第57話 とある令嬢の愛し方・1(※ルクレツィア視点)
「アーサー……そうだ、コッパー卿が……!! 私達はルドニーク山の魔物討伐中に氷竜と遭遇して……!! 氷竜はコッパー卿が挑発して山奥の方に誘導できたが、一緒にいた魔物が……」
ルージュ嬢の言葉にまさかと思って魔力探知をかけた瞬間、薄水色の魔力の傍に橙色の魔力があるのを感じて、私、血の気が引きましたわ。
そして魔力探知だけではどういう状況なのか――怪我をしているのかどうかまでは分からず、いても立ってもいられなくなってクラウス卿には悪いと思ったのですけれど、アスカさんをそこに置いて山を上がりましたの。
ルージュ嬢にはよく思われなかったみたいですけれど、、アスカさんは分かってくれましたし、後悔はしていませんわ。
だってそう遠くない場所に私と全く同じ色の魔力とアズ―ブラウの魔力も感じましたもの。
雪山から降りてくる魔物の群れごとき、お父様が秒で何とかしてくれますわ。
というか、何故お父様がそんな所にいるのかを思えば魔物の群れにはせいぜいお父様を足止めしてくれるよう応援したいくらいです。
10分位粘って頂ければ私、心の中でそっと感謝して差し上げますわ。
だってお父様ってば、アーサー様が氷竜と遭遇したと知ったら傍観しそうですもの。
子どもの時からずっとそう。皇国史上最も多く魔物を殺している英雄の割には穏やかで優しい物腰のお父様は黃系統の人間相手にも態度を崩さずに接されるのに、何でアーサー様にだけ厳しいのかしら?
アーサー様がオリハルコン級の強靭なメンタルをお持ちでなければ、国の英雄の圧に押し潰されてとっくに精神病まれてしまってますわ。
(……分かってますけど)
お父様はアーサー様の事が特別嫌いなのです。
アレクシスの懐妊パーティーで私を助けてくれた後、お父様にハッキリ物申したアーサー様の事がお嫌いなのです。
でも。私を助けてくれた上に皆の前で私を庇って堂々お父様の非を責めたあの方は、私にとってなくてはならない
絶望と途方に暮れていた私に差した、とても暖かくて優しい光――絶対に助けなくては。
山を上がるとすぐに防御壁に吹き付ける雪で視界を遮られ、魔力探知で感じる橙色の魔力を頼りにひたすら吹雪の中を飛んでいきます。
大分山の奥へ入った所で視界に微かな橙が見えました。すぐに吹雪に埋もれて消えてしまいそうな微かな橙には赤色も混じっていました。
「アーサー様!!」
橙色めがけて下降しながら叫ぶと、顔も血に塗れたアーサー様は驚いたように顔と声を上げられました。
「ラリマー嬢……!?」
(ああ……14年ぶりですわ、貴方からそう呼ばれるのは……!!)
あの日以降、稀に聞けるお言葉は『失礼』とその場を去る言葉ばかりだったけれど。
何故でしょう、とても――とても嬉しくて涙が出そうですわ。
貴方にとってはただそこにいる人間の名を呼んだだけなのでしょうけれど、私にとっては――
「アーサー様、もう大丈夫ですわ……! 私が貴方をお守りいたします!!」
直ぐ側に近寄ってそう誓うも、すぐにアーサー様の表情は厳しいものに変わる。
(ああ、単なるテレパシーもアーサー様が使えば神の福音……!!)
と、うっとりしている間に突き飛ばされてしまいました。どうして――と思った瞬間、私とアーサー様の間に雪飛沫が上がります。
それが氷竜の頭部だとすぐに分かり防御壁を張ったのですけれど、球体ごと弾き飛ばされた上に防御壁の一部が割れてしまいました。
(一部とは言え私の全力の防御壁を破るなんて、何て威力……!!)
そして氷竜は再び雪の中に埋もれて姿を消してしまいました。長く降り積もった雪の層はかなり厚くなっているようで、氷竜はその中を自由に動き回っている様子。
アーサー様は
そして降り積もった雪は
こんな不利な状況で、公爵にしか討伐できないような化け物相手にたった一人で――どんなに辛かったでしょう? どんなに苦しかったでしょう?
