第3部・2章

第24話 厄介な騎士の母親


 酷い倦怠感と気持ち悪さの中で目を覚ますと、ぼんやりと淡黄色の天蓋が見えた。


(えっと……私、確か、裁判中に頭がクラクラして倒れ込んで……)


 気を失った時の状況を思い返しながらキョロキョロと辺りを見回すと、再び目眩が襲ってきて、横向きの体勢でベッドに倒れ込む。


 ベッド、という事にビックリして咄嗟に自分の衣服を確認すると、特に変化はない。

 とりあえず今はまだ何もされていないみたいだ。


 ただ、様々な黄色を基調にした高級感漂う家具が置かれた広い部屋、何故か開いているドア、そして少し暗い朱色の狼――魔獣の顔がベッドに乗っかっているのが凄く気になる。


 雪山でロイド達と一緒に落ちてきた、ローゾフィアの魔獣だ。夜で暗かったとはいえ至近距離で治療した事あるから間違いない。


 魔獣は顔を上げて嬉しそうにこちらを見つめ、ハッハッと息を上げながら舌を出してお座りしている。

 普通の犬より大きなフサフサの尻尾を交互にパタパタ振っているけど、近くに魔獣使い飼い主の姿はない。


(……状況が読めない)


 レオナルドが私を助けようとした事とこの部屋の豪華な内装を見る限り、多分ここはリビアングラス邸のツヴェルフの部屋なんだろうけど――


「あら? 目を覚まされましたか?」


 見事な黄金の刺繍の入ったワンピースを纏った、淡い金髪と褐色肌の女性が入ってきた。

 ややつり上がった透き通るような水色の目――全体的に見てハキハキ物を言いそうな人、という印象を受ける高貴な女性が微笑みかけてくる。


「もうすぐあの子も戻ってくると思いますからしばらく待っていなさいな。えーっと、後はそうね……服はもう少し持っていかないといけませんね……」


 御婦人は部屋のクローゼットから綺麗なレースが施された衣服を2着手に取ると、こちらが何を言う暇もなく、ドアを締める事もなく部屋を出ていった。


(呼び止めて色々聞けば良かった……)


 呼びかけるのを邪魔した倦怠感や気持ち悪さはしばらく横になっている内に薄れていったので、再びベッドから起き上がって辺りを見渡す。


 小さなバルコニーに出られる扉があったから、ひとまずそこから外の様子を確認しようとベッドの下に置かれたフカフカのスリッパを履いて歩き出すと、魔獣もついてきた。


 バルコニーを開けると、まず手すりが黄金に輝いている。これは本当に金なのかあるいはまた別の金属なのか考えながら視線を遠くに移すと、皇城が見えた。


(この豪華で大きな外観といい、色使いといい……ここはリビアングラス邸で間違いないみたいね……)


 という事は、ここに連れてきたのは間違いなくレオナルドだろう。魔獣が付いてきてる理由も彼なら知っているはず。


 死刑は免れる事が出来たけど、代わりに強制出産刑なんてとんでもない刑が課せられる事になってしまった。


 ネーヴェの『地球に帰りたいなら妊娠するな』発言も気になるし、レオナルドとの子作りなんて無理。

 この世界では既婚者とツヴェルフとの子作りはなのかもしれないけど私の中では倫から外れているだ。絶対に子作りから逃れなきゃ。


 幸いレオナルドは私に無理強いしないような言い方をしていた。何とかのらりくらり時間を稼いで皇家からのアクションを待ちたい。


「あら、アスカさん? 何処に行ったのかしら……?」


 またさっきの御婦人がやってきたので「ここです」と言って部屋の中に戻ると、その女性が自分と同じチョーカーとイヤリングをしている事に気づく。


「あの、貴方はもしかして……」

「ああ……私はシルヴィ。貴方と同じツヴェルフです。レオナルドの母親と言った方が分かりやすいかしら?」


 シルヴィさんのチョーカーを指を指そうか指すまいか悩んだ私の手の動きを見て、言いたい事を察されたようだ。

 その目つきも髪質も確かにレオナルドに似ていて、思わず「ああ……」と納得の声をあげる。


「……レオナルドはまだ来てないのですね。マリーさんとの話し合いに時間がかかってるのかしら……? まあそのうち来ると思うから、貴方はここでゆっくりしてらして」


 シルヴィさんはそう言うとまたクローゼットに手をかけた。淡黄色の手袋は女性が普段遣いする物にしては厚手のように見える。


「あの……シルヴィさんは今何をされてるんですか?」

「貴方がこの部屋を使うから、別の部屋に自分の荷物を移動させているのです」


 そうか、新しいツヴェルフが来たからそれまで住んでいたツヴェルフは部屋を出なきゃいけないのか――って、こんなに豪華な館なのだからツヴェルフの部屋が二部屋位あってもいいのに。


