空へ
公爵邸での実験結果をもとに、作戦計画は最終決定された。
漆黒の獣が先行して出発し、フェリシアたちの休憩地点を確保しながら、十日でセルセタの花の洞窟に到着。
フェリシアたちは、漆黒の獣が出発してから九日目の夜明けに出発だ。
一時間ごとに休憩を取りながら、日が暮れるまで飛び続ける。
これを二日と半日続け、洞窟で漆黒の獣本隊と合流。
三人が到着次第、すぐさまグレートウィルムを倒してセルセタの花を入手。花を煎じてロイに飲ませる。
日程に余裕はまったくないが、やむを得なかった。ロイが余命三ヶ月と宣告されてから、すでに一ヶ月が経過している。
まさにぎりぎりの中で作戦は進められていった。
作戦決定の後、漆黒の獣は速やかに準備を済ませて出発していった。
フェリシアはフライの精度向上を、ミアは魔力制御の特訓をしながら自分たちの出発日を待った。
そんなある日。
「やっぱりあなたは凄いわね」
特訓から戻ってきたミアに、フローラが言った。
「何が?」
コップの水を一気に飲み干して、ミアが聞き返す。
「夢中になった時の、あなたの集中力のことよ」
ミアが参加する作戦の詳細は、シスターたちにも伏せられていた。大事な仕事を任されたとだけ伝えられている。
ただフローラにだけは、ミアは内緒で話をしていた。
院長の配慮で、教会でのミアの仕事はだいぶ減っている。
できた時間のすべてと自由時間のすべて、そして睡眠時間の一部をミアは特訓に充てていた。
「子供の頃、あなたが治癒魔法の練習をしていた時を思い出すわ」
フローラが懐かしそうに言う。
「そうかもね」
言われてミアも、昔のことを思い出していた。
亡くなった前の院長からヒールの呪文と魔法を発動するコツを教わったミアは、その日から夢中で魔法の練習をした。シスターたちは、ミアのことだからすぐに飽きるだろうと、半ば冷めた目で見ていたものだ。
だがミアは、飽きるどころか、何日経っても、何ヶ月経っても練習を止めなかった。
呪文は完璧に覚えてしまい、詠唱などしない。ケガを治すイメージを思い浮かべ、自分の中の魔力を感じ、それを引き出して高めていく。
孤児院の子供たちは、毎日誰かしらがケガをしていた。実験台には事欠かない。
呆れるほどの根気よさで練習を続けたミアは、八才になったある日、ついにヒールを完成させたのだった。
「あの頃はみんな、ずいぶん迷惑を掛けられたわ」
フローラが、頬を膨らませてミアを睨む。
「あはははは。まあ、そうかもね。ごめん」
頭をポリポリ掻きながら、ミアが謝った。
擦り傷でも打撲でも、ケガをしたとなれば、ミアが駆けて来て練習台にさせられる。
水で洗って消毒をしたくても、湿布で冷やしたくても、ミアは許してくれなかった。
「もうちょっと、もうちょっとだけ!」
痛いと訴える友達を強引に説き伏せ、シスターが止めに来るまでミアは練習をしていた。
「ねえ、ミア」
フローラが、ミアを見つめる。
「一つのことに夢中になれるミアを、私は好きだわ。適当なところでいつも止めちゃう私と違って、とことん突き詰めていくあなたのそういうところを、私は尊敬する。でもね」
フローラの声が、少し沈んだ。
「私、心配なのよ。夢中になると、あなたはどこまでも突き進んでしまう。だから……」
ミアの手を握り、そして目を伏せる。
そんなフローラを、ミアがそっと抱き締めた。
「ありがとう、フローラ」
フローラの温もりを感じながら、ミアが言う。
「私もフローラが好き。この教会も、孤児院の子供たちも、みんな好き。だから、ちゃんと戻ってくるよ」
「きっとだからね」
「うん、約束する」
泣きそうなフローラに、ミアがにこりと笑う。
フローラも、涙を堪えながら笑顔を返した。
「ファン、行ってくるね」
小さな墓標に手を合わせて、ミアは立ち上がる。
見送るフローラにもう一度約束をして、ミアは教会の門を出た。
迎えに来たヒューリと共に、夜明け前の暗い道をロダン公爵邸へと向かう。屋敷に到着したら、ロイに魔法を掛けて、馬車でアルミナの西門の外まで移動する予定だ。そこでフェリシアと合流してから出発となる。
町の中や周辺は、フライが禁止されている。屋敷から直接飛び立つことをマークは提案したのだが、公爵は、規則を守ると言ってきかなかった。
「ロダン公爵って、面倒な人だよな」
失礼なことを言うヒューリだが、じつはそんな公爵に好感を持っている。あくまで公人であろうとするその姿は、亡き父に重なるところがあった。
屋敷に到着すると、すぐに二人はロイの部屋に通された。
そこにはロイと、公爵夫妻が待っていた。
「おはよう、ミア」
誰よりも早くロイが声を掛ける。
その声は小さく弱々しかったが、以前と違って生きる意志が感じられた。
「おはようございます、ロイ様」
ミアが笑って答えた。
実験の日以来、時々屋敷を訪れるようになっていたミアは、ロイとすっかり打ち解けていた。
「ロイのことを、よろしく頼む」
公爵夫妻も微笑みながら声を掛ける。
「はい、頑張ります!」
ミアは元気に返事をした。
まだ暗い時刻だというのに、多くの使用人や兵士に見守られながら、馬車は屋敷を出た。
夫妻とロイ、ヒューリとミアを乗せた馬車は、わずかな護衛の兵士たちと共に、静かに町の中を進んでいく。
「失礼ながら、ヒューリ殿は、武芸をどなたに習われたのかな?」
唐突に、公爵がヒューリに聞いた。
その突然さと、質問の内容に戸惑ったヒューリは、帯剣を許された双剣にそっと手をやり、少し考えてから答えた。
「父でございます」
「そうか」
公爵の質問はそれだけだった。
ミアと、ロイを抱く夫人がきょとんとしている。
ヒューリが探るように公爵を見るが、公爵は、穏やかな表情で馬車の外を見つめているだけだ。
その後は特に会話もなく、馬車は西門を抜けて町の外に出た。そこに、フェリシアがエム商会のみんなと共に待っていた。
手短に挨拶を済ませ、フェリシアとミア、そしてロイは出発の準備を始める。
それを手伝うリリアとシンシアと、周囲を警戒するミナセとヒューリを見ながら、公爵がマークに言った。
「マーク殿は、いい社員を持っておるようだな」
またもや唐突な公爵の言葉に、だがマークは間髪入れずに答える。
「はい。全員、うちの自慢の社員たちです」
それに、公爵は微笑みを返した。
会話はそれだけだった。
公爵が何を考えているのかは分からない。ただ、公爵の微笑みに害意がないことだけはたしかだった。
「ロイ、頑張るのですよ」
「はい」
「無事に帰ってこいよ」
「もちろんよ」
出発準備を終えた三人と、見送りのみんなが声を交わす。
天候は、あいにくの曇り空。風は湿った空気を運んできていた。
「では、行って参ります」
フェリシアの言葉と同時に、ミアがその手を握る。
毛布にくるまって背負子に座るロイが、笑いながら手を振った。
「気を付けて」
みんなの視線を受けながら、三人がゆっくりと上昇していく。
太陽は見えないが、東の空がうっすらと明るくなっていた。
フェリシア、ミア、そしてロイは、予定通り、夜明けの空を西に向かって飛び立っていった。
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