第25話 青と橙の奇想曲・2(※アーサー視点)


「ネクセラリア様、申し訳ありませんが主の食事中は来客を入れないよう主から言われておりますので……」

「それは知ってるわ! でもルクちゃんはこの方と結婚するつもりなのよ? それならこの方はヴィクトール様の娘婿♪ ウィスタリア姉様と同じ、ヴィクトール様の『家族』でしょう?」


 格子状の門ごしに門達が夫人に向かって苦言を呈すると、夫人はきょとんとした顔で首を傾げて問い返す。



 ウィスタリア――呪いを込めた手紙で私に発声阻止ボイスレスの命術をかけただろう女侯爵の名に少し寒気が走る。



 言われてみればラリマー公爵夫人の中にはあの女侯爵の妹がいたはずだ。

 全く似ていないが、この薄紫の髪と目から察するにこの儚い夫人がそうなのだろう。


 パーティーで見かける度にチラと見てくるあの女侯爵の眼差しは私に対して至極上から目線で、どうにも居心地の悪い思いをさせられる。


 学生時代に私に言い寄ってくる女の中にも、上から目線の女がいた。

 他の女を牽制したり、誘いを丁重に断るとあれこれと変な噂を流されたりと面倒臭い思いをした事をはっきり覚えている。


 だから分かる。あの手の女は特に面倒臭い。しかも女侯爵だ。しかも呪術師の家の長ともなれば面倒臭さの規模も違うだろう。


 だからといって、ラリマー公に頭を下げたくもない。戦争が起きるのも困る。そういう事情から声を取り戻すのは諦めた。


 あの女侯爵がまた気に入らない学生に呪いの手紙を送りつけた際は正当に裁かれるよう、魔導学院の寮の結界石に多少細工を施す事はしたが。



「ネクセラリア様……もし主のお怒りに触れたら」

「その時はヴィクトール様に私が良いって言った、って言えばいいじゃない♪」

「しかし……」


 私が過去を思い返す間も門番と夫人の問答が続いている。


 あの呪いの手紙――そこからもう少し時を遡れば、あのパーティーが脳裏に浮かぶ。

 ルクレツィア嬢を助け、ラリマー公に物申した後、父上が驚愕の表情でラリマー公に平謝りし、パーティーが終了して馬車の中に入った途端、父上に頬を叩かれた。


 父に叩かれた事など、前にも後にもそれ一回きり――深い溜め息をつきながら父上が私に説き伏せた言葉が蘇る。


「アーサー、正論を突きつける相手を間違えてはいけない。本人だけが罰を受けるならまだ自業自得で済むが、今回の件は私やジェシカやリチャードまで殺されたり最悪、戦争になってもおかしくなかった。ラリマー公の寛大な対応に感謝しなさい」


 隣に座るリチャードが怯え、恐る恐る私と父上を交互に見つめる中、私は父上の言葉に納得がいかなくて詰め寄った。


「私は当たり前の事を言っただけです! 私が気に入らないのなら私だけ罰すれば良い! 何故そこで民や家族が関わるのですか!?」

「そうだね。私も本人にだけやり返すタイプだから、お前が疑問に思う気持ちも分かる。だがね、中には『にやり返そう』と思う人間も少なくないんだ。特に相手が自分より力も権力も上の場合、相手にやり返しようがないからね。そんな時は弱者を狙う。勿論相手は激高するだろうし、反撃にもあうだろう。だが自分が死んでも相手には『自分がやってしまった事で大切な人を死なせてしまった、深く傷つけてしまった』そんな一生ものの傷を残せる。それだけで良しとする人間もいるんだ。私には理解できないがね。相手にだけ復讐する人間は優しいのだな、とその話を聞いて思ったものだ」

「父上、考え過ぎでは? 相手に傷を残す為だけに自分の人生を閉ざす人間などいないと思います」

「アーサー、お前はメイドという立場にありながら自分の欲に負けて幼子を襲い、自分の人生を閉ざした人間を知っているはずだ。人は己の欲求を満たしたいがあまりに踏み越えてはならない一線を越えてしまう事がある。人は、そういう生き物なんだよ」


