始まりの笑顔

 カランカラン……


 小さなカウベルが軽やかに音を立てた。


「いらっしゃいませ!」


 明るい声が出迎える。


「こんにちは、フェリシアさん!」

「こんにちは、リリア」


 二人が笑みを交わした。


「私が一番乗りかしら?」

「はい。でも、ほかの皆さんもすぐいらっしゃると思います」


 笑顔で答えて、リリアがフェリシアにイスを勧める。


「可愛らしいお店ね。まさに女性向けっていう感じがするわ」

「ありがとうございます!」


 嬉しそうにリリアが笑った。

 アルミナの町の食堂と言えば、たとえカフェと名の付く店であっても、客の多くは男性だった。ゆえに、店構えや内装も質素なことが多く、メニューもどちらかと言えば男性向け。

 だが、来週オープン予定のこの店”尾長鶏亭”は、明確に女性をターゲットにしていた。

 可愛らしい外観と、明るい色で統一された内装。イスやテーブルも、食器や装飾品も、すべて女性が目を輝かせるようなものばかり。

 メニューには、美と健康をテーマにした飲み物や食べ物が豊富に用意されている。しかも、そのすべてが庶民でも気軽に楽しめる値段になっていた。

 中でも目を引くのが、”甘くても太らないお菓子”シリーズ。お菓子の常識を覆すその品々は、町で噂になること間違いなしだ。

 閑古鳥の鳴いていた食堂を伯父夫婦から譲り受け、全面改装した建物は、見違えるようにお洒落な店へと変貌を遂げていた。


「ところで、シンシアは?」


 フェリシアが店の中を眺めながら聞く。


「たぶん、そろそろ……」


 リリアが店の外を見た、その時。


 カランカラン……


「何で私が荷物持ちなんかしなきゃいけないんだよ!」


 大きな声と共に、大きな荷物を抱えた女が入ってきた。


「こっちは長旅から戻ったばっかりなんだぞ」


 全身で文句を言いながら、重そうな箱をどさりと床に置く。

 その箱を開けながら、小柄な少女が言った。


「これは、ターラさんからの荷物。だから、ヒューリが持つのが当然」

「ターラは関係ないだろ!」


 顔を真っ赤にするヒューリを無視して、シンシアが中身を確かめる。

 箱の中には、この辺りでは見掛けないハーブや根菜類がいっぱい詰まっていた。いずれも、シンシアが作る”甘くても太らないお菓子”に欠かせない材料だ。

 コメリアの森で見付けたそれらの素材を満足げに眺め、箱の蓋を閉じたシンシアが、ヒューリを見てニヤリと笑う。


「ヒューリの旅の目的は達成した。それなら、次は森へ行くはず。ターラさんと関係ないとは言わせない」

「な、な……」


 さらに顔を真っ赤にして、ヒューリが狼狽えた。


 イルカナの東にあるカサール王国。その南東にある、山に囲まれたとある地方。強大な軍事国家キルグによって支配されていたその地方が、最近独立した。

 クラン地方と呼ばれていたその地域は、現在はクラン王国として復興の道を歩み始めている。

 神器”神の鎧”を失って以降、キルグ帝国はその勢いを失っていた。とは言え、小さな地方が仕掛けた独立戦争に負けるほど落ちぶれてもいなかった。

 しかし、キルグは負けた。勝ったのはクランだった。その勝利に大きく貢献したのが、謎の双剣使いだった。


 その速さは疾風の如し。

 その双剣は旋風の如し。


 十分な装備と練度を持つ、戦い慣れしたキルグ兵。その大軍を、双剣が切り裂いた。あり得ない強さでキルグ兵を倒し続けて、クランを勝利に導いた。

 悲願の独立の立役者。だがその双剣使いは、独立を祝う式典会場に姿を見せなかったという。

 この出来事以降、キルグは凋落の一途を辿る。支配下にあった地域が次々と独立を果たし、キルグ帝国の覇権は完全に失われていくことになるのだった。


「もうヒューリを縛るものはない。ヒューリは、ターラさんの待つコメリアの森に向かうべき」

「うるさい!」


 シンシアとヒューリのやり取りを、フェリシアが笑いながら眺めている。


「ターラさんは、今や連邦国家の中心人物だものね。早く奥さんをもらって落ち着きたいと思ってるに違いないわ」


 にこりと笑うフェリシアに、ヒューリがふてくされたように返す。


「ふん、やっぱり奥様の言うことは違うよな!」


 まったく動じることなくフェリシアが笑った。


「まあね。でも、結婚生活も甘くはないのよ。あの人、結婚前は”お前がすべてだ”なんて言ってたくせに、今は”ロイ様に命を捧げる”とか言って、仕事最優先だもの。まったく頭に来ちゃうわ」


