ミナセ登場

 観客席がざわついている。舞台の上で起きた出来事が誰も理解できていない。試合終了を宣言した審判でさえ、どうしてエイダが無事だったのか、どうやってサイラスが勝ったのか、おそらく分かっていなかった。

 納得できないという顔をしたマシューが、舞台を見つめたままつぶやく。


「いったい、何が起きたんだ?」


 そのつぶやきに、同じく舞台をみつめたままで、ヒューリが答えた。


「ロッドがサイラスに当たる直前、エイダさんの落下速度が緩くなりました。たぶんあの瞬間、エイダさんは”フェザーフォール”を使ったんだと思います」

「フェザーフォール?」


 風の魔法の第二階梯、フェザーフォール。瞬間的に自分の体を羽のように軽くして、落下の衝撃を和らげる魔法だ。

 発動自体は難しくないものの、発動のタイミングを間違えると役に立たないという、扱いの難しい魔法だった。

 使う場面が少ないことと、使いこなすには命がけの訓練が必要なことから、魔法の中ではかなりマイナーな存在と言える。

 故郷にいた頃、渓谷地帯の崖の上から敵を急襲するために使えないかと、ヒューリはその魔法を研究したことがあった。


「速度が緩んだからかどうかは分かりませんが、ロッドはサイラスに避けられました。で、突然強い風が吹いて、サイラスがエイダさんをコロンと地面に転がして、その喉元に剣を突きつけた。そんな感じだと思います」

「……」


 説明を聞いても、マシューは納得ができない。ほかのメンバーも、同じく納得していない。

 非常に短い時間の中で起きたいくつもの出来事。説明をしたヒューリも、すべてを正確に把握できている訳ではなかった。

 釈然としない、そんな空気の流れる中で、ふと小さな声がする。


「負けた……」


 声の主は、シーズ。

 滅多に感情を表に出さないシーズが、本当に悔しそうな顔で舞台を睨み付けていた。

 その顔をちらりと見ながら、ヒューリも小さくつぶやく。


「風のサイラスか」


 ヒューリの眉間には、深いしわが刻まれていた。



 貴賓席に向かって軽く頭を下げたサイラスが、控え室に続く通路へと歩いていく。その通路の入り口で、サイラスが言った。


「何か参考になったか?」


 その問いに、黒い瞳が答える。


「そうですね」


 サイラスを見つめ返して、ミナセが答えた。


「あなたの力の一端は、見えたような気がします」


 ミナセは、今日の一戦目から、そこに立って試合を見続けていた。


「そりゃあよかった。じゃあ、今度は俺があんたを見させてもらうぜ」


 そう言って、サイラスが壁に背を預ける。


「では、行ってきます」


 軽く頭を下げて、ミナセは試合場へと向かった。

 そのミナセと、ちょうど戻ってきたエイダがすれ違う。


「お疲れ様でした」


 ミナセが声を掛けるが、エイダは答えない。

 すると、サイラスがエイダに言った。


「強くなりたいなら、お前も見とけ」


 驚いたように立ち止まって、エイダはサイラスを睨んだ。しばらくそのまま睨み続け、やがてエイダは、通路を挟んだ反対の壁にもたれ掛かる。

 サイラスが微笑んだ。

 ミナセも微笑んだ。

 そして、老人も微笑んだ。


「では、わしも行くとしようか」


 ミナセの対戦相手の老人も動き出す。ミナセと一緒に試合を見ていた老人が、サイラスに軽く手を挙げて歩き出した。

 小柄なその背中を見つめながら、サイラスがつぶやく。


「ちっとは頑張ってくれよ。俺も、あの女の力の一端くらいは見ておきたいからな」


 その声を聞き、その顔を通路越しに見たエイダが、目を見開いた。

 普段は掴み所のないその顔が、恐ろしく引き締まっている。普段の姿からは想像できないほど、サイラスの表情は真剣そのものだった。



 ジャーン、ジャーン、ジャーン!


 合図が鳴り響く。

 それに負けじと、観客たちが声を張り上げる。


「今日のメインイベント!」

「俺はこれを見に来たんだ!」


 前の試合結果に首を傾げていた観客たちも、入場してきた選手を見ようと身を乗り出し、あるいは立ち上がっていた。


「ミナセー!」

「ミナセさーん!」


 会場のあちこちからミナセの名が聞こえる。


「私の応援は少ないはずじゃなかったのか?」


 観客席のヒューリに向かって文句を言うが、ヒューリのせいではないことくらいミナセにも分かっていた。


「あんたさん、えらい人気者なんだな」


 後ろを歩く老人の言葉に、ミナセは苦笑い。


 ここまで来たら、仕方がない!


