第44話 蒼炎の弔い


 紺碧の大蛇がゆっくり地上に近づくと、ヴィクトール卿がストンと降り立ってこちらの方へと歩いてくる。


「ルクレツィアから貴方がこの世界に残っているという事は聞いていましたが、まさかこんな所におられるとは……今まで何処でどう過ごされていたのか、お聞きしても宜しいですか?」


 表情を変えずに私の前に立ち、真っ直ぐと見据えられる。その表情は穏やかで敵意は無いように見えるけれど――


(どうしよう……コッパー家の事は話したくないし……)


 塔を出た経緯は説明できても、そこからが問題だ。灰色の魔女を匿ったと他の有力貴族に知られてしまったらコッパー家が危ない。


 この半月、物凄くお世話になった家を危険に晒す真似はしたくないと考えているとルージュ嬢がヴィクトール卿の傍に駆け寄り、跪いた。


「……ラリマー公、他方を治める公に対し僭越ながら申し上げます……! どうか、ルドニーク山の麓の村をお救いください……!!」


(そうだ! ヴィクトール卿に村の魔物を退治してもらっている間にクラウスとルクレツィアが戻ってきてくれたら口裏を合わ)


「ああ、魔物の事でしたらもう片付けましたから大丈夫ですよ。学業を疎かにするばかりか弟を替え玉にして館を抜け出すお転婆な娘を連れ戻しに激務を抜け出してきたらたまたま魔物の群れに遭遇したので、ついでに片付けておきました。運が良かったですね」


 あっさりと滑らかに答えるヴィクトール卿に私もルージュ嬢も唖然とする。いや、村と村人が助かったんなら、良いんだけど――


「そ、そうでしたか……ありがとうございます……!! じ、実はルドニーク山に氷竜が現れまして……どうか、ラリマー公の力をお貸し頂きたく……!」

「そうしたい気持ちはあるんですが、私も半日空の旅を続けて疲れてましてね……氷竜退治は夜が明けてからにします」

「でも、あの……ルクレツィアが……!」


 思わず二人のやり取りに口を挟むと、ヴィクトール卿が微笑みを崩さないままこちらを見据える。


「おや、アスカさん……娘の事も心配してくれるのですか? ありがとうございます。ですがあの子は子ですから大丈夫です。それより……ローゾフィア侯の何番目の子か知りませんが順番抜かしは行儀が悪いですよ? いい加減アスカさんから離れなさい」

「ロイド……! その方から離れなさい!」


 ロイドと呼ばれた男の子はヴィクトール卿とルージュ嬢の両方から叱責されて私を抱き寄せていた手を離すと、そのままヴィクトール卿に跪いた。


「ラリマー公……灰色の魔女の事は俺達も聞いています。ですがこの人は俺達の命の恩人です。どうか、慈悲を……!」


 どうやら魔獣達の治療をした事を恩義を感じてくれているらしい。

 正直、命を助けたのは落下を止めたルクレツィアの功績の方が大きい気がするけど、ここは素直に感謝しておこう。


(でも、どうする……? もしヴィクトール卿が私を黄の公爵に突き出そうとしていたら……)


 この人が私に――灰色の魔女に対して並々ならぬ怒りを抱いてる有力貴族の味方だったら、クラウスが来るまで私が無事でいられる保証はない。


(だからできるだけ時間を稼いで、クラウスが来るのを待って隙を見つけて逃げるしか……)


「……アズーブラウ」


 青の公爵が小さく呟くと、その呼びかけに応じたらしい紺碧の大蛇が口を大きく開けて私を頭から――飲み込んだ。


(……は!?)


 あっという間に全身が飲み込まれ、パニックになりながら必死に藻掻くとでんぐり返しするような状況になり、そのまま押し出されるように上半身だけ外に出す事が出来た。


 が、それ以上はどう動いてもはい出せない。紺碧の大蛇の舌がガッチリ私の下半身に巻き付いて拘束している。痛くはないけど全く抜け出せる気がしない。

 勢い余って雪と泥が交じる地べたにべちゃりと倒れ込んだ私にヴィクトール卿がしゃがみ込む。


「手荒な真似をしてすみませんね。貴方にまた逃げられると色々困るんです」


 みっちりピッタリ引っ付く蛇の感触が気持ち悪い中、青の公爵の心の奥底を見透かされたような物言いに悪寒が走る。


「……こ、心が読めるんですか!?」

「流石に考えている事までは読めませんが、貴方が今どんな感情を抱いているかは見えますよ。なので私に下手な嘘は付かない方が良い」


 貴方が分かりやすすぎるんです――なんて以前ダグラスさんに言われた事があるけど、この人はそういう意味で言っている訳ではなさそうだ。


(思考を読まれている訳じゃなくても感情が読まれるなんて、私、今かなりピンチに陥っているのでは……?)


 隙を、なんて思ったけれど隙を見つけた瞬間にどうしても(今だ!)と思ってしまう気がする。その感情の変化を見透かされたら逃げ出せる気がしない。


(絶体絶命、万事休す……?)