こんな追い詰められた状況でなお、油断していた私を助けてくれるなんてアーサー様はやっぱりお優しいですわ。私も気を引き締めなければ。
(魔力隠し、透明化、浮遊術、防御壁……同時に使える魔法は3つ)
流石に氷竜と真っ向に戦おうと思える程、私も強くはありません。
ここで最も生き延びられる可能性があるのは氷竜から身を隠す事――その為に必要なのは魔力隠しと透明化。
防御壁は位置がバレてしまう為、切り捨てなければなりません。
もはや息も絶え絶えなアーサー様の元に再び浮遊術で近づきます。
ああ、アーサー様の為に
そしてアーサー様に触れた瞬間また雪飛沫が上がり、同時に背中に鋭い物が刺さったような痛みが走りました。
「あぐっ……!!!」
生まれてこの方一度の感じたことのない激痛に流石に悲鳴をあげずにはいられません。それでも――この手は絶対に離してはならないのです。
「
唱術で魔力隠しを、陣術で透明化を発動させる。魔力には自信がありますもの。後はもう、体力勝負ですわ。
氷竜がこの場を離れるまでテレパシーも声も上げたらいけない。浮遊術も、防御壁も。僅かな魔力が、音が、感知されてしまう。
アーサー様もそれが分かっているのか何も言わなくなりました。
(ああー……背中に刺さった何かが、痛いですわ……)
それは一切動く気配がないので生き物ではないのでしょうけれど、痛いですわ。
お父様との実戦訓練より痛いですわ。体に刺さってるから当たり前なのでしょうけれど。痛い……!
でも、私、絶対に声なんてあげませんわ。透明化は青・緑系統の人間が得意とする術ですからアーサー様には使えませんもの。この疲れ切って衰弱しているアーサー様を助けられるのは私だけ。
アーサー様の命が掛かっているのです。私、絶対に声あげませんわ。
だって――だって私は私より、アーサー様の方が大事なんですもの。
惚れ込んだ人間の為なら命すら惜しくなくなるのは、男も女も一緒ですわ。
アーサー様を守って死ねるなら、私はそれでいいのです。
逆に言えば――アーサー様を守りきるまで、私は死ねないのです。
そうして、魔力隠しと透明化を使ってどのくらいの時間が流れたのでしょう? 一瞬、何処か遠くから氷竜と同じ薄水色の魔力を微かに感じました。
そして氷竜がそちらの方向へと動き出したのを感じました。どうやら――助かったみたいですわ。
(寒い……痛い……)
全身冷え切ってて痛いのですけど、やはり尻尾が直撃した背中が痛い。手で触れるものを引き抜くと血に塗れた氷の破片が掴めました。
自分の背中が今どんな風になっているのかゾッとしつつ、取れる物を全て引き抜いて白の指輪の魔力を背中の方に集中させて
「アーサー様……大丈夫ですか、アーサー様……!!」
橙の魔力は感じますから安心していましたけど、顔色が真っ青ですわ。目も開いていない上に口が少し震えています。
(こうなったら……口移しですわ……!)
愛する人を救う為に自ら口に薬を含み、口移しで飲ませる――ああ、何て素敵なシーン、と少々過激なロマンス小説を読む度に思っていたこの展開が、まさか、私にも訪れるなんて……!!
(って、いけませんわ。これは人命救助……ロマンスなどと言っては入られません!)
確実にアーサー様を助ける為には流し込む事が大切なのです! これは人命救助……!! そう、これは一見キスに見えますが、とても尊い人命救助なのです!!
(あわよくば口に含んだ分で私もちょっと回復するかも知れませんし!! そう、言わばこれはお互いが助かる為の最善の手段……!!)
エリクサーを一気に煽って口に含み、その苦味に少し顔が歪むのを感じつつアーサー様の形の良い唇に触れて流し込む。
この苦味で拒否反応起こされては元も子もないので、ちゃんと喉の音が聞こえたと同時に唇を離します。
(ああ……今なら私、天国に行けそう……!!)
殺してきた魔物の数を思えば難しいのかも知れませんけれど、それはアーサー様も同じ……!! と言うか、アーサー様がいる場所こそ私の天国……!!
(そうですわ……天国に行ってもそこにアーサー様がいなければ、私にとっては天国ではないのです……!!)
