第233話 厄介な騎士の事情(※レオナルド視点)
皇都同様、古の時代より続く城塞都市セン・チュールは中央の塔を中心に円を描くように城壁が囲い、その中で民は生活している。
城壁に上がる為には壁の内側に点在する扉から内部に入って壁上に上がり、そこから見張り台に設置された結界石まで辿り着ける――とセレンディバイト公が通話していた黒の騎士団と思われる男の説明を受けた後、二手に別れる事になった。
アーサー卿とルクレツィア嬢を見送った後、バタバタとこちらに向かってくるのはこの街に駐在している皇家の騎士達。
閉ざされているはずの門を開いて黒馬車が飛び込んできたのだ。侵入者と思われて当然だろう。
「待ってください、私達は戦いに来た訳ではありません……! 民や兵士に危害を加えるつもりはありません!!」
そう声を張り上げても止まってくれる気配はなく。
「行くぞ。まずは西の結界石だ」
セレンディバイト公がふわりと宙に浮き上がる。
「……ああ、お前程度の器だと
使えない訳じゃない。維持できないだけだ。
魔力を大量に消費するあの魔法はそれを補える魔力回復量が無いとすぐに魔力切れを起こしてしまう。
私の器では
「……ペイシュヴァルツ」
失望のため息が漏れ聞こえた後、私の目の前に黒の色神――漆黒の大猫が現れる。
「お前はそれに乗って来い」
セレンディバイト公がそのまま高度を上げて、そのまま西の見張り台の方へと向かう。
こちらの方を見つめるペイシュヴァルツに飛び乗ると、その蝙蝠のような羽を羽ばたかせて一気に浮上した。
(うわ……!)
飛竜や天馬に乗る訓練も受けてはいるが、やはり高い所は少し苦手だ。こちらを見上げる民の人が段々小さくなっていく。
その中で少し大きく見える黒馬車の御者の姿がいつの間にか無い。
駆けつけてきた騎士達は黒馬車と黒馬を囲う。公爵家の馬車と馬――酷い扱いはできないだろう。
ペイシュヴァルツはそのまま主の後を追い、西の見張り台に祀られたタンス1つ分くらいの大きさの結界石の前で止まる。
透明な結界石の周囲が若干揺らいでいるように見える。大きな魔道具を起動させた際に周囲に響く特殊な音も聞こえてくることから、結界石は間違いなく起動している。
(……まずは、術式の確認から……)
結界石の解除は起動させた人間がいれば簡単だ。結界石に対して解除の命令を込めれば魔力が宙に放出されて空になる。
しかし結界石は言葉の通り<結界>を張る石――起動者以外が容易に解除されるような仕様では使い物にならない。
その為起動者以外が操作できないように保護術式が何層も構成されている。
その言語は日常使う言語とはまた違う言語で構成されており、時に翻訳魔法や解析魔法を使って解読し、術式を構成する要点を強制的に書き換えて保護術式を消していって、最後に強制命令で魔力放出を実行させる。
言うだけならそれだけで済むが実行するのはかなり手間がかかる――とは言え私も結界石を破壊して兵や民が巻き添えを食らう位なら解除で済ませたい。
全体の術式を展開する為に結界石の設置台に触れる。通常の結界石ならここに魔力を込めれば術式――魔法陣が展開するのだが。
「術式が、見えません……」
先ほど説明を受けた時点で気づくべきだった。術式は起動者の魔力の色で構成される。
赤なら赤色の文字が、黄なら黄色の文字が。
透明だと――見えない。
「……仕方ない」
セレンディバイト公が1つため息を付き、結界石の土台にある結界石に魔力を供給する玉を囲う施錠された蓋の部分だけを黒の槍で突き刺して破壊する。そして玉に手を当てて魔力を込めだす。
水にインクを垂らすように結界石に黒の魔力が混ざっていく。それと同時にうっすらとまだらな黒い文字が宙に浮かび上がってくる。
結界石の中の魔力の色が変わったから、術式を構成する色も変わったのだ。
「この位見えれば十分です」
ある程度見えるようになった所でそう伝えると、セレンディバイト公は手を止める。
