第74話 今は、一人じゃない。


 それから数日、色々解約の手続きをしたりゴミに出せるような私物を処分したり持って行きたい物を衣装ケースに詰めたり――ネットで米や野菜の育て方とか色々調べたりの日々が続く中、叔母さんから1通の封書が届いた。


 テーブルの前で座り込んでその封書を開くと中にはもう1枚封書が入っていて、そこにはお父さんを撥ねた人の名前が書かれている。


 中の手紙は端的に言えば<自分の罪は法で与えられた罰を受ける事で償われたが、遺族の中の恨み辛みはそれで消える物ではない事は分かっている。ただそれでも、慎ましく生きていく事をどうか許してほしい。貴方がたの人生を大きく狂わせてしまい本当に申し訳ありませんでした>という事が淡々と綴られていた。


 ありきたりと言えば、ありきたりの――こう書くしかなかったんだろうな、という文面から本当はどう思っているのかなんて分からない。


 形式的に書いているのか、心の底からそう思って書いているのか――真逆の思考が交錯して答えが出せない以上やっぱり、ちゃんと会って、話を聞きたいと思う。


 ドロドロモヤモヤした感情が蠢く感覚を覚えつつも、この手紙を冷静に受け止めている自分はもうあの頃のように自分の罪の重さに耐えかねて記憶を封印した幼い子どもじゃないんだなと思う。


 子どもの言った事だから、生きているんだから、もういいじゃない――と開き直って前を向けるような強さを持っていない以上、私は自分の罪に向き合わないといけない。


「……会いに行くの?」


 テーブルの向こうで同じように座っているクラウスから声がかけられる。


「ええ。そうじゃないと帰ってきた意味がないから。酷い事を言ってしまったこと、ちゃんと謝りたい」


 もしこれが私がイジメっ子の立場で、過去にイジメてきた子に今更罪悪感を覚えて謝りに行く――という状況だったなら、私はどうしただろう?


 相手が未だに深く傷ついて前を向けていなかったら、せめて思いの丈を受け止めたいと思って行くかもしれない。

 でも、今を平和に過ごしている相手に謝りに行くのは自分が許されたいという自己満足を押し付ける行為にすぎないとも思う。


 幸い、私の場合は相手に更なる苦痛を与える可能性は低い。

 相手が許しを請うているから私も許してほしいだけじゃなくて相手を、許せる範囲で許したいと思っているから――だから、謝りに行くだけ。


 手紙で、と考えてみたけど一方的になるし、もし返事が来た時に受け取れるとは限らない。それはちょっと、誠実じゃない気がする。


「……本当にアスカは何でも自分一人で向き合おうとするよね」


 手紙を読み終えて改めて会う事を決意した私に対し、向かいに座っていたクラウスが少し寂しそうに微笑む。


「……普通は向き合おうと思うものじゃない?」

「そうだね。それが普通で、きっと正しいんだ。だけど……僕は全部が全部正しくなくてもいいと思う。だって正しいは疲れるし、正しいを貫き通したからって幸せになれる訳じゃないから」


 なるほど――確かに正論や正義って間違ってないけど楽じゃないし、幸せになれる訳でもない、という言葉はストンと心に落ちた。


 何となく続きの言葉を待っていると、クラウスは私が悪い方向に受け取ったと思ったのだろうか、訂正しながら言葉を続ける。


「あ、誤解しないで。アスカの方針に難癖つけてる訳じゃないんだ。向き合おう事は良い事だと思うし……ただ、僕はどうしても辛い事とか嫌な事とかからは逃げたり、他人に一緒にいてもらったり、頼りきったりしてもいいと思うんだ。それが例え、自分しか関係してない事でも……」


 そんな、自分の事で他人をアテにするようなやり方――と思ったけど、まだ何か言いそうな雰囲気だったので口を挟まずに見守る。


「……そうやって、辛い時や疲れた時は周囲に頼って、休んで……元気になったらまた自分で向き合えばいいと思うんだ。何でもかんでも逃げてたら駄目だけど、アスカは何でもかんでも真正面からぶつかっていくから、見ていられなくなるって言うか……でも、止めてもアスカは止まらない……それならせめて僕はとまり木になりたい。アスカが気が向いた時に羽を休めたり雨風から身を凌げる、とまり木になれたら……」


