第146話 何でもあっても


 私の言葉に神官長は初めて眉をしかめ、不快を示す感情を表した。


「皇帝は……兄はユミを捨てた訳ではありません。冷静に、兄の立場になって考えてみてください。恋人がいるのに別の人間と子を成す事を義務付けられ、その相手から好意を寄せられ……その事が恋人を苦しめていた為仕方なく、と考えてはもらえませんか?」


 やっぱり、身内の行いに対しては甘くなってしまうものなんだろうか? 言葉尻は優しいけど明らかに機嫌を損ねた反応が返ってくる。

 それでも引き下がる気になれないのは、私にはそれがどうしても<加害者側の屁理屈>にしか聞こえないからだろう。


「皇帝は由美さんに、自分は愛する人がいるっていつ言ったんですか? レオナルドみたいに仲良くなる前に申告した上で好意持たれたって話なら少しは同情しますけど」


 誠実に向き合ってなお、由美さんがそれでもいいと言ったのなら――どっちもどっちだなという印象に変わる。


「……言ってしまうとツヴェルフは気を使ってしまいます。近年地球から召喚されるツヴェルフには特にその傾向がある。リビアングラスの令息もユーリに自分は既婚者だと申告してから関係がぎこちなくなってしまったようですし」


 咄嗟の判断とは言え先程からの胸糞悪い持論にキリキリと怒りが溜まっている中で差し替えた話題が不味かったなと反省する。もう少し冷静に話せる話題に――


「大事なのはあくまでも子ども。だから兄はユミが妊娠するまで恋人の存在を隠したのです」

「はぁ……!?」


 まごう事なきクズの所業に私の中の堪忍袋の緒が勢いよく切れる。


「子どもが優先だって言うなら、まずこの世界の住人である皇帝や奥さんが耐えるべきでしょう!? 子づくり担当が好意を持つ事に耐えられない癖に、そういう奥さんをなだめる事も出来ない癖に、異世界から来た由美さんだけ邪険に扱うのはおかしくないですか!?」

 

 神官長は私が声を荒げた事に唖然としている。

 心の隅でやっちゃったなと思ったけど、このまま大人しく話を聞いていたとしても私が置かれた立場が好転することは無さそうだし――この際だからもう言いたかった事全部言ってしまおう。


「そもそも召喚して子づくりお願いする立場の癖に、でも相手に恋愛感情持たないでねって……子づくりと恋愛を同一視してほしくないなら地球から召喚するなって話なんですけど!?」


 もしこれで神官長が機嫌を損ねてソフィアも優里も帰さないとか言いだしたら――その時はクラウスみたいに『ソフィアと優里を地球に帰さなかったら私が死ぬ』って脅せばいい。


 自分の死を武器にする――少しだけクラウスの気持ちが分かった。

 

「……貴方はユミと同じ見方しかできないでしょうが、義姉あねにとっても愛した兄の子孫に自分が関われない苦しみがあります。貴方には自分と血が繋がっていない愛する人の子を育てる苦しみは……これからの次代を紡いでいく子に自分の遺伝子が混ざらない事の悲しみは分からない」


 私の怒声に言葉を閉ざしていた神官長が、先程までと変わらない言葉で言い返してくる。


「それなら奥さんとも子づくりすればいいじゃない!」

「皇家及び公侯爵家の場合、色が異なる子どもに継承権はありません」


「だから何!? 継承権のない子どもは価値が全くないとでも!?」

「明確な身分差が殆ど無い世界で生きてきたアスカには分からないと思いますが……これは理屈ではないのです」


 紡ぎ出される言葉に反射的に感情のままに言い返す私も私だけど、そんな私に口調を荒げる事無く言い返してくる神官長もなかなか手強い。


「こっちに散々屁理屈押し付けておいて自分達が都合悪くなったら『理屈ではない』とか言わないでくれない!? 扱いが酷すぎるのよ!!」

「そんな事はありません。ユミにおいては衣食住において贅の限りを尽くした。当時のツヴェルフとしてはとても手厚い扱いを受けていました」

「そんな事したから尚更皇帝の奥さんの嫉妬を煽ったんじゃないの!?」

「それはありません。兄は妊娠したユミを皇城の離れに移動させてからは会っていないはずですから」


 その言葉の意味を理解した瞬間、私の言葉が詰まる。


「え、待って……物だけ与えて、側に誰もいなかったって事?」

「今の貴方達のような専属のメイドはいませんが世話役のメイドが何人もおりましたし、護衛もつけています」


 そのメイドや護衛達は、由美さんに共感してくれる人達だったんだろうか?

