金曜日
翌日。
ぎこちない空気が漂う中で、それでも社員たちはいつものように働いていた。昨夜宿屋の食堂に顔を見せなかったフェリシアも、普段通りに出勤してきている。
社員たちは、今日もアルミナの町の中で働いていた。最近は護衛の依頼が激減していて、町の外に出ることはほとんどなくなっている。店番や手伝い系の依頼は山ほどあるので仕事に困ることはないのだが、たまには違う景色が見たいものだと、ヒューリが不満をこぼしていた。
そのヒューリが、ファルマン商事の集金護衛から戻るなり、事務所のソファに座るミナセに言った。
「シュルツさんが、引退を考えてるって言ってたぞ」
「引退?」
ミナセも、マークやほかのみんなも、それを聞いて驚いた。
シュルツは、ファルマン商事から仕事を多く請け負っている傭兵団の団長だ。ミナセがエム商会に入社してすぐからの付き合いで、ヒューリやフェリシアともよく仕事をしている。最近では、リリアと一緒にコメリアの森行きの商隊護衛をしていた。
そのシュルツとバッタリ会って、話をしてきたとのことだった。
「ファルマン商事だけじゃなくて、どの会社も商人も、国内を移動する商隊には護衛を付けなくなったらしい。東のカサール、南のエルドア、西のコメリアの森も治安が良くなってるから、国外行きの商隊の護衛も規模が小さくなったって言ってた」
「なるほど」
キルグ帝国の陰謀を退け、カミュ公爵の反乱を乗り越えたイルカナ王国は、平和を謳歌していた。すでに国内では、盗賊や山賊の類いを見ることはほとんどなくなっている。
「治安が良くなった上に、この地域じゃあ戦争なんて当分起きそうもない。傭兵の仕事はたしかに無くなっていくだろうな」
「まあ、そうだな」
ミナセが頷いた。
「笑いながらだけど、シュルツさんに文句を言われたよ」
「文句?」
ヒューリの言葉に、ミナセが首を傾げる。
「護衛の仕事がなくなったのは、エム商会のせいなんだと。特に、リリアには強く苦情を言いたいって言ってたぞ」
「私ですか!?」
突然名前が出てきて、リリアが書類を落としそうになる。
「リリアがコメリアの森の盗賊たちを”全滅”させたおかげで、西に行く商隊は増えたのに、仕事は減ったってぼやいてた」
「えっと……」
困り顔のリリアをみんなが笑った。
初めての商隊護衛で、リリアは盗賊たちを叱り付け、励まし、そして解散させた。結果、コメリアの森からは盗賊が消えてしまっていた。
森に住む”もと盗賊”たちの間で、リリアは栗色の髪の天使として崇められている。
「いつか文句を言いに来るから、その時は是非お茶でもって笑ってた」
「デートのお誘いだね!」
脳天気なミアをリリアが睨む。
それを見て、みんながまた笑った。
「時代は変わる。だから、俺たちも変わらなきゃならない。そう言って帰っていったよ」
「変わらなきゃ、か」
ヒューリに答えて、ミナセが考え込む。書類を片付けながら、リリアも何かを考えている。
それに気付いて、ヒューリも黙った。
じっと話を聞いていたシンシアも、ミアでさえも黙り込む。
その時、ふとフェリシアが言った。
「私たちも、変わるべきだと思うわ」
それに答える者はいない。
朝から続いていたぎこちない雰囲気をここでも感じて、マークが眉をひそめていた。
「社長に声を掛けるのは、今週の金曜日の夕方。だから、一緒にピクニックに行きたいって思う人は、それまでに言ってちょうだい」
フェリシアがそう言ったのは、月曜日だ。そして、今日は金曜日。ついにその日がやってきた。
あの日以来、フェリシアは一度も宿屋の食堂で食事をしていない。会社には来るし、仕事もミスなくこなしてはいるが、みんなとは最低限の話しかしなかった。