 必死で考えを巡らせる。残る黒の魔力を振り絞って銃を出現させて撃つ――いや、駄目だ。銃を出現させた時点で動きを止められたら終わる。他には……


「……アスカさんもロイド公子もそう緊張されなくて大丈夫ですよ? 誤解させてしまったようですが私自身はアスカさんと敵対する理由はありませんから。ダグラス卿が復帰するまで私がアスカさんを憎く思う輩から保護するだけです。アズーブラウ、アスカさんがこの状態で話し続けるのは辛いでしょうから起こして上げなさい」


 ヴィクトール卿の呼びかけにアズーブラウが起き上がってL字になる。

 私は立ち上がっているのとほぼほぼ同じ状態になったけれど、アズーブラウは思いっきり真上を向いている状態だ。


 私を気遣ってくれるのはありがたいけど、この体勢は蛇にとって辛くないのだろうか――? と思う間にヴィクトール卿に浄化の術をかけられる。


「失礼。私、血の匂いは好きじゃないんです」


 私の手に付いてた獣の血が気にかかったんだろうか? ついでに顔や上半身の泥汚れも取ってくれたみたいなのでありがたいけれど。


 他の魔獣使いに対しても浄化の術をかけていく中でヴィクトール卿が指を鳴らすと青色の小瓶が彼らの手元に2本ずつ落ちてきた。


上級回復薬ハイポーションです。それだけあればパートナー共々立ち上がれる位には回復するでしょう」


 その言葉は優しさと言うには少し冷淡な印象を受けた。


「後は……見苦しい物を消しておきますか」


 ヴィクトール卿が呟いた瞬間、熊だった物が青い炎に包まれる。突き刺さっていた氷はジュジュッ! と痛そうな音を上げながらみるみるうちに溶けて熊だった物はあっさりと崩れ落ちていく。


 『青』の公爵が『炎』を使う――その光景に違和感を覚えながら、熊を燃やし尽くす朧気で幻想的な青い炎を眺める。


 ダグラスさんだって『黒』だけど青の魔法陣から『凍風』を出したから、ヴィクトール卿が炎を出しても別におかしい事じゃないんだけど、何だろうこの違和感――


(あ……『青色』だから?)


 そうだ、目の前にある炎は完全な青。赤や橙色の炎じゃない。

 青い炎自体は家のガスコンロや理科の実験のガスバーナーでも見た事があるからおかしいものじゃないけれど――


(単純に赤は炎とか熱の属性、青は水や氷の属性って考えていたけれど……実際はもっと複雑なのかも知れない)


 メアリーの授業では魔法について細かな所までやってくれなかったから、よく分からないけど。


「アスカさん……何か不思議そうな顔をされてますね?」

「え、えっと……青の公爵だから青い炎出すのかな、と……青い炎って普通の炎より温度高いですよね?」

「おや……蒼炎そうえんをご存知なのですね。確かに蒼炎は赤や橙、黄色の炎よりずっと高熱です。地球は文明が発達している星だと聞いていますが、魔法も使わずに蒼炎を出せる程の文明とは……恐れ入ります」


 ヴィクトール卿が感心したような声を上げると同時に、熊の遺体は跡形もなく消えた。

 青白い星がぼんやり照らす中では灰になったのかどうかすら分からない。


「そちらの魔獣の遺体も焼却して問題ありませんか? ローゾフィアには遺体は自然に還す主義の部族もいると聞いていますが」

「……我らの一族は大丈夫です。ここで万一死霊化してコッパー領の民に危害を加えてしまうような事態はあの子も望んでおりません」


 ヴィクトール卿が未だ跪いたままのルージュ嬢を見下ろすとルージュ嬢は小さく頷いた。

 「では」とそのままヴィクトール卿がルーの遺体の方に手を向けた所で慌てて呼び止める。


「ちょっと待ってください、お供え……!」


 と言っても出せるのはスフェールシェーヌの実位しかないんだけど。近くに花が咲いている気配もないし、無いよりはずっといいだろう。


 毛皮のコートの下、ベストのポケットに手を潜り込ませてスフェールシェーヌの実が入った袋から2つ実を取り出す。干し葡萄っぽくなってきた実は殆ど日にあたっていないけれど、ちょっとだけ淡い橙色の光を発している。


「ルージュ嬢、これ、お花代わりにルーに備えてあげて!」


 ルージュ嬢の方に手渡そうとジタバタしていると、ロイド卿が手を差し出して受け取った。


「何故ここまで……」

「何故って言われても……何も添えずに燃やされるの寂しいかなって。さっきの熊を見る限り、灰も残らないような感じだったし……」


 戸惑った表情のロイド卿はそれ以上何も言わず、ルーの方へと歩いていく。

 そしてルーの前に2つの淡く輝く実が置かれた後、ヴィクトール卿が唐突に指を鳴らしルーの周りが一瞬で青や水色の花々に彩られた。


「暖色の花が無いのでアスカさんの弔いには劣りますが……弔いは少しでも華やかな方が良いでしょう」

「ラ、ラリマー公にそこまでして頂けるとは、恐縮です……!」


 ルージュ嬢は地に頭を付けんばかりにひれ伏している。


 そうしてルーは橙色の実と寒色の花々に囲まれた中、青い炎に包まれて消えた。


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