 ツヴェルフの事を思っているとか言っておきながら、こうやってところてん方式で次代を紡いだ後のツヴェルフを部屋から追い出すなんて、酷い。


「す、すみません……あの、私この部屋じゃなくても全然」


 妊娠したら地球に帰れない――子作り断固拒否する予定だから、わざわざこの部屋を明け渡されるのはかなり申し訳ない気持ちになる。


「いいのです。私はもうこの部屋にいる理由がありませんから。それにほら……浴室とトイレが隣接してないと不便でしょう?」


 同じ事をセリアにも言われた気がする。多分理由がないというのは暗にセックスレスだと言っているんだろう。久々の妖しい話題に心がどうしても引いてしまう。


「懐かしいわね……レオナルドがお腹にいた頃はつわりが重くて、トイレで何度吐いたか……ああ、ごめんなさい。汚い話をして恥ずかしいわ」


 私はシルヴィさんの優しさを卑猥な方向に結びつけてしまった自分が恥ずかしい。


「えっと、それじゃせめて私も荷運びを手伝……」

「結構です。自分の物は自分で扱うようにしていますから。貴方はゆっくり休んでいなさい」


 その言葉に強い意志を感じてそれ以上の言葉を失い、大人しくベッドに腰掛ける。


「気を悪くなさらないでね。私、この館にいる人達と私が産んだ子以外は信用してないの。でもどういう理由であれ、あの子の子を産む貴方には優しくしなければと思っています。聞きたい事があったら何でも聞きなさい。ミモザさんやロザリンドさん、マリーさんが貴方をどう思っているかは分からないけれど……あの方達も悪い方ではないから表面上は優しく接してくれると思うわ」

「あ、ありがとうございます……それじゃ早速なんですけど、この魔獣って」


 言いかけた所で足音が聞こえて、空いたドアの方を見ると目的の人物が入ってきた。


「ああ、アスカ様、目を覚まされたのですね」


 レオナルド――だけど、その衣服は今まで見てきた甲冑を纏った騎士スタイルではなく、筋肉にしっかりフィットしたタートルネックのノースリーブにズボンといったラフな姿で現れた。その姿に思わず目を見開く。


(えっ……筋肉すごっ……!!)


 いつも甲冑を纏ってて、ここまでハッキリレオナルドの体を目撃した事がないので、頭の中が筋肉の2文字で埋め尽くされる。


 あれだけ大きな剣を振り回すんだから、確かに筋肉はあって然るべきだけれど――ボディビルダーとは違う、必要な筋肉が必要なだけ鍛えられた格闘家のような筋肉に圧倒されて思わず腕、腹、胸、首のあたりまで瞬間的に見てしまう。


 それで顔が顔だ。こういう状況でなければ、というか写真とかだったらもうちょっと眺めてたいけれど、状況が状況だけに見続けていいものではない、と脳内でセーブがかかる。


「すみません、母上……荷物を運ぶのを手伝います」


 幸いレオナルドは私からすぐシルヴィさんの方に視線を移した。多分私が筋肉に圧倒されていた事には気づいていないはず、と思いたい。


「気にしないで。後はこれを運ぶだけだから。マリーさんとの話し合いはどうなったの?」

「アスカ様が出産されるまでの間、別邸にいた方がいいと伝えたのですが……私の事は気にしなくていいから、と断られてしまいました」


 既に出産後の事を考えている辺り、事態は大分危機迫っているようだ。しかもこの様子だと奥さん、私がいる間は館に残るらしい。すごく気まずい。


「マリーが私とツヴェルフが契る事を納得して妻となってくれたのは分かっているのですが、辛い思いをさせてしまわないか……」

「本人がいいって言っているのなら好きなようにさせてあげなさい。無理言って聞かせると段々蓄積していきます。私もマリーさんの様子は見ておきますから。それじゃあ2人とも、ごゆっくり」


 シルヴィさんはクローゼットを開けて2着服を持って部屋を出ていく。

 残されたのは私と、魔獣と、既婚者である事以外は非の打ち所がない眉目秀麗イケメン――


 胸がバクバク鳴っている。これはあれだ、イケメン俳優やアスリートのカッコいいショットを見て思わず胸がドキってなるような、そんな高鳴りに似ている。


 問題なのはテレビ越しや写真越しではなく、すぐ傍にその高鳴りの原因が存在している事だ。


 既婚者、不倫――さっきはその言葉で落ち着いたのに、二人きりという状況は落ち着かせてくれない。

 何でよ? ここでもチベットスナギツネになってよ!


 ああもう、拷問、凌辱、死刑の危機を乗り越えた後にまさかハニートラップがくるなんて、しかもそれにこんなに動揺するなんて――


 チラッとレオナルドの方を見ると、まっすぐにこっちを見ていたので咄嗟に顔を背ける。


(いやいやいや、無理無理無理、こんな人に抱きしめられたら惚れずにいられる自信がない……!!)


 駄目だ、駄目だ。別の事を想像しないと――筋肉、レオナルドの筋肉じゃなくて――


 そこでボワリと思い浮かんだのはダグラスさんの――を考えた時、また頭がカーッと熱くなって私は再びベットに倒れ込んだ。


「ア、アスカ様、大丈夫ですか……!?」


 誰か、この状況から私を助けて。


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