「……手首に巻かれるリボンもロマンがあって素敵ですが、やはり髪をまとめる方に使った方がお似合いですね。」


 狩りの時同様にポニーテールをまとめる為に結ばれた婚約リボンを眺めながらセリアが呟いた言葉に勢いよく咳込む。幸い、薬が口から飛び出してくる事はなかった。


 今、婚約リボンは私の目に見えないけど何か不思議な圧を発しているのが分かる。それを見つめるセリアは昨日の夜からずっとニヤニヤしている。


「今日は六会合ろっかいごうがありますから、終わり次第ダグラス様がまたアスカ様に会いに来られるかもしれません。」

「……六会合?」

「皇城で1節に1度開かれる、6大公爵会議の事です。それぞれ管轄している地方の問題に始まり他国、魔物の事など様々な事を話し合うので、来られるとしても夕方頃になりそうですが……」


 初めて聞く言葉を反芻するとセリアが丁寧に解説してくれた。1節いっせつ、というのは地球で言う一月ひとつきみたいなものらしい。


 (へぇ……ダグラスさんああ見えて小難しい仕事もしてるんだ)


 ニュースやドラマで見るような首脳会談や重役会議を想像して感心していると室内にノック音が響く。セリアがドアを開けると、クラウスが入ってきた。


「……おはよう」


 昨日の別れ方が気まずいのか、クラウスはこちらを見ずに挨拶する。


「おはよう。セリア、ちょっと……」


 席を外すように言うより早くセリアは小さく頭を下げて退室した。この気の利きようも考えようによっては怪しく見える。


 部屋に2人きりになるとクラウスは防音の障壁を張る。どうやら今日はピィちゃんは着いてきていないようだ。


「……どうしたの? 元気無いね」


 ピィちゃんの事を聞く前にクラウスから問いかけられる。

 昨日起きた事が多すぎて何から話せばいいか混乱しつつ、まず魔法を使って白の魔力が殆ど無くなったら黒の魔力の特性が現れて、今は薬で抑えている事を話す。


「だ、大丈夫……? 魔力を調節する薬は体に強い負担をかけるし、早く僕の魔力で中和した方がいいね。話は抱きながら聞くよ」


 そう言ってクラウスはさも当たり前のようにベッドに腰掛けて手を広げる。


 『抱きながら聞く』というパワーワードと共に恐れていた展開が来た。

 だけどここであれこれ言ってたら、協力してくれるクラウスに失礼だ。覚悟を決めて、クラウスの隣に腰掛ける。


「心臓に悪いから、昨日みたいな押し倒しは無しで健全なハグでいきましょう」


 これだけは言っておかないと、と思って言った言葉に、クラウスはポカンとした顔をする。


「……それ、昨日僕にドキドキしたって事?」


 恥をかなぐり捨てて言ったのに、変な所に食いついてこないでほしい。


「あのね、私だって人間なの。お互いの間に恋愛感情が無いって分かっててもクラウスみたいな人に長時間抱擁されたら心拍数上がるのは当然の反応なの。そこは誤解しないで。誤解させないで」

「君って本当変な事言い出すよね……」


 呆れているような言い方をしながら、クラウスは微笑っている。


「まあいいや……じゃあ、しようか?」

「じ、じゃあ、失礼します……!」


 一息ついて気合いを入れたのが不味かったのか、クラウスを勢い余って押し倒してしまう。


「……押し倒しは、無しじゃなかった?」


 ベットに倒れこんで苦笑いするクラウスから――多分本人には全くそのつもりはないのだろうけど――何とも言えない色気を感じる。

 どうしよう、何かちょっと悪い事をしようとしてる感が半端ない。


 舌の根乾かぬうちにこういう展開になるなんて、もうこのまま布団の中に潜って消えてしまいたい。

 慌てて離れようとする手を、強く掴まれる。


「……この体勢がいい」

「えぇ……!?」


 予想外の要望に、自分でも引く位変な声が上がる。

 もしかしてクラウスも変な性癖を持ってるんだろうか? 父親が違うとはいえ兄の性癖が性癖だけに、疑いの眼で見てしまう。


「よく考えてみたら、昨日は僕が積極的に動いたからアスカに勘違いされたんだ。でも僕の魔力が欲しいのはアスカなんだから、本来アスカから来るべきだと思わない?」


 確かに――女性が男性にリードされるのは少なからず男性側に好意がある場合の話で、クラウスにその気がないのにクラウスがリードするのはおかしい。

 理由はどうあれ私がクラウスの魔力を求めている以上、私から行くのが道理だ。 正論を吐かれ、先程自分が考えた事を反省し改めて覚悟を決める。



「……分かった」

「じゃあ、ベッドにちゃんと横になってくれる?」


 昨日腰掛けた状態から押し倒されて思ったけれど、長時間あの体勢を続けるのは辛い。私の言葉にクラウスは靴を脱ぎ、素直に横になる。

 私も靴を脱いでベッドに上がり、上に覆いかぶさる形でクラウスを抱きしめた。


「お……重くない? 嫌じゃない?」


 こういう状況は勝手が分からない。なるべくクラウスを不快にさせないようにしないと。


「大丈夫」

「ならいいけど……」


 自分の顔をクラウスの肩に添える形で、うずめる。

 多少窮屈な感じがするけど、上に圧迫感が無いからか押し倒されるよりは気が楽だ。いつでも自分の意思で離れられる安心感もある。

 この体勢でも魔力が『落ちてくる』感覚なのは不思議だけど。


(なるほど……自分がリードする事で結構自由も効くし、深く考えさえしなければ、クラウスの顔さえ見なければ、この状況は意外と悪くないかも……)


