異世界の乙女たちは、社長と一緒に笑っていたい

来栖薫人

第一章 黒い瞳と黒い髪

 いつもと違う、夢を見た。


 ランプの灯火に揺れる影。

 母の言葉と、その微笑み。

 父の言葉と、その微笑み。


 悲しい出来事のはずなのに、それはとても穏やかで、とても厳かな光景に見えた。

 幼い胸に刻まれた、一生忘れることのないであろう光景。


「お父様……お母様……」


 夢と現実の狭間でつぶやいて、女は静かに目を開けた。草の匂いに刺激されて、女が現実に戻っていく。

 その意識が、急速に覚醒していった。


「こんな風に目が覚めたの、久し振りだったのに」


 ちょっと残念そうな顔をした後、女は立ち上がる。そして、丘の下を通る街道を見下ろした。


 西から東へ、小規模な商隊が移動している。

 その行く手に、弱々しい朝陽を浴びてうごめく、不気味な群があった。


「魔物だ!」


 護衛の一人が叫ぶ。その声で商隊は止まり、武装した数人の男たちが前に出た。


「動きは悪くない」


 素早い対応に感心した女は、しかしその視線を不気味な群に向けて、眉間にしわを寄せる。


「だが、少し数が多い」


 ここは早朝の裏街道。ほかの商隊や冒険者が通る可能性は低い。

 つまり、応援は来ない。


「仕方がない、行くか」


 仕方がないと言いながら、しかし女は嫌な顔をしている訳ではなかった。

 長い髪を素早く後ろで束ね、細身の剣を手にしながら、女は神経を集中させていく。


「ほかに魔物は……」


 女は、研ぎ澄まされた感覚で周囲を探った。索敵魔法のように、魔力を感知しているのではない。戦いの中で身に付けた、まさに感覚で女は周囲を確認していった。

 その感覚が捉えた。左手にある森の中を、何かがゆっくりと移動している。

 女が視線を向けたその先の、森と草原の境目に、やがてそれは姿を現した。


「女の子!?」


 思わず女が声を上げた。

 森から出てきた女の子は、立ち止まって辺りの様子を窺っている。

 一瞬迷った女は、しかしその普通ではない様子を見ると、少女に向かって駆け出した。


 草を蹴って女は走る。その気配を感じたのか、少女がこちらに顔を向けた。


「こんなところで何をしてるんだ?」


 少女に駆け寄った女が、少し早口で聞いた。突然現れた女に、少女は驚いて目を見開いている。

 年は六、七才か? くりくりとした大きな目に可愛らしい顔立ち。これで上品な服でも着ていれば、どこかの金持ちの娘だと言っても通るかもしれない。

 だが、その可愛らしい顔も、そして手足もひどく汚れていて、さらには服があちこち破れていた。ケガをしている様子はなく、疲れ切っているという訳でもないようだったが、とてもこのまま放っておける状態ではない。


