第69話 初めての「友人」
クラウスが言った言葉の意図が読めなくて、続く言葉を待つ。
「アスカは僕の初めて出来た、その……友人、だから。何もかも無かった事にされたら、流石に寂しいよ」
「……友人?」
「ほら、僕が起きていられるのって午前中だけだから、学校には行けなくて……家庭教師付けられてこの家から殆ど出る事無く過ごしてきたから。友人って言えるような人、いなかったんだ。アスカは……友人としての『好き』でも嫌かな?」
思いがけない言葉に肩の力が抜ける。初めての友人、という言葉にちょっと重圧を感じなくもないけど、拒む理由はない。小さく首を横に振る。
「私もそういう意味ではクラウスの事好きだし、全然嫌じゃないわ。まあ友人、って言うには私、貴方に頼りまくってて何も返せてない所が辛いけど……」
「……アスカはこの世界にいる間、僕の友人でいてくれればそれでいいよ」
そう言われても――何かクラウスに少しでも恩返しできないものだろうか? 友人だからこそ、色々助けてもらってるのに何も返さない人間でいたくない。
(となると、やっぱり料理かなぁ……恩返しって言える程の物を作れる訳じゃないんだけど……)
転送してもらった食材は調味料以外使い切ってしまったから、何か作るなら厨房から食材を少し分けてもらう事になるかな――と考えているとドアをノックする音が響く。
クラウスが入るように促すと、さっきのメイドが朝食とタオル、衣服を白のサービスワゴンに乗せて運んできた。
メイドはテーブルの近くまでワゴンを運び終えた後、頭を下げて退室する。
「先に顔を拭くと良い」
クラウスに促されて濡れタオルで顔全体と拭うと、先にハンカチで拭ってるはずなのにベッタリと血が付いている。
今は傷が癒えてるとはいえ、今までかなり酷い状態の顔をクラウスに見せてしまってたんじゃないだろうか?
しかも治療される時に情けない事に涙まで流した。また見苦しい物を見せてしまった――なんて凹んだらクラウスにまた気を使わせてしまう。
丁寧に顔を拭い、血が付かなくなった事を確認してから乾いたタオルで水分をふき取る。
「ハンカチとタオル、汚しちゃってごめん」
使い終えたタオルを重ねてサービスワゴンの上に置いた後、その事だけ謝るとクラウスは首を小さく横に振り、テーブルの上に静かに1食分の朝食を置く。
「朝食、2食分って言うの忘れてたからこれはアスカが食べるといいよ。僕は後で適当に食べるから」
そう言われたからお言葉に甘えて頂いたけど、パン1つにスープに申し訳程度のサラダ――味は申し分ないけれど、この豪邸の当主が食べる朝食にしては質素過ぎないだろうか?
早々と朝食を食べきってしまい、あらぬ予感ばかりが頭をよぎりクラウスを見つめる。
「あの、クラウス……貴方、ここの人にイジメられたりしてない? 大丈夫?」
「何で?」
「だって、この食事の量……それに、いつも部屋で一人で食べてるの?」
この部屋で一人でこの食事を食べているクラウスを想像したら、どうしようもない寂しさが心に渦巻く。
そもそも、当主が帰ってきてるのに従者やメイドが誰一人出迎えに来ないのはおかしくないだろうか? 私ですら皇城にいる時はセリアが授業中以外朝から晩まで付きっきりでいてくれるのに。
さっきのメイドだってクラウスが声をかけたから対応しただけだ。そして今も用事を終えたらさっさと出て行った。
(もし、私にとってのセリアがクラウスにとってのエレンだったとしたら……)
何で馬鹿にされた側の私がここまで気を使ってるんだろう? って気持ちもあるけど――クラウスの立場を考えるとただただ胸が痛む。
「量はその位が丁度いいし、普段は鳥がうるさいけど大きな部屋で一人で食べるよりはマシだし……何? 僕の事心配してくれてるの?」
私の複雑な心境をよそに、クラウスは肩を震わせて微笑む。
「そりゃ心配するわよ。友人なんだから」
「……ありがとう。治療も終わったから馬車の手配してくるね。アスカはその間に着替えておいて。汚れた服はそこに置いておいて。繕わせて綺麗にしてから返すから」
そう言うとクラウスは立ち上がり、ドアの前で思い出したように振り返る。
「大丈夫、御者はエレン以外に頼むから。もう二度とアイツをアスカには近づけないから……安心して?」
エレンに対する冷たい言い方にまた胸が痛んだけど――私が言葉をかけるより先にクラウスは部屋から出て行った。
用意された着替えはご丁寧にメイドの定番の頭のフリルが付いたカチューシャまで添えられていた。
流石にこれとエプロンを付けるのは気恥ずかしく、薄灰のワンピースだけ身に纏いクラウスを待つけど、なかなか来ない。
何となくピィちゃんを見つめてみる。目を閉じた灰色の雛は全く動かない。
もしかして、死んでるんじゃ――と怖くなって近づいてよくよく見てみると呼吸に合わせて微かに上下していたのでホッと胸をなでおろし、改めてカチューシャとエプロンを見やる。
(ちょっとだけ……付けてみようかしら?)
