応援する理由
「恋人がいるだなんて、嘘を言うもんじゃないわ」
息子の顔が真っ青になった。
シンシアの顔からも、血の気が引いていった。
「あんたは昔から、嘘をつく時鼻を掻く癖があるのよ。シンシアさんを紹介した時、あんた、一生懸命鼻を掻いていたわ」
「えっ?」
息子が驚いて声を上げる。
「そもそも、こんなにしっかりした子が、あんたみたいな男に引っ掛かるはずないでしょう?」
息子もシンシアも、目を丸くして母親を見る。
「この子は、あんたの何倍も苦労している。あんたの何倍も一生懸命生きている。しかもこの子は、エム商会の社員さん。田舎の人間だって、エム商会を知らない者はほとんどいない。国を救い、王様から直々にお言葉をいただくような凄い人たち。あんたと釣り合うはずないじゃない」
息子がうなだれた。
褒められているはずのシンシアも、うなだれた。
「恋人のこともそう、服のこともそう。あんたは、上辺を飾ることしか考えていない。堅実な生活もしていない。そんなあんたが、立派なお菓子職人になれるとは、母さんにはとても思えない」
母親が息子を睨んだ。
「もしかしたら、あんたには芽があるのかもしれない。でも、その芽が伸びることはきっとないわ。あんたは、稼いだ金を無駄な物に使うだけ。そんなあんたに、これ以上の期待はできない」
母親が、とどめを刺した。
「シンシアさんに謝りなさい。そして、荷物をまとめてうちに帰ってきなさい。農家の息子として、一から鍛え直してあげるわ」
息子が絶望に打ちひしがれる。
血の気の引いた真っ白な顔で、じっとテーブルを見つめる。
終わったな
息子は思った。
師匠、すみません
心の中で、息子は謝った。
「ははは……」
乾いた笑いが漏れる。
行くところまで行くと、人間は笑ってしまうものらしい。
そんな息子を、母親が黙って見ている。
その目に浮かぶのは、勝ち誇った者のそれではなく……。
ふと。
「話を、聞いてほしい」
小さな声がした。
「私、この人から、クッキーをもらった」
母親と、そして息子が驚いたようにシンシアを見る。
「クッキーは、どれも、ムラなくきれいに焼けていた。お花の模様も、可愛かった」
うつむいたままで、シンシアが話す。
言葉遣いが、いつものシンシアに戻っていた。
「でも、あのクッキーには、甘さが足りない。お客様は、もっと甘くて濃厚な味が好き」
「それは……」
息子がうろたえる。
お菓子は、この世界において高級品。それを買い求める客は、濃厚な味を好む傾向がある。だから、店に並ぶ商品は、どれも砂糖やバターをたっぷり使っていた。
「どうして、甘さを、抑えたの?」
息子がさらにうろたえる。
「えっと……」
透き通るようなブルーの瞳が、息子を真っ直ぐ見つめた。
母親と違って、その目は決して険しくはない。それなのに、その目は不思議な力を持っていた。
逃げられないではなく、逃げてはいけないと、そう思った。
「俺は、お菓子を、もっとみんなに食べてほしいと思ってる」
息子が答えた。
「高いお菓子はあってもいい。だけど、クッキーとかマドレーヌとかは、もっと気軽に買える値段にするべきなんだ」
息子の声に力が入り始めた。
「お菓子を食べると、みんな笑顔になる。お菓子は人を幸せにする。お菓子は、金持ちだけのものじゃない。お菓子はみんなのものなんだ」
身を乗り出して息子が語る。
その勢いが、急にしぼんだ。熱くなりすぎた自分に気が付いて、ちょっと顔を赤くする。
「まあそんな訳で、親しみやすいお菓子を考えてたら、甘さを控えてみようと思って、そんなお菓子を手みやげにするのはどうかとも思ったんだけど、まあそんな訳で……」
最後は何だかごにょごにょと言って、息子は黙ってしまった。
シンシアが息子を見つめる。うつむくその姿をじっと見つめる。
やがてその視線が、母親を向いた。
「あのクッキーは、甘さが足りなかった。だけど、おいしくない訳じゃなかった」
息子が、ちょっと驚く。
「でも、試作品みたいなのを、手みやげにするのはやっぱりだめ」
「ですよねぇ」
息子が、ちょっと落ち込む。
「それと、浪費癖のある人は、私も嫌い。だから、将来も、私がこの人の恋人になることはない」
「で、ですよねぇ」
息子が、思いっ切り落ち込んだ。
分かっていたこととは言え、改めてそれを口に出されると、なかなかにダメージは大きい。
「でも」
シンシアが、またうつむいた。なぜかその顔が赤くなっていく。
恥ずかしそうに肩をすぼめ、小さな声で、意外なことをシンシアが言った。
「友達になら、ギリギリなれるような、気がする」
「友達に!?」
息子が大声を上げた。
シンシアが、ますますうつむいた。
「友達になれたら、私がこの人を怒る。無駄遣いしないように、ちゃんと怒る。だから」
シンシアが、突然立ち上がった。
そして、母親に向かっていきなり頭を下げる。
「この人がお菓子を作るのを、もう少しだけ、見守っていてあげてください!」
ぎゅっと目を閉じて、大きな声でシンシアが言った。
シンシアを見上げて息子が固まる。
「えっと、その……なんで?」
息子同様、目を見開いていた母親が、静かに聞いた。
「どうしてシンシアさんは、うちの子のためにそこまで言ってくれるのかしら」
その目は探っていた。
「あなたは、依頼されて恋人役を演じただけ。それなのに、どうして?」
その目は、シンシアを疑っていた。
シンシアが顔を上げる。そして、立ったまま話し始めた。
「この人のやりたいことは、世間の常識に反している。うまくいかない可能性の方が、たぶん高い」
母親が頷く。
息子が下を向く。
