第107話 囮の鳥・3


 黒の槍を突きつけられたレオナルドは目を閉じて小さく息を吸った後、私から少し離れて彼に向けて頭を下げる。


「申し訳ありません、セレンディバイト公……アスカ様が反公爵派の襲撃にあいドレスを破損されたのです。貴方の婚約者である事は重々承知の上ですが、このような姿を人目に晒すのはあまりに可哀想だと思いまして」


 その言葉を聞いた黒の公爵が私の姿を見るなり目を見開き、動揺した表情を浮かべながら乱雑な手つきで羽織っていた自身のマントを外す。


「飛鳥さん、これをどうぞ」


 顔が引きつってはいるものの、先程レオナルドに向けた言葉とは恐ろしい位かけ離れた優しい声で漆黒のマントを差し出される。


(胸は危ういし、スカート破けてるし、マント借りれるならありがた……って、いや、ちょっと待って)


 私がこれに触れたら、後でこの人が手袋を外してこれに触れた時、記憶や思念を読まれるかもしれない。その可能性に気づきマントに触れる直前で手がとまる。


「け……結構です」


 そのまま手を引き、俯いて視線を逸らしながら押し付けてこないように少し後ずさると、壁が背に着いてしまった。


「な、何故です……?」


 私の態度に、黒の公爵が戸惑いの声を出す。明らかに動揺している。この状況で発動させるのはタイミングが悪いけれど、仕方がない。


「ごめんなさい……今は、黒を纏う気になれません」


 俯いたまま小さく答える。反応を伺いたいけどここでチラとでも見てしまったら機嫌を伺ってる感が出てしまう。ここはあくまで傷ついてる感を出さなくては。


「す、すみません……私が、ちゃんと貴方を迎えに来ていれば……」

(あれ……? やけに素直ね……?)


 予想もしていなかった、震えた声の謝罪に戸惑わざるを得ない。

 ここは『どうして?』とかもうちょっと追及を重ねてほしかった。傷つきポイントは言わないと伝わらないし、向こうが謝ってるのに傷ついてますとは言い辛い。


 早くこの今にも胸の中から溢れ出さんとする色んな感情をオブラートに包みながらではあるけどネチネチつらつら吐き出したいのに――とつい顔を上げると黒の公爵の悲痛な表情が目に入る。


(私の態度に怒ってたんじゃないの……? 何でそんな、辛そうな顔してるの?)


 自分の選択が間違っていた事に気づいて深く後悔しているような――そんな顔をされてしまったら、心を締め付けられてもう何も言えなくなる。


(……いや、駄目だ。そんなちょっと罪悪感煽る表情された程度で私のこれまでの恥を帳消しにする訳にはいかない。私そこまでチョロい女じゃない。どんな顔されても1ヶ月間、有利に立てる状況を作らないと)


 まあ、でも、反省してる人に抉る言葉まで言わなくてもいいかな――とか考えていると、レオナルドまで自分のマントを外し始めた。


「……アスカ様、これをお使いになってください。貴方が今セレンディバイト公を受け入れる事は出来ない気持ちは分かります。それでも貴方にそんな姿でここを歩かれると完全に守り切れなかった私も心が痛みます……どうか、受け取ってください」


 私と黒の公爵の間にレオナルドが眩しいばかりに黄色のマントを差し出す。その表情と視線に2つの願いが込められている事を察する。


「レオナルドがそう言うなら……」


 差し出された黄色のマントに身を包む。少し重みの感じるやや厚めのマントは首から足首までしっかりカバーしてくれる。


 良かった。漆黒のマントは触れないし、でも彼に一生涯本能に刺さる黒パン見せる訳にもいかないし。本当に助かった。

 

『それでアスカ様、下……』


 レオナルドのテレパシーは、バチリ、と電気のような音と共にかき消された。


「飛鳥さんに魔力を向けるな……! 私に聞かれたら困るような話を彼女にするな!!」


 レオナルドから私を守るように黒の公爵が間に立つ。

 テレパシーを遮る事が出来る事にも驚いたけど黒の公爵の様子が完全におかしい。アシュレーの時や魔物狩りの時とは違う、激しい敵意をレオナルドに向けるその姿にいつも嫌味たらしい位に醸し出されている余裕が一切感じられない。


「失礼しました……それでは、私は上の様子を確認してきますのでこれで失礼いたします。」


 レオナルドは態度を崩さずに一礼した後、階段を上がっていく姿を目で追う。チラ、とだけこちらを見たその表情からは困った様子が感じ取れた。


 分かる。何に戸惑って何に困って何を心配しているのか分かる。

 英雄の態度に戸惑って私の扱いに困って黒パンの行く末を心配している。


 知らなかったとはいえ私が死刑になるような罪を犯したのは事実なんだから、皆に暴露しても良かったはずなのに。彼は私が死刑になる事を望んでいない――その事実はそっと心に温かい物をもたらす。


 この惚れてしまってもおかしくない状況で彼に惚れずに済んだのは彼が既婚者だからか、厄介な面も知っているからか、唐突にブラを引き抜かれたからか――何にせよ、襲撃、床や階段、人目、死刑、下着――あらゆる物から守ってくれた彼には感謝しなければならない。


 爽やかな香りが微かに鼻をくすぐる。今日はレオナルドから香水の匂いがしなかったけれど、マントにレオナルドの香水の匂いが移ってるんだろうか?

