雨
「寒くないですか?」
「うん、大丈夫!」
ロイが、弾んだ声でミアに答える。
ロイの目は、空から見る一大パノラマに釘付けだった。
小さくなっていくアルミナの町、その南を流れる大きな川の流れ、遠くに見える山々。町の郊外に点在する畑や森の緑。
天気がよくないことなどまったく気にならないほど、その景色は壮大で感動的だ。
「僕、大きくなったら、今度は自分の足で旅がしたい!」
興奮気味のロイに、ミアが優しく答える。
「じゃあ、早く元気にならないとですね」
そんな会話に微笑みながら、フェリシアが言った。
「ロイ様、ミア。少し速度を上げますよ」
風を切って三人は飛ぶ。
その向かう先には、鉛色の空が広がっていた。
三人の休憩地点は、その多くが街道近くに用意されている。
花の咲く洞窟まで直線的に進めればよいのだが、イルカナの西側の地理にフェリシアが明るくないことに加え、そもそも休憩地点を設けることが困難だ。
必然的に休憩場所は、空からでも辿りやすく、分かりやすい目印がある場所に作られることになっていた。
休憩地点には、五人の兵士が待機している。
そこでフェリシアは、フライを解除して休憩する。ミアは、その場所でロイに魔法を掛けてから休憩をした。
初日の旅は順調だった。
その日の最終目的地である夜営地点に、三人は予定通り日没前に到着することができた。
「お疲れ様でした」
夜営地点で待っていた兵士がねぎらいの言葉を掛ける。
「今夜はよろしくお願いします」
フェリシアが、疲れた声でそれに答えた。
野営地点には、十人の兵士がいる。
三人が安心して眠れるように、カイルとアランが選りすぐった兵士たちだ。
「ロイ様、体調はいかがですか?」
「平気だよ」
出発した時に比べると、さすがに疲れは見えてはいたが、心配するほどロイの体調は悪くなっていないようだ。
三人は、兵士が用意した食事を取ってすぐ横になった。
フェリシアは、魔力の回復を助けるポーションを飲んで毛布にくるまる。
この世界に、魔力を直接的かつ瞬間的に回復する方法はない。
一時的に気持ちを高揚させて魔力を絞り出す薬はあるが、強壮剤や興奮剤で体を動かすのと同じで、長続きはしないし反動も大きい。
リラックスして休むこと、ゆっくり眠ることが、唯一の回復手段だった。
フェリシアが飲んだポーションは、眠り薬のようなものだ。興奮した神経を落ち着かせ、よく眠れるようにしてくれる。
フェリシアは、しばらく寝返りを打っていたが、やがて静かな寝息を立てて眠りに落ちていった。
そんなフェリシアの隣で、ミアは、まったくやってこない眠気に困り果てていた。
気持ちが高ぶってしまってぜんぜん眠れない。
ミアも、横になる前にポーションを飲んでいた。だが、それは栄養剤のようなもので、眠気を誘うものではない。
フェリシアと同じポーションは、何があっても飲めなかった。
なぜなら。
「ミアさん、お休みのところ申し訳ありません。時間です」
やっとウトウトしたと思った頃、兵士の小さな声でミアは起こされた。
横になってから、一時間。
ミアは、一時間ごとにロイに魔法を掛けなければならない。
ぼーっとしながらも体を起こし、冷たい水を飲んで頭と体を無理矢理叩き起こした後、ミアは、ぐっすりと眠るロイに両手をかざして集中を始めた。
翌日の、夜明け前。
兵士に起こされたフェリシアは、意外とスッキリ目覚めることができた。さすがに疲れは残っているが、しんどいというほどではない。
これなら最後まで行けそうだわ
そう思いながら立ち上がると、ちょうどロイに魔法を掛け終えたミアがやってきた。
「おはよ~ございます~」
「おはよう。ミア、大丈夫?」
「ふわぁ~。眠いです~」
あくびをしながら目をこすっている。
「出発、少し遅らせる?」
フェリシアが気遣うが、ミアは首を横に振った。
「いえ、大丈夫です! 私、若いですから!」
「あら? それって私への当てつけ?」
「ち、違います! 誤解です!」
目を丸くして慌てるミアに、フェリシアが言った。
「うふふ、冗談よ。今ので目が覚めたでしょ?」
「もー、止めてくださいよー」
ふくれっ面のミアの肩をポンポンと叩いて、フェリシアは笑った。
朝食を取った三人は、再び空へと飛び立つ。
ロイの体調は、良くも悪くもなくといったところだ。
午前中の移動を問題なく終えた三人は、イルカナの西の果てにある休憩地点で昼食を取った。
ここから先は、国外となる。
それは、北西にある強国ウロルとの間に広がる森林地帯、コメリアの森の始まりでもあった。
コメリアの森は、とてつもなく広大だ。東のイルカナと北のウロルを結ぶ交易路以外に、人はあまり住んでいない。
それでも森の中には、国と呼ぶにはあまりに小さな、しかしどこにも属せずに自治を保っている小国が五つほどある。
イルカナとウロルが結んだ条約で、コメリアの森は非武装地帯とされているが、森の住人からすればふざけた話だろう。
セルセタの花の咲く洞窟は、この森の西北西、森林地帯と山岳地帯の境目付近にあった。
午後の最初の休憩地点は街道沿いにあるが、それ以降は完全に森の中となる。山賊の類はいないとしても、魔物がいる可能性は十分にあった。
魔力も体力も減っていく中で、正にここからが正念場となる。
「ほんとに森ばっかりですね」
ミアが、眼下に広がる緑一色の風景を見ながら言う。
「そうね。気を付けないと迷ってしまうわ」
フェリシアは、頭に叩き込んだ地図と周りの地形を見比べながら、やや速度を落として飛んでいた。
本来なら太陽の位置も参考にしたいところだが、昨日に続いて今日も曇り空だ。しかも、いやな感じの雲が垂れ込めている。
各休憩地点では、到着予定時刻の前後に狼煙を上げて場所を知らせてくれる手はずになっているが、雨が強く降ると狼煙は上げにくくなる。
風を切って飛んでいる三人にとっても雨はやっかいだ。
お願いだから、降らないで
神など信じていないフェリシアでも、今回ばかりは祈らずにはいられなかった。
だが、その祈りは神に届かなかったようだ。
今日の最終目標、夜営地点に向かって飛んでいる最中に、雨が降ってきた。それも本降りの雨だ。
「一旦降りるわ!」
フェリシアは二人に伝えると、暗い森の中へと下降していった。
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