第106話 囮の鳥・2


「お待ちください、アスカ様!」


 数歩進んだ先でレオナルドに呼び止められ振り返ると、戸惑った顔で私を指さしている。


「……すみません、まさかとは思いますが、下着まで漆黒……」


 気まずそうに周囲に気を使った小声ではあった物の、明らかにヤバい内容である事が察され一気に顔が熱くなっていく。


「ちょ、ちょっと……!! こんな所でそんな事言わないでくれない……!?」


 小さく出したつもりの声も自然と震える。ドレスと同じ色のブラ紐――遠目からだったらドレスのデザインだと思われそうな物をまさかこんな所で見破られるなんて。


 あの人に気づかれる分にはそれが目的だったし構わないけど、他の――しかも、男に見破られて指摘されるのは予想外だった。

 その上、この事までバラされるのは正直キツい。


『下着の色の意味を知らないのですか……!? 今ならまだ間に合います、こっちに戻ってその下着を外してください……!!』


 レオナルドもこれ以上の言葉を声に出すのか憚られたのか、テレパシーに切り替えられ、内容がより一層ヤバい物になる。


(こ、この状態で下着を脱げとか、何言ってんの……!?)


 パンツ程ではないがブラもそれなりに他人に見られたくないデザインだ。

 あの人一人にならまだしもこの蔑まれた空気の中、自前で用意した黒の勝負下着を身に付けてる事までバレたらもう傷つきポイントとか言ってられない。普通に恥ずかしい。


 野蛮だとか、男好きだとか言われる恥はもう正直慣れたけど、どうせ1ヶ月で帰るんだし、どれだけ馬鹿にされても良いと思ったけど、流石に、今付けてる下着の職人には悪いけど、やはりこの勝負下着を人目に晒す訳にはいかない。


(下着の事が暴露される前に、あの人の所に行かないと……!!)


 レオナルドの制止を無視して早足で階段の方に向かう。


 レオナルドはユンと違って私が羞恥に晒される事を良しとしていない。

 そんな人があの人や大勢の人の前で『この人、ドレスの他に本能突き刺すエッチな下着まで自前で用意してますよ』なんて血も涙も無い暴露はできないはず……!!


(ああ、もう、何もかも上手くいかない……!!)


 完全に頭に血が上った状態で階段に一歩足を踏み込んだ時、ハイヒールのつま先が、滑らかな感触に包まれて――滑る。


 それが何を意味するか理解した瞬間、脳が急激に冷えていく。


 そういえば歩く練習はしたけど、階段下りる練習はしてなかった――心の片隅でそんな思考が浮かぶ。


 布が裂ける音と同時に首筋に痛みが走り、体が宙に舞う。


 (落ちる……この高さ、もしかして、死ぬ?)


 頭の中は恐怖に満ちるも床が、階段が不思議とスローモーションのような感覚で目の前に近づいてくる。

 抗えない。せめて手を、と思うのに脳の命令が手に上手く届かない。


 ヤバい――と思った時、固く冷やりとした物が顔に触れたかと思うと、視界が黄色に包まれる。

 黄色の視界が数秒続いた後床に足だけが着き、その時初めて人に抱き締められていたのだと気づいた。


「大丈夫ですか!?」


 ホール中がどよめく中、私の両肩を掴んで目の前に立っているのは、レオナルド。レオナルドが足を滑らせて落ちる私を助けてくれたようだ。


「良かった、ご無事で……! まさか同時に複数人で攻撃を仕掛けてくるとは……アスカ様?」


 暗殺者が複数いたとか勘弁してほしいけど、それ以上に――


 左手に掴んだ生地で胸を隠し、右手で裂けたスカート部分をずり上げる私は、今どれだけ恥ずかしい状況に立たされているんだろう?


 嫌な予感がしていた首の結び目は見事に切られ、腰の辺りが楽になったなと思ったら階段でドレスに足を引っかけてしまった勢いか、ドレスは腰から膝の辺りまで見事に裂けてしまった。


 一瞬で恐ろしい状況に陥った事を不安に思い、チラ、と周囲を確認する。


 階段の真下――じゃない。ホールの隅――角際に立たされている。レオナルドが私を隠すようにホールに背を向けてるから思ったよりこの悲惨な状況は人に見られてないみたいだ。


 ホールにいる多くの人達の視線も、私に、というよりは襲撃にどよめいているようだ。

 周囲が混乱に陥っている中、とりあえずまずは切れた結び目をもう一度結び直さないと――と思ってスカート部分を握る手を離し、首の後ろまで生地を引っ張る。が、変な所で千切れてしまってるみたいでなかなか上手く結び直せない。


「……アスカ様、後ろを向いて頂けますか?」


 私が何をしたいのか察してくれた――? と思い、言われた通りに後ろを向くと、


「失礼します」


 レオナルドが背中の両脇の辺りに僅かに触れたかと思うと、ブラを一瞬で引き抜いた。


「は……!?」


 予想もしなかった展開に声を上げて振り返る前に、レオナルドは私が掴んでいた上半身の生地を取り、首の後ろで結ぼうとする。


 何この状況、意味が分からない。


 何故このちょっと複雑なタイプのブラのホックを容易く鮮やかに外せたのか――は何となくわかる。既婚者だし奥さん相手に慣れてるんだろう。って、そっちじゃない。何でブラを引き抜いたのかが分からない。


「すみません、女性に対しとても失礼な事をしてしまったのは分かっています……ですが流石に公爵家と全く同じ色の下着は見過ごせません。これが公になれば襲撃者同様、貴方まで死刑になりかねない」

「し、死刑って何……!? それ、身に付けてるだけで死刑になるような危険物だったの!?」


 唐突かつ過激過ぎる言葉は下着を引き抜かれたショックと相まってより一層顔から血の気を引かせていく。


「やはり、ご存じありませんでしたか……ツヴェルフが身に着ける、自分と全く同じ色の下着の衝撃は一生涯続くとても強力な物だそうです。かつてその習性を悪用したツヴェルフが世界崩壊しかねない戦争を起こして以降、公侯爵家の色の下着は製作者も身に付ける者も死刑となっています」

「いっ、一生涯……」


 衝撃的な事実を告げられ、言葉を失う。だってセリア、そんな事言ってなかっ――


『万事解決、将来安泰です――』

 

(いや、言ってたわ。あれ、そういう意味だったんだ……)


 そう言えば、未来はもう約束されたも同然とも言っていた。

 深く考えずに聞き流したけど、どうやら大事な事をハッキリ言わないのはあの2人に限った事ではないようだ。ガックリと肩を落とし、ため息をつく。


「……失礼します」


 2回目の失礼しますに今度はパンツ取られるのかと思わず手で腰を庇ったが、私の心配をよそにレオナルドは私の首元で交差させていた生地を直線にして、クイッと引っ張る。


「あうっ」


 突然の引力に思わず変な声が漏れたもののレオナルドは躊躇する事無くそのまま生地を結ぶ。


「ひとまずはこれで……」


 交差に比べ大分胸元が心許ない物の、無事生地が結ばれて上半身の安全がひとまず確保された事に安堵する。


「それでアスカ様、下着はどこで――」


 レオナルドの声が不自然に途切れる同時に、背後から恐ろしく禍々しい魔力を感じる。


「……私の、婚約者に何をしている……?」


 振り返るとレオナルドの後ろで黒の公爵が、今まで見た事ない程の憎悪に満ちた目でレオナルドを睨み、黒の槍を彼の首に突きつけていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る