試練
「みんな、起きて!」
ガバッと毛布を撥ね除けて、シンシアが飛び起きた。
「シンシア!?」
その声に、リリアが反応した。
慌てて起き上がり、男たちを見て目を丸くしている。
横たわるヒューリの上で剣を振り上げていた男が、驚いて飛び退いた。もう一人の男も、シンシアから距離を取ってナイフを抜く。
状況が掴めないながらも、リリアは素早く手元の剣を取って、男たちに対峙した。
「シンシア、どういうこと?」
「分からない」
答えながら、シンシアも二本の木刀を構えて男たちを睨む。その視界の片隅に、シンシアが奇妙な現象を捉えた。
「リリア、それ、なに?」
「えっ?」
聞かれたリリアが、下を向いて、また目を丸くする。
薄暗い空間に浮かび上がる淡い光。薄い生地を通してリリアを照らす、不思議な光。
リリアが、それを取り出した。肌身離さずつけているペンダント。母の形見の、あのペンダントだ。
「……分からない」
答えたリリアの見つめる先で、その光が徐々に小さくなっていく。
やがて、光が消えた。だが、リリアの混乱と困惑は、消えるどころか増していく一方だ。
とても冷静とは言えない二人は、それでも必死に戦闘態勢を取る。二人の目の前では、男たちが鋭く言葉を交わしていた。
「どういうことっすか?」
「呪歌が効かない奴がいたってことだろ。お前が茶色をやれ。俺が青いのをやる」
「了解」
ほとんど動揺することもなく、男たちは方針を即決した。
リリアが、剣を持つ男と向かい合う。
シンシアが、ナイフを構える男と向かい合う。
突然やってきた試練。
殺気に満ちたこの空気の中でさえ、二人以外は誰も起きてこない。ミナセもヒューリも、フェリシアもミアも、そしてマークも起きてこない。
何がなんだか分からなかった。
分からなかったが。
やるしかない
二人は同じことを思った。
同時に。
怖い……
同じことを、二人は思った。
剣の男は、おそらく下っ端だ。構えを見れば、大して強くないことが分かる。リリアなら余裕で倒せるはずだ。
しかし、相手の目には迷いがない。リリアを殺すことに一切の躊躇いが感じられない。
リリアは、その目に恐怖した。両手の震えが止まらなかった。
ナイフの男は、明らかにプロだ。木刀しか持っていないシンシア相手にまったく油断していない。
とは言いながら、武器での戦いが苦手だというフェリシアよりも、たぶん弱い。シンシアなら、勝てる可能性は十分あるはずだ。
しかし、相手の目には迷いがない。シンシアを殺すことに一切の躊躇いが感じられない。
シンシアは、その目に恐怖した。全身の震えが止まらなかった。
剣が前に出る。
リリアが後ろに下がる。
ナイフが前に出る。
シンシアは、動けない。
剣が振り上げられた。
ナイフが沈み込んだ。
殺される!