多分似合わないと思う。でも身に着けたらどんな感じになるのか――ちょっと興味が出てきてしまった。
まずエプロンを装着する。付けてみるとなかなか可愛くてちょっとだけテンションが上がる。
そしてカチューシャを手に取り、姿見の前に立ってセットしてみる。
(うーん、やっぱり微妙……)
初めて付ける事、カチューシャ自体つけるのに慣れてない事もあるんだろうけど、やはりこういうのは身に着ける人を選ぶんだろう。
エプロンも姿見で見るとやはり違和感がある。
一つため息をついてカチューシャを外し、置いてあった場所に戻そうと振り返るとクラウスが立っていた。
「外すの? 悪くなかったと思うけど」
ちょっと意地悪な微笑みに見えるのは、気のせいじゃない気がする。
『似合ってたのに』じゃなくて『悪くなかった』――つまり良くもなかったという事だ。
客観的にも微妙という判定を下された事実に軽くため息をついて、
「クラウスには見られたくない所ばかり見られるわね……」
「記念に1枚、写真撮っておけばよかった」
「そう言えば……この世界ではどうやって写真を取ってるの?」
私の問いかけにクラウスは机の引き出しから手の平位の銀色の板を取り出した。3~4センチ位の厚みのそれは、中央に灰色の石がはめ込まれている。
クラウスはそれを私に向けると、一瞬、灰色の石が輝く。
そして銀色の板から少しだけ飛び出した紙のような物をクラウスが抜き取ると、私の方に向けてきた。
それには不思議そうな顔をしているメイド姿の私がモノクロで映っていた。
「この
「へぇ……!」
この世界のインスタントカメラのような存在と印刷事情に関心の声を上げると、クラウスは満足そうに写板と写真を机の引き出しにしまい込んだ。
「じゃあ、そろそろ行こうか?」
クラウスに促されて部屋を出て、準備された白馬車に乗り込む。
クラウスが言った通り、馬車に着くまでエレンには会わなかったし御者もエレンじゃなかった。
ただここに来るまでにすれ違ったこの家の従者達の態度が少し気にかかった。
まるで腫れ物に触るかのような、少し恐れているような、そんな態度が。
先程朝食や服を持ってきてくれたメイドはそんな感じしなかったのに――私がクラウスを待っている間に何かあったのだろうかと思わざるをえない。
「明日からは朝食も2人分手配するし、すぐ弓の訓練ができるよう準備しておくね。後、何をしておけばいいかな? 剣の訓練も一応準備しておく?」
クラウスは一切そういう陰りを見せずに明日の事を考えてくれている。
「ねぇ、クラウス……貴方本当にいいの?」
「何が?」
「色々協力してくれるのはすごく助かるんだけど……」
私は、このまま彼に頼り続けてもいいのだろうか?
「……まだ、男を利用してる、って思われたくない?」
今の心配事はそっちの事じゃなかったんだけど、その問いに違う、とも言えない。私の沈黙をクラウスは肯定と捉えたようで小さくため息をつかれる。
「アスカ……仮に君が男だとして、大嫌いな男に襲われそうになっててこっちに助けを求めてきた女性を助けた後『男に媚び売って助けてもらうなんて! さっさと襲われてしまえばいいのに!』って言ってきた女をどう思う?」
「頭おかしいと思うわ」
「僕もそう思うよ。そんな頭おかしい人間に何を言ったって無駄だし、何言われても気にしなくていいんだよ。婚約者? ツヴェルフ? 公爵? そんなの関係ない。大嫌いな人間から逃げるのは人として当たり前の事なんだから」
大嫌いな人間――クラウスがダグラスさんを蛇蝎の如く嫌う事に対しては口出す事ではないと思うけれど。私は別に、あの人の事が大嫌いという訳じゃ――
「ただ、公爵に対抗できるのは皇帝や皇太子、公爵しかいない……その中で君に協力してくれる人間なんてまず僕しかいない。だからアスカは僕を利用するしかないんだ。その事実は受け入れないと今後アスカ自身が辛くなるよ?」
「でも……クラウスは大丈夫なの? 私達の為にそこまでして……私達を地球に返した後、大変じゃない? さっきだって、私のせいでエレンと仲違いして……」
これから先、クラウスと関われば関わる程、クラウスを追い詰めていくような気がする。
私達がこの星を去ったら協力してくれたクラウスはせっかくのツヴェルフを逃がしたと責められる事になる可能性が高い。
それなのに、彼の心強い味方だっただろう人との絆を私が歪めてしまった。さっきの従者達の態度だって私が原因なんじゃ――
「……アスカって、自意識過剰だよね」
「え?」
ストレートな悪口に顔が上げると、クラウスは不機嫌な表情を浮かべて窓の向こうを見据えている。
「エレンの事は元々僕自身思う所があった。今日それが決定的になったってだけだからアスカが気に病む必要は一切ないよ。何でも自分のせいだと思い込まないで。面倒臭い」
「め、面倒臭いって……!」
人が心配しているのに、そんな言い方――と言おうとした時、
「僕の事は大丈夫。僕はこれから先、他人が何と言おうとアスカに最後まで協力する。だから、アスカも他人に何を言われても僕の協力を拒んだりしないでほしい」
力強い言葉と共に、私に視線を戻し微笑むその表情からは固い決意を感じる。
その迷いの無い目は、迷ってばかりの私には眩しすぎて。
クラウスに比べて、他人の心無い言葉に感情を揺さぶられたり過去の自分の行動に思い悩んだりする私はなんて未熟なんだろう?
窓の向こうの移り行く景色を見ながら、自分の覚悟の甘さを反省した。
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