「だけど、私も、お菓子が庶民の味なってほしいと、そう思ってる。だから、この人の試みに、私は期待したい」
それを聞いて、息子がシンシアを見上げた。
「難しいことに挑戦するには、誰かの応援が必要。やってみろって、言ってくれる人が必要」
息子が驚く。
母親がシンシアを見つめる。
「私には、そういう人がいた。私は、それで頑張れた」
シンシアが、強く母親を見る。
強い気持ちを込めて、シンシアが言った。
「今度は私が、そういう人になりたい!」
守ってあげたい候補ナンバーワン
そんな評価を、今のシンシアにする人間はいないだろう。
瞳に宿るのは強い意思。
毅然と立つ体を支えるのは、積み重ねてきたいくつもの経験。
その言葉は、間違いなく思い付きなどではない。
体の内側から溢れてきた、シンシアの中にあった思い。
戦いに臨むが如く、強烈な視線で母親を見る。
強烈な視線を受けて、母親が目を見開く。
それに、シンシアが気付いた。慌てて気を鎮め、申し訳なさそうな顔をして、弱々しい声でシンシアが言った。
「それが、この人を応援したいと思った、理由です」
そう言って、シンシアはそっと腰を下ろした。
張り詰めていた空気が緩んだ。しかし、口を開く者はいない。
長い沈黙に耐えられなくなって、息子が声を出した。
「あの……」
その声に、母親が反応した。
しばらく息子を見つめ、そして唐突に言う。
「あんたは、立派な菓子職人の前に、立派な人間を目指しなさい。最低でも、シンシアさんと友達になれるくらいの人間にはなりなさい」
「えっと、はい」
急に始まった母親の話。
よく分からないままに息子が頷く。
「それから、生活に困るようなことがあったら連絡しなさい。服を買うなんてとんでもないけど、あんたが生きるために必要なお金は、私が何とかするから」
「えっ?」
意表を突く優しい言葉に、息子がポカンと口を開けた。
「さっきの言葉は訂正するわ」
間抜けな顔で自分を見る息子に、母親が言った。
「シンシアさんに、お礼を言いなさい。そして、一から出直すつもりで、明日からまた頑張りなさい」
笑いもせずに、母親が言った。
息子は反応できず。急展開についていけない。
すると母親は、やはり目を見開いているシンシアを見た。
「この子の応援は、無理にしなくていいわ。まずは友達になれるかどうか、そこから始めてちょうだい」
シンシアが、小さく頷く。
「それで、もしこの子と友達になれたら、その時は、この子のことを叱ってやってください。言うことを聞かなければ、ぶん殴っても構わないから」
「分かった」
「シンシアさん、そこは頷かないで……」
「あんたは黙ってなさい」
息子を一喝して、母親が続ける。
「この子のことをお願いしますなんて、私は言わないわ。あなたに余計な負担を掛けたくない。この子のことは、その辺に転がってる石ころくらいに考えてもらって構わない」
「石ころかぁ」
息子が嘆くが、母親は見向きもしなかった。
「たとえシンシアさんと友達になれたとしても、たとえシンシアさんに叱ってもらったとしても、この馬鹿息子が簡単に改心するとは思えない。だから私は、今のところ、この子に期待していない」
辛辣な言葉に、息子が再びしおれていく。
「とりあえず、今回は黙って帰ることにするわ。この子がどんな男になるのか、もう少しだけ田舎で見守ることにします」
許してもらった安心感よりも、受けたダメージの方が大きかったらしい。息子の姿は、可哀想なくらいしぼんでいた。
「まあでも、一つだけ、あんたに感謝しなくちゃいけないことがあるわね」
力なく、息子が顔を上げる。
息子を見ながら、母親が言った。
「シンシアさんに会わせてくれた。それについては、お礼を言っとく」
「それは、よかったです」
虚ろな目をした息子にニコッと笑うと、母親はもう一度シンシアを見た。
「シンシアさん。あなたには、絶対幸せになってほしい。心からそう願っているわ」
シンシアは、何と返せばいいのか分からない。
「あなたとお話ができて本当によかった。ありがとう」
母親が微笑んだ。
シンシアが、曖昧に微笑んだ。
母親が、荷物を持って立ち上がる。
「じゃあ私は帰るわ。ここの支払いはあんたがしなさい。大人としての第一歩よ」
息子に言い残して、母親は出口へと向かう。
慌てて立ち上がりながら、シンシアが言った。
「あの……ありがとうございました」
軽く振り向き、小さく手を振ると、母親はそのまま店を出て行った。
扉が閉まるのを見届けて、シンシアがゆっくりと腰を下ろす。
脱力した息子が、ぼそっと言った。
「何とかなった、のかな。あははは」
そこに、厳しい言葉が飛んでくる。
「何とかなんて、なってない。今日この場から、あなたは努力を始めなければならない」
ぎくっとしながら、息子が隣を見た。
「あなたは変わるべき。お母様を裏切ってはいけない」
シンシアが、めちゃくちゃ真剣な顔をしている。
「だから、まずは住所を教えて」
鞄からメモ帳とペンを取り出して、それを息子に突きつける。
「えっと」
戸惑う息子に、シンシアが言った。
「私、あなたと友達になれるように頑張る。あなたも、一緒に頑張って欲しい」
エム商会のシンシア。
町で噂の、守ってあげたい候補ナンバーワン。もしくは妹にしたい候補ナンバーワン。
そんな美少女と友達になれるかもしれないというのに、男の表情は冴えなかった。
「いやあ、俺なんて、君とは釣り合わない……」
「書いて!」
ブルーの瞳に睨まれて、息子は諦めた。
「……はい」
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