子守歌

 パチパチと薪の弾ける音がする。森の奥から気味の悪い鳴き声が聞こえてくるが、ミナセもヒューリもフェリシアも関心を示していないので、きっと危険なものではないのだろう。

 旅慣れていないリリアは、森の中での夜営に落ち着きを無くしていた。

 その隣には、じっと焚き火を見つめて動かないシンシアがいる。


 食事が終わって、全員が何となくぼうっとしていた。ふとフェリシアが、マジックポーチから人数分の毛布を取り出し始める。

 それを見て、ヒューリが言った。


「やっぱ、旅にフェリシアは必需品だな」

「必需品なのは、私じゃなくてこのポーチでしょ」


 軽口にフェリシアが応酬する。

 そのやり取りに、ミナセが乗ってきた。


「そのポーチって、何でも入るのか?」

「何でもじゃないわ」


 フェリシアは紐を緩め、ポーチの口を広げて見せる。


「ここを通る大きさじゃないとだめよ」


 ポーチ自体はそれほど大きくない。よって、その口もそれほど広がる訳ではなかった。毛布の出し入れは問題ないが、少し大きめの鍋は、いつも出し入れに苦労している。


「どのくらいの量が入るんだ?」

「分からないわね、試したことないから。ただ、このポーチは結構たくさん入る方なんじゃないかしら」


 マジックポーチは、入手できる場所によって違いがある。フェリシアの持っているポーチは、ファルマン商事が集金の時に使っているものよりひと回り大きかった。

 毛布や鍋類に加えて、個人の持ち物から予備の武器まで、今回は結構な量が入っている。女性たちが持って行くと主張し、マークを呆れさせた”ある物”も、相当な量になるはずだ。


「間違いなく、今までの中で一番たくさん入っているわね」

「大したもんだな」

「そうね。でも、入れちゃいけないものもあるのよ」

「入れちゃいけないもの?」

「生き物よ。生き物は、入れると死ぬわ」

「死んじゃうんですか!?」


 横からミアが大きな声を上げた。

 マジックポーチは、様々な研究者がその謎の解明に取り組んでいるが、いまだに仕組みが分かっていない謎のアイテムだ。

 生き物をポーチに入れると死んでしまうのは、中に特殊な魔力が満ちているためだと言われている。

 驚いたミアが、気を取り直して質問を始めた。


「でも、食べ物は大丈夫なんですよね?」

「そうね」

「ちなみに、熱いものを入れておくと熱いままとか……」

「冷めるわよ」

「冷たいものを入れておくと冷たいままとか……」

「ぬるくなるわね」

「残念です」


 がっくりと肩を落とすミアの姿に笑い声が広がる。その空気にも反応しない顔が、三つ。

 感情の読めないニーナと、固い表情の、リリアとシンシア。

 会話が途切れたところで、三人をちらりと見ながらマークが言った。


「明日も早いから、そろそろ寝ようか。見張りは……」

「私が最初です」


 薪を焚き火にくべながら、ヒューリが答えた。

 この旅では、ヒューリとミナセ、そしてフェリシアが交代で夜の見張りを担当している。リリアたちは、体力温存のため見張りはなし。マークは、社員全員から反対されて、やはり見張りをしていない。


