第115話 惑わし合う男と女・3
「この写真は……」
黒の軍服の男性が困ったように微笑む傍で、黒のドレスを纏った銀髪で褐色肌の女性が座って微笑んでいる。
その女性には見覚えがある。クラウスの部屋でも見た、ダグラスさんとクラウスのお母さん――セラヴィさんだ。
「……私の、父と母です。ヨーゼフが言うには婚約記念に撮った写真だそうで」
写真に見入っていた私の横にダグラスさんが立つ。
「ダグラスさんが一緒に映ってる写真って無いんですか?」
子どもの頃の彼に興味が湧き、尋ねてみると首を横に振られる。
「家族で撮った写真は1枚もありません。母がこの家を去るまで、私は父と母にいないものとして扱われていたので……」
「……いないものって?」
重い発言を見逃す事が出来ず、つい食いついてしまう。
「言葉の通りです。母がいた頃は私もかなり幼い身ではありましたが、父が私に目もくれず母に2人目を望み、そちらに家を継がせようとしていた事は覚えています……結局次子が出来ないまま母は強制的にダンビュライトの館に連れて行かれ、父は私を跡継ぎにせざるをえなくなったのですが」
「何で連れて行かれたんです?」
続けざまに以前から気になっていた質問を重ねると、しばしの沈黙の後に言葉が紡がれる。
「……いつまで経っても母を開放しない父に痺れを切らした前ダンビュライト公が父の外出中に訪れ、母を眠らせて連れて行きました。数年後、興味本位でダンビュライト家に忍び込んだ時母はマナアレルギーから回復したようでクラウスとあの男と幸せそうに暮らしていました」
そんな状況で何故貴方のお父さんは取り返しに行かなかったのか、何故貴方はいないものとして扱われたのか――追求したい気持ちはあったけど、どことなく憂いを帯びた表情で写真を眺める彼にこれ以上深く掘り下げる事は憚られた。
「く、クラウスと言えば……何で私にクラウスの子を産ませようとするんですか? マナアレルギーの予防だけなら産む必要は無いですよね?」
頭に浮かび上がった疑問のうち相手を傷つける可能性が低い物を投げかけると、ダグラスさんは「ああ」と思い出したように視線を写真からこちらに移す。
「それは……ツインのツヴェルフにしか色を綺麗に引き継げないからです」
言っている事が理解できなくて眉を潜めると、ダグラスさんは言葉を続ける。
「以前、父がクラウスに呪いをかけた事はお伝えしましたよね? 呪いとは黒の魔力の塊の事です。クラウスの魔力の器の中には白の魔力と共に小さな黒の魔力の塊が入っています。生前、彼の父親が彼の器に不純物がある事を周囲に気づかれないよう細工したのですが核自体はどうする事も出来なかったようで……塊が器の中を周期的に移動し、塊が器の魔力の噴出口を防いでいる時間帯は魔力の流れが滞って意識を失う……そういう仕組みです」
呪いというからには単純に<午前中だけしか起きていられない呪い>だと思っていたけど――それ程分かりやすい話ではなかったようだ。
「それと私が子どもを産む事と、どういう関係が……?」
「クラウスが普通のツヴェルフに魔力を注ぐと、黒の魔力の塊も僅かに溶けて混ざってしまう可能性が高いのです。僅かでも別の色が混ざれば、それはもう純白とは言えない……ですがツインのツヴェルフなら白と黒を分散して受け止める事が出来る。自分の中に黒の魔力がある事を誰にも悟られる事無く、綺麗に白だけを引き継がせる事ができる訳です。現に貴方の器の1つには不純物も淀みも無い綺麗な白の魔力が溜まっている」
ダグラスさんはそこで一度言葉を切り、言おうかどうか少し迷った素振りを見せた上で再び言葉を紡ぐ。
「<ツインのツヴェルフをクラウスと共有しろ>……それが、私が貴方の召喚を希望した際に皇家から出された条件です」
皇家からの条件――なるほど、だからダグラスさんは私にクラウスとの子どもも産んで欲しいのか。
ツインのツヴェルフ、つまり私にしか綺麗に色を引き継げないから。
「……クラウスはその事を知っているの?」
「ええ。その上で『愛する人としかそういう事をしたくない』という理由で突っぱねられて今に至る訳です。まあ、私とツヴェルフを共有するという状況も許せないのでしょうが」
確かに、あんなに恨んで嫌ってる相手と女性を共有するのは嫌だろうなと心の隅で思う。
