第43話 せめて最後は安らかに
(言っちゃった――……)と半ば後悔に包まれた中でグイッと袖を掴まれた。
「本当か……!?」
グッと袖を掴んで私の顔を見上げる朱色の髪の男の子は15、6歳位だろうか? 私よりも少し小柄でまだ少年の面影を残している。
その真っ直ぐな目は必死に私を見つめている。自分が呟いた言葉は間違いなく彼に希望をもたらしていると思うと、もう引き下がる訳にはいかない。
「ええ……でも条件があるわ。今から見る光景を誰にも言わないって約束してくれるなら、私もできるだけの事はする」
傷ついた獣達によりそう他の4人にも呼びかける。皆こっちを向いてるけど誰も何も言わない。
「……頼む。誰にも言わない。約束する。だから助けて欲しい」
「ロイド!!」
私の袖を掴む男の子を諌めるようにルージュ嬢が叫ぶ。だけどロイドと呼ばれた男の子はその声に怯む事無く変わらず私を真っ直ぐ、必死な目で見つめている。
(言質は取ったわ……後はもう、私が出来る事をするだけ)
しゃがみ込んで獣の状態を確認する。何箇所か出血してる部分がある中で最も深そうな場所にそっと手を当てて
私の手から放たれる真っ白な光にどよめきが上がった。さっきのように指輪からじゃなくて私の手から出てるから驚かれるのは当然――って、
(しまった、ルクレツィアに指輪返してもらうの忘れてた……!!)
あんな広範囲の魔法陣を使ったんだから、もう殆ど魔力残ってないかも知れないけど返してもらえばよかった。
(だけど、アーサーが怪我してたらあの指輪で回復できるかも知れないし……)
実際、もうどうしようもないのだから今それを後悔している場合じゃない。
焦りつつも獣を癒やしていく。そして傷口からの出血が止まったのを感じたと同時に、消え入りそうだった命が再び輝きを放つような感覚を感じた。
重症である事は変わらないけど、危篤の状態からは脱せたはずだ。後でクラウスにちゃんと治療してもらえばいい。
今、私にできる事は消えそうな命を繋げる事だけ。
そう自分に言い聞かせて次の獣の治療に移る。獣と魔獣使いを覆う赤黒い防御壁の中に入ると暖かさに包まれた。
「ここだ、ここを治してくれ……!」
次の獣の魔獣使いは獣の怪我をした部位を指し示す。何処を怪我してるのか探す時間も惜しいから、こうやって誘導してくれるのはすごく助かる。
その獣の治療を終えて防御壁から出て、頬を刺激する凍てつく程の寒さに凍えながら次の魔獣使いの防御壁に入る。
私が宿している白の魔力がそう多くない事を察しているのだろうか、他の二人の魔獣使いも一番の怪我を負っている箇所をだけ指し示した。
最後にルージュ嬢の獣の前にしゃがみ込む。白の魔力はもう残り僅かしか無い。
「……ルーはもう手遅れだ。下手に治療した所で苦痛が長引くだけだ。このまま静かに死なせてくれ」
ルージュ嬢の言う通り、確かにこの獣は他の獣より重い傷を負っている。正直私に残ってる魔力じゃ間に合う気がしない。それでも――
「もうすぐクラウスが……白の魔力を持つダンビュライト侯が来るわ。それまで持たせる事が出来るかも知れない。持たせられなかったとしても……苦しみながら死なれるより安らかに死んでくれた方が良いじゃない」
ルージュ嬢の言葉を待たずにしゃがみこんで、ルーと呼ばれる獣のお腹に手を当てる。
せめて最後は安らかに――それはきっと、大切な存在の死を看取る誰もが思う事だと思うから。
「クゥ……」
「ルー……よく頑張ったね。今まで……ありがとう」
弱々しい鳴き声をあげたルーはルージュ嬢の言葉に嬉しそうに目を細めて、そのままゆっくりと瞳を閉じた。
それから数十秒後――私の白の魔力が尽きる少し前に、ルーの命が途絶えたのを感じた。
「……助けられなくて、ごめんなさい」
亜空間収納の練習をしていなければ、あるいはルクレツィアに指輪を返してもらっていれば――
たらればの話とは言え、自分の判断が重くのしかかる。
「貴方が謝る事じゃない……全ては私達が判断を誤っていたせいだ」
「姉上!」
ルージュ嬢の冷めた呟きにロイドが反発するような声を上げる。
「ちゃんと……ここの騎士団と協力していれば良かったんだ……そうしていればまだ、村へ向かう魔物達も食い止められた」
「姉上……ローゾフィアの魔物はローゾフィアの民が片付ける……俺達は何も間違っていない!! 氷竜が全てを狂わせただけで、俺達は……!!」
ルーの死を悼みながら自分達の後悔を吐き出すお通夜ムードの中、誰も本当に私の白の魔力について言及してこない事に内心ホッとする。