「いつも悪いな。じゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい」


 ヒューリに声を掛けながら、フェリシアから毛布を受け取って、みんなは横になる。リリアとシンシアも、毛布を被って横になった。

 二人は、どちらからともなく手を握り合い、寄り添うように眠る。だがその顔は、焚き火の弱々しい明かりの中でもはっきり分かるほどこわばっていた。


 昼間見た出来事。

 人が死ぬ場面。大量の血と、錆びた鉄のような臭い。


 リリアはショックを受けていた。

 初めての経験に、心は落ち着かないままだった。


 シンシアは思い出していた。

 克服できない恐怖を、黙ってひたすら耐えていた。


 二人の様子がおかしいことは、全員が気付いている。その原因も、もちろん分かっている。

 だが、全員があえて二人を放っておいた。

 この旅の大きな目的は、二人がそれを乗り越えること。それを受け入れて強くなること。

 厳しく、暖かく、みんなは二人を見守る。

 二人も、必死に試練を乗り越えようとしていた。


 そんな二人を、ニーナが見つめている。横になることもなく、静かに二人を見つめていた。

 ヒューリが、怪訝な顔でニーナを見る。

 やがてニーナが、唐突に言った。


「子守歌を、歌わせていただいてもいいでしょうか?」

「子守歌?」


 ヒューリが聞き返す。マークも、首をわずかに動かしてニーナを見た。


「はい。故郷に伝わる歌なんです。私も、それを聞いて育ちました」


 ニーナが、リリアとシンシアを見たまま答えた。


「いいんじゃないかな」


 ヒューリが微笑んだ。

 相変わらずニーナへの警戒心は解いていなかったが、今のニーナに向けるヒューリの視線は、穏やかで優しい。


 リリアが、ちらりとニーナを見て、目を閉じる。

 シンシアが、頭まで毛布を被って背中を丸める。

 ほかのみんなも、仰向けになり、あるいは横を向いて眠る姿勢をとった。


 パチパチと薪の弾ける音がする。

 森の奥から気味の悪い鳴き声が聞こえてくる。

 それらすべてを包み込むように、思い掛けない澄んだ声で、ニーナが子守歌を歌い始めた。


 抑揚の少ない緩やかな旋律。

 どこの言葉か分からない、だけど不思議と耳に心地よい詩。


 森の気配に溶け込みながら、歌は流れる。

 森の空気と混ざり合いながら、歌は広がっていった。


 ニーナは歌う。

 リリアとシンシアを見つめ、メロディに合わせてゆったりと体を揺らしながら歌い続ける。


 それは、母が歌う子守歌のよう。

 それは、魔性と呼ばれるセイレーンの歌声のよう。


 気持ちが落ち着いていく。

 安らかな寝息が聞こえてくる。

 いつの間にか、気味の悪い鳴き声も聞こえなくなっていた。


 やがて歌声が止んだ。パチパチという音の間隔が、長くなっていった。


 その静寂に、シンシアは違和感を抱いた。

 ニーナの歌声さえ心に届かず、眠れないまま恐怖と戦っていたシンシアが、ふと周りに意識を向ける。


 焚き火が消え掛けている?


 シンシアが、毛布から少し顔を覗かせて辺りを見回した。横になるまではオレンジ色に揺らめいていた森が、今はほとんど見えなくなっている。やはり焚き火が消え掛けているようだ。

 そして。


 ニーナがいない?


 すぐそばに座っていたはずのニーナの姿がない。


 どうしたんだろう?


 シンシアは、握っていたリリアの手をそっと放して半身を起こそうとした。

 その時。


 ガサガサ!


 近くの茂みが音を立てる。


 なに?


 驚いたシンシアが、動きを止めた。起こし掛けていた体を再び横たえ、そのまま目を薄く開いて様子を窺う。

 何かあれば、すぐにヒューリが動くはずだ。喧嘩ばかりしているくせに、ヒューリに対するシンシアの信頼は、絶対と言っていいほど厚い。

 シンシアは待った。ヒューリが何か言い出すのをじっと待った。

 だが、しばらくして聞こえてきたのは、ヒューリの声ではなく、聞いたことのない男たちの声だった。


「ほんとにあんなに離れてなきゃいけなかったんすか?」

「そうだ。こいつらの索敵範囲がはっきりしなかったからな」

「へぇ。にしても、合図が遅かった……ってあいつ、もういないし」


 低く抑えた声に、シンシアが耳を澄ます。


「しっかし、呪歌の力って凄いんすね」

「まあな。とは言っても、作戦で使ったのは今回が初めてだけどな」

「そうなんすか?」

「ああ。魔法でも薬でもない、あいつだけが使える珍しい術だが、使いどころが意外と難しいのさ」


 声が近付いてくる。

 驚きと恐怖を押し殺して、シンシアは男たちの動きに集中した。


「紫は……こいつか。こいつは俺が縛っておく。お前はそっちの、黒と赤を殺れ」

「了解っす。でも、どうせ全員殺しちゃうんでしょう?」

「順番があるんだよ。紫には、六人の死に顔を見せた後で死んでもらう。それが依頼主の希望だ」

「悪趣味っすね。ま、いいっすけど」


 足音が一つ、前に出た。

 シンシアの心臓が早鐘を打つ。強烈な鼓動が全身の血管を脈打たせる。


「じゃあ、まずはこいつから」


 シャラン


 剣を抜く音がした。


「一人目……」


 男が言った。

 その瞬間。


「みんな、起きて!」


 ガバッと毛布を撥ね除けて、シンシアが飛び起きた。

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