淡く光る薄黒い文字を読み込んでいく。文字の羅列とその横に結界石の結界を構成する魔法陣。それをサポートするようにいくつかの小さな画面――
(保護術式は4層か……時間がかかりそうだな……)
取り掛かる中、こちらに来る騎士達の声が聞こえると黒の障壁が周囲を覆った。
結界石がこんなに近くにあるのに強固な障壁を発動できるこの方はやはり、英雄の称号を得るにふさわしい力の持ち主だ。
私には高速移動も、結界石の色を変化させる事も、その障壁を長時間維持できるだけの魔力もない。
彼やルクレツィア嬢、アーサー卿――神に愛された彼らに比べて私の魔力量は彼らに遠く及ばない。
「……本当に貴方は凄い。貴方達の傍にいると自分が惨めになる」
彼らが異常なのだ。私が普通なのだ。しかし――公爵家は普通であってはならない。
「貴方だって、これを解除できない訳ではないでしょうに……」
天才を前に負の感情を吐き出すのが止められない。
「……確かに、お前がこれ以上無駄口を叩くようなら私が替わった方が早いかもしれないな」
セレンディバイト公の不機嫌な言葉に我に返り、改めて術式に向き合う。
そうだ。ここまで揃えば後はもう解除するだけ――魔導工学の知識と技術に関しては負ける訳にはいかない。
全神経を集中させる。1層、2層、3層――一切邪魔が入らないのが幸いして、層は予想以上に順調に消していく事が出来た。
層を全て消して魔力放出の命令を入力して起動させた後、結界石の揺らぎが消える。
「次は北だな」
セレンディバイト公がまたふわりと浮かび上がり、私の傍にペイシュヴァルツが寄ってくる。
乗って再び浮かび上がった後、結界石が黒の球体に包まれる。
「塔の扉が開く前に再起動されては困るからな」
ここまででこの方はどれだけ魔力を使ったのだろう? しかし全く疲れた様子が見えない――化け物だ。
「セレンディバイト公、1つ聞きたいのですが……メイドの命と引換えにアスカ様を抱いたというのは本当ですか?」
西から北へ移動する中でメイドに聞かされた事が真実なのか確認する。この方とアスカ様の名誉を貶める発言は黒馬車の中ではできなかった。
「……そうなってしまった一因でもある私が口に出す資格はないのは分かっていますが、そういう方法でツヴェルフを抱くというのはどうかと……誠実に向き合って、その後身体を許しあうのが、本来の……」
「これはこれは……人の婚約者の胸を触って下着を強奪した男が私に説教とは恐れ入る……!」
セレンディバイト公の口が引きつり、その目には激しい怒りが宿っている。
アスカ様が皇城を出る時のこの方の姿が思い返される。私の制止をものともせずに悪魔の笑みをたたえて罪人を残酷極まりないやり方で殺害したあの時と同じ顔。
去り際に無力な私を嘲笑うかのように微笑んだ――あの顔。
情けない事にこの方が抱く狂気にはその時初めて気付いた。が、今は怯えてはいられない。恐ろしくても誤解は解かなければ。
「触ってはいません。あんな場所で婦女の胸に触るなどとんでもない」
「なら、どうやって奪った?」
眉を潜めて見下すように問われる。
「……肩紐がないブラでしたのでドレスの紐を縛る名目で後ろを向いて頂き、ホックを外して相手が脇を締める前に一気に引き抜いただけです」
緩んだ腕――少しでも躊躇すれば脇が締まりアスカ様に余計な恥を晒させてしまう。
あの状況でパニックになられるのは避けたかった。あの時はあれが最善の策だと思ったし、今もそう思っている。
「……つまり胸を見てもいないし、触ってもいないと?」
「我が家の色神である、
まさか私にこんな事を誓われるとはゲルプゴルトも思ってなかっただろう。しかし、それが真実なのだから仕方がない。断じて私はいかがわしい真似をしていない。
「……そうか。それならいい。いや、良くはない。しかしお前が下着を奪った事で私は魅了されずにすんだのだ。色々思う所はあるが……触ってないと言うならもういい」
セレンディバイト公は少し安堵したように表情を緩めると、前方に向き直した。
(ようやくこれで……一段落ついたと思っていいのだろうか?)