 嫌な記憶を持ち出されて何も言えなくなった事を覚えている。

 確かに、この世には異常な人間がいる。欲を抑えきれない人間がいる。それは間違いない。


「……お前はまだコッパー領の人間や僅かな他領の人間しか知らない。世の中には色んな人間がいる。これからお前は自分と合わない人間にもたくさん出会うだろう。今回のような状況に出くわす事もあるだろう。だがけして争ってはいけない。何故ならお前はコッパー家の跡継ぎだ。お前の一挙一動がコッパー領に住む民の未来を左右する。争うのではなく、人はそれぞれ違う生き方、考え方を持っている事を学びなさい。相手と自分は同じ人間なのだから分かってもらえるはずだ、と思うのは傲慢にほかならない」


 そんな風にあれこれと説かれた末に魔導学院の前で降ろされる。その時父上が言った言葉は、今も私の心に焼き付いている。


「アーサー、正論は人に突きつけるものじゃない。どうしても突きつけたいのであれば、自分自分に突きつけなさい。自分が誤った道に走る事がないように、自分の人生を振り返った際に恥じる事がないように。正論は自分が後悔なく生きる上での1つの指針に過ぎない」


 その数日後、呪いの手紙が送られ――父上の言葉が正しいものである事を痛感する事になった。

 謝ればいい、とダグラスは言った。だが、謝れば私が間違っていたと認める事になる。


 私は、あの子を助けなかった大人達と同類になりたくはなかった。

 私の正論を自分に突きつければ尚更、死んでも謝りたくなかった。


 念話は使えるから日常生活で困る事は少ない。数年後にダグラスから生命力の術式を教えてもらってその時の体力を犠牲に一時的に命術を無効化する首輪型の魔道具を作り出し、必要最低限の会話はできるようになってからは殆ど困らなくなった。


 むしろ咄嗟の言葉が出ず、冷静に考えた上で念話を放つ――その状況は両親に「よく考えてから発言しなさい」とたしなめられていた私にとってメリットですらあった。


「どうしても駄目なの?」

「主のご命令ですので」


 私が過去を振り返っている間も門番2人は夫人の言葉を聞き入れず、夫人も諦めない。

 ポケットに入れた時計を確認すると後10分。どうしたものか――と思った時、



「わかったわ……それじゃあ、私がヴィクトール様をここに連れてくるわ♬」

「お、お待ち下さい! 食事中の主にそんなご足労をかける訳には……!!」



 門番の止める声も聞かず、門の向こうで身を翻す夫人を見て門番達が怯えきった表情で顔を見合わせて小さく頷いた後、門を開いた。


 それと同時にノロノロと向かって来ていた水色の髪の従僕がようやく夫人の元に追いつく。


「ネ ク セ ラ リ ア さ ま……! こ ん な こ と を す れ ば タ ダ で は 済 ま な」

「でも、ラインハルト君じゃルクちゃん守れないでしょ? 私の『行動鈍化スロウ』にかかっちゃって、しかも自力で解けないんだもの。今解いてあげるから、この方を食堂まで案内してあげて♪ お茶は別の子に入れてもらうから大丈夫よ♬」


 喋る言葉も鈍化している従僕にかかった行動鈍化が解かれると、従僕は眉を顰めて低い声を出した。


「ネクセラリア様……私に死ねと?」

「ほら、そういう所よ。大事な所で引いちゃう、そういう所♬ 女の子のピンチにそんな態度じゃ女の子の心なんて掴めないわ~♪」


 門が開いたのだから入ってもいいだろう――そう思い夫人達の方へと歩み寄ると明らかに不機嫌な従僕と、笑顔で歌うように話す夫人に振り向かれた。


『……本当にいいのですか?』

「うふふ、ありがとう。ルクちゃんが言ってた通り、優しい人なのね♬ でも気にしないで! 私、死にたいと思ってる訳じゃないけど、いつ死んでもいいと思ってるの♪」


 私を通した事で夫人に罰が下るのが気がかりで問いかけたのだが、反応に困る言葉を返される。

 少し主の意向に反した程度で生きるか死ぬかの話になるとは、ここは賊の巣窟か魔王の居城か?


