第17話 フレーメン反応?


 新聞を読んで、私が今、この世界で極悪人になってしまっている事はよく分かった。


 この状態で地球に帰ってなかった事がバレたらほぼ間違いなく有力貴族達から袋叩きに合う事も。


 エドワード卿が従者に伝えた言葉は一切盛ってない。十数年に一度召喚される貴重な子作り要員を2人も逃した極悪人を匿った家と知られれば重い責任を取らされるのは間違いないだろう。

 アーサーはこうなる事を見越していたからあんなに警戒していたんだ。


(私が地球に帰っていたらアーサーやコッパー家に迷惑かけずにすんだのに……)


 ダグラスさんだって器にヒビを入れなくて済んだかも知れない。クラウスだって行方不明にならなかったかも知れない。


 地球に帰れたらどう思われても気にならなかった。知らなくてすんだから。

 でも結局地球に帰れず、自分がしでかした事が自分に重くのしかかる。この重みを共有できる仲間優里とソフィアももういない。


(ああ、もう……!!)


 頭を抱えて髪をグシャグシャと掻き乱しても心の中で広がる不安と絶望の渦巻きを止められない。


 私が――私のせいで――自業自得――自分を責める気持ちが涙を誘う。

 負の感情が高ぶると一気に不安が膨れ上がってくるこの感覚はこの世界に来てから何度も覚えがある。


(……あ、多分これ、黒の魔力のせいだわ)


 リチャードに能力向上オブテインを使った事で大分消費していた黒の魔力を改めてダグラスさんに注がれて――体感的に今、半分位黒の魔力が溜まっている。


 白の魔力は治癒魔法で自分の中にある分は大分使い切ってしまった。半透明の白の指輪と婚約リボンのお陰でこの程度の不安に抑えられているに過ぎない。


 さっさと黒の魔力を消費してしまえば、と思ったけどアーサーは私が宿屋で白の魔力を使った時に『マントを被っていても魔法を使えば色がバレる』的な事を言っていた。

 今迂闊に黒の魔力を消費すると厄介な事になりかねない。確か、この館の外には他の色の騎士団がいるって言ってたし。


(でも、今は不安にひたすら耐えてる場合じゃないのよ……!!)


 もう不安に怯えて感情を捨て去って廃人になるのは懲り懲りだ。ベッドから身を起こし、腰掛ける体勢になった後、右手の親指の付け根に勢いよく噛みつくと程よい痛みがある程度不安を散らし、冷静さを取り戻させてくれる。


「ヴゥーッ……!!」


 やめろと言わんばかりにペイシュヴァルツが唸りながら私の右手に向けて何度も小さな前足で猫パンチしてくるけど、構わず噛み続ける。


(……これから、どうする?)


 これまで何度も自分に問いかけてきたそれに、より一層の緊張感が増す。


(音石を破壊しようと思ったら結果的に連れ去られてここまで来てしまったけど……皇都から離れられてここに身を隠せたのは良かったのかも知れない)


 貴重なツヴェルフ2人を地球に返した、役に立たない器のツヴェルフがここに残っている事を知られては白の騎士団どころか貴族達の不平不満を一身に浴びかねない。

 

 アーサーはダグラスさんの器のヒビが治るまでここに匿ってくれるつもりなんだろう。その事自体は物凄くありがたい。

 だけど、それだといつか――ダグラスさんの所に戻らなくちゃいけなくなる。


 それは怖い。ダグラスさんには助かって欲しいけど、助かった後の事を考えなきゃいけない。


 私は彼を裏切って地球に帰ろうとして、彼は私を見限った。

 あの時、私を逃がそうとしてくれたのは自分自身に異常と危険を感じたからだ。それらを感じなければ、人目のある所で致す事すら厭わない――あの時のダグラスさんは、そんな狂気に満ちた眼をしていた。


 実際、服越しにではあるが下腹部に手も当てられていた。あれでそういう行為をするつもりが無かったとは思い難い。


(あんな人前で醜態晒してディープキスされただけでもキッツいのに、公開エッチなんて絶対無理……!!!)


 ダグラスさんの時が動き出した後、彼がどういう行動を取るか――そのまま私を襲うか、あるいは私が捕らえられるのを見て、私があの人に助けてと縋り泣くまで傍観決め込まれるかも知れない。

 いや、あえて突き出されて『助けてほしければ……』なんて言ってくる可能性もある。明るい展開が微塵も想像できない。


 ダグラスさんに助かって欲しい気持ちも正直複雑だ。

 これだけ酷い目に合わされてもなお完全には潰えてない厄介な感情もあれば、彼を追い詰めてしまった罪悪感もある。

 そして助からなくてペイシュヴァルツが暴走して災厄が開放されたら、私を含む多くの人の命が脅かされるという不安もある。


 (助かってほしい)という気持ちと(助かってもらわないとヤバい)という気持ちが3:7の割合で複雑にせめぎ合っているそれは、けして綺麗な感情とは言い難い。


 そしてダグラスさんが助かっても私にとってはヤバい状況である事に変わりない――この複雑な状況、どう切り抜ければいいんだろう?


