第190話 赤の公爵
私は今、どんな顔をしてるんだろう?
皆暗い顔をしてるから、あまり良い顔をしてない気がする。
何もしないとは言え、無愛想なのも場の空気を悪くするわよね。
だけど、表情ってどう変えるんだっけ?
それを考えている間に浮かされて執務室に連れて行かれる。
執務室についてもまだ、表情の変え方を思い出せない。
ソファに寝かされ腰まで毛布をかけられる。
ダグラスさんが椅子に腰掛けて仕事をし始める。
こんな険悪な状況でも私をここに連れてきたダグラスさんの気持ちがわからない。暗い顔しか出来ない私を見ていても仕方ないだろうに。
きゅる、とお腹の音がなる。喉が渇く。
こういう時、何すればいいんだっけ?
不快感はあるのだけど。声の出し方も思い出せない。
「……ジュースとお菓子をお持ちしますね」
そう言ってセリアが部屋を出ていく。
そうか、私、声を出さなくてもいいのか。まあ私が声出すとロクな事にならないしね。
ただただ顔を動かす気力なく、視界に入るダグラスさんを見つめる。
本を見ながら何かを書き写したり、書類を丸筒に入れて宙に差し出すと、
「ヨーゼフ……は、いないのだったな……」
思い出したようにそう呟いた後、チラりとこちらを見られるが顔をそらす気力もない。
恥ずかしい所を見られて不機嫌になるかと思いきや、少し寂しげな顔をして丸筒を置いて別の書類を確認し始めた。
セリアが運んできた朝と同じジュースに刺さったストローに口をつけて少しだけ飲む。ローテーブルに置かれたクッキーは食べる気力がわかない。
だけど体は不満なのか、ぎゅるる、とお腹だけ鳴る。
どの位か時間が過ぎた所で、ダグラスさんがクッキーを口元へ差し出してくる。
食欲もなく口を開けずにいるとそのまま突っ込まれる。
唇に挟まったクッキーはしばらくそのまま私の口元に留まる。
この口を維持するのにも疲れ、かと言って落とすのも行儀悪い気がして歯を使って上手く口の中に納めゆっくり噛んで飲み込む。
味はよく分からない。口の中がパサついてまた一口ジュースを飲む。しばらくするとちょっとトイレに行きたくなってくる。
そういえば今日は朝から一度も行ってない。
流石に人間としてのプライドは捨てられず、ゆっくり起き上がる。肘で執務室のドアを開けてトイレに向かう。
トイレのドアノブも肘で開けた所で、後ろにセリアが付いて来ている事に気付く。
「お手伝いしましょうか?」
首を小さく横にふる。手がまともに使えないながらも時間をかけつつ、何とか事を終わらせる。
手が洗えない事に抵抗を覚えつつ出るとセリアが浄化魔法をかけてくれた。
魔法って本当便利……と思いつつ、また執務室に足を運ぶ。
このまま部屋に戻れるなと少し頭を掠めたけど。どうせ連れ戻される。
大人しく執務室に戻りソファに横たわる。ダグラスさんはいくつかの作業を終える度にこちらにやってきてジュースかクッキーを私の口に運んでくるけど、後のトイレの面倒臭さを思うと口がもう完全に受け付けない。
受け付けなかったジュースのコップはそのままテーブルに戻されるけど私の唇に触れたクッキーをそのまま皿に戻すのは抵抗があったのか、自分の口に放り込んで作業に戻る。
それに対して何も言えぬまま、表情を変えられぬまま私の尊厳が損なわれる事もないまま時間が過ぎていくうちに日差しが赤みを帯びていく。
そういえば黒の魔力が安定している気がする。流石にこれ以上放置しておくと何仕出かすか分からないからだろうか? 私も、何しでかすか自分でも分からない。
赤みを帯びたオレンジ色の日差しがダグラスさんの背中を照らすのが綺麗だなと微かに思いながら眺めていると、遠くから騒がしい音が近づいてきた。
「失礼する!! ダグラスはおるか!?」
勢いよく扉を開けたあの赤い人達、見た事がある。アシュレーのお父さんとお母さんだ。
逞しい軍服姿の中年男性と妖艶なドレスを来た赤茶の長髪の美魔女の赤々しい夫妻にちょっと目が痛くなる。
「……カルロス卿、約束もなしに来訪したばかりかノックもせずに執務室に入るのは無礼が過ぎませんか?」
「貴殿の態度の方が無礼じゃろう? 一昨日のダンビュライト家の襲撃に対して今日、皇家から皇城に来るよう言われているはずだが何故来なかったのだ?」
呆れたように呟くダグラスさんに毅然と言い返すアシュレーのお父さん――赤の公爵。
「私は婚約者をさらわれたので取り返しに行っただけです。その際に交渉が決裂したので争ったまで。向こうが呼び出されこそすれ、私が呼び出される
