第19話 知っている世界
『こんな星のどこに惹かれたのかしら』――独り言のように呟やいたソフィアにどう返せばいいのか分からない。
アンナはこの星に惹かれたと言うよりは、地球が嫌――お母さんやお姉さんと一緒の世界にいたくないんだと思うから。
でも、私がそれを2人に伝えてもいいんだろうか? もしソフィアや優里がアンナの母や姉を知っていたら、女優の娘、妹……そういう眼でアンナを見る事になるんじゃないだろうか? それは、アンナにとって重荷になってしまう気がする。
アンナが自分から2人に話す時まで黙っていた方が良いのでは――と考えてるうちにソフィアが呟きを重ねる。
「確かに待遇は良さそうだけど、貴族の男ども皆、打算の瞳でこっちを見てくる。まるで品定めされてるみたいだったわ……」
嫌悪の表情と吐き捨てるような口調で言われると、もう何も返せない。
「パーティーはとても華やかだったけど、寒々しかった。それにあいつら、他に妻や恋人がいる事を隠しもしないのよ? 狂ってるわ……」
隠されて後々実は妻や愛人が、と判明するより最初から『私には愛すべき妻がいます! ですが、私の跡継ぎは貴方に産んで頂きたい!』と言われる状況は事に至る前にお断りできるだけ誠実じゃないかと思ったけど、それを言う男の妻や恋人はその状況をどう思うんだろう?
あのパーティーでは女性貴族の視線が痛かった。いくら子づくりと恋愛は別として割り切られている世界でも、もし男性貴族と結婚した先にも妻や愛人がいたら――ツヴェルフに対する視線は相当厳しい物もあるんじゃないだろうか?
不快な思いをしたら皇家に、というのはそんな状況から少しでもツヴェルフを守ろうとする皇家の配慮なのかもしれない。
ソフィアの呟きを聞く優里も表情が暗い。2人とも私が全く縁のなかった男貴族の集団にかなり嫌な思いをさせられたようだ。
パーティーの時にちょっと――ほんのちょっとだけ(カッコいい人達にチヤホヤされていいなぁ)と思ってしまった事を反省する。
「はぁー……どうして権力を持ってる人達ってあんなに傲慢なのかしらね……」
ソフィアの呟きは重いため息で終わり、一気に重々しいムードが漂う。何か良い話題は無いだろうか、と考えた所で先程聞こうとしていた事を思い出す。
「……そういえば、優里、アンナが言ってた<あの事>って何の事?」
あの事で何かわかったら……という言い方をしていたけど、私は優里から何も聞いていない。
優里がアンナだけに話した事なのか、私だけが知らない事なのか――そこが気になって問いかける。
「あ……ごめんなさい! アスカさん、あの、私、もしかしたらこの世界を知ってるかもしれません……!」
「え!?」
驚愕の言葉に、思わず大きな声を上げてしまう。
(優里が、知っている、世界という事は…?)
もしかしてここは最近流行ってる女性向け恋愛ゲーム――通称、乙女ゲーの中に転生する小説や漫画のような、乙女ゲーの世界なんだろうか?
だから貴族の顔面偏差値が総じて高い? だとすれば誰かが主人公? 誰かが悪役令嬢?