「誰かと一緒なのか?」


 少しトーンを落とした女の声に、少女はようやく、首を横に振った。


「一人で来たのか?」


 今度は、首を縦に振る。


 ここはイルカナ王国南東の外れ。東に行けばカサール王国、南の森と山を越えれば、エルドア王国だ。

 近くに町などない。少女が一人で来られるような場所ではなかった。


「どこから来たんだ?」


 女はこの地方の出身ではない。自分の知らない小さな村が、じつは近くにあるのかもしれなかった。

 来た方角が分かれば、少女を送り届けることができるかもしれない。

 そう考えた女が、少女の指さす方向を見て、黙り込む。


 少女の指は、南を指していた。

 見渡す限りの深い森。その向こうにそびえる国境の山々。


「あっちから来たのか?」


 こくり


 少女がはっきりと頷く。青白い顔をした少女は、黙ったまま女を見つめていた。


「畜生、数が多過ぎる!」


 風に乗って叫び声が聞こえてきた。


 女が再び周囲を探る。

 少なくとも、この近くには危険な気配を感じなかった。


「ここでじっとしていろ。すぐ戻るから」


 そう言って女は、少女の頬に手を当てた。


「!」


 瞬間、女は手を離してしまう。


 この子……


「馬車を下げろ、突破されるぞ!」


 悲痛な叫びで、女は我に返った。


「いいか、ここにいるんだぞ」


 もう一度少女に言って、女は全速力で戦いの場へと向かっていった。



「くそっ、ついてねぇ!」


 槍を振るいながら、リーダーの男が吐き出した。

 裏街道とは言え、ここはイルカナ国内。魔物の掃討は定期的に行われていて、街道沿いに大規模な群はいないはずだと護衛の男たちは踏んでいた。

 それなのに。


「五十は多過ぎだろ!」


 相手はゴブリン。低ランクの冒険者でも狩れる低級の魔物だ。

 たしかに群を作る習性はあるが、普通は多くても二十体程度。それが、よりにもよって五十体。

 対する男たちは五人。しかも、ただ戦うのではない。商隊を守りながら戦うのだ。分が悪すぎた。


「ぐわっ!」


 仲間の一人がゴブリンの棍棒をまともに食らった。剣を落として右腕を押さえる仲間にリーダーが叫ぶ。


「下がってポーション飲んでこい!」


 リーダーは治癒魔法が使えたが、今ここで呪文を唱えている余裕はない。

 続けて後ろに怒鳴った。


「魔法の援護足りねぇぞ!」

「無茶言わないでくださいよ!」


 即座に悲鳴が返ってくる。

 リーダーにも分かっていた。うちの魔術師がサボってる訳じゃない。相手が多過ぎるのだ。


 四人で作っていた防衛ラインが手薄になった。ゴブリンたちの勢いが増す。


「馬車を下げろ、突破されるぞ!」


 リーダーが再び後ろに向かって叫んだ。

 囲まれたら終わりだ。馬車と防衛ラインを下げながら戦うしかなかった。

 だが。


「ぎゃあ!」


 また一人やられた。

 倒れ込む仲間にゴブリンが群がる。


 終わったな……


 リーダーの心が、折れた。

 前衛二人でどうにかなる状況ではない。生き残りたいのなら、商隊を捨てて逃げるのが妥当。

 だが、リーダーは逃げることができなかった。

 責任感なのか、性格なのか。迷ったのは短い時間。

 明確な理由も分からないまま、リーダーは、死を選んだ。


「命を張るにしちゃあ、安い仕事だったなぁ」


 ぽつりとつぶやく。

 魔法の援護も止まった。力尽きたか逃げ出したかのどちらかだろう。

 リーダーが、自嘲気味に笑って目を閉じた。


 と、突然。


「なんだあいつは!?」


 後ろから魔術師の声がした。

 我に返ったリーダーが、振り下ろされる棍棒を慌てて避ける。

 そして、右手の丘を見た。


「なんだ、あいつは?」


 魔術師と同じことを言いながら、その目を大きく見開く。


 そこには、女がいた。


 艶やかな黒髪をなびかせて、女は走る。

 見たことのない細身の剣を抜いて、女は走る。


 そして女は、魔物の群に飛び込んだ。


「バカな!」


 思わずリーダーが叫んだ。


 無茶だ! 無謀だ!


 ゴブリンはまだ三十体以上残っている。たった一人でどうにかなる数ではない。

 理解できないその行動に唖然とするリーダーが、今度は信じられない光景を見た。


 女の剣が、一太刀で二体のゴブリンを両断する。その二体が地面に倒れるより早く、真横のゴブリンの首が飛んだ。

 真後ろから振り下ろされる棍棒を”まったく見ることなく”かわした女が、後ろに構わず前に出る。細身の剣が、一振りで三体のゴブリンを屠った。


 六体。

 一瞬の間に、女は六体のゴブリンを魔石に変えていた。


「なんだ、あいつは?」


 それしか言えないリーダーの目の前で、女が魔物を圧倒していく。

 それは、よくできた芝居を見ているかのようだった。


 流れるように、女が剣を振る。わざとそうされているかのようにゴブリンが斬られていく。

 危うさの欠片も感じない。

 観客を魅了する、完璧なまでの殺陣。


 ゴブリンたちは混乱を極めている。突然現れた強敵に動揺して、右往左往していた。


「くそっ、何やってんだ俺は!」


 停止していた頭と体に、リーダーが渇を入れた。


「ぼけっと見てんじゃねぇ! 俺たちも戦うぞ!」

「お、おおっ!」


 同じく止まっていた仲間も動き出した。

 もはや趨勢は決まっている。ゴブリンたちは総崩れだ。

 ほとんどのゴブリンを女が、数体を男たちが倒し、わずかに残ったゴブリンたちは逃げ去っていった。



「ふぅ」


 女が小さく息を吐いて、剣を鞘に納める。

 あれだけの戦いの後だというのに、肩で息をするでもなく、女は静かにそこに立っていた。


「すまない、助かった」


 歩み寄ったリーダーが、声を掛ける。


「えっと、あの……」


 そのままリーダーは、動かなくなった。


 後ろに束ねた艶やかな黒髪と、吸い込まれそうな黒い瞳。それらが整った顔立ちを一層引き立てている。

 均整の取れたプロポーションと真っ白い肌。

 細身の剣を腰に差し、凛として、女はそこに立つ。


 美しかった。

 鮮やかなまでに、女は美しかった。


「仲間の皆さんは大丈夫でしたか?」

「あ、ああ」


 女の声で、リーダーの目が覚めた。


「あんたのおかげで、死人は出ていない」


 ゴブリンの攻撃は、一撃で致命傷に至ることはまずない。

 地面に倒れてゴブリンに囲まれた仲間も、どうにか命は取り留めていた。


「それはよかった」


 そう言って、女が微笑む。リーダーが、また動かなくなった。

 そこに、商人の一人がやってくる。


「本当に助かりました。ありがとうございました」


 さすがに商人だけあって、女の美しさを目の当たりにしても固まるようなことはない。


「お礼に何か……」


 その時。


 くぅぅぅ


 女のお腹がかわいい音を立てた。途端に女の顔が真っ赤に染まる。

 その姿には、商人でさえも耐えられなかった。商人も、動かなくなった。


「す、すみません。まだ朝ご飯を食べていなかったので」


 小さな声に、リーダーと商人は心の中で叫んだ。


 最高だ!


 熱い視線を送る二人を、女はまともに見ることができない。

 視線をそらし、うつむきながら女が言った。


「あの……もしよろしければ、パンをいくつか分けていただけないでしょうか」


 男たちが、前のめりになりながら全力で頷いた。


「もちろんです!」



 パンを分けてもらい、そそくさとその場を離れた女は、急いで少女のもとへと向かった。


「なんであんな時に」


 恥ずかしさをこらえて、女は丘を登っていく。

 そして女は立ち止まった。


 少女はいなかった。

 見える範囲にも、気配を探れる範囲にも少女はいない。


「あの子……」


 深い森と、その先にそびえる山々を見ながら、しばらくの間、女はその場に佇んでいた。

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