 それに危険なのはダグラスさんだけじゃない。例えばダグラスさんの時が止まっている間に私が見つかってしまったら――有力貴族達の間で『セレンディバイト公が意識不明のうちにクソ生意気な灰色の魔女をボコボコにしてしまおう!』なんて流れになるかも知れない。


 私を捕まえて散々いたぶった末にダグラスさんに気づかれないように始末した後、素知らぬ顔をする事なんて、ある程度の力を持った貴族達なら造作もない事だろう。想像しただけで悪寒が走る。


(……って、さっきから悲惨で凄惨な18禁未来予想図しか描けないんだけど……暗い未来を憂いてる場合じゃない。真面目に乗り切る方法を考えないと)


 アーサーには悪いけどここでダグラスさんの器のヒビを治した後に差し出されるのを待つ位なら、さっさと行方をくらませてしまいたい。


(でも流石にこの家の人を巻き込む訳にはいかない……)


 この館から逃走する、となれば当然コッパー家に迷惑がかかってしまうのは目に見えている。今しばらくはこの館から出ない方が良いのは間違いない。


(何かしらの正当な理由を手に入れてこの家を出た後、事故か何かを装って雲隠れできれば……幸い魔力隠しのマントもあるし、条件さえ揃えばこの家に迷惑をかける事無く逃げ出せるチャンスは有る……いや、作れるはず)


 自分の前向きな思考に同意するように小さく頷いた、その時、


「ヴニャッ……!!」


 ペイシュヴァルツが勢いよく私の右手首に飛びかかってぶらさがり、その重みで親指が歯から外れる。痛みとともに歯型がくっきりと残っている。


 ペイシュヴァルツはその歯型をそっと前足でさすりだした。どうやら私の『不安を痛みで紛らわせる』という奇行を心配してくれているようだ。


 私の右手の中指の指輪を見ないようにする為かギュッと目を閉じて、私の肌に刻まれた歯型を撫でるペイシュヴァルツに罪悪感を覚え、指輪を抜き取った後左手でペイシュヴァルツの額を撫でる。


「……大丈夫よ、ちょっと落ち着きたかっただけだから。それにしてもこうやって擦って心配してくれるなんて……何だか凄く人間っぽい事するのね?」


 何気なく思った事を口にすると、ペイシュヴァルツの前足がピタリと止まる。


「あ、ごめん……馬鹿にした訳じゃないのよ。ただ、こういう時猫って大抵舐めて励ましてくるものじゃない?」


 宿でのこめかみ撫での時も思った。アニメや漫画で動物が人を励ます時や傷を心配する時は大抵顔や傷を舐めたりしているし、実際ペイシュヴァルツにも一度、舐められて起こされた事がある。

 確かあれはダグラスさんの誕生日だった。両手を火傷する前だった事もあってよく覚えている。


 そんな猫らしさに溢れていたペイシュヴァルツが今こうして――人が大切な人が痛がっている部分を少しでも痛みが和らぐように擦る姿に微笑ましくて言っただけなのだけど、ペイシュヴァルツの手はピタリと止まったまま動かない。


 気を悪くしたのかと思って撫でていた左手を離し、ペイシュヴァルツの顔を確認すると、ペイシュヴァルツは口元を大きく開けて私を凝視するように固まっていた。


「ど、どうしたのその顔……ペイシュヴァルツ、貴方、前に私の顔を舐めて起こしてくれた事あったじゃない……!? だから不思議に思っただけよ!? べ、別に舐めて励ませって言ってる訳じゃないからね!?」


 言葉の意図を伝えたにも関わらずペイシュヴァルツはとうとうダグラスさんのようにフルフルと震えだした。

 私は事実を述べただけなのに一体どうしたんだろう? まじまじとペイシュヴァルツを見返している間に一つの可能性に気づく。


 いつだったか、猫が飼い主の足の臭いを嗅いで驚いた顔で固まる現象を撮った動画をネットかテレビで見た事がある――確か、フレーメン反応、という名前だったはず。


 今のペイシュヴァルツの顔はまさにそれだ。私の言動にショックを受けたのではなく、単純にフレーメン反応を起こしたのかもしれない。という事は――


「あ……私が2日間程お風呂入ってないから、臭うの……!?」


 思い返せば4日の午前中にダンビュライト家で目を覚ましてからお風呂に入った記憶がない。

 4日の深夜に着替えた服もまる一日以上着っぱなしだ。


 慌てて服の匂いを嗅いで見る。悪臭、と言う程ではないけれど若干汗臭い感じはする。

 髪のしっとり具合も相まって不快な匂いを漂わせている可能性は高い。


「ごめんなさいペイシュヴァルツ、私が悪かったわ……! すぐシャワーさせてもらうから、無理して私に近寄らないほうが良いわ……!」


 猫も汚い物を舐めたいとは思わないだろう。それでも心配だからわざわざ心配して擦ってくれたのだ。

 そんなペイシュヴァルツの優しさに感動しつつ、そっと抱えて少し離れた位置に移動させる。


「ヴルルル……ヴル、ヴニャ……」


 ペイシュヴァルツは物凄く気まずそうに俯きながら歯切れの悪い鳴き声を上げてビタ、ビタと短い尻尾をベッドに叩きつけていた。


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