揺れる想い

 事務所には、女性社員たちが揃っていた。マークは、今日も外出で不在だ。

 あの出来事以降、シンシアの表情は明るくなった。思っていたことをみんなに伝えることができて、すっきりしたのかもしれない。

 ところが、あれ以降、今度はフェリシアが何かを考え込むようになっていた。

 テーブルを見つめ続けるフェリシアに、ミナセが聞く。


「何か、気になることでもあるのか?」


 そう問い掛けたミナセの表情も、じつは冴えない。ミナセも、そしてリリアも、ここ数日はどことなく沈みがちだった。

 ミナセを見つめ、うつむき、やがて顔を上げて、フェリシアが話し出す。


「私、ずっと考えていたことがあるの」


 そこまで言って、またうつむく。

 その様子は普通ではなかった。みんなが、緊張しながら次の言葉を待つ。


「この間シンシアも言ってたけど」


 意を決したように、フェリシアが話し出した。


「私も同じ。私は、今幸せ。間違いなく、人生の中で一番幸せだと思うわ」


 シンシアが頷いた。

 ミアも大きく頷いた。


「でもね、私もシンシアと同じなの。私も家族がほしいって、そう思っているのよ」


 ミナセが目を見開いた。

 リリアが、目をそらした。


「だから私、決めたの。私は、自分の気持ちを伝えようと思う」


 少し前からミナセは感じていた。


 均衡が崩れてしまう予感。

 日常が壊れてしまう予感。


 黙ったままのミナセに、フェリシアが言った。


「私、伝えるわ」


 ミナセの願いを砕くように、フェリシアが言った。


「私は、社長が好き。私は社長と結婚したい。私は、社長と一緒に家庭を築いていきたい」


 部屋の中が静まり返る。


 リリアが泣きそうな顔をしていた。

 ヒューリが目を丸くしていた。

 シンシアの顔がこわばっていた。

 ミアの口が、あんぐりと開いていた。


 目を開いたままのミナセを、フェリシアが強く見つめる。

 覚悟を決めたその目が、ミナセを貫く。


「私は、社長に告白する。だけど、抜け駆けするようなことはしたくない。だから、告白する日と場所を宣言しておくわ」


 ミナセの肩がぎくりと震えた。


「今度の週末、私は社長をピクニックに誘う。行き先は、アルミナの南西にあるミレー湖のほとり。そこで私は、社長に告白をする」


 ミレー湖は、星屑アゲハの群生地として有名な観光地だ。馬車を使えば、半日と掛からず行くことができる。


「社長に声を掛けるのは、今週の金曜日の夕方。だから、一緒にピクニックに行きたいって思う人は、それまでに言ってちょうだい」

「もし、社長に断られたら?」


 リリアが、小さな声で聞いた。


「社長に頷いてもらうまで、頼み続けるだけよ」


 断固としてフェリシアが言った。



 宿屋の食堂は今日も混んでいる。

 エム商会の社員が泊まっているこの宿は、いつ来てもいっぱいだ。

 だが。


「今日はフェリシアいないんだな」

「それもあるけど、今日はちょっと、様子がおかしくないか?」


 常連たちがヒソヒソと話す。

 ミナセとヒューリ、そしてミアが、いつもの席にいた。普段は華やいで見えるその席が、今日に限ってもの凄く暗い。

 そんな雰囲気をものともせず、一人の酔っ払いが三人に近付いていく。常連たちが慌てて立ち上がり、酔っ払いを後ろから羽交い締めにして三人から遠ざけていった。

 それに気付いたヒューリが、常連たちに軽く手を上げた後、ぼそっと言う。


「ま、いつかはこうなるんじゃないかと思ってたけどな」


 その言葉に、ミナセはまったく反応しない。グラスを片手で持ったまま、さっきからほとんど動かなかった。 無言のミナセをしばらく見つめ、そしてヒューリはミアを見た。


「お前はどうするんだ?」

「私ですか?」


 聞かれて、さすがのミアもちょっと考える。

 それでも、意外なほどはっきりと答えた。


「私も、社長のことは好きですよ。もし社長と結婚できたら、それはもう幸せになれるだろうなぁって思います」

「そうなのか?」