二人が思った、その時。
「たあぁっ!」
シンシアの真後ろから、突然人影が飛び出した。金色の軌跡を描きながら、メイスがナイフの男に襲い掛かる。
「なにっ!」
完全に意表を突かれた男のわき腹に、横殴りに払ったメイスがめり込んだ。
「ぐはっ!」
体を折り曲げて、男が血を吐く。
直後、金色の瞳が叫んだ。
「リリア、戦って!」
リリアが歯を食いしばった。
リリアが覚悟を決めた。
手の震えが、止まった。
「てめぇ!」
声と共に剣が振り下ろされる。それより早く、リリアが動いた。
落ちてくる剣をかわして、リリアが懐に飛び込む。
「やあぁっ!」
「がはっ!」
リリアの剣が、男を貫いた。
男が、顔を歪める。
「まだよ!」
声に反応して、リリアが剣を引く。吹き出る鮮血がリリアを染める。
そのリリアを、再び剣が襲った。
力なく薙ぎ払われるそれを、下がってかわして、もう一度前へ。
「とどめを!」
「はあぁぁっ!」
リリアが、力を込めて剣を振り下ろした。
「ぎゃっ!」
断末魔の叫びが響く。
同時にメイスが、ナイフの男を叩き伏せる。
地面に崩れ落ちた男たちは、呻き、もがき、やがて、動かなくなった。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
目の前の男をリリアが睨む。肩で息をしながら、険しい表情で仰向けの死体を睨み付ける。
暗がりに浮かぶ男の目。開いたままのその目が今にもギロリと動き出しそうで、リリアはそこから視線を外すことができない。
錆びた鉄のような臭いがする。
両手にぬめるような感触がある。
怖い……
怖いよ……
リリアは震えた。膝がガクガクと震え出した。
ふと。
「リリア」
優しい声がした。
「よく頑張ったね」
赤く染まったリリアを、柔らかな腕が抱き締める。
リリアの体から力が抜けていった。カランと音を立てて、剣が落ちる。
すぐ隣では、シンシアが立ち尽くしていた。
そのシンシアを、柔らかな腕が引き寄せる。
「大丈夫。シンシアは頑張ってるよ」
涙を浮かべるシンシアを、その腕が抱き締めた。
シンシアの体から力が抜けていく。シンシアが、木刀を手放した。
「ミアさん……」
「ミア……」
小さな小さな声がした。
「二人とも、お疲れ様」
抑えていた感情が、ポロポロと溢れ出していった。
リリアが泣いた。
シンシアが泣いた。
ミアにしがみつき、ミアに顔を押しつけて、二人はただただ泣き続けた。
力強く焚き火が燃え上がる。気味の悪い鳴き声が聞こえてくる。
森は、まるで数時間前の状態に戻ったかのようだった。
違うのは、木々に映る影が三つしかないこと。そして、視界に入らないよう移動させた二つの死体が、すぐそばの藪の中に転がっていることだった。
体を拭いて着替えたおかげか、リリアはだいぶ落ち着いていた。だが、その瞳は混乱と戸惑いに揺れている。
「ニーナさんが、呪歌っていうのを、歌ってたってこと?」
リリアが聞いた。
「そういうこと、なんだろうね」
うつむくシンシアのかわりに、ミアが答えた。
シンシアが語った男たちの会話。
いつの間にか姿を消していたニーナ。
実感が湧かない。
ニーナが敵だったということがどうしても信じられない。
リリアとミアが、周りを見る。マークもミナセも、ヒューリもフェリシアも、いまだに眠ったままだ。脈も呼吸も安定しているので、死に至るような感じはしないが、起きる気配も感じられない。
普通の状態ではなかった。ニーナの歌が原因だと考えるのが、やはり妥当だった。
「とにかく」
ミアが顔を上げる。
「みんなを何とかしないとだよね」
そう言って、ミアは立ち上がった。
「魔法でもなく、薬でもない」
焚き火の周りを、ミアが歩き始める。
「呪歌……呪いの歌……呪い……」
ぶつぶつとつぶやきながら、ぐるぐる回り続ける。
そのミアが、突然ハタと立ち止まった。
「ものは試しよね!」
ぐっと拳を握り締め、目の前で眠るフェリシアの横にひざまずく。
「あんまり使ったことないから、自信ないけど」
そう言いながら、目を閉じて集中を始める。そして、小さな声で呪文を唱え始めた。
魔法を発動する時に、ミアはほとんど呪文を唱えない。本人の言う通り、普段は使わない魔法なのだろう。
やがて呪文は完成する。ミアが、目を開けた。
そして。
「リムーブカース!」
フェリシアに向かって魔法を放つ。