 文句を言うフェリシアは、それでもやっぱり幸せそうだ。


「私は、しっかり仕事をする人好きですよ」


 リリアの声に、シンシアが反応する。


「だからリリアは、シュルツさんが好き」

「ちょっと、シンシア!」


 リリアが急に慌て出した。

 今は大工として働いている、傭兵団のもと団長シュルツ。リリアが初めて担当した護衛の仕事で、一緒にコメリアの森との往復をしていた。

 イルカナ王国と周辺諸国の治安は大きく向上している。南のエルドアも落ち着きを取り戻していて、近々アルバートが正式に即位するだろうともっぱらの噂だ。

 旅に護衛がいらなくなった。戦争が起きることもなくなった。

 その状況を素早く受け入れて、シュルツは傭兵団を解散した。自身も実家に戻って、家業の大工を継いでいる。

 そのシュルツが、尾長鶏亭の改装を請け負っていた。それまでの経歴に似合わない細やかでしっかりとした仕事ぶりに、リリアもシンシアも感心していたのだった。


 顔を赤くするリリアに、シンシアが追撃の一打を放つ。


「年上が好きなリリアに、シュルツさんはぴったり。私は二人を応援する」

「もう、シンシア!」


 リリアがシンシアを睨み、シンシアが楽しそうに笑った。

 そのシンシアに、リリアが反撃する。


「シンシアだって、あの息子さんと仲良くしてるじゃない!」


 あの息子。シンシアが恋人役を演じた、お菓子職人の弟子。

 お菓子をみんなのものにしたいと言っていた男と、独自のお菓子を目指していたシンシアは、意外なことに、その後何度も会っていた。お菓子作りについて互いに意見を交換し合い、腕を磨き合っている。


「シンシア。まさか、あの息子と付き合ってるのか?」


 ヒューリがニヤニヤしながらシンシアを覗き込んだ。

 シンシアが目をそらす。


「あ、あれは、ただの友達」


 その様子を見て、ヒューリがますます楽しそうに言う。


「まあそうだよな。たしかその息子って、結構なダメ男だったもんな」


 するとシンシアが、ちょっと怒ったようにヒューリを睨んだ。


「ダメじゃない。今は、チーフとして後輩を指導してる。貯金もちゃんとしてるし、近いうちに、きっと自分の店を出せるようになる」

「ほう、そうかそうか」


 笑うヒューリを見て、シンシアの顔が真っ赤に染まった。

 シンシアは、逃げるようにリリアの背中に隠れると、後ろからリリアに抱き付く。


「私は、リリアがいれば、それでいい」


 リリアが、シンシアに顔を向けて微笑んだ。


「私は、シンシアの幸せを願ってるよ。シンシアが幸せになることが、私の幸せ」

「リリア……」


 二人が、目を合わせて笑い合う。


「相変わらず仲がいいわね」


 フェリシアが呆れたように言った。

 その時。


「遅れてすみませんでした!」


 元気な声が飛び込んできた。


「絶対一番に来ようって思ってたんですけど、どうしても泊まっていけって言われちゃって、断れなくて」


 肩で息をしながら、謎の言い訳をする。


「でも、おかげでいっぱいお話することができました。夫人もご家族も、あの侍女さんもお元気そうで、良かったです!」


 弾ける笑顔を見ながらヒューリが言う。


「お前の話は、昔っから分かりにくいんだよ。要するに、ウロルからここに来る途中、コメリアの森にいる”あの人たち”に会ってきたってことなんだな?」

「はい!」

 