どんな怪我をも直すと言われる
ああ、何の憂いもなくアーサー様が回復していく様を眺められる――これぞまさに眼福ですわ。
『……ラリマー嬢……助かった、ありがとう』
うっすらと目を開き、ゆっくりと身を起こしたアーサー様が私を見据えて少しだけ口元を緩める。
え? もしかして私もう死んでますの? ここはもう既に天国ですの?
だって、だってアーサー様が、私を見つめて、ありがとうって、しかも、ちょっとだけ、微笑んで。
『君は大丈夫か? 顔色が悪いが……』
ああ、どんどん毎夜繰り返すリピートワードが増えていく。
この十数年求めに求めていた貴方の言葉がここに来てどんどん積み重なっていく。
「大丈夫です……ちょっと、寒い、だけですわ……」
その言葉を口にすると、アーサー様が温かい防御壁を張ってくださった。
とても暖かい橙色の防御壁。心の温度はさっきから急上昇してますけど、それでも体の寒気が収まらない――ああ、これはきっと、体が冷えた事による寒さではありませんのね。
「……アーサー様、一つ、お願いがあるのです……抱きしめて、もらえませんか……? 私、アーサー様に抱きしめられて死ねたならもう思い残す事はありません……」
最後を貴方の胸の中で過ごせるならば私、一片の悔いも――いえ、一片、二片の悔いは残るのは気がかりですけれど。
異父弟やお父様の事はこれから先何とかなるような気もしますし――
『……思い残す事が無くなられるのは困る。生きろ』
冷めた視線、でも、温かい声でそう言われてハッとする。
「い……言い間違えましたわ! アーサー様に抱きしめられたら、生命力みなぎって生き伸びれる気がしますの……!」
『何故真逆の事を言い間違える……』
「き、きっと出血のせいで頭がおかしくなっているのですわ……!」
そう言ってみてもアーサー様は釣られてくれません。指で額を抑えて呆れていらっしゃるようです。
はぁ……死に際に訪れた大チャンスを無駄にしてしまいましたわ。お父様は釣りが上手いのに、何故私は下手なのでしょう?
ああ、回復薬は全部使い切ってしまいましたし、白の指輪も殆ど透明な状態になってしまっています。
魔力は回復しても血液は回復せずに流れ出ていくばかり――自分も他人も癒せる力を持つクラウス卿がとても羨ましいですわ。
ブルッ、と再び寒気が走ると同時に体の力が抜けていく。
「寒い……何だか私、眠くなってまいりました……アーサー様、お世話になりました。貴方と初めて出会った時から、ずっとお慕いしておりました。貴方は私の、
『分かった、分かったから辞世の句まで言い始めないでくれ』
私の言葉に額を抑えていたアーサー様がそっと私の肩に手を回し、優しく抱擁される。
(ああ……!!)
感嘆の声を漏らす前に鼻から大量に出血してしまった事に気づかれて、強制的に膝枕に切り替えられてしまいました。
『ただでさえ大量に出血しているんだ。無駄遣いするな』
アーサー様が私の鼻元をハンカチで押さえながら呆れたように諭してきます。
ああ、恥ずかしい事この上ありませんわ。でもこれはこれで眼福――のはずなのに、せっかくの状況なのに、視界がぼやけて、意識が薄れて――ああ、もう少し、もう少しだけ見ていたいのに。
アーサー様、その目は、何を見てらっしゃるの? その耳は、何を聞いてらっしゃるの?
貴方と同じ物を見て、貴方と同じ音を聞けたなら。そして、その口で――
「……アーサー様、最後に、私の事、名前で……名前で呼んでくださいまし。名前で呼ばれたら、私……」
霞む視界の中で最後まで言い切れずに気力が尽きてしまう。
『……この場所で、その体でちゃんと目を覚ましたら呼んでやる』
暗くなった視界の中で、ハッキリ響いた念話に心臓が高鳴る。
(名前……名前呼び……!! 生きて目を覚ましたら、名前呼び……!!)
ああ、どうしましょう。さっきまでアーサー様を助けられたのだからこの生命を死神に手渡す事も覚悟していたのに。
今、死神に私の命を狩りに来られてもこの生命――絶対手放せそうにありませんわ。
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