癒やした後で捕らえられる可能性も考えてなかった訳じゃないからその分の緊張もドッと抜ける。
「あの……何で貴方達はあそこから落ちてきたの?」
クラウスが戻って来るまでに少しでも状況を整理しておきたくて山崖の上の方を指し示すと、傍のルージュ嬢が呟く。
「……ローゾフィアの魔物がこの山に移動してるのにローゾフィアの人間が見て見ぬ振りをする訳にはいかない。だから私達がここに派遣された」
そこからルージュ嬢が顔を俯かせてポツポツと話し出す。可愛がっていたであろう魔獣の死を看取ってなお気丈に話すルージュ嬢に強さと痛々しさを感じた。
彼女達がルドニーク山についた際、麓の村には怪我人がいっぱいいたから『後は私達に任せろ』と自分達だけで山に入った事、そこから魔物を狩っている最中に氷竜と魔物の群れに遭遇した事、氷竜の一息で皆凍てついて身動き取れなくなった所に自分達の後を追いかけてきたコッパー卿が氷竜を引き付けて、その際の氷竜の尻尾に薙ぎ払われてここまで飛んできた事――
「……待って、貴方達何処で氷竜と遭遇したの? この近くにいるの?」
エドワード卿は氷竜は歩みが遅くて明日の昼にこの辺を通る、みたいな事を言っていたはずなのに。
「いや……もっと村から離れた山頂に近い場所だ。そこから尻尾の一振りで吹き飛ばされたんだ」
ルージュ嬢の返答にここから見上げても山崖の向こうは見えない。一体何処から吹き飛ばされたのか。半端ない氷竜の尻尾の勢いに開いた口が塞がらない。
「早く村へ行かないと、魔物達が……」
ルージュ嬢が腹を抑えてよろりと立ち上がると同時にロイドも肩を抑えて立ち上がった。使った回復薬の違いか、他の魔獣使いはまだ起き上がれる程回復していないようだ。
ロイドは残る片手で自分の魔獣の尾を掴んで他の魔獣使いの防御壁の方まで引きずると先に歩もうとするルージュ嬢の後を追う。
「2人とも、無理だ……! 魔獣達だって動けない今の俺達が出た所で、どうにも……」
「それでも、行かない訳には……!」
他の魔獣使いの言葉にルージュが振り返る。二人を止めた方が良いのかよく分からずよろよろと村の方へ歩き出す二人を交互に見やっていると、
「待て! 何かこっちに向かって来る……!」
魔獣使いの一人が上げた声に皆が振り返って一斉に私の方を見る。
一斉に視線を浴びて辺りをキョロキョロ見回している間に、ロイドが私の手を引いて引き寄せた。
「ちょっ……!!」
「じっとして!」
ロイドが私の手を引いて抱き寄せる。
何が起きているのかよく分からない。ただ下手に抵抗したらこの子の傷に響く気がして大人しく抱き寄せられたまま、先程まで自分が居た場所をじっと見据える。
森の奥から何かを掻き分け雪を踏みつけるような音が聞こえる。そして木の陰から黒く、大きな熊がのっそりと現れた。
「血の匂いにつられて来たんだ……」
という事は、この熊は私達を襲う為にやってきたんだろうか――ロイドの呟きに背筋がゾッとする。
ゆっくりと歩みをすすめる熊に皆警戒する中、熊を攻撃するような素振りは見せない。まだ誰も熊と戦える程回復してないんだろう。
ただ、防御壁を張っているお陰か熊もこちらを警戒しつつもそれ以上は近寄ってこず、孤立しているルーの遺体の方に近づいていく。
熊が『生きている餌』より『死んでいる餌』を選んだのは私でも分かった。
下手に刺激して攻撃されるより、ルーの遺体を犠牲にした方が良い事も。
だけどルージュ嬢の事を考えると何とかしたい。でも流石にこれ以上は私にはどうしようもない。文字通りの弱肉強食の世界に心が痛み、その光景から目を背けたくなる。
ルーの遺体に熊が襲いかかろうとした時――耐えきれずに目を瞑ろうとした瞬間、一本の
それは一本、二本、三本――大地に熊を縫い留めようとする位の勢いの氷の刃が熊に残酷に突き刺さる。
十秒と立たない内にピクリとも動かずただ突き刺さる氷に血を滴らせる肉片となった熊に目が離せないでいると、上から優しい声が落ちてきた。
「こんばんは、アスカさん。今宵は
その確かに聞き覚えのある声と自分の名前にすぐ様顔を上げる。
青白い星を背後に、透明感ある青い光の羽を生やした紺碧の大蛇。
その蛇に跨るようにして座る青の公爵――ルクレツィアのお父さんでもあるヴィクトール卿が初めて会った時と変わらない優しい微笑みを浮かべていた。
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