リリアとシンシア

 全員が首を傾げる中で、シンシアが、真剣な顔で言った。


「石窯を、作ってほしいです」


 ヒューリがミナセにそっと囁く。


「報告は結論から言えって社長に怒られたことがあったけど、さすがにこれは極端だよな」

「まあ、そうだな」


 そんなやり取りを横目に見ながら、マークが聞いた。


「どうして石窯がほしいんだ?」


 マークに真っ直ぐ向いたまま、シンシアが答えた。


「太らないお菓子が、作りたいから」


 それを聞いたリリアが、マークよりも先に反応する。


「もしかして、シンシアが毎晩行ってたのって……」

「お菓子屋さん。そこで、作り方を習ってた」


 目を見開いたまま、リリアがシンシアを見つめる。思ってもみなかった外出の理由に、リリアはただ驚くばかりだった。

 黙ってしまったリリアにかわって、ミナセが聞いた。


「ダイエット支援のお客様向けってことか?」

「そう」


 ヒューリが続く。


「甘くないお菓子を作りたいってことか?」

「目標は、甘くても太らないお菓子」


 ミナセとヒューリも目を丸くした。

 この世界において、お菓子は贅沢品かつ嗜好品。甘く、そして濃厚な味が好まれる。

 そんなお菓子を食べ過ぎると、それが太る原因になることを、マークに教えられて社員たちは知っていた。


 お菓子は甘いもの。

 お菓子は、食べ過ぎると太るもの。


 その常識を打ち破る発想。甘くても太らないお菓子。

 しかもそれを、シンシアは自分で作りたいと言っている。


「太らないお菓子ができたら、たしかにお客様は喜ぶと思うけれど」


 今度はフェリシアが聞く。


「どうしてそんなことを思ったの?」


 聞かれて、シンシアはうつむいた。

 フェリシアが答えを待つ。みんなも答えを待つ。

 どうしてシンシアがそんなことを考えるようになったのか、みんなにはまるで想像がつかなかった。


「私も、何かしたかったから」


 やがてシンシアが答えた。


「貢献、したかったから」


 フェリシアが首を傾げる。


「シンシアとリリアの考えてくれたお料理は、貴族の皆様にも好評よ。もう十分貢献してくれていると思うけれど」


 その言葉には、みんなも大きく頷いた。まさにその通りで、シンシアが貢献していないなどと思う社員はいるはずがなかった。

 戸惑う社員たちを前に、シンシアが続ける。


「お料理は、ほとんどリリアが考えてる。私は手伝ってるだけ」

「そんなことないよ!」


 リリアが大きな声を上げた。


「シンシアだって、たくさんアイデアを出してくれてるじゃない!」


 リリアにしては珍しく、感情を露わにしてシンシアに迫る。

 シンシアがリリアを見た。そして、はっきりとした声で言った。


「だけどやっぱり、料理はリリアが上。私は、敵わない」

「そんな……」


 リリアが、大きく目を開いたままシンシアを見つめる。

 リリアはショックを受けていた。シンシアがそんな風に思っていたなんて、考えたこともなかった。


「私は、私だけにしかできないことが、したかった。だから、お菓子の作り方を教わった」


 ブルーの瞳がリリアを見つめる。その瞳には、驚くほどの強い意志が宿っていた。

 リリアもシンシアを見つめる。目の前にあるブルーの瞳を、呆然とリリアは見つめていた。


 シンシアとはずっと一緒だった。仕事でも遊びでも、二人でたくさんの時間を過ごしてきた。

 それがある日、行き先も告げずに毎晩出掛けるようになった。その理由を、シンシアは教えてくれなかった。

 その理由が、今明かされた。

 それはいい。お菓子作りを習っていたのは意外だったが、それそのものは何の問題もない。


 だけど、その動機は……。

 シンシアがお菓子作りを始めようとした、その動機は……。


 シンシアが遠く感じた。

 シンシアのことが、リリアは急に分からなくなってしまった。


 顔を強ばらせたまま、リリアは動かない。

 リリアを見つめたまま、シンシアも動かない。

