のどかな風景
鬱蒼とした森を抜け、沼地を越えて再び森に入ったところで、地図を見ていたマークが言った。
「この森を抜けると村があるはずだ。そこまで行けば落ち着けるだろう」
マークの言葉を聞くまでもなく、みんなも人里が近いことを感じ取っていた。
森の雰囲気が、今までと違って明るい。
切り払われた木の枝と、踏み固められた地面。明らかに人の手の入った道は、格段に歩きやすくなっていた。
「しっかし、ほんとに無法地帯だったな」
「装備も動きもまるでバラバラだった。統治する者が誰もいないんだろう」
先頭を歩きながら、ヒューリとミナセが話している。
ここに来るまでに、一行は何度か賊の襲撃を受けていた。しかし、それはまったく統制の取れていない、行き当たりばったりなものばかり。そんなものは、当然あっさり蹴散らしてきている。
「だけど、インサニアがあれっきり襲ってこないってのは、何でなんだ?」
「それは……分からん」
ヒューリの疑問に、ミナセは答えられなかった。
あの夜リリアとミアが倒した男たちからは、インサニアにつながりそうなものは何も見付からなかった。だが、あの襲撃は明らかにエム商会を狙っていた。男たちと、そしてニーナがインサニアのメンバーだった可能性は非常に高い。
剣の男は、どう考えても臨時に雇われたか、加わったばかりの新人だった。短剣の男を含めたあの二人を倒したからと言って、インサニアに深刻なダメージを与えたとは到底思えない。
あれ以来フェリシアは、索敵魔法全開で常に反応に集中している。ミナセとヒューリも、細心の注意を払いながら歩いていた。
だが、結局大した危険を感じることもなく今に至っている。
風景が変わったことで、沈みがちだったリリアの表情も明るくなった。
シンシアも、前を向いて歩くことが多くなっている。
「社長、村に着いたら宿屋には……」
「泊まらないよ」
「社長、村に着いたら食堂でご飯を……」
「食べないよ」
ヒューリとミアの問い掛けに、ブレることなくマークが答える。
「お前たち、ほんとに往生際が悪いな」
ミナセが呆れる。
「二人はそうでなくっちゃね」
フェリシアは楽しそうだ。
肩を落とす二人を、リリアも笑って見ている。シンシアの手を握り、それを少し大げさに振りながら、リリアは明るい森の中を歩いていった。
やがて一行は、小さな村に辿り着いた。
メェェェ
モォォォ
家畜の鳴き声が響く。
チュンチュン
ピピピピピ……
小鳥のさえずりが聞こえる。
「何と言いますか、その、極めてのどかですね」
ミアの言葉に、みんなは大きく頷いた。
これまでの道のりが嘘のように、その村は、平和でのんびりとしていた。
「おやおや、旅人さんかい?」
村の入り口で、小さな樽に座ってひなたぼっこをしていたおばあちゃんが、ニコニコしながら声を掛けてきた。
真っ白く染まった髪が、きちんと後ろでまとめられている。優しい顔立ちと柔らかな声。とても品の良さそうなおばあちゃんだ。
「こんにちは!」
ミアが元気に返事をする。
「どこまで行くんだい?」
「はい! この先のダンジョンに行こうと思ってます!」
「ほう、ダンジョンねぇ」
おばあちゃんの返事はのんびりだ。
「この村に、冒険者ギルドはありますでしょうか? ダンジョンの情報がほしいと思っているのですが」
マークが丁寧に聞いた。
すると。
「ああ、ギルドねぇ。何年か前に、無くなっちゃったよ」
「無くなった?」
「ダンジョンが見付かった最初の頃はねぇ、それなりに来てたんだよ、冒険者も。だけどねぇ、大したダンジョンじゃあないっていうのが分かってからは、冒険者が全然来なくなってねぇ」
「……」
マークが黙る。
「宿屋も食堂も、みんな店を閉めちゃったしねぇ」
「宿屋がないんですか!?」
「ないわねぇ」
「食堂も!?」