分かりやすいほど不自然な空気を、マークが感じないはずがない。ミナセやリリア、ほかの社員たちにそれとなく聞いてはみるのだが、全員が、なぜか答えを濁すばかりだった。
その不自然な空気が、今朝は特に目立った。出勤してきた社員たちの顔が恐ろしくこわばっている。
一週間様子を見ていたマークも、さすがに心配になってきた。
「ミナセ。今日の夕方、少し時間をくれないか?」
「き、今日の夕方ですか?」
ミナセが、らしくない慌て方をする。
「えっと、今日の夕方は……」
女性たち全員が、ミナセの答えに注目していた。
「都合、悪かったか?」
「いえ、あの、都合と申しますか」
ミナセがチラリとフェリシアを見た。
その視線に気付いたはずなのに、ミナセを見ることもなくフェリシアが立ち上がる。
「私は仕事に行ってきます」
紫の髪をなびかせて、フェリシアは事務所を出て行ってしまった。
「行ってらっしゃい」
扉が閉じた後から、リリアが声を掛ける。
バタバタとほかの社員たちも立ち上がり始めた。今日は、リリアも含めて全員が仕事を持っていた。
相変わらず不自然な空気の中で、ミナセが答える。
「あの、お話は、来週にしていただいてもよろしいでしょうか」
「……分かった。無理を言って悪かったな」
マークが頷いた。
「すみません」
目を合わせることなくミナセが頭を下げる。
「私も、仕事に行ってきます」
「ああ、気をつけて」
マークに見送られて、ミナセも扉を出た。
一瞬だけ見えたマークの顔。
寂しそうなマークの顔。
ミナセは足早に歩く。
泣きそうな顔で、ミナセは仕事場に向かって歩いて行った。
その日ミナセは、小さなミスを連発した。謝ってばかりのミナセを、客の方が心配したほどだった。
それでも、どうにかミナセは仕事をこなしていく。午前の仕事も午後の仕事も、致命的なミスをすることなく終えることができた。
「今日はいろいろすみませんでした」
「大丈夫だよ。またよろしくね」
客に見送られて、ミナセは帰途につく。その足取りは重かった。
いつものミナセなら、ミスを繰り返したことの反省で頭がいっぱいになるところだが、今日はそれどころではない。
「私はどうしたらいいんだ」
つぶやきながら、ミナセは歩く。
歩きながら、以前交わしたマークとの会話を思い出す。
「アルミナに戻ったら、また手料理を食べさせてくれ」
「分かりました。帰ったら、社長の好きな、手作りハンバーグを作って差し上げます」
その時、ミナセは決意したはずだった。
自分の想いをマークに伝えると決めたはずだった。
その機会が、思い掛けない形でやってきてしまった。
ハンバーグを作ることもできない。二人きりになることもできない。
ミナセは考える。
ミナセは悩む。
やがて、見慣れたレンガ造りのアパートが見えてきた。ついに会社に着いてしまった。
アパートの前で、ミナセが立ち止まる。ミナセがうつむく。
やがてミナセは、顔を上げた。
「よし!」
気合いを入れて、ミナセは入り口をくぐる。
その目には、強い決意がみなぎっていた。
事務所に戻ると、フェリシア以外は全員戻っていた。
「お帰り」
「ただいま戻りました」
声を掛けてくれたマークに、ミナセがしっかりと答える。
いつもは真っ先にリリアが迎えてくれるのだが、リリアは、硬い表情で書類を整理していた。それは、ほかのみんなも似たようなものだ。誰もが無言で作業をし、あるいはじっと一点を見つめていた。
私は、もう迷わない
ミナセが、フェリシアに伝えるべき言葉を胸で復唱する。
ほかのみんなを見渡し、気付かれないようにマークの顔を見て、ミナセは拳を握った。
そしてこの日、いくら待っても、フェリシアが事務所に戻ってくることはなかった。
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