 とっても嬉しそうに、ミアが笑った。


 連邦国家として新たな道を歩み出したコメリアの森。だが、もともと国としての機能はなく、他国との交渉もしたことのない森にとって、内政も外交も完全に手探り状態だった。

 その森を、影で支える人物がいた。

 名前は分からない。経歴も分からない。しかし、その手腕は間違いなく一流のものだった。

 ターラたちにアドバイスを行い、人を育て、軍の編成や訓練までも手掛ける。イルカナやウロルとの交渉も、その人物の構想に従って行われていた。

 森の統治が非常にうまくいっているのは、まさにその人物のおかげだと言っていい。それなのに、その人物は決して表舞台には立たず、一切報酬も求めない。

 噂では、某国で重要な地位にいたという話だが……。


「ところでミア。お前、まさかウロルから一人で来たのか?」


 ヒューリがちょっと心配そうに聞く。


「お前、たしかお腹に……」


 聞かれたミアが、元気に答えた。


「はい! 馬とか馬車とかは揺れて体に悪いって言われたので、歩いて来ました!」

「よくサイラスさんが許したな」


 呆れたようにヒューリが言う。


「サイラスさんには止められましたけど、安定期に入ったから大丈夫だって言って出て来ちゃいました。サイラスさん、心配し過ぎなんですよ」

「いや、心配なのは、お前のその感覚だ。っていうか、まだお前”サイラスさん”なんて呼んでるのか?」


 ヒューリに聞かれて、ミアが急にモジモジしはじめる。


「だって……。”うちの主人が”とか”夫が”なんて、何だか恥ずかしいじゃないですか」

「フェリシア、何とか言ってやってくれ」


 返す言葉が見付からず、ヒューリがフェリシアを見た。

 すると、フェリシアがイスから立ち上がって、つかつかとミアのもとに歩み寄る。


「いい、ミア。サイラスさんの立場に立ってよく考えてみなさい。自分の奥さんに、いつまでも”さん付け”で呼ばれてたら、不安になっちゃうでしょう?」


 やけにまじめな顔でフェリシアが言う。


「世間体としても良くないわ。ミアとサイラスさんは、実は結婚していないんじゃないかって思われちゃうかもしれないし」

「そ、そんなものですかね?」


 ミアがちょっと慌て出す。


「そうよ。だから、これからはサイラスさんのことを、”あなた”って呼びなさい」

「あなたですか!?」

「そう、あなた。さあ、私をサイラスさんだと思って言ってご覧なさい」

「えっと」


 ミアが困っている。


「さあ、早く」

「あ、あの……」


 ミアが思いっ切り狼狽える。


「恥ずかしがってちゃダメでしょう? ほら、言って!」


 ミアがうつむき、ちょっとだけ顔を上げ、フェリシアに向かって真っ赤な顔で言った。


「あなた……」


 途端。


「きゃあ! やっぱりミアって可愛いわぁ」


 嬉しそうにフェリシアがミアを抱き締めた。


「からかってただけかい!」


 ヒューリが突っ込む。

 シンシアが冷たい目で見る。


「やっぱり皆さんといると楽しいですね!」


 リリアが嬉しそうに笑った。


「ところで皆さん。そろそろ主役が登場する時間です。出迎える準備をお願いします」

「了解!」


 リリアの声で、みんなが動き出した。

 テーブルの上に花が飾られ、料理や飲み物が運ばれてくる。


「全員が揃うのって、いつ以来かしら?」


 食器を並べながらフェリシアが言った。


「エム商会が解散して以来だから、二年ぶりじゃないか?」


 花の向きを直しながらヒューリが答えた。


 エム商会の解散。それは、ヒューリの言う通りちょうど二年前の出来事だった。

 マークとミナセの結婚式の後、エム商会は解散した。マークの体を”元に戻す”ために時間が必要だったこともあったが、社員たちがそれぞれの道を歩みたいと申し出たことも、解散の理由の一つだった。

 多くの得意客が続けてほしいと訴えたのだが、マークは取り合わなかった。


「エム商会は、ミナセとリリア、ヒューリとシンシア、フェリシアとミア、そして俺の七人でできているんです。皆さんには本当に申し訳ないと思いますが、七人が揃っていないのなら、それはエム商会ではありません」


