第163話 傷だらけの鳥・1


 ジェダイト侯の魂が放った魔法で全身を切り裂かれた翌日の午後、ダグラスさんが手配した皇城の治癒師――司祭服を纏った小柄な中年男性が私の部屋を訪れた。


 オフホワイトと言うのだろうか? 少し黄色がかった温かみのある白い光を顔や腕の傷にあてられて、癒やされていく。


 癒やされた腕を見ると痛みや細かな傷こそ無くなっているけれど、そうでない傷はまだパッと見で分かるし大きく切り裂かれた部分は赤く太いミミズ腫れのような痕になっている。


「ひとまず、今日はここまでで……」


 疲労した様子でため息を付いた治癒師が私達の様子を見守っていたダグラスさんの方を向いて話し出す中、セリアがそっと手鏡を差し出してきた。


 治療を受ける前よりは目立たなくなってるけど頬や額、鼻についたミミズ腫れならぬミミズ痕は悪い意味で注目を浴びるだろう。

 数日前の何の傷もなかった時の顔に比べたら、何とも言葉にできない重い物が胸に溜まる。


「3日後に両足を、胴体はそうですね、7日後なら……その後数日起きに繰り返し治療していけば1ヶ月後にはだいぶ目立たなくなるでしょう」


 1ヶ月――ダグラスさんと話す司祭の口から紡がれた言葉に血の気が引く。ル・ターシュへの転送まで、後10日程しかない。


(やっぱり、何とかしてクラウスに会って治してもらわないと……)


 今日は夢を見られなかった。恐らくダグラスさんが――ペイシュヴァルツがいたらラインヴァイスが近寄れないのだろう。


 しかも気まずい状況になってしまったあの時のクラウスの表情を見る限り、仲直りできたとは言い難い。


(それでも、クラウスなら何だかんだ言って治してくれる気がする……)


 そう思っていても、こんな状態で『傷付いたから治してほしい』と自分勝手に願うのだから、より嫌われて、断られて、今以上に傷付いて絶望に追い込まれる可能性も考慮しておかなくちゃいけない。

 予想外の攻撃で痛い目にあった直後だけになおさらそう思う。


 だけど――もしそうなったとしてもこのまま何もせずに地球に帰るよりはずっといい。

 この状態で地球に帰っても相当ハードモードな人生を送らなければいけないのだから傷つけられるリスクを考慮してもギリギリまで足掻きたい。


(……あの夢の中でちゃんと仲直りができてたら良かったのに……)


 好きじゃないって、ハッキリ言えてたら良かったのに――そう思っていても、まだハッキリ口には出せそうになくて自嘲する。


(……とにかく、ここで心折れてる場合じゃない)


 クラウスをこの館に呼んでもらうか、あるいは向こうに私を行かせてくれるか――何とかしてダグラスさんに私とクラウスが会う事を認めさせなければ。


「リアルガー家の懐妊パーティーに間に合わせられないか?」

「確か来節の3日でしたか? 後10日では流石に難しいですな……」


 ダグラスさんと治癒師の会話を横で聞きながら改めて時間の無さを痛感する。もうなりふり構っては居られない。


 まずは涙を零す。涙腺が弱くなってるこの状況で何で自分がこんな目に合わなきゃいけないのかを考えれば10秒と立たずに瞳を潤ませられる。


 そんな本気70%の涙ですすり泣いてみせると、1分立たずしてダグラスさんが少し苛立った様子で治癒師に問いかける。


「……金はいくらでも出す。何日か皇家から暇をもらってくれないか? 魔力回復促進薬マナポーションもこちらで用意する。」

「生憎と私ももう年でしてな……魔力回復促進薬マナポーションを使うと数日はしんどくて仕方がない。城に戻った後もう少し予定を詰めてみますが私に継続して頼まれるのであれば最低でも3週間はかかると思ってください。もし急ぐようでしたらダンビュライト侯に依頼されるのが最善かと。コッパー家で襲撃されたツヴェルフの頬の傷も見事に治されましたし……」


 泣きながら治癒師の最高のアシストに心の中で拳を高々とあげて感謝する。


「ダンビュライト侯を頼りたくないというのであれば他国の技術や秘術を使うという手もありますが……元通りになるという保証はありませんし日数もかかると思います」

「……分かった。引き続き貴公にお願いしよう」


 治癒師はヨーゼフさんから小さな布袋を受け取ると頭を下げて退室した。あの袋の中にはどれだけの金貨が入ってるんだろう?


「……お金使わせて、すみません」


 治癒師が部屋を出た後罪悪感に負けて謝ると、ダグラスさんは微笑んで私の側に寄り、膝をつく。


「こういう時の為に金があるのです。気になさらないでください」


 私の左手の手袋を少しズラして手の甲に口づけると、黒の魔力が流れ込んでくる。

 痛みに歪む私を見上げないまま、ダグラスさんは腫れ上がった私の左手を悲しそうに擦る。


「あの……クラウスを呼んでもらえませんか……?」


 一瞬で無の表情になったダグラスさんに見上げられ、全身に悪寒が走る。


「何故です? クラウスには劣るでしょうが、これだけの傷を1ヶ月で目立たなくできると言う彼も相当の実力者です。何が不満なのですか?」

「め、目立たなくなるって言っても傷は残るじゃないですか……! クラウスなら綺麗に治せるはずです……!」


 さっきまでの微笑みを一瞬で消したダグラスさんに戸惑いつつ言い返すも、ダグラスさんは私の左手を握ったまま首を横に振る。


「飛鳥さんに傷痕が残っても私は気にしない……現に、私の飛鳥さんへの気持ちは微塵も変わっていません」

「はぁ!?」


 予想の遥か斜め上をいく私の気持ちガン無視の発言に思わず顔を上げて叫ぶと、ダグラスさんが目を見開いて驚く。


「気にしないってどういう意味です!? ダグラスさんは私が子どもを産めさえすれば私がどれだけ醜く傷ついてもいいっていうんですか!?」


 傷がついた事であからさまに残念がられるのも嫌だけど、こんな風にあっさり言われると心を逆撫でされる。


「そ、そんな意味で言ったのではなく……! 勿論、これらの傷も元をただせば私のせいだと思うとすごく心苦しく思っています……!! ですが、傷付いてしまったものは仕方がない……!」


 私の反応が予想外だったのか、ダグラスさんは明らかに慌てたようで言い繕う。だけどそれも私の怒りを煽るばかりで。


 自分は気にしない、自分のせいだと思うと――この人は、自分視点でしか考えられないのだろうか?

 <私>がどれだけ傷付いているかを察そうともしないで。


「ダグラスさんのせいじゃなかったら私がボロボロになっても平気なんですか!?」


 理解してもらえないにしても『痛かったでしょう』とか『辛いですよね』とか言ってくれたなら――こんな事を叫ばないでいられるのに。


 また黒の魔法陣が現れて身構えるも、それはまた青色に変わってダグラスさんの頭凍風を吹きつける。

 この光景を初めて見るであろうセリアがぽかんと口を開けて変な物を見る目でダグラスさんを見据えている。


 部屋の温度が一気に下がる中、色んな意味で頭を冷やしたらしいダグラスさんは一息ついて縋るような目で私を見つめる。


「すみません……こんな時どう言えば正解なのですか? どう言えば、飛鳥さんは涙を止めてくれるのですか?」


 少しでも<私>の辛さや悲しみを受け止めた言葉を返してくれたなら、少なくとも今込み上がる涙は止められただろうに。


(何で、何で分かってくれないの……考えてくれないの?)


 清々しい位に自分で考える事を放棄されて本気100%の涙がこぼれ落ちた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る