家族
「大変な思いをさせてしまったね。本当にお疲れ様」
マークがねぎらうが、シンシアの表情は冴えない。
「ちゃんと依頼は果たしたんだ。よくやったと、私は思うぞ」
ミナセの慰めにも、シンシアはうつむくだけだ。
そんなシンシアに、ヒューリが言う。
「その息子と友達になれるんだろう? お前、友達少ないんだから、ちょうどいい……うっ!」
突然ヒューリがもがき始めた。
真っ青な顔で口をパクパクさせるヒューリに、シンシアが冷たく言い放つ。
「余計なことは、言わない方がいい」
「シン、シア……」
ヒューリが必死に何かを訴えるが、シンシアの目は冷たいままだ。
そんな二人の様子を見たフェリシアが、感心したように言った。
「風の魔法の第三階梯、サフォケーション。それを”お願い”なしで発動するなんて、シンシアも成長したわね」
サフォケーションは、対象の周囲の空気を薄くして相手を窒息させる魔法だ。第三階梯という分類はシンシアにとって意味をなさないが、”お願い”なしでの発動は、確かに驚くべき進歩と言える。
フェリシアに褒められて、だがシンシアは、特に嬉しがるでもなくヒューリを見る。
「剣技でも格闘技でも、私はヒューリに勝てない。でも、私が精霊使いだということを……」
「シンシア、ヒューリさんが」
リリアに腕を掴まれて、しぶしぶシンシアがサフォケーションを解除した。
「ぐはぁっ! ゼェ、ゼェ」
むさぼるようにヒューリが呼吸を始める。
ミアが慌ててコップに水を入れてくるが、今のヒューリに必要なのは水じゃなくて空気だと、そこにいる全員が思った。
落ち着いたヒューリがシンシアを睨む。
シンシアがそっぽを向く。
苦笑いをしながら、マークが言った。
「今度からは、この手の依頼はなるべく受けないようにしよう」
「そうします」
リリアが、申し訳なさそうに小さくなっていた。
そんな出来事があった数日後。
事務所に女性社員たちが揃っていた。マークは、外出中で不在だ。
あの一件以来、考え込むことが多くなったシンシアに、ミナセが聞く。
「シンシア、まだこの間のことを気にしているのか?」
ミナセには、相手の心の動きが分かる。あれ以来、シンシアの心に何かが引っ掛かっているであろうことを、ミナセははっきりと感じていた。
ミナセに聞かれては、シンシアも隠す訳にはいかない。
「私、あれから考えていることがある」
シンシアが話し始めた。
「あの時、依頼主のお母さんが言ってくれた。”あなたには、絶対幸せになってほしい”って」
みんなが、ソファに座り、あるいは壁にもたれながらシンシアの話に耳を傾ける。
「それで、私、考えてみた。私にとって、幸せって何だろうって」
意外なことを言い出したシンシアに、ミナセが目を見開く。
すると、ヒューリが似たようなことを言い出した。
「そう言えば、入社前に社長が言ってたな。俺は、社員のみんなに幸せになってほしいと思ってるって」
それを聞いて、フェリシアが続く。
「私も聞いたことがあるわ。俺は、みんなの幸せを願ってるって」
二人の言葉に頷いて、シンシアが続ける。
「私は、今も幸せ。だけど、あのお母さんが言ってた幸せは、たぶん、今の幸せとは、少し違う」
シンシアを見ていたミナセが、そっと視線をそらした。
それに気付いて、リリアが目を伏せる。
フェリシアが、シンシアをじっと見つめた。
「今の幸せに、不満なんて全然ない。でも、違う幸せも、あると思う」
「たとえばどんな?」
ミアが聞いた。
「あのお母さんは、息子さんのことを、本気で心配してた。怒ったのも、許したのも、損とか得とか、そんなのじゃなくて……」
「愛情ってやつね!」
大きな声でミアが言う。
ちょっとびっくりして、しかしシンシアは、その言葉に頷いた。
「そう、だと思う。あれが、母親なんだなって思った。あれが、愛情なんだなって思った」
うんうんとミアが頷く。
「それで、思い出した。私のお母さんも、私のことを叱ってくれた。たくさん心配してくれた。お父さんも、同じだった。私は、二人のことが大好きだった。家族でいる時間が、大好きだった」
シンシアの顔には微笑みが浮かんでいる。
声を失うほどのつらい過去も、今は心を温めてくれる暖かい思い出になっていた。
そこに、またもやミアの声がする。
「家族かぁ。私も、いつかは家族を持ちたいって思ってるんだぁ」
ミアが目を輝かせる。
「愛する夫と愛する子供たち。小さな家と、大きな犬」
妄想が走り出す。
「私ね、ミナセさんが教えてくれた”いただきます”っていう言葉を子供たちに教えてあげるの。それからね……」
ミアの妄想は止まらない。呆れながら聞いていたヒューリが、その頭をポカリと叩くまでミアの語りは続いた。
ようやく話すタイミングを見付けたシンシアが、真顔で言う。
「ミアの話を聞いて、やっぱり思った」
みんなを見ながら、シンシアが言った。
「私は、家族がほしい」
ミナセが目を伏せる。
リリアがうつむく。
フェリシアが、シンシアを見つめ続ける。
「私も家族がほしいなぁ。あ、でもその前にご飯……」
ボカッ!
「あいた!」
「いい加減黙れ!」
かなり本気でヒューリが叩く。
かなり痛そうにミアが泣く。
いつもの光景、いつものやり取り。
それなのに、そこにはどことなく居心地の悪い空気が流れていた。
そしてこの出来事が、エム商会を揺るがす大事件へと発展するのだった。
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