死霊術に手を染めた英雄に父上が憤慨していた頃――漆黒の下着を処分しようとしていた所を運悪く妻のマリーに見られ、マリーが母上と異母妹と妹の母に相談した結果それが父上に伝わり、事を表沙汰にせざるを得なかった。
非人道な行いと共に現れた漆黒の下着の片割れ――残る片割れによって英雄が魅了されたのだと父上が結論づけるのは、当然の流れだった。
その結果アスカ様が本意ではない契りを交わしてしまったのなら、それは詰めが甘かった私のせいでもある。
ユーリ様の件にしても、内々に――穏便に済ませたかった。
脱走しようとしたツヴェルフと知れたら、監禁だったり洗脳だったり――過激で強引な方法を取る有力貴族も出てきそうだったから。
結局はそれも私の詰めが甘くみすみす逃してしまった。
この世界の未来を紡ぐ大切なツヴェルフの失態――穏便に済ませたいと思っているのに何故か大事になっていく。何がいけなかったのか、その答えも未だ出ない。
――最近の貴方は隠し事が多くて心配だわ……――
黒馬車に乗る前に準備をしていると、明るいストロベリーブロンドを綺麗に編み込んだ美しい長髪と桃水晶の瞳を持つ愛くるしい妻が心配そうに私を見上げて鈴のような声で呟いた。
――貴方が、ツヴェルフに心奪われてしまったのではないかと……――
そう寂しそうに呟く、心優しく穏やかなマリーの表情が曇る姿に罪悪感を覚えながら館を出た。
そう言われても仕方ない程度にはツヴェルフの事を考えてしまっているのは確かだ。
しかしそれはただただ、稀少なキング級のツヴェルフを失いたくないからだ。
――その強さがあれば、立派な公爵になれると思うわ――
私に初めてそう言ってくれた人にいなくなってほしくないと思っているからだ。
それは断じて愛ではない。ただ、愛とは全く別の――淡い煌めき。
これまで誰も与えてくれなかった甘い言葉に、私は固執してしまっている。
私はマリーを愛している。マリーも私を愛してくれている。
私は父上を尊敬している。父上も私を認めてくれている。
ただ、2人とも私の努力や人間性を認めているけれど私が<立派な公爵>になれるとは思っていない。
それは何気ない態度でわかる。2人は悪くない。私の器の小さいのが悪いのだ。
2人は私に求めない。無理な事を求め願う人達ではない。私ではなく私の子にそれを求め、期待している。
私はただただ<最低限の義務を果たす公爵>になってくれればいいと思われている。
仕方ないと思う反面――どうしようもなく悔しかった。だからこそ彼女の、何の事情も知らないあの一言が嬉しかった。
分かっているんだ。苦汁を飲み、辛酸を嘗め、血の滲むような努力を積み重ね、公爵令息として恥じる事無き立場を手に入れた私を尊敬してくれる人はいる。
このまま苦難を乗り越えていけば私はリビアングラスの名に恥じない公爵にもなれるだろう。周囲からもそう思われている。
それだけでも凄い事なのだと。父上もマリーも、そう思ってくれている。私の頑張りを認めてくれている。だがそこまでだ――それ以上は望まれていない。
誰も私が世に名を残すような立派な公爵になれると思っていない。
神と恐れられ、尊敬と畏怖を欲しいままにするような今の公爵達のようにはなれないと思われている。
私は立派な公爵になりたい。だから、なれると思うと言ってくれたたった一人の他人――無知な彼女の素直な言葉が、今尚私の心に淡く灯る。
そっと腰に付けた小さな革製のポーチに手を伸ばす。中には
魔力回復速度を早める代わりに、精神的にも肉体的にも負担がかかる。
これは私が窮地に陥った時の非常用。極力使うなと言われている。
だけど高速移動を使ってくる相手だったら2本は使わないとまともに戦えない。
セレンディバイト公にアーサー卿、ルクレツィア嬢――類稀な魔力の持ち主に囲まれて既に私は窮地に陥っている。
神器の強さも魔力に比例する。足手纏いになる訳にはいかない。
足手纏いになったところで父上も妻も私を見捨てはしないのは分かっている。
このメンバーなら仕方ないと光を失った瞳で優しく微笑むのだ。
私がその目を、眼差しを心から受け入れればそれで丸く収まるのだろう。
しかし私は、私の可能性を信じて予備子を作る事なく育ててくれた父上と、私に寄り添い共に生きる道を選んでくれたマリーに少しでも良い思いをさせてやりたい。
この才無き道を名誉と栄光と称賛で飾って、父上が、母上が、妻が、異母妹が――皆が『私の家族』である事を誇れるような存在になりたい。
意地、見栄、身の程知らず――たとえ何と罵られようと。全身が血と汗と涙に塗れようと、哀れみの視線を受けて惨めな思いをしようと。
自分の才能に決定的な限界があろうと。それでも私は頂点を目指したい。
ただただ愛されるだけの、失望された存在ではいられない。
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