最後の朝
三人は、大樹の下で雨宿りをしていた。
「全然止みませんね」
ミアが、音を立てて降る雨を見てぼやく。
同じく雨を眺めながら、フェリシアは悩んでいた。
ここで夜を明かすという選択肢は、無くはないが、それは最後の手段にしたい。
野営地点までは、おそらくあと二、三十分。朝早く出発すれば遅れは取り戻せるが、問題は疲労だ。
こんな場所では、自分もミアもゆっくり休むことなどできはしない。疲労は溜まっていく一方だろう。それは、明日の予定を大幅に遅らせる原因となる。
予定が遅れれば、フェリシアかミアの魔力が尽きてしまう可能性が高い。それはすなわち、ロイの命が危なくなるということだ。
「ロイ様、お体はいかがですか?」
フェリシアは、ミアに抱かれて目を閉じているロイに声を掛けた。
「うん、大丈夫」
目を開いて、ロイが笑う。
しかし、その笑顔は弱々しい。
日没までにはまだ時間があるはずだが、すでに空は暗い。雨は相変わらず降り続いているが、フェリシアは、ロイの顔を見て決断した。
「ミア、ロイ様に魔法を。それと、これをロイ様に着せて」
フェリシアは、マジックポーチから防水加工がしてあるフード付きのローブを取り出して、ミアに二着渡した。
魔法を掛け終えたミアは、ローブをロイに着せて、自分もそれをかぶる。フェリシアも同じものをかぶった。
「ここにいても体力を消耗するだけだわ。夜営地点まで飛ぶわよ」
「分かりました」
疲れの見えるミアの手を握り締め、フェリシアはフライを発動した。
遠くに霞む山々で方角を確認しながら、フェリシアは飛ぶ。
雨で視界が悪い。そして、何より寒かった。左手で握るミアの手が冷たい。
「ミア、大丈夫?」
「大丈夫です」
ミアはすぐに返事をするが、とても元気な声とは言い難かった。
まもなく完全に日が暮れる。暗闇の中を飛ぶのは無謀だ。
フェリシアの索敵範囲がいくら広いとは言え、半径三百メートルなどという範囲は、少しでも方角がずれてしまえば意味をなさない。
まずいわね
フェリシアは焦った。
雨宿りの時間はせいぜい二十分程度だったと思うが、今となってはその二十分が失敗だったかもしれない。
ロイは、飛び立ってから一言も発していない。体調が良くないに違いなかった。
もはや遠くの山など見えていない。樹木の葉の茂り方を見ながら方角の見当をつけるが、それもはっきりとは分からなくなってきていた。
やがて、周囲が暗闇に包まれる。
フェリシアは、進むことを止めた。
「フェリシアさん?」
ミアが心配そうにフェリシアを見る。
そんなミアに、落ち着いた声でフェリシアが答えた。
「残念ながら、これ以上進むのは危険よ。だから、ここから夜営地点を見付けることにするわ」
「えっ、ここから?」
「そうよ。あなたも手伝ってちょうだい」
そう言うとフェリシアは、空中に留まりながら暗闇に目を凝らした。
もう到着予定時刻は過ぎている。この闇の中で、狼煙など役に立つはずがない。
残る希望は……。
二人はじっと前方を見つめる。
幸い、雨はほとんど止んでいた。さっきよりは遠くまで見通せるはずだ。
フードから滴る雫を払いのけながら、二人は目を細めて集中した。
突然。
「フェリシアさん、あれ!」
ミアが、左前方を指さして叫ぶ。
「見えた!」
フェリシアも声を上げた。
暗闇の中に、弱々しく、だが明らかに自然界のものではない光の明滅がある。
夜営地点の兵士たちが送ってくれている光の合図だ。
「助かったわ!」
二人は抱き合って喜び、そして光に向かって飛び始めた。
翌朝。
フェリシアは、ぼーっとする頭を手で押さえながら、無理矢理体を起こした。
疲れが取れていない。
体の、というより、精神的な疲れだ。
ミアと違って夜はしっかり眠れるとは言え、フェリシアは、飛んでいる間ずっと魔力を放出し続けている。
今回の計画を最終決定する時、アランが何度も確認したものだ。
「本当に、夜明けから日暮れまで、二日半も飛び続けられるんですか?」
フライは、一度発動すればそれで終わりという魔法ではない。飛び続けている間はずっと魔力を消費しているのだ。
「二日半ですよ? いくらフェリシアさんでも」
心配そうに言うアランに、フェリシアが答えた。
「できるだけ使う魔力は抑えるわ。索敵魔法も使わないし、風除けのシールドも張らない。ぎりぎりだと思うけど、大丈夫よ」
にこやかに笑うフェリシアに、アランはそれ以上聞くのを止めていた。
強力な魔法を六十回掛けるミアも規格外と言えるが、二日半フライで飛び続けるフェリシアも、やはり尋常でなかった。
「でも、さすがにきついわね」
顔を洗いながら、フェリシアがつぶやく。
あと半日。
まさにぎりぎりだった。
そこに、ふらふらとミアがやってくる。
「おはよう」
「おはよう、ございます」
ミアもきつそうだ。
「大丈夫?」
「大丈夫、です」
気遣うフェリシアに、ミアはどうにか笑って答えた。
「それより、ロイ様が心配です」
ミアが表情を曇らせる。
ロイは、昨夜から熱を出していた。
魔法を掛けた直後は落ち着くのだが、しばらくすると、また熱が上がっていく。呼び掛けても、力なく笑うだけだ。
もう魔法でどうにかなる状態でないのは明らかだった。
「とにかく、あと半日頑張りましょう」
「はい」
雨は止んだものの、相変わらず空は暗い。
兵士たちに見送られながら、三人は鉛色の空に向かって飛び立っていった。
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