頭の回転数が一気に上がり、様々な可能性をはじき出していく。
「あら、ユーリ、アスカに言ってなかったの?」
私の声に少し驚いたようにソフィアが身を起こす。
「昨日、飛鳥さんにこの事を話す機会がなかなか無くて……あ、ソフィアさんとアンナさんには昨日の馬車の中で、少しだけ話したんですけど……!」
なるほど、私がダグラスさんと黒馬車に乗っていた数時間の間にそんな話をしていたのか。
「優里、その話私にも聞かせてくれる?」
改めて問うと「はい!」と優里が目を輝かせて話し出す。こんなとんでもない異世界を作り出したゲームとは一体――
「私、昔よくおばあちゃんに昔話を聞かせてもらってたんです。その昔話と状況がすごく似てて……! あの、一人ぼっちの女の子が違う世界に迷い込んで、そこで素敵な恋をして、でも帰りたくなって子どもを残して元の世界に帰る、ってお話なんですけど……」
「……昔話?」
予想していた乙女ゲーの世界――ではなくおとぎ話の世界で肩の力が一気に抜ける。
(まあ……確かにおとぎ話も不思議な物や世界が関わってくる話が多いけど……)
求婚してくる男達に難題つきつけて最終的に皆フッて自分の星に帰る異世界人の話とか、良い事して異空間に行って楽しい想いをして帰ったら一気に年月が過ぎてて愕然とする話とか、天女が羽衣奪われて天に帰れなくなる話とか――
優里の聞いた昔話は、その手の話とごちゃごちゃになってるんじゃないだろうか―――? と一抹の不安がよぎったけど、優里は目に光を宿して力説を続ける。
「その物語は、迷い込んだ時に大きな塔の一番上にいたんです。複数人の女の子と一緒に。で、神様が『ここで素敵な恋をしなさい』って言うんです。そして、華やかなパーティーと月よりずっと大きな青白い星も出てくるんです。この世界のと共通点が多くて……」
さっきは『知っているかもしれない』って不確定な言い方をしていたけど優里はこの世界はおばあちゃんの昔話と同じ世界だと殆ど確信している様だ。
ソフィアが(どう思う?)と言いたげに私を見つめてくる。
「有力貴族と子づくりしてください」を「ここで素敵な恋をしなさい」に置き換えるのはいくらなんでも美化しすぎじゃない――? と返したかったけど、多分ソフィアが求めてる答えはそういうのじゃない。
「40年後にまた地球から召喚するつもりなら、きっと40年前や80年前……ずっと前から召喚してるわよね。ここ、帰るんなら援助はしないけど邪魔もしないってスタンスらしいし、その昔話とこの世界が同じ、っていう可能性はあると思うわ。ただ……そんな昔話、私聞いた事無いのよね」
なるべく優里の言葉を肯定する方向で答えては見たものの、どうしても最後の疑問が引っかかる。
「私も同じ話を聞いた事が無いので、多分おばあちゃんの作り話なんです……もしかしたらおばあちゃんがこの世界に来た事があって、それを昔話風に話してたんじゃないかなって」
なるほど。そういう事なら私が昔話を知らないのも理解できる。
「だけど……40年前に召喚されたなら帰れるのは昨日のはずよ? 時間が合わなくない?」
優里のおばあちゃんが昨日、私達の召喚と同時に地球に帰ったなら、優里はここに存在していないはずだ。
「そこよ。もしユーリのおばあちゃんが40年前にここに来たなら、ユーリのお母さんを産む前に地球に戻ってる、って事になるのよ。つまり、40年待つよりずっと早く帰れる可能性があるかもしれないって事!」
絶体絶命の状況で一撃必殺の切り札を手に入れたかのように、ソフィアの目が輝く。
「ここで優里のお母さんを産んだ後に子連れで地球に帰った可能性は?」
「本人だけならお構いなしみたいだけど、子づくりが目的で召喚したんだからここで出来た子を連れ帰るのは全力で阻止される気がするわ。」
ソフィアの言葉に確かに、と頷く。そう考えるとここで召喚された後、何かしらの方法で地球に戻ってから地球の人間と結ばれて優里のお母さんを産んだと考えるのが自然だろう。
「……優里のお母さんって、今何歳なの?」
「今年で37です。おばあちゃんは62です」
昨日も同じやり取りがあったのか、優里は間髪入れずに答える。
「もしユーリのおばあちゃんがこの世界に来ていたとしたら、22で召喚されて25でユーリのお母さんを産んでる…って事は大体3年以内に地球に帰ってる計算になるのよ」
3年――3年後に地球に戻ったら、私の扱いってどうなってるんだろう? 40年後よりはずっと希望が持てるけど、もう少し早くならないだろうか?