 二人を見つめたまま、みんなも動けずにいた。 


 その時。


「石窯を作るとしたら、中庭だろう?」


 マークが聞いた。

 シンシアが、驚いてマークを見る。


「大きさとか設置場所とかを教えてくれ。俺が大家さんに頼んでみる」


 急展開に、シンシアが目を丸くする。


「費用は会社で出そう。お菓子を作る時の材料費も、全部経費で落としていい。必要なものがあれば、遠慮なく相談してくれ」


 びっくりしているみんなの前で、マークは当たり前のように言い切った。


「ほんとに、いいの?」

「もちろんだ」


 半信半疑のシンシアに、マークが笑顔を向ける。


「太らないお菓子を作るには、大変な努力が必要になるだろう。誰も作ったことのないお菓子だ。そんなに簡単に作れるとは思えない」


 シンシアが頷く。

 師匠である店長にも同じことを言われた。


「それでも俺は、シンシアの想いを大切にしたい。シンシアのチャレンジ精神を応援したい」


 全員を見渡し、その目を一人一人しっかりと見て、マークがまたシンシアを見つめる。


「会社としても、できるだけのことはする。だからシンシア、思い切りやってみろ」

「はい!」


 シンシアが、大きく返事をした。シンシアにしては珍しいくらいの大きな声で、はっきりと返事をした。


「それと、リリア」

「はい!」


 急に呼ばれたリリアが、慌ててマークに顔を向ける。

 だが、その表情は固いまま。心が強張ったままなのは明らかだった。

 そんなリリアに、マークが言った。


「リリアは変わったよな」

「……?」


 あまりに唐突で、リリアは話についていけない。

 だが、それはみんなも似たようなものだ。みんなも、マークが何を言い出したのかまるで分からずにいた。

 構わずマークが続ける。


「リリアは、入社した時から料理が上手で優しくて、凄く気の利く女の子だった。そしてリリアは、とても辛抱強い子だった。でも、その辛抱強さは、自分に都合の悪いことでも諦めて受け入れてしまう、リリアの弱さにつながっていたように俺は思うんだ」


 リリアが目を見張る。

 そんなことを言われたのは初めてだった。


「だけどね、リリア。今のリリアは、あの頃とは違うんだよ。明らかにリリアは変わったんだ」

「私が、変わった?」


 分からない。

 自分のどこが変わったのか、リリアにはまるで見当がつかない。

 微笑みながら、マークが言った。


「休業して修行の旅に出た時に、リリアは大きな試練を乗り越えた。あれは、リリアが仕方なく現実を受け入れた結果なんかじゃない。大きな決意と強い意志をもって、リリアは試練を乗り越えたんだ」


 覚醒とも言えるリリアの変化。


 私は、守る人になります


 それは、間違いなくリリアの中の強い決意が変化をもたらしたのだ。


「たしかに」


 ヒューリが大きく頷いた。


「それだけじゃない。リリアは、日常の中でも強くなった」

「日常の中で?」


 やっぱりリリアにはピンとこない。


「リリアは、俺のことを遠慮なく叱ってくれるだろう? そんなことをしてくれるのは、リリアだけなんだぞ」

「そ、それはっ!」


 リリアの顔が真っ赤に染まる。


「うちの最強は、ある意味リリアだものね」


 フェリシアが笑った。


「そうですね!」


 ミアも笑った。

 リリアが、泣きそうになりながら二人を睨む。

 そんなリリアに、マークがまた微笑んだ。


「俺が会社の不利益になることをしても、社長がやってるんだから仕方がないって、そう諦めてもおかしくはないんだ。でも、リリアは俺を叱ってくれる。ほかの誰もやれないことを、リリアはやってくれている。俺は、リリアに心から感謝してるんだよ」


 泣きそうだったその顔が、今度は恥じらいで染まった。

 

「もう一度言う。リリアは変わった。リリアは強くなった。リリアは、入社した頃と比べると、驚くほど成長しているんだ」


 みんなが頷いた。

 シンシアが、大きく頷いた。

 

