第174話 揺れる心・2
「……ダグラスさん!?」
倒れ込んだダグラスさんに慌てて駆け寄ろうとするより先にヨーゼフさんが抱える。
「アスカ様、ベッドかソファのどちらかを使わせて頂けますか?」
じゃあベッドに、と手で示すとヨーゼフさんは慣れた手付きでダグラスさんをベッドに寝かせて靴を脱がす。ダグラスさんよりずっと小柄なのにすごい力だ。
「……浮かせて運ばないのね?」
ふと思った疑問を呟くといつの間にか横に来ていたセリアが答える。
「恐らく、運べないのではないかと……色神を宿す公爵は魔法に対する抵抗力……抗魔の力も人並み外れていると聞いた事があります」
そう言えばヨーゼフさんが先日私にかけようとした浮かばされる魔法はナイフの防御壁で防げた。
ずっと見えない防御壁が張られてるみたいな感じかなと思っているとヨーゼフさんがこちらを振り返る。
「その通りです。眠りや毒などの魔法は余程の術の精度を上げた物でない限り主には効きません……なので、くれぐれも変な事を考えられぬようお願いします」
昨日黒の魔力で魔法が使えるようになった私を明らかに警戒しているような言い方をされる。
「分かってるわよ。それより……この人、今までにも倒れた事があるの?」
その質問にヨーゼフさんは僅かに天井を見上げて呟く。
「子どもの頃、研究等に熱中して一人勝手に倒れてる事は多々ありました。しかしこのように人前で倒れるなんて醜態を晒す事は一度たりともなく……自分が他人からどう見られるかなんてどうでも良くなる位、アスカ様の事が大切なのでしょう」
そう言うヨーゼフさんの目は何処と無く寂しそうに見えた。
「主は貴方を手篭めにしようと思えばすぐにでもできるのです……貴方に酷く罵られて尚、貴方がここに残っている事を喜ぶ主の気持ちを少しでも理解して頂けたらと思います」
確かに昨夜はそういう意味では結構危うかった。彼が私に魔法を使ったのは、私が彼から離れていく危険を感じたからだ。
もっと早くから私に対して魔法を使われていたらどうなっていたか分からない。結構どころか物凄く危ない橋だった。
まあ、あの様子じゃ何かする前に倒れてただろうけど。
「……主はしばらくすれば目を覚まされるでしょう。大丈夫かとは思いますが異変がありましたらお知らせ下さい」
ヨーゼフさんが退室した後、眠るダグラスさんを横目に手早く昼食を食べ終える。
「……セリア、ダグラスさんの事は私が見てるからしばらく席を外しててくれない?」
「あら、いかがなさいました?」
ダグラスさんが目覚めたら多分メアリーの話になってくるから聞かれたくないというのが本音だけどそんな事言えるはずもなく。
「仲直りする所、見られるの恥ずかしいのよ」
一瞬、セリアから(今更?)というオーラが出たような気がするけどすぐに浮かべられた微笑みにはぐらかされる。
「分かりました。今のうちに洗濯など色々済ませてきますね。あ、念の為に言っておきますけれど……以前抱かれそうな時は申告してくださいとは言いましたが、アスカ様の方から行く場合ももちろん申告してくださいね?」
コホッ、とベッドの方から咳き込む音が聞こえた。
「セリア……何を言ってるのかよく分からないんだけど?」
「分からないならよろしいです。では、失礼致します……くれぐれもお二方、私が傍にいない時に事に及ばないでくださいね? 本当、疎いように見えて油断も隙もないんですから……」
食べ終えた食器をサービスワゴンに乗せてセリアが退室する。
ドアが閉まる直前に死んだ目でブツブツと呟くセリアにちょっと引きつつ、ダグラスさんの方を向く。
ダグラスさんのすぐ近くに腰掛けてまじまじと顔を見下ろす。艷やかな髪。顔がほんのり赤い。ほんの僅かに瞼が震えている。
(寝たフリしてる……?)
先程の咳込みで起きてる? と思ったけど、寝たフリしてるなら――ちょっとした好奇心が湧き上がり、少しだけ前髪に触れる。
サラサラじゃなく、少しゴワッとした硬い髪質。だけど触り心地は不思議と良い。
(本当、黙ってればカッコいいのに……まあ、使う言葉にさえ気をつけてくれれば喋っても別に、悪くないけど……声だって、結構良い声してるし……)
そのまま何となく触り続けているとダグラスさんの頬がどんどん赤に染まり、口元も少し震えだす。
そこまできてこの人が狸寝入りから起きるタイミングが掴めないのだいう事に気づく。
「ダグラスさん、起きてるんでしょ?」
そう呼びかけると、彼は目を見開いて咄嗟に身を起こす。
「あ、飛鳥さん、私が起きているのに気づいてて、こんな、大胆な事を……!? まさか、他の男にもこんな……!?」
「してません。この世界ではダグラスさんにだけです」
嘘を付きたくないからあえて『この世界では』を付け足したけどダグラスさんはそこを追求してくる事はなく。
「そ、そうですか……いえ、別に、今後私だけにする、というのであれば、過去に飛鳥さんがどんな男の髪を触っていようと、私は、気にしないので……」
そこは少し位気にしてくれた方が嬉しいんですけど――なんて言ってもこの人にはその辺の塩梅が全然分からなそうだし彼氏――ああもう、フラれてるんだし元彼でいいや――に過度な殺意持たれても困るし。
それに下手すると『簡単に心に男を入れる女』と結び付けられて『過去の男を持ち出して男を翻弄する女』になりかねない。
「ダグラスさん……体調、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です……お恥ずかしい所をお見せしました……」
その言葉を最後に沈黙が流れる。言いたい事は有るのだけどそれを言ってまたややこしい展開になる位ならもう少し別の話をしたい。
(でもこの状況で突然別の話題を出すと変に思われるしな……何かとっかかりになるような話題……)
「飛鳥さん……怒ってないんですか?」
考えている内にダグラスさんの方から聞かれる。その少し言いづらそうな表情は私と同じ事を考えていたのだろうかと思わせる。
「……それはこっちの台詞です。昨日私、あれだけの事をしたんですよ? 貴方を騙してその上、酷い事も言いました。ダグラスさんこそ何で怒らないんです……? また、誰かの魂を使ってるんですか?」
「いいえ……使っていません。目覚めた時、貴方がまだここにいるかどうか確認する事に必死で……貴方がここに残っていてくれた事が嬉しくて……怒りの感情など、何処にも……」
伏し目がちに呟く健気で報われない男の姿に、胸が高鳴る。
「……前にも言いましたが、私は貴方と傷つけあう関係にはなりたくない。また言い合いになるのは嫌です。貴方にだけは嫌われたくないんです」
直視すると魅了されてしまいそうな位に切実に呟く姿から少し視線を落として聞く事に集中する。
今重要なのは見る事じゃない。ちゃんとお互いの話を聞き合う事だ。
「……飛鳥さんが死霊術を使うなと言うなら、もう使いません。魂にも手を出しません。そもそも人を殺すなと言うなら極力殺生を避けるようにします。当家の収益は私の魔物討伐が半分を占めているので魔物を殺さない訳にはいきませんが、他家の討伐を代行しないようにして回数を減らすよう努力します……」
死霊術を使わない、魂に手を出さない、人を殺さない――彼から紡ぎ出されていく言葉に、希望を感じる自分がいた。
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