1年、いや半年、できれば3カ月、いやもっと早く――
(確か昨日は金曜だったから土日休み、月曜は祝日で3連休……それが終わったら無断欠勤する事になるのよね……どうせなら大型連休に入る直前に召喚されたかったわ……)
おとぎ話の世界から急に現実に引き戻される。3日間はまだ精神的に楽でいられるものの、それ以降は――考えると重いため息が漏れる。
「後、おばあちゃんの旧姓は分からないんですけど、名前はユミ、です……昨日集まった貴族の人達に聞いてみたんですけど皆、知らないって……」
「アンナが言ってたのはその事よ。他に有力な情報も無いし、まずはユーリの言ってる可能性に賭けてみようかって。私も一応聞いてみたけど、反応は無かったわ」
私がこれからの無断欠勤に頭を悩ませてる間にどんどん話は進んでいき、慌てて話に戻る。
「そりゃあ優里の所もソフィアの所も、集まってたのは若い人ばかりだったもの。仮に優里のおばあちゃんがこの世界に来てたとしても、40年も前の事だと余程の事をやらかしてなければ若い人は皆知らないわよ。ああ……昨日言ってくれたらぼっちだった私が年配の人に話しかけて協力できたかもしれないのに……!」
「すみません……」
「貴方には馬車から降りた時に言おうって話してたのよ。でも貴方が来たと思えば男連れだし、クッソムカつくババアに叱られるし、メイドはトイレ以外何処にでもついてくるし……そういう話ができそうにない雰囲気だったのは分かるでしょう?」
落ち込む優里をフォローするソフィアの言葉に、一切反論できない。
「そうね……ごめん、あの状況だと確かにそうだわ。それに私もこう言ってるけど実際本当に話しかける余裕があったか怪しいし……気にしないで、優里」
両手を合わせて謝罪すると優里がはい、と小さく頷く。
「あの、それで……帰る方法なんですけど、昨日の夜、思い出した事が2つあるんです」
「ああ、女の子がどうやって帰ったか覚えてないって言ってたの、思い出したの?」
ソフィアの言い方からすると、優里は昔話の細かな部分までは覚えていないようだ。もし帰った方法を思い出せれば、一気にゴールに近づく気がした、けど。
「はい! 女の子は光の船で帰りました!」
笑顔で答えた優里の『光の船』というあまりに幻想的な単語に少し不安になる。
ゲームやアニメで星を移動する時は飛空艇だとか魔導船だとか何だか格好いい船に乗っている事が多いし、そういう物で帰ったのだと言う希望が出来たのは嬉しい。
だけど――そういうカッコいい乗り物を手に入れるのには大抵壮大な冒険や障害が付き物だ。
皇城を出て、色んな街を巡って辿り着いた遺跡で激しい魔物との攻防戦の末に見つかる移動手段――そう言えばここって、魔物とか出るんだっけ? 魔法があるなら魔物もいる気がするけ―――
「後、おばあちゃんがもしこの世界に来ていたら、ここで男の子を産んでるかもしれません!」
冒険を想像している最中に続けられた突拍子もない言葉に時が止まる。
昨日の情報を整理する前に次から次へと注ぎ込まれる新たな情報に頭がパンクしそうになる。
「……ユーリ、そういう重要そうな話はもっと早く思い出して」
流石にソフィアも頭がいっぱいいっぱいになってきたのか苦言を呈する。忘れている物を早く思い出せと言うのは無理があるけれど。
「すみません、おばあちゃん、最近母に変な事を言ってたんです。お前には、2歳上のお兄ちゃんがいるんだよって。それを昨日の夜思い出して……昔話でも子どもを産んで帰った事になってますし……あの…私、地球には帰りたいんですけど、その前に、この世界に伯父さんがいるなら会ってみたいです……!」
早く情報と自分の意思を伝えたいのか早口でまくし立てる優里の勢いに、私とソフィアは顔を見合わせる。
「ごめん……ちょっと情報が多くて、頭の中だけじゃもう理解と整理が追い付かないわ……」
私はギブアップの意味を込めて両手を上げる。
「あ……すみません、私、鞄にノートやペンが入ってたんですけど、この世界に来る時に持ってなかったんです……あれがあったら皆さんにもう少し分かりやすく説明できたんですけど……」
私もあの時持ってたはずのバッグがない。てっきり召喚された際に驚いて手を離してしまったものだと思っていたけど、優里の言い方はしっかり持っていたはずなのに持ってなかったかのような言い方だ。
荷物は巻き込まないのに服は巻き込む召喚、だとしたら服と荷物の違いは何だろう? ――いや、服は巻き込んでくれないと困るんだけど――また神官長やリヴィに会ったらその辺りの事も聞いてみたい。
「紙とペン位、部屋を探せばありそうだけど……多分もうすぐメイド達が来る時間になるから皆、一度部屋に戻った方が良いわ」
ソフィアが指さした壁時計は、7時(恐らく)を過ぎていた。確かに、モウ時間がない。私と優里は同時に立ち上がる。
「そうね、これからどうするかとか、私も少し頭整理してから話したいし……そういえば、今日はパーティーはなさそうだけど何かあるのかしら?」
後でセリアに聞けばいい事だったけど、何気なしに聞いてみると「ああ!」と優里が答える。
「皆で朝食食べて1時間程の自由時間の後、10時位からお昼挟んで18時位までメアリーさんが私達にこの世界に関する授業をするそうですよ。1週間くらい」
「えっ!?」
優里の言葉に、私よりソフィアが悲鳴に近い叫びをあげる。
「10時からお昼挟んで18時まで、あのババアの授業を一週間ですって……!?」
地獄の1週間が、始まろうとしていた。
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