「それにね、私、人の役に立つのが好きなの♪ 好きな人に助けてもらえたらルクちゃん物凄く嬉しいと思うわ! だから頑張ってね、アーサー君! ららららら~♬」


 儚い夫人は楽しそうに歌いながら軽やかな足取りで館に入っていく。

 残されたのは私と、死んだ目をしている少し薄い水色の髪の従僕。


『どういう事だ……? ルクレツィア嬢は助けを求めなければならないような状況になっているのか?』

「……こちらへどうぞ。歩きながら説明いたします」


 問いかけるとこちらを見る事無く館に向かって歩き出した従僕は皇都で開かれるパーティーでよく見かける。

 恐らくルクレツィア嬢の護衛役と召使いを兼ねているのだろう。


 青や水色、藍色を貴重にした実に寒々しい通路を歩く中、従僕に状況を淡々と説明される。やはりアイドクレース家との縁談が壊れてしまった事でラリマー公が立腹してるらしい。

 コッパー家との縁談もそれなりに有益ではあるはずだが、公爵家――色神程の益ではない。


「……全ては貴方が最悪のタイミングでルクレツィア様の元を訪れた事、そしてルクレツィア様のお気持ちを受け入れられた事が原因です」


 大分棘のある言い方だな、と思うと同時に従僕が立ち止まり、敵意に満ちた視線を向けてくる。


「何故今更……今こんな状況で想いを受け止められるなら、何故今まで……!!」


 ギリ、と歯が軋ませる音、強く握られる拳――なるほど、この従僕は彼女の事を大切に想ってきたのだろう。


(しかし……またか……)


 邪魔をしたタイミングが悪かった事は詫びるし、ヒューイに今更、と言われた時はその通りだなと思い、詫びた。

 しかし――この従僕に詫びたくはない。


『私には私の事情がある。君とて君の事情があるのだろうがそれを言われた所で私の意志は変わらない。私に文句を言う前に君は一度でも彼女を助けた事があるのか?』


 14年前に一度助けただけの私と、私より何十倍も彼女の傍にいるだろうこの整った顔立ちの従僕は今こそ声を荒らげているが、パーティーの時の姿を思い返す限り本来は冷静でそつのない男なのだろう。

 ルクレツィア嬢がこの男に心を移さなかった理由は『助けられた事がないから』としか思えない。


「私は、私に出来る事はしてきました……ですが、私も、私の父親もこの家の家臣です……主の意向には逆らえない時もあります……!」

『……君に想われている淑女のアプローチを避け続けた非礼は詫びよう。忠誠を重視する心も咎めはしない。だがその状況で今の私の行動に口を出す権利はないのではないか? 私の「今更」が気に入らないのなら君も「今更」の選択をすればいい。まだチャンスはある。私と結婚する前に彼女の心を奪えばいい』


 そう言ってやると従僕は厳しい表情で私を睨んで、数秒――一つ、大きく息を吸った。


「……私に、今更の選択肢はありません……あの方は、14年前からずっと貴方しか見えていないのですから。ハイリスク・ノーリターンの賭けに出るほど青系統の人間は馬鹿ではないのですよ。私は、あの方があの方らしく生きられるなら……それでいいのです」


 吐き出すように言葉を紡ぎ、諦めたように微笑んだ後、従僕は私に深く一礼した。


「出過ぎた物言い、失礼致しました。アーサー様……この奥が食堂になります。どうか、ルクレツィア様をお助けください」


 普通の礼より少し長く下げていた頭をあげた従僕は表情を悟られたくないのかすぐに身を翻した。

 その後ろ姿を見送ったのち、食堂に向き直る。


 水と橙――相反する色の恋敵に頭を下げる事の苦痛はいかほどのものだろうか? それだけ彼女を助けたいと思っているのだろう。


 家臣の立場で主に逆らうのは厳しい。まして主が公爵ともなれば、そこには圧倒的力の差も存在する。

 主がロベルト様のような人格者であればともかく、そうではないだろう公爵を前にしてもやれるだけの事をやってきただけ、凄い事だと思う。


(……私はあの男より彼女を守りたいと思えるだろうか?)


 正直、そういう感情を抱けるかどうか自信がない。

 だが今、この状況で彼女が困っているならばそれは私のせいだ。助けなければならない。


「失礼!」


 恐ろしく冷たくなっている扉の取手を掴んで扉を空けると、長卓の向こう側でこちらを見据えているラリマー公と目が合った。


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