第126話 交換日記・1
クラウスに拒絶された日から2日経ったけど、向こうからは何の反応も無い。
もしソフィアがフォローできていたら何か反応があるはず。それも何もないという事はフォローの仕様がない程クラウスを傷つけてしまった、という事だろうか?
フォローできなかったらできなかったで連絡があってもいいはずなんだけど、私宛てには誰からの便りも無い。
嵐が過ぎてなお薄暗い空を見上げた後、12時を少し過ぎた時計の長針を見据えながら一つため息をつく。
どうすればクラウスの誤解を解けるのか、謝れるのか――考えてみてもなかなか良い案が思いつかない。
音石にしても手紙にしてもダンビュライト家に送ったらまた状況が悪化する可能性が高い。
となると、送れる相手は優里あるいはアンナだけだけどこの世界に残ると決めているアンナを巻き込みたくはないと考えると自然と優里に限られる。
(優里と皇城で会う時に、クラウスにも来てもらえたら……そこで謝る事が出来たら……)
あんな別れ方をして来てもらえるかどうか分からない。会う事まで考えずに感謝と謝罪の言葉だけでも優里を通して伝える事が出来ればいいんだけど、問題は――
「アスカ様、ついに反公爵派の大元を捉える事が出来たそうです!」
あれこれ考えてる間にセリアがやってくる。
嬉しそうに持っていた新聞を手渡してきたので眼鏡をかけて読み込むと<ジェダイト侯検挙>の字が大きく飛び込んできた。
「こ……侯爵だったの!? 何で? 侯爵ってツヴェルフの恩恵受けてる一族でしょ……!?」
神器と色神の加護を受ける公爵家程ではないけど侯爵家はその魔力の色と関係が深い特殊な魔道具を代々受け継いでいる――ツヴェルフを殺しても良い事なんて無いはず。
「さあ……? 緑の家系が何を考えてるのかなんて考えても仕方ない所がありますから……そんな事よりアスカ様、ダグラス様へのお礼はどうしましょう?」
「お、お礼……?」
反公爵派の動機には一切興味が無いと言わんばかりにセリアは笑顔で両手を組み、言葉を重ねた。
「反公爵派を検挙したのはダグラス様です。ダグラス様が反公爵派を検挙したのはアスカ様の為……そう考えると何かお祝いなり、お礼なりするべきだと思います」
(確かに……反公爵派が検挙されたって事は皆の命が狙われる危険がグッと減ったという事。お礼はしたい)
「私思うのですけど、以前露店通りで購入されたというブローチ……あれが丁度良いと思います。『喧嘩してしまって渡しそびれてしまったけど……』と渡したらダグラス様、すごく喜んでくれると思いますよ」
セリアに促されて私物を入れたままの箱の中から黒いケースを取り出す。
開くと銀と黒い宝石で作られたペイシュヴァルツのブローチが煌めいている。丁度いいと言えば、丁度良いものなんだろう。
「でも……これはクラウスのお金で買ったものだから。彼に嫌われた今、これを渡すのは違う」
ダグラスさんにあげる前提で買った物ではある。それはクラウスも了承済みだ。でも今の状況でこれを渡すにはあまりに良心が咎める。
「アスカ様がダグラス様に贈ろうとしたクッキーと交換して買ってもらった物なら、それはアスカ様の物ですし、ダグラス様がもらうべき物です。何も気になさる必要はありません」
「……私が、嫌なの」
何で、どうして、と綺麗に説明できる感情じゃない。ただ、これを送ってしまったら自分が嫌いになってしまいそうで。
「そうですか……」
セリアは残念そうではあるもののそれ以上言葉を紡ぐ事は無く、廊下に置いてあったらしきサービスワゴンを押して昼食を並べだした。
「昼食を食べ終えた後、ダグラス様がアスカ様にお渡ししたい物があるので執務室に来てほしいとのことです。」
昼食を食べている時にそう言われ、食べ終えた皿などを載せたワゴンと共に部屋を出る。
階段で宙に浮かんで降りるワゴンを見て(地球に帰った時にこういう魔法が使えたら便利だろうな……)としみじみ思うけど、魔力を注いでもらわないと魔法が使えない私がこの魔法が使える日は来ないだろうなと思う。
(もう白の魔力を望めない以上、今ある白の魔力を減らしたくないし……)
魔道具を使用する際は白の魔力を使ってもいいと言われてるけど、自分の中にある白の魔力を減らしたくない――そう思ってできるだけ黒の魔力を使っている。
しかし使用する度に強めの静電気が生じる痛みと小さな傷がついていく指先が気にかかり、左手で魔道具に触れてみたら痛みや傷が多少マシになった感じがして、それ以降は左手で触れるようにしている。
ただ、私の中にある黒の魔力は白の魔力より少ない。白の魔力に手を出す前に黒の魔力を注いでもらうべきだろうか? でも、それって、つまり――
悩んでいる内に食堂にワゴンを返し、執務室に到着する。セリアがノックし向こうから応答の合図を聞こえるとセリアは躊躇なく扉を開いた。
「飛鳥さん……ご機嫌いかがですか?」
執務室の机は以前とは違う本や書類が両脇に積まれている。両肘ついて両手を組んだダグラスさんは優しい笑顔を浮かべて私を見上げている。
「元気です。今日の昼食も美味しかったし……」
「そうですか。それは良かった」
ニコ、と口角を上げて微笑むその笑顔を直視できず視線を机の表面に向ける。この人の仕草にキュンとくる度に頭の中で警鐘が鳴る。
甘みと苦みが入り混じったこの感覚が、苦しい。
「実は……反公爵派の対応も終わり時間に余裕ができたので、そろそろ飛鳥さんの故郷……地球について学ぼうと思いまして。地球の資料や地球出身のツヴェルフの文献を調べていたんですが……」
(ヤバい……嘘がバレた……!?)