 匂いを確かめてみようと鼻を近づけた瞬間、マントが強く引っ張られる。


 剥ぎ取られた、と察すると同時に視界が真っ黒になり、宙に浮かび上がった感覚に陥る。


「えっ!? ちょっ……!?」


 狭い球体の中に押し込められたような感覚。手を伸ばした先で固い壁のような物にぶつかる。


「え、ねぇ……何で!?」


 この状況で彼が傍にいるのに襲撃されるのは考えづらい――そして、この暗闇。これが誰の仕業かなんて、容易に想像がつく。


「あの……出してください!!」


 押しても叩いてみても音がしない。音も視界も遮断された、無の空間。

 何で? さっきマントを差し出して来た時は優しかったのに――


(って……自分が差し出したマント断られた直後に他の男のマントを受け取られたら、そりゃ、まあ、怒るわよね……)


 深く長いため息をつき、いくらリスクを回避するためとは言えうっかり彼のプライドを傷つけてしまった事実が心に視界と同じ真っ黒な絶望を作り出した。



 狭く無音の空間に閉じ込められて何かできる事も無く、とりあえず今後の作戦を立てる。


――とりあえず、命の危険は脱した……と思う。怒らせてしまったけれど気が済めば解放してくれるだろう。解放されたらまず軽く謝って……そこから少しずつ傷つきポイントを言って……うん、マント断った事も傷つきポイントが溜まってるからだって事を強調して……――


 ――下着は見せないにしても傷つきポイントは十分すぎる程溜まってるし、触られたくない位信頼できないからしばらく近寄らないで、って主張は通用するはず。後は強硬手段に出られないよう、彼のプライドを刺激しないように、かつ卑屈になりすぎないように――


(……って、閉じ込められてどの位立ったんだろ?)


 考え始めてから大分時間が経ったと思うけど、置かれた状況に全く変化がない。時間が長く感じているだけなのかもしれないけれど――もしかして永遠にこのままとか?


 一度頭を過った不安は、ものすごい勢いで焦りを伴って肥大化していく。


 いや、この空間内で子づくりとか流石に無理でしょ? 白の魔力も溜まってないし……解放はされるはず。でも失敗したのは間違いない。

 やっぱり下手に出るべきだった? 余計な事せずに受け身でい続けるべきだった? いやしかし、そうしたってどの道機嫌を損ねればこういう目に合って――


 焦りに付随する不安が、後悔が、絶望が、引いていたはずの涙を再び込み上がらせる。


(あ、駄目。泣く)


 これまで流しそびれていた涙が、溢れてくる。無力すぎる。そもそもこんな魔法使ってくるような相手にどうあがけと言うのだ。

 色んな魔法使ってくるのは分かってはいたけど。ちょっと魔法使われただけで全く抗えない無力な自分が情けない。


 力も無い、特殊能力がある訳でも無い、特に優れた何かがある訳でも無い。

 それでも自分なりに状況を打破しようと、少しでも有利な立場に立ちたいと足掻いた結果、状況をややこしくしてしまっただけのような気がする。


(何で、私がこんな目に合わなきゃいけないの……?)


 下着だって、身に付けなければ私も、私に着ける事を勧めたセリアも死刑に巻き込まれる事は無かったのに。自分で自分の首を絞めるような状況に追いやって。何もかもうまくいかない、本当に。何もかも。


(もう、やだ……)


 黒の物を身に付けて相手のご機嫌を伺ってる自分に嫌気が差してくる。ああ、もう、ティアラもブレスレットも、婚約リボンも外してしまおう。


 ティアラを乱雑に放り投げると、跳ね返って頭に当たりその痛みが一層惨めさを誘う。

 体を抱え込んで本格的に涙を流そうとした時、足首に固い物が当たる。そうだ、アンクレットも外そう。


 破れてスカートの体を成さなくなってしまったをスカート部分を託し上げて、露出させた右足首を左足の太ももに乗せる。


 視線が真っ暗なので手元が見えないうえにアンクレットがどういう仕様になっているのかが分からず苦戦していると、視界が一気に明るくなり、バラバラと金属が落ちる音共に同時に柔らかい何かの上に座る姿勢で着地する。


 何が起きたのかと思い顔を上げると、真顔の黒の公爵が私を凝視していた。


 その顔がみるみるうちに赤くなっていく。それが何故なのか、今の自分の状況と体勢から、確認しなくても察する事が出来る。


「は……はぁああ――!?」


 こういう時って普通可愛い悲鳴があがるものだと思っていたけど、この突然の状態と相手の唖然としている顔に全く可愛くのない声があがり、頭の何かの糸がキレて、頭に熱が上がっていく。


「ま、魔法解くなら解くって、何か一声かけてよ!? 本当に、貴方達兄弟は、こっちの都合も聞かないであれこれ好き勝手に……!!」


 見覚えがある馬車の中、とだけ把握したら考えるより先に一気に声が噴き出す。


「あ、飛鳥さん、どうか、これで隠してください……!」


 改めて漆黒のマントが差し出してくる彼に、手元に落ちていたブレスレットを思いっきり彼に向けて投げつける。


「しつこい! いらない!! 嫌だって言ってるじゃない!!! もうやだ! もう地球帰る!! 私を囮にしようとする貴族達も、殺そうとする反公爵派も、守ってくれなかった貴方も、皆嫌い……大っ嫌い!!!」


 一度叫んでしまうと、溜め込んでいた怒りを抑えきれずに全てが言葉に出てしまった。まるで昨日のソフィアのように。

 ただ、彼女と違って、感情の余り泣き叫んだ私の顔はとても見苦しい物だっただろうなと思う。



 そんな私の態度が、言葉が、彼を深く傷つけ、酷く歪ませてしまった事に気づいたのは――――もう少し後の事になる。



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