 クラウスの言葉に強い懐かしさを覚えて、つい、言葉が溢れる。


「……一樹みたいな事言うのね」

「え?」


 きょとんとした顔のクラウスに私の中の一樹との想い出を教える。


「私の名前……飛鳥ってこの世界の漢字って文字を使うと飛ぶ鳥って意味になるの。元彼の名前が一樹だから、飛鳥が飛ぶのに疲れた時は俺に止まってくれれば良いって……確か、一樹が私の名前褒めてくれた時だったかな?」

「ああ……だから……」

「本当の意味は時代の名称に過ぎないんだけどね……でも、一樹にそう言われてそういう見方もあるんだなって思った。声じゃなくて言ってる事も同じなんて本当、不思議ね」


 その言葉に一樹が言ってくれた時とはまた違う嬉しさを感じている事も、不思議だと思う。


「僕はあいつとは違う。心変わりなんて……」

「そういう話じゃなくて……ただ、そう言われて嬉しかった事を思い出したの。気を悪くしたならごめんなさい」


 そう言って懐かしさについ笑みを零すと、クラウスにじっと見据えられる。


「……飛鳥」

「な、何?」


 今までとは少しイントネーションが違う呼びかけに何か不味い事言ったかしら――と思いながら問い返すと、また困ったように微笑んだ。


「ううん……呼んでみただけ。それにしても、僕って鳥に縁があるのかな? お節介焼きで、僕を振り回す、慈悲深くて何があっても心折れない明るい鳥に……」


 そう言って視線を移した先にはテーブルの上でラインヴァイスが嬉しそうに目を細めて小さくフルル、と声を鳴らしていた。


 クラウスの言い回しから私とラインヴァイスを重ねているのは分かったんだけど、重なっているような部分がお節介焼き、って所しかなくて苦笑いを返すしかないんだけど――ただ、悪い気はしなかった。


 クラウスがラインヴァイスを見る目はいつも何処か冷たい感じだったのに、今、ラインヴァイスを見るクラウスの優しい眼差しは暖かくて、とても綺麗だったから。


 そこからすぐに身支度を整えて封筒に書かれている住所へと向かう。ラインヴァイスで半日にかかった先に辿り着いた、夕暮れの陽にそまる閑静な住宅街の中の一軒。


 突然被害者の遺族が現れたらどう思われるだろう、何を言われるだろう――少し、怖い。


『飛鳥』


 クラウスの声と一緒に手が握られるような温かさを感じる。透明になっていてもその温もりはハッキリ伝わってくる。


(……大丈夫。私は、今、一人じゃない)


 その温もりは力強さをくれる。弱い私に、前を向く強さをくれる。何を言われても大丈夫だっていう安心感をくれる。


(そうね。確かに……一人で立ち向かうよりずっと、心強い)


 これは私の罪。私が背負わなきゃいけないもの、だけど誰かに支えられているだけでこんなに強くなれる。気が楽になる。


 白の魔力はそんなに器に溜まってないのに。クラウスの優しさが、愛が、私に温かい勇気をくれる。

 辛い時に私を大切に想ってくれる人にただ寄り添ってもらえるだけで、こんなに不安が和らぐ。


(ねえクラウス……貴方は選択肢を間違えてばかりだと嘆いていたけれど、私はそうは思わない)


 貴方はいつだって、私の事を想って動いてくれたじゃない。だから私は今ここでこうして自分の罪に向き合えるのよ。


 男女の愛とは違う、だけど大切だと感じるこの気持ちをどう伝えれば――皆上手くいくんだろう?


『飛鳥……大丈夫?』


 クラウスの呼びかけに我に返る。ごめんなさい、と小さく謝った後、チャイムを押した。

 名を告げてしばらくした後に開かれたドアが開かれる。そこには深くお辞儀された後、伏し目がちに佇む女性は今はもう私より背が低くて。


 

 そして、自分の罪に向き合ってから――あっという間に一ヶ月が過ぎた。


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