予想外の発言にこれまで言ってきた自分の出鱈目を脳内で引っ張り出す。
好きな人の人払いと餌付け――今の所、地球にないルールを作り出した嘘は2つのはず。
(……どちらも完全に嘘とは言いきれない。これは私の周囲ではそうでした、でゴリ押しすれば……)
「男女の交際の初歩は唄を送りあったり、手紙や交換日記から始まるという一文がありまして……私は唄や詩の才能が無く、気の利いた事も言えないので交換日記でいきたいと考え、こちらを用意させて頂いたのですが……飛鳥さんはいかがですか?」
そう言って取り出されたのは、A5サイズ位の黒い革製の手帳。
その発想に言及したい気持ちはあったけど、呼び出されたのが嘘の追求ではなく交換日記の提案だった事に全身の力が抜けていく。
「え、ええ……私も唄を送りあうよりは交換日記の方が良いですけど……」
唄が俳句や短歌の事だとしたら一体この世界はいつ頃から地球から人を召喚してるんだろう? と思いつつ、ダグラスさんが無難な方を選択をしてくれた事に感謝する。
「良かった……地球の一夫一妻の関係はお互いの愛と信頼により成り立つ、と記載されていました。私と飛鳥さんの間には、愛はあれど信頼が無い……貴方は私がまた裏切る事を恐れている。反公爵派を片付けた事で少しは私の事を信頼してもらえたと思いますが、更に信頼を重ねる為にはお互いの事をよく知る事が大事だと思うのです」
スラスラと紡がれたその言葉で、一つの疑問が確信へと変わる。
(やっぱりセリア、ダグラスさんに私の言葉チクってる……)
どの程度のチクりかは読めない。ヨーゼフさんは私が白の魔力を溜めようとしている事を知らなかった。
多分私が言ってる事を全部チクってる訳ではない。私達を上手くいかせようとするのは好意か、画策か――
「セックスの際、私は飛鳥さんが何をしてこようと対処できる自信と術がありますが、飛鳥さんにはその術がない……そんな状態で私に体を預けるのは怖いでしょう?」
「……え?」
考えている最中に投げかけられた意外過ぎる言葉に一瞬耳を疑う。
「よく知らない人間からいくら大丈夫と言われても不安でしょうし……私がどういう人物か分かれば少しは安心してもらえるかと。まずは交換日記や普段の会話で親交を深め、その後外出等で2人きりの時間を過ごしたり、軽い接触で黒の魔力にも少しずつ慣れてもらって……あの、あまり、今の飛鳥さんに性的な事を言いたくないのですが……体の関係は、2カ月半後位に持てたらと考えています。それまでは手を出さないので安心してください」
「2カ月半……?」
「あ、飛鳥さんが半月ほど前、馬車の中で、3カ月程心休まる時間が欲しい……と仰られていたので……み、短いですか?」
中途半端な期日を思わず復唱すると、ダグラスさんが少し慌てたように言葉を重ねる。全然短くはない。後2週間強で帰るから。むしろ――
「そんなに……待てるんですか?」
「私は3カ月待つ、と言ったと思うのですが……? いくら仲直りして心の傷を癒したからといって、すぐに子づくりを、とは思っていません。子づくりだけの関係なら多少強引な手段も考えましたが恋人相手にそれをしてしまったら……それはもう、恋人とは言えないでしょう?」
願っても無い展開のはずなのに、心が激しく軋む。
私はこの人にいつ襲われるかも分からないと焦っていた。白の魔力が無いとマナアレルギーが起きる。
この人がいないと精神安定できなくなるのは嫌だと、とにかく自分の身を守る事を考えた。
でも、この人は――ちゃんと私の気持ちを考えてくれていた。
私は自分の事しか考えていなかった。だからクラウスを傷つけてしまった。彼の事を考えられていれば、あの時もっと別の言葉を出せたはずなのに。
この人は私の話を聞いてくれていたのに。クラウスだって私の事を考えてくれていたのに。私は――
「あ……! もし飛鳥さんがもっと早い方が良いと言うのであれば、い、いつでも……いえ、流石に今日は私も心構えができていませんので、明日にでも……!」
「いいえ! 是非2カ月半後でお願いします……!!」
反省と後悔、自己嫌悪で頭がいっぱいになる中、慌てて立ち上がり狼狽える彼の申し出を即座に断る事で私は再び現実に引き戻された。
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