「そのリリアを、一番近くで見ていたのは誰だと思う?」

「一番近くで?」

「成長していくリリアをずっと近くで見ていたのは、一体誰だと思う?」


 私を一番近くで見ていたのは……

 私とずっと一緒に過ごしてきたのは……


 リリアの目が広がっていく。

 リリアの心が解けていく。


「だからね、リリア。シンシアだって変わるんだ。リリアを一番近くで見てきたシンシアだからこそ、変わらなきゃって強く思ったに違いないんだ」


 リリアがシンシアを見る。

 シンシアが、恥ずかしそうにうつむいた。


「リリア。シンシアを応援してやれ」


 マークが言った。


「シンシアには、リリアが必要だ。そうだろ、シンシア」


 うつむいていたシンシアが、顔を上げてマークを見る。

 シンシアが答えた。


「はい!」


 大きな声で返事をした。

 そしてシンシアが、嬉しそうにリリアを見る。


「リリア」


 シンシアがリリアの手を握った。


「シンシア」


 リリアがその手を握り返した。

 二人が微笑む。みんなも微笑む。


「リリアだけじゃない。みんなでシンシアを応援するぞ!」

「はい!」

 

 大きな声でみんなが応えた。

 みんなを見ながら、とても嬉しそうにマークも笑っていた。



 夜。


「シンシア、まだ内緒にしてることあるでしょ」

「!」


 隣のベッドの声に、シンシアの肩がピクリと動いた。


「お菓子を作ろうと思ったのって、私を見てたからだけじゃないよね?」


 体をシンシアに向けて、リリアが言う。

 首だけを横に向けて、シンシアがリリアを見た。


 リリアが笑う。

 シンシアが、ちょっと緊張する。


「シンシアがお菓子を作ろうって思った理由は、私のこと以外に二つ。たぶんシンシアは……」


 リリアが話す。

 シンシアの目が広がっていく。


「どうして、分かったの?」


 シンシアが、ちょっと恥ずかしそうにリリアに聞いた。


「私だって、シンシアのことずっと見てたんだよ」


 そう言うと、リリアは手を伸ばして、シンシアのおでこをちょんと突っついた。

 シンシアが驚く。リリアが、可愛く口を尖らせる。

 

「それとね、じつは私も同じなの」


 今度はリリアが、恥ずかしそうに言った。


「私も、何かしたいって、ずっと思ってた」

「リリアも?」

「そうなの。だからね、シンシアに先を越されて、私ちょっと悔しいの。悔しいけど、でも、すごく嬉しい」

「どうして?」

 

 シンシアが首を傾げる。

 リリアが言った。


「シンシアと同じだった。シンシアも同じことを思ってた。それが嬉しいの」


 本当に嬉しそうにリリアが笑った。


「私も負けないよ。だからシンシア、これからも一緒に頑張ろうね!」


 シンシアが目を見開く。

 大きく開いたその目でリリアを見つめる。


 突然。


 シンシアが、ベッドから抜け出して、リリアのベッドに無理矢理潜り込んできた。


「シンシア?」


 シンシアが、リリアの胸に顔を埋める。

 驚くリリアに、シンシアが言った。


「料理も手合わせも、それ以外でも、リリアに勝てない」


 胸元から小さな声が聞こえる。 


「私、リリアに追い付けない。いっつもリリアは、先に行っちゃう」

「そんなこと……」


 リリアが戸惑う。


「リリアは強い。リリアは……ずるい」


 ぎゅっ


 シンシアが、リリアに抱き付いた。強くその体を抱き締めた。


「だから」


 胸元から顔を上げ、笑いながら、シンシアが言った。


「お菓子の作り方だけは、絶対に教えてあげない!」


 驚くリリアの胸に、シンシアがまた顔を埋める。

 そして言った。


「私、リリアのことが、大好き!」


 驚いて、微笑んで、そしてリリアも言った。


「私も、シンシアのことが大好き!」


 リリアにぴったりくっついて、シンシアが目を閉じる。

 シンシアの肩を抱きながら、リリアも目を閉じる。


 やがて二人は眠りについた。

 その夜二人は夢を見た。

 夢の中でも二人は一緒だった。

 夢の中で、二人は仲良く手をつなぎながら、楽しそうに、とても嬉しそうに笑っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る