「……一昨日の件に加えて昨日、息子夫婦の懐妊パーティーを欠席する手紙が届いたからアスカ殿が今どんな扱いを受けているのか流石に心配になってな……アスカ殿は今何処に?」
あれ、私の話題……? 何か嫌だな。
毛布を被って隠れようとした所で、赤の公爵と目が合う。
「おお、アスカ殿……そんな所におられたのか? 体調が悪いのならベッドで休んだ方が……」
ああ、これは何か言わないと、ダグラスさんが怒られる。
大丈夫です、と口を動してはみるけれど声が出ない。
赤の公爵が怪訝な顔をした後、ダグラスさんの方を向いた――と思ったらダグラスさんが吹っ飛ばされた。
ぶつかった棚から本がバラバラと落ちていく。分厚い本のいくつかはダグラスさんを直撃している。
どう考えても、痛そう。
「見損なったぞダグラス……!! どんな理由があれど自分の子を産む女をここまでやつれさせ、負傷させる男など、貴族の、いや、男の風上にも置けぬ……!! ツヴェルフは我らの都合でこれまで住んでいた世界から突然呼び出される存在……だからこそ何よりも丁重に扱い、住んでいた世界以上の幸せを与えねばならんのに、お主という男は……!!」
「私とて幸せにしようと思っていた……だが彼女は私を裏切り、紛い物の感情で私を油断させて騙し、自分勝手に不幸の道をひた走る……!!」
呻くように吐き出されたそれは、まだ私の中に残ってる何かを突き刺す。
紛い物。
泣き尽くしたと思っていたのにまだ涙がこぼれ落ちる。
何もかもどうでもいいと思っても、やっぱり――自分の気持ちを否定されるのは嫌みたいだ。
「……哀れな男よ。お主はこれまで人として愛された事がないからそれが本物か紛い物かも分からんのだ……」
赤の公爵が寂しげに呟くその姿に、少しだけ救われる。
「飛鳥とロクに話した事もない貴殿に、飛鳥の何が分かる……!?」
「確かにワシはアスカ殿と腹を割って話した事はない。だが今のお主の言葉がアスカ殿を傷つけた事はハッキリ分かった。アマンダ、予定通りアスカ殿を家に連れて行く」
こちらに近づいてくる妖艶な美魔女のファビュラスな胸の迫力に驚きつつ担ぎ上げられようとした時、半透明の黒の球体に包み込まれて浮かされる。
「貴殿も、私から飛鳥を奪うか……!!」
ダグラスさんが激怒の表情を浮かべ、いつの間にか黒の槍を構えている。
「人を人として扱わぬ者にツヴェルフは託せぬ……まして息子夫婦の恩人であり未来ある若人がこのまま廃人と化していく姿を黙って見ておれんだけだ」
息子夫婦の恩人――私、そこまで言われる程、何か良い事したっけ?
思いつくのは何もかも、余計な事ばかり。迷惑をかけた記憶ばかり。
「貴殿がどう言おうと何をしようと飛鳥はもう私から離れられない……私から離れれば飛鳥はもういつマナアレルギーを起こすとも知れない。飛鳥を精神崩壊させてでも連れて行くのか? 身勝手な赤の公爵よ」
「身勝手なのはそっちじゃろ……プライドの高いお主の事だ、アスカ殿のあまりの野蛮さに手に負えなくなってきたが周りに大見得切って婚約した手前、引っ込みがつかなくなったのだろう? ワシがフォローしてやるからもう潔く手放してやれ」
黒の槍が赤の公爵を突き刺そうとしたかと思うと、赤い斧が胸元でそれを防ぐ。
ぶつかった衝撃なのか、辺りに置かれていた紙や本、こちらに置いてあったクッキーまでもが吹き飛ぶ。
(セリアと、アマンダさんは……!?)
チラと視線を向けると2人とも防御壁を張ってるようだ――良かった。
「飛鳥を侮辱するな……!!」
「……ワシはお主の器量の狭さを馬鹿にしておるのだ。野蛮な女の良さなど陰湿な性格のお主には到底分かるまいし、扱えもしまい。なあ?」
赤の公爵がアマンダさんと笑顔で見つめ合う。あれ? 野蛮って褒め言葉だっけ? いや、アマンダさんみたいな妖艶な美魔女なら野蛮もプラスのエッセンスになるかもしれない。
「……まあ良い。今ここでアスカ殿を連れ出されたくないと言うなら明日、必ずアスカ殿を連れてパーティーに顔を出せ。お主に言いたい事があるのはワシだけではないし、息子夫婦もアスカ殿を心配しておるのでな。用が一度に済んでちょうどよかろう」
赤の公爵が赤い斧を下げて背を向ける。執務室から出ていこうとしていた時にダグラスさんの舌打ちが響くと、赤の公爵が振り返る。
「……いくら殺されない身だからと思って何でもかんでも好き勝手できると思うなよ?
その言葉に少し恐怖を感じていると、彼に寄り添うアマンダさんに小さく手を振られる。
人の優しい笑顔を見るのが、酷く久しぶりに感じた。
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