先に手を付けるならまだしも、相手の子を産んだ後で、なんて絶対嫌だろう。
「もしかして、ダグラスさんが私が魔法を使ったのに気づいたのは……」
「私が無意識に注いだにしては多すぎる程の黒の魔力が、貴方のもう片方の器に溜まっていたからです」
気付かれた理由が判明し、引っかかっていたものが1つ解決する。
「……貴方にクラウスの子を成すよう言ったのは皇家がそれを望んでいるからで、私自身が必要としたのはあくまでツヴェルフのマナアレルギーを防止する為の白の魔力ですが……彼が貴方を裏切り傷つけるような真似をするのなら白の魔力以外の方法も考えなくては……」
マズい――白の魔力が溜まってないから抱かれなくて済んでるこの状態で『白の魔力を諦めます』って言われたら、それはつまり『気が向いた時にいつでも襲います』宣言に等しい。
抱かれる際のマナアレルギーもそうだけれど、精神不良を起こしたあの時の感覚――あの感覚になるのが恐い。
黒の魔力が白の魔力を上回るような状況になるのは絶対に避けたい。
「あの、私、白の魔力が溜まってない状態での子づくりは、ちょっと……私、ちゃんとクラウスと仲直りしますから……」
「貴方を傷つけた相手に縋って魔力を貰うなんて……そんな惨めな事しなくていい……!!」
私の言葉にダグラスさんが声を荒げる。自分でも予想外の声が出たのだろうか、私の顔を見てすぐ声に抑えて優しく語り掛けてくる。
「大丈夫です、私がずっと傍にいて飛鳥さんの器の魔力を調整し続ければマナアレルギーは起きませんし、黒の魔力の特性も抑えつける事が出来ます……以前の私だったらそんな自由を奪われる手段を使おうとは思いませんでしたが、相手が貴方ならそれも悪くない……」
本気だ。本気で白の魔力を諦めようとしている。困る。この状況は非常に困る。
いくら『自分なら特性も押さえつけられる』と言われても、この人が何かしらの理由で私が子どもを産む前に離れたら、私の精神はあの魔力に侵されておかしくなる。
(この人が傍にいないと、まともな精神を保てなくなるなんて、絶対に嫌……!!)
「抑えられる、と言っても……セラヴィさんはデュランさんが傍にいるのにマナアレルギーを起こしたんですよね?」
疑問をぶつける間にも頭の中で必死に逃げ道を探す。
「母の器は父よりずっと大きい物でした……自分の今ある魔力以上に注いだ魔力を押さえつけられないのは当然です。しかし、私と貴方なら私の方が圧倒的に器が大きい。貴方程度の器なら魔力を満たしていてもある程度離れた距離からでも調節できる……ところで何故、父と母の名前を知っているのですか?」
「私がここに来る事を心配したメアリーが教えてくれました。セラヴィさんの専属メイドだったそうです」
私の言葉に、一瞬ダグラスさんの表情が強張る。が、すぐにその表情は微笑みに作りかえられる。
「ああ……母の専属メイドは皇家と決裂した際に解任されて行方知れずと聞かされていましたが、スピネル女伯の事でしたか……なるほど、有益な情報をありがとうございます。」
理由は分からないけれど、不味い事を言ってしまった事を感じ取る。
「あの、メアリーは……私を心配して言ってくれただけなので、けしてこの家の悪口とか、そういう事を言ってた訳じゃ……」
私の声を背に彼はソファとローテーブルがある方に歩いていき、サービスワゴンに置かれたティーポットを手に持つ。
「……何してるんです?」
嫌な予感がして問いかけると、こっちを振り返り柔らかい笑みを返される。
「食べ物が無いのなら、飲み物で代用できないかと思いまして……」
「な、何の話ですか……?」
話が読めないままに追及すると、ダグラスさんは次にサービスワゴンからティーカップを取り出し、お茶を注ぐ。
「餌付けの話です。飲み物だと座った方が良いですね……さあ、どうぞお座りください、飛鳥さん……次は、貴方の番です」
彼がさっき一瞬顔をこわばらせたのは、メアリーの事かそれとも、ティーポットを発見したからか――
どちらにせよ、また――今度は精神的な意味で窮地に立たされてしまった事に変わりなかった。
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