「ごめんなさいねぇ」
ヒューリとミアが絶句する。
「では、武器とか防具を売っている店は……」
「残念だわねぇ」
ミナセも、口をつぐんだ。
「じ、じゃあ、ダンジョンまでの道はご存じかしら?」
「分からないわねぇ」
フェリシアも沈黙。
呆然とする五人を前に、おばあちゃんがにこにこと笑う。
ふと。
「よっこらしょ」
おばあちゃんが立ち上がった。そして、リリアの前に立つ。
「お嬢ちゃんは、オーネスの生まれかい?」
「えっ? いえ、違います」
ちょっとびっくりしながらリリアが答えた。
「そうかい」
言いながら、おばあちゃんがリリアの胸元を見る。
そこにはあるのは小さな石。リリアが肌身離さず付けている、あのペンダント。
おばあちゃんが、微笑んだ。
「とりあえず、鍛冶屋に行ってみなさい」
小高い丘の上に建つ、煙突のある家を指さしておばあちゃんが言った。
「店主がもとのギルド長だからね、あたしよりもいろいろ知っているはずだよ」
言い終わると、ゆっくり向きを変えて歩き出す。
「あ、ありがとうございます!」
リリアの声を背中で聞きながら、片手を軽く挙げただけで、おばあちゃんはぽっくりぽっくりと去っていった。
緩やかな坂道を、煙突目指して一行は進む。
「宿屋がないなんて……」
「食堂がないなんて……」
「武器屋がないなんて……」
相変わらずのヒューリとミアに、今度はミナセまでが加わっていた。
「じつは魔物もいないなんてことには、ならないといいけれど……」
フェリシアのつぶやきに、さすがのマークもちょっと心配顔だ。
その後ろで、シンシアがリリアに言った。
「あのおばあちゃん、リリアと同じ、目の色してた」
「そう言えば、そうだね」
リリアと同じ、茶色の瞳。それは、ニーナと同じ瞳の色。
リリアがうつむく。それを見てシンシアもうつむく。
ほかのみんなも、どことなくうつむきながら、黙々と坂道を登っていった。
突然。
「こんにちは!」
沈んでいたはずのミアが大きな声を上げた。見れば、少し離れたところに数人の子供たちがいて、じっとこちらを見ている。その子供たちに向かって、ミアが元気に手を振っていた。
男の子が元気に手を振り返す。女の子が、恥ずかしそうに友達の後ろに隠れる。
微笑ましいその姿に、リリアも、そしてみんなも穏やかに笑った。
みんなが顔を上げる。
緩やかな上り坂は、真っ白な石畳。道に沿って、小さな家がいくつも並んでいる。
見渡せば緑の草原。遠くの丘では、男の子と犬が羊の群を追っていた。
宿屋も食堂もない村。
武器屋もギルドもない村。
「極めて平和ですね」
ミアの声に、もう一度、みんなは笑った。
子供たちに見送られながら一行は歩く。やがて一行は、丘の上の鍛冶屋に辿り着いた。看板も何もないその建物の前で、少し躊躇った後、開け放たれている入り口から中へと入る。
「ごめんください」
「……いらっしゃい?」
砥石の前で包丁を持っていた店主らしき男が、首を傾げた。
「こちらの店主さんが、もと冒険者ギルドの長だったと伺って来たのですが」
「冒険者?」
店主が、さらに首を傾ける。
「この村の近くにある、魔物が湧く高原と、ダンジョンの情報を教えていただくことはできますでしょうか」
「あんたら、冒険者なのか?」
店主の首が、もう一段階傾いた。
「首って、あんなに曲がるんだ」
ミアがこっそりささやく。
フェリシアが、こっそり苦笑した。
「俺たちは、冒険者ではないのですが、武術の訓練のためにそこに行こうと思っていまして」
「なるほどな」
店主の首が、戻った。
「残念だが、情報を渡せるのは、ギルドに登録済みの冒険者だけだ。狩り場やダンジョンの情報は、冒険者たちが命がけで集めたもの。誰彼構わず渡すという訳にはいかないんでね」
「……ごもっともです」
マークが困ったような顔をした。