 ミアの場合、”好き”の意味が分かりにくいことが多い。それなのに、今回は”結婚”という言葉まで飛び出した。


「つまり、ミアも、今度のピクニックに行くってことか?」


 恐る恐るヒューリが聞く。

 やっぱりちょっと考えてから、ミアが答えた。


「うーん、それは、少し考えたいです」

「なんだよそれ」


 肝心なところを曖昧にされて、ヒューリは不満顔だ。そのヒューリに、今度はミアが聞く。


「ヒューリさんはどうするんですか?」

「私か!?」


 当然の流れだ。それなのに、ヒューリは焦った。


「そ、そうだな」


 一気にグラスをあおって、それを乱暴にテーブルに置く。


「ま、まあ、私も、社長のことは、その……す、好き、かな」

「その好きって、クッキーが好きとどう違うんですか?」


 ミアが鋭く切り込んできた。


「え? えっと」


 どんなに飲んでも変わらないヒューリの顔が、赤く染まっていく。


「私は……」


 言い淀むヒューリをミアが見つめる。

 動揺しまくりのヒューリが、さっき空っぽにしたグラスをあおって、さらに顔を赤くする。

 そんなヒューリを見ながら、ミアはつまみのチーズをポイッと口に放り込んで、もぐもぐ食べ始めた。それをごくりと飲み込んで、今度はミナセに向き直る。


「ミナセさんは、ピクニックに行くんですよね?」

「そうだな……えっ?」


 不意打ちを食らって、ミナセが目を丸くする。

 グラスを落としそうになるほど慌てるミナセに、ミアが言った。


「前に社長が言ってました。ここぞという時は、絶対に引いてはいけないって。今は、まさにここぞという時だと思います」

「うっ!」


 ごく稀に放たれる、本質を突いたミアの言葉。

 ミアから目をそらして、ミナセがうつむく。


「やっぱり、ミナセは参加だよなぁ」


 ヒューリにまで言われて、ミナセの顔は、ヒューリ以上に真っ赤になった。

 言われたミナセも、言ったヒューリも、うつむいたまま黙り込む。チーズをもう一つ口に放り込み、それをもぐもぐと噛みながら、ミアが言った。


「エム商会最大の試練ですね」



 同じ頃、事務所のあるアパートでも、二人の少女が食事をしていた。


「私も、社長が好き」


 カシャン


 突然の言葉に、リリアが驚いてフォークを落とした。床に落ちたそれを拾うこともせずに、無言のまま目を泳がせる。

 シンシアが、立ち上がってそれを拾った。そして、食器棚から別のフォークを取ってきてリリアの前に置き、自分の椅子に座り直す。


「あ、ありがとう」


 リリアが小さな声で礼を言うが、それに頷くこともなくシンシアが話し出した。


「社長は、私の恩人。世界で一番尊敬しているし、社長のためなら何でもしてあげたいって、本気で思ってる」


 リリアがうつむく。


「社長のお嫁さんになることを、想像したこともある。本当にそうなったら、たぶん私は、凄く幸せになれる」


 固い表情のリリアをシンシアが見つめた。

 そして、少し強い声で言った。


「だけど、私が幸せになるためには、条件がある」

「条件?」


 リリアが、上目遣いでシンシアを見た。

 その目を見ながら、シンシアが言った。


「リリアが幸せになること。それが、私が幸せになるための絶対条件」

「!」


 顔を上げ、目を丸くして、リリアがシンシアを見つめる。


「私は、リリアのことが好き。だから私は、リリアの応援を最優先にする」


 言葉を失うリリアに、シンシアが言った。


「リリアは、ピクニックに行くべき。そこで、ちゃんと気持ちを伝えるべき。その後は、いろいろあると思うけど、何があっても、私はリリアを応援し続ける」


 リリアが目を伏せた。

 その頬を、涙が伝って流れ落ちる。


「リリアは、幸せになるべき。私より、ずっとずっと幸せになるべき」


 両手で顔を覆ってリリアが泣く。

 強い意志を込めて、シンシアが見つめる。


 宿屋の食堂で、アパートの部屋で、そして別のどこかで、女性たちの想いは大きく揺れ動いていた。

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