「……で? 薬飲んだ後どうなったの?」


 クラウスも普通に話しかけてきたのでこれ以上この体勢について考えるのはやめよう。


「えっと……その後、部屋で休んでたんだけど私が体調崩したからってダグラスさんが来たのよ。訓練と魔法使ったのがバレてて二度と使うなって言われて、何とか訓練だけでも……って色々説得試みたら変なスイッチ入れちゃったみたいで求婚されて……」

「求婚……」


 クラウスの声は問いかけと言うより独り言のように聞こえたので、構わず続ける。


「逃げ道ないなと思って受け入れたら、リボン手首に巻かれて、手の甲に口づけされて、黒の魔力の感覚が全身を巡って、これが、暗くて重くて怖くて……」

「口づけ……」


 独り言とはいえ、嫌な所ばかり呟かれてちょっと恥ずかしくなってきた。


「……で、訓練がバレたのは分かるんだけど、魔法使った事は何処でバレたのかなって。セリアを疑いたくはないんだけど、もしセリアがダグラスさんと繋がってたら訓練できないし、困ったなぁって……」

「……アスカ、ちょっと降りてくれる?」


 ようやく、独り言じゃない言葉が返ってきた。

 言われるがままに降りてベッドに座ると、起き上がったクラウスが私の頭に手を伸ばし――たかと思うと、纏められていた髪が一気に解かれ、黒の婚約リボンがひらりとベッドの上に落ちる。


「行くよ」


 そう言ってクラウスは靴を履いて立ち上がる。その言い方から私も付いてくる事を前提にしているみたいだけど――


「……行くって、何処へ?」

「僕の家。ここの訓練場ほど広くはないけど僕の家にも訓練場はある。僕は弓なら教えられるし他の武器を学びたいなら僕の家に仕える人間に教えてもらえばいい」


 何でこの人は、そこまでしてくれるんだろう――? クラウスの背中が、暗闇にさす光のように輝いて見えた。




 靴を履いてクラウスの後に続くと、部屋の前でセリアが待っていた。


「今日から授業が始まる時間までアスカは僕の家で過ごす事に決まったから。ダグラスの家に行くまで毎日、筋トレが終わり次第アスカを城前で待たせて」


 (えっ、今日だけじゃないの?)と驚きの眼でクラウスを見つめるけどクラウスはセリアの返答を待たずに私の手を引いて歩いていく。

 『あらー……』と言いたげなセリアだったが、私が笑顔で小さく手を振ると小さく頭を下げた。


 婚約してる男がいる身で別の男の家に行く事をこうもやすやすと受け入れられる価値観はどうかと思う。

 でも今自分はその価値観に救われているので気にしない事にした。


 朝早くという事もあって人こそ少ないけど途中ですれ違う人達が皆私とクラウスの方に目を向けるのが少し恥ずかしい。

 手を振りほどこうとしても、強く握られた手は魔法でも使っているのかと思う程かたくなで、下手をすると筋を痛めてしまいそうだ。


 アシュレーも、ダグラスさんも、クラウスも。握力が私よりずっと強い。

 男性なんだから当たり前と言えば当たり前なんだけど――私もこういう時ちゃんと振り払える位の力は欲しい。



「クラウス……!?」


 白馬車の前に着くと、甲冑の騎士――エレンさんが、驚きの声を上げる。


「彼女を家まで連れていく」


 エレンさんの返答を待たずにそのまま白馬車に乗せられ、ようやくクラウスの手が解かれる。そして向かい合うように座ると馬車は静かに動き出した。


「君を馬車に乗せるのは2回目だね」


 クラウスが微笑む。窓から差す日光に銀色の髪が照らされて凄く綺麗だ。


 見惚れてるうちに馬車が揺れる振動につられて、一気に眠気が襲ってくる。遅寝早起きのせいもあってか、手の甲をつねってみても眠気は微塵も引かない。


「クラウス……私、寝ちゃうかもしれない……」

「……いいよ。家に着いたら起こすから」


 大きな欠伸を手で隠し目をしばたかせる中、許可が取れるや否やベストを脱ぎ、丸めて枕代わりにして横になる。

 これで座席をよだれで汚す事はない。


「涎とか鼾とか出るかもしれないけど、気にしないでね……」


 そういった後、瞼が自然と降りてくる。ああ、もう、開けたくない。

 眠っていいと許可を得た脳は、早々に意識を静寂の闇の中に落としていく。


「アスカってさ……気にする所色々間違えてるよね……」


 うっすら、クラウスが呆れている声が聞こえたような気がした。


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