 迷いのないマークの言葉を、社員たちが微笑みながら聞いていた。



「あれからもう二年経つのね」

「そうだな。何だかあっという間だな」


 フェリシアとヒューリが感慨深げにつぶやく。

 会社が解散してから、社員たちはそれぞれの道を歩み始めた。そして社員たちは、それぞれの幸せを掴み、あるいは掴もうとしている。


 波乱の人生を送ってきた社員たち。

 出会いと別れ、試練、苦悩、涙、笑顔。

 それらすべてを糧として、社員たちは成長してきた。それらすべてを己の体の一部にして、社員たちは、今笑っている。


「私、エム商会の社員になれて、本当によかったです!」


 ミアが笑顔で言った。

 みんなが大きく頷いた。


 その時。


「来た!」


 窓の外を見張っていたシンシアが大きな声を上げる。


「皆さん準備を!」


 リリアの声で全員が整列した。

 リリアが身だしなみを整える。フェリシアが急に髪を気にし始める。

 みんなが、ちょっと緊張しながらその瞬間を待った。

 やがて。


 カランカラン……


 カウベルが軽やかに音を立てた。


「いらっしゃいませ!」


 リリアの明るい声が出迎える。


 最初に男が入ってきた。

 男が抑える扉の向こうから、続けて女が入ってくる。


 店に入った男が、嬉しそうにみんなを見た。

 隣に立った女が、恥ずかしそうにみんなを見た。


「全員が揃うのは久し振りだな」


 男が言った。


「はい、二年ぶりです」


 リリアが嬉しそうに答えた。


「みんな、元気だったか?」


 女が言った。


「元気だぞ!」


 ヒューリが嬉しそうに答えた。

 どことなく気恥ずかしい空気が漂う中、シンシアとミアが、女の抱くおくるみに興味津々という視線を向ける。

 それに気付いて、女がまた恥ずかしそうにうつむく。


「見ても、いい?」


 シンシアが一歩近付いた。


「さ、触ってみても、いいですか?」


 ミアが怪しい手つきで近付いていく。

 ほかの三人も、釣られて女に寄っていく。


 女が男を見た。

 男が、穏やかに頷いた。


 近くのイスに、女がそっと腰掛ける。

 そして、柔らかで真っ白な布を、静かに広げた。


「うわぁ!」

「かわいい!」


 みんなが一斉に声を上げた。


「めちゃくちゃ柔らかーい!」


 ミアが指先で突っついた。

 突っつかれて、小さなまぶたがピクリと動く。

 そのまぶたが、ゆっくりと開いていった。


 まだ焦点の定まらない小さな瞳。

 黒曜石のように、深くて神秘的な黒い瞳。


「やっぱり二人の子よねぇ」


 フェリシアが笑う。


「ミナセにそっくりだな!」


 ヒューリが笑う。


「私は社長似だと思います!」


 ミアが笑う。


「それが分かるのは、もう少し先」


 冷静に言いつつ、シンシアも笑う。


「どっちでもいいじゃないですか。ねぇ、社長?」


 楽しそうにリリアが言った。

 マークが、笑いながら答える。


「そうだな。ちなみにリリア、俺はもう社長じゃないぞ」

「あ、そうでした」


 リリアは照れ笑い。

 その時、ミアが突然大きな声を上げた。


「あの、ミナセさん!」

「なんだ!?」


 びっくりしてミナセが顔を上げる。


「ミナセさんは、その、社長のことを、今はどう呼んでるんですか?」

「えっ?」


 ミナセの顔が、見事に染まっていった。


「やっぱり、その、”あなた”とか?」

「ミア、いい質問だ!」


 ヒューリが目を輝かせる。


「当然”あなた”よね?」


 フェリシアが悪乗りする。


「参考までに、聞いておきたい」


 シンシアは、意外とまじめな顔だ。


「な、何でもいいだろ!」


 動揺しまくりのミナセをみんなが笑った。


「やっぱり、みんなといると楽しいですね!」


 リリアの声に、ミナセへの質問など忘れたようにミアが言う。


「そうですよね! またみんなで集まりましょうよ!」

「今集まったばっかりだけどな」


 ヒューリの突っ込みに、みんながまた笑った。


 幸せな笑顔が溢れている。

 それぞれの幸せが溢れている。


 マークがそっとミナセを見た。

 ミナセがそっとマークを見た。

 二人が穏やかに笑みを交わした。

 ミナセの腕の中で、小さな命も嬉しそうに笑っていた。



 

 異世界の乙女たちは、社長と一緒に笑っていたい  完

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