 皇帝――いや、皇太子の所業マジありえないって怒ってくれるような、由美さんに寄り添ってくれる人達だったんだろうか?


 もし、そうじゃなかったとしたら――頭に上っていた血の気が一気に引いていく。


「ちょっと気になったんですけど……40年前に由美さんが来て、39年前に帰ったって事は由美さん……大体1年位で帰ったって事ですよね?」

「そうです」


(アンナと同じペースでいけば考えられない事でもないけれど……それでもここから10カ月位で子ども産んで、子どもと一緒にいられた時期なんてあったのかしら……?)


 私が言葉の勢いを落とした事で、神官長は再びティーカップに口をつける。

 私も言葉の応酬でまた少し喉が乾いてきたけど――全部聞いてしまってからにしよう。


「子ども産んでから少し経ってから神官長の所に行った、って聞きましたけど……産んでからどの位で神官長の所に?」

「本来なら出産後は1年程子を産んだ家で体を休めてもらうのですが……義姉の精神状態があまりよろしくなかったので母体が最低限回復する時期とされる1カ月後に」


 想像の斜め上を行くクズの極みに口から暴言が漏れ出さないように歯を食いしばる。


「……ツヴェルフって、次の人の所に行く時、その家を離れるんですよね? その後、ツヴェルフの子どもって恋愛担当が育てるんですか?」

「……乳母に任せて我関せずな場合と、積極的に親代わりになろうとする場合があります」

「皇帝の奥さんはどっちだったんですか?」

「後者ですが、何か?」


 何か? どころの話じゃない。生んだばかりの子どもを言葉通りの<愛人>に奪われたようなものじゃない。

 どうして人の道に反するような事をさも当然のように言えるんだろう?


 ――例え遠く離れていようと、手紙や面会等でツヴェルフ自身が子どもと向き合い、愛すれば子どもも自然と母であるツヴェルフを愛し、敬うするようになります――


 まるで洗脳されたように綺麗事を並べ立てたネーヴェの言葉が頭をよぎる。それもきっと皇帝からの受け売りなのだろう。

 だけど実際それを言った皇帝は由美さんがここに残って子どもと向き合おうとしていたかもしれないのに『愛する人が傷つくから』と子どもを取り上げて追い出した訳だ。


 そんな仄暗く後ろめたい感情を隠して、孫にそんな絵空事を吹き込んで――自分達のだけ綺麗に取り繕おうとするその態度が物凄く癪に障る。


「皇家、公侯爵家……その他自身が宿す色が特別な恩恵をもたらす有力貴族にとってツヴェルフは必要不可欠な存在です。ですが、その為だけに有力貴族は好きな人と結ばれる事を諦めなければならない……というのも酷い話だとは思いませんか?」


 私が何も言わなくなったからか、一つため息を付いた後に神官長が改めて語りだした。


「私も、事実を知らずに兄の子を宿した彼女に対しては負い目があります……ですが、それはどうしようもない事。帰った後、どうしていたら彼女は帰らなかっただろうかと、これから希少になっていくツヴェルフが彼女と同じように帰る事を望まないようにと色々待遇を改善し、大切に扱うように努めたのですが……やはり人の感情面、恋愛を追求されるとどうしようもない」


 彼なりに思い悩んでいる様子が伺える。だけど――それはきっと見当違いだ。


「そういう事じゃないのよ……恋とか愛とか、これは、そういう類の話じゃない……!」

「では何故、ユミは帰ったのですか? 彼女には兄の心以外……人の心以外なら何でも手に入れる事ができたのに」


 他人からすれば温かく大切に囲ってるつもりでも、自分がそこにいるべきではない――のけ者にされているような感覚は実際に体験しないと分からないんだろう。


「……何でもあっても周りに誰もいないんじゃ、何の意味もない……!」


 そう吐き捨てた言葉に驚いたように、神官長の目がハッキリと見開かれた。


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