 気持ちを切り替えて、ミナセが深呼吸をする。

 そして背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を向いて、ミナセは気合いを入れた。


 エム商会の代表として、みっともない姿は晒せない


 ミナセの気が鎮まっていく。

 ミナセの心が、戦いに向けて急速に凪いでいった。

 

「ほほぉ」


 後ろの老人が目を見張る。

 驚く老人のその意識を、ミナセが捉えた。


 この老人、やはり気の変化を感じ取れるのか


 老人の前の試合を思い出して、ミナセが不敵に笑う。


 楽しみだな


 笑いを納め、ミナセはもう一度気を引き締めた。


 先に舞台に上ったミナセは、中央付近まで歩いていくと、そこでゆっくりと向きを変えて、静かに老人を見つめる。

 見つめられた老人も、戦いの前とは思えない静かな表情でミナセを見つめ返した。

 二人の間に審判が立って、ルールの確認をする。


「説明は以上だ。質問は?」

「大丈夫です」

「こちらもよいぞ」


 二人が頷くのを確認して、審判が離れていった。

 二人も開始線まで下がっていく。


「始め!」


 ミナセ対、謎の老人の試合が始まった。


 ミナセの武器は、木刀。朝の修行でいつも使っている木刀だった。それに、規定の布をきっちりと巻いている。

 残念ながら、ミナセの太刀は”大会のルール上”使うことができなかった。そこでやむなく選んだのが、この木刀だ。

 しかし、木刀では強度に不安が残る。衝撃を吸収するとは言え、魔法の布にも限界はある。

 選手控え室に入る前、ミナセはヒューリに確認していた。


「決勝には間に合いそうか?」

「ああ。意地でもそこには間に合わせるって、武器屋のおっさんが言ってたよ」

「そうか。じゃあ私も、決勝までは意地でもこいつで勝ち抜かないとな」


 そう言って、ミナセはこつんと木刀を叩いた。


 ミナセが木刀を構える。静かに、ゆるやかに舞台に立つ。

 その身体には一切の力みがなく、その心には、一切の乱れがない。


 まるで、静止した水のよう。


 その水は、ミナセを中心に老人の足下まで広がっている。

 少しでも動けば、いや、動こうとするだけでその水面に波紋が起きて、事前にこちらの意図が察知されてしまう。

 そんな錯覚すら覚えさせる、ミナセの静かなプレッシャー。

 そのミナセを目の前にして、老人が平然と話し掛けてきた。


「予選にはロクな奴がおらんかったが、本戦ともなると、さすがに人材が揃っておるわい」

「……」


 心の中で首を傾げつつ、しかしミナセは油断なく老人を見つめる。


「だがなあ、その中でも、条件を満たす者はえらく限られておってな」

「条件?」


 仕掛けてくる気配のない老人に、ミナセが聞いた。


「そうなんじゃ。さっき戦っていた女は、いちおう条件を満たしておるんじゃが、やはりなあ」


 さっきの女とは、エイダのことを言っているのだろうか?


「ところで、予選でアホみたいな魔法を使っていた金髪女。あれは、本当にぬしの会社で一番弱いのか?」

「ミア、のことですか?」

「そうそう、ミアという名だったかな」


 あの試合を見ていたのか

 だが、なぜミアのことを?


 ミナセが、慎重に答える。


「一対一の戦いにおいては、たしかにミアが一番弱いですね」

「うーむ、あれで一番弱いのか」


 感心したように老人がつぶやく。

 そして。


「やはり、決まりじゃな」


 にやり


 老人が笑った。

 次の瞬間、その体がゆらりと揺れる。


 来るか!?


 ミナセが気を引き締めた。


 ひゅん!


 老人が跳んだ。


「えっ?」


 ミナセが声を上げた。


 ストン


 老人の体が、軽やかに舞台の下の地面に降り立った。


 ミナセは絶句。

 審判も絶句。

 観客たちも、目を丸くして老人を見つめることしかできなかった。


 全員が唖然とする中を、平然と老人が退場していく。


「じ、場外!」


 審判の声も、どよめき始めた観客たちも無視して、老人はトコトコと歩いていった。

 通路の入り口で、サイラスが文句を言う。


「じいさん、そりゃないぜ」

「すまんな。ぬしの役に立てんで」


 サイラスを見向きもせず、軽く手を挙げながら老人が通り過ぎていく。


「だがな、わしは満足だよ。大いに満足だ」


 意味の分からないことを言いながら、苦々しげなサイラスの視線などまったく意に介することなく、老人は控え室に向かって歩いていった。

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