すると。
「ミア、カードを」
「うっ!」
「ミア、早くカードを」
「はう!」
「ミアさん」
「リリアまで!」
「ミア、出して」
「助けてください、フェリシアさん!」
「自業自得ね」
総攻撃を受けて、ミアが泣く。
それを見ていた店主が、突然笑い出した。
「はっはっはっ、冗談だよ。もうここはギルドじゃない。冒険者じゃなくても、情報は教えてやるよ」
「ひどい!」
叫ぶミアを、面白そうに店主が見ている。
「それにしても、あんたらが武術ねぇ。優男一人に、美人と美少女が六人。どう見ても、そういう雰囲気じゃねぇな」
そう言いながら、店主は店の奥へと引っ込んでいった。
ほっぺたを膨らましているミアの頭を、フェリシアが楽しげに撫でている。その横で、ヒューリが店の片隅を見つめていた。
そこには盾や鎧が転がっていて、壁には槍や斧などが立て掛けてある。フタの開いたままの大きな箱からは、剣の柄が頭をのぞかせていた。
「お待たせ。これが出現する魔物の情報と、ダンジョンのマップだ。本当なら二千リューズと言いたいところだが、タダでやるよ」
「いいんですか?」
「別に構わないさ。金を取っちまったら、売上げの二割をギルド本部に納めなきゃならねぇ。そんな面倒なことしたくないからな」
「なるほど。ありがとうございます」
こんな僻地の、しかもずいぶん前に脱退したもとギルドの売上げなど誰も気にしないと思うのだが、店主はタダでいいという。
正直な人だと、みんなは思った。
「ここには、もう冒険者は来ないんですか?」
「来ないとは言わないが、多くても年に一組か二組ってとこだな」
「初級の冒険者にはちょうどいい場所だと聞いたのですが」
「その通りだ。ただ、初級の冒険者がこの村に辿り着くのが大変だってことなんだろうよ」
「そう、かもしれませんね」
その言葉には、マークも頷くしかなかった。
「まあ、これで良かったんだと、俺は思ってるけどな。面倒くさい事件も起きなくなったし、夜は静かになった。元に戻っただけなのさ」
はっはっは
店主が豪快に笑った。
マークが微笑む。そんなマークを見て、ミナセも微笑んでいる。
その時、ヒューリが店主に声を掛けた。
「あそこの箱に入ってる剣を、ちょっと見せてもらってもいいですか?」
「ん? ああ、いいよ」
店主に断って、ヒューリが箱の中を漁る。箱には、十数本の剣が無造作に投げ込まれていた。その中から、ヒューリが二本の剣を取り出す。いずれも小振りの片手剣。それを店主に見せて、ヒューリが聞いた。
「これって売り物ですか?」
「ここがギルドだった頃まではな。今となっちゃあ、武器を買う客なんてこの村にいやしない。売れそうな武器は全部売っ払っちまって、残ったガラクタをそこに放り込んであるだけだ」
「じゃあもらっても?」
「好きにしな。でも、そんなんじゃあ使い物にならないだろ」
店主の言う通り、ヒューリが持っている剣には、ところどころ錆が浮いている。そのままではとても使えそうもない。
「では」
突然マークが横から入ってきた。
「代金はお支払いするので、それを研いでいただくことはできますでしょうか」
それを聞いて、ヒューリが微笑む。
「べつに構わないが」
「よろしくお願いします」
マークの目配せで、ヒューリが店主に剣を渡した。
「じゃあ研いでおくから、明後日あたりまた来てくれ。代金はその時でいい」
「分かりました。では、また明後日」
軽く頭を下げて、マークは店を出た。みんなも続いて店を出る。
「そろそろ夕方だ。野宿できる場所を探そう」
傾いてきた太陽を見ながらマークが言った。
「ありがとうございました」
マークの後ろを歩きながら、嬉しそうにヒューリが言った。
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