強力な魔力がフェリシアを包み込んでいった。
光の魔法の第三階梯、リムーブカース。魔法やアイテムによって掛けられた呪いを解く魔法だ。呪歌という未知の術に効果があるかは分からなかったが、まさに”ものは試し”でミアは使ってみた。
だが。
「……失敗、かな?」
フェリシアは、相変わらず静かな寝息を立てて眠っている。
「ああ、もう! どうすりゃいいのよー!」
ミアが大声を上げた。
直後。
「なにっ!?」
フェリシアが飛び起きた。
「フアッ!?」
びっくりしたミアが、後ろにひっくり返る。そして即座にミアも飛び起きて、フェリシアに抱き付いた。
「うぇーん、フェリシアさーん!」
「ミア?」
「うわーん、うわーん……」
結局、ミアも泣いた。訳が分からないという顔のフェリシアにしがみつきながら、大きな声でミアは泣き続けた。
「すみませんでした」
「いや、今回は俺の責任だ。ヒューリは気にするな」
うなだれるヒューリにマークが言った。その眉間には、見たこともないような深いしわが刻まれている。両手を顔の前で組み、沈痛な面もちでマークは焚き火を見つめていた。
「不覚! 未熟!」
隣ではミナセが落ち込んでいる。マークに負けず劣らずの悲痛な顔をしている。
「皆殺しだなんて……」
フェリシアは、男たちが話していたという依頼内容にショックを受けていた。みんなの死に顔を見せられるなんて、想像するだけで体が震えてくる。
しばらくの間、焚き火の周りには重たい空気が流れていた。誰もが何かを思い、誰もがうつむいている。
そこに、大きな声がした。
「もー、無事だったんだから、それでいいじゃないですか!」
ブロンドの髪が、元気に立ち上がる。
「病は気から、元気は笑顔からです! さあみなさん、顔を上げてください! そして一緒に笑いましょう! さん、はいっ!」
わっはっはっは!
大きな笑い声が森に響き渡る。
わっはっはっは!
みんながポカンとミアを見上げる。
気味の悪い鳴き声も、ぴたりと止んだ。
腰に手を当て、夜空に向かって笑うミアを見て、思わずマークが笑った。
「そうだな、ミアの言う通りだ」
「そうですよ。落ち込んでたって仕方がありません。ね、フェリシアさん!」
抱き付いてきたミアを、フェリシアが受け止める。
フェリシアも、笑った。
「あなたって、ほんとにいい子ね」
フェリシアは、そう言ってミアの髪を優しく撫でた。
「それにしても、三人には感謝しないといけないな」
気を取り直してマークが言う。
「リリア、シンシア、ミア。よくやってくれた。本当にありがとう」
マークが笑顔を向けた。
「いえ、そんな……」
リリアがうつむく。
「……」
シンシアは無言のまま。
「いやー、大したことはしてないですよー」
得意げにミアが声を上げた。
それを見て、フェリシアが微笑む。そして、いつものフェリシアに戻って楽しそうにミアに言った。
「あなた、横になってすぐに寝ちゃったから、ニーナさんの呪歌を聞かずに済んだんでしょ?」
「えっ? まあ、そうかも」
「シンシアが起きてって言ったのに、その時はまだ寝てたのよね?」
「うっ!」
「ミア、大活躍ね!」
「フェリシアさ~ん」
ミアが情けない顔でフェリシアを見る。
それを見て、みんなは声を出して笑った。シンシアも、少しだけ笑った。
「リリア、そのペンダント見せてくれる?」
半泣きのミアを放置して、フェリシアがリリアに声を掛けた。
「はい」
首からペンダントを外して、リリアがそれをフェリシアに渡す。
「魔力はやっぱり感じないわね」
透明感のある、小振りのイエローサファイア。どこにでもある、それほど価値もないありふれた宝石。
そう思っていたのだが、シンシアの話を聞く限り、この石がリリアを呪歌から守った可能性が高かった。
「呪歌といい、このペンダントといい、世の中には知らないことがたくさんあるのね」
フェリシアがため息をつく。
「ともかく」
マークが、少し大きな声で言った。
「今回の襲撃は、間違いなくインサニアの仕業だろう。だが、これで終わりだとは到底思えない。これを教訓にして、これからは気を付けていこう」
「はい!」
みんなが答える中で、リリアが、シンシアの手にそっとその手を重ねていた。
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