本命の一撃

「満足だ! 大満足だ!」


 ヒューリはご機嫌。


「いい試合だったわね」

「いい試合だった」


 マシューたちも興奮気味だ。

 カイルとターラの試合の余韻がコロシアム全体にまだ残っている。二人の試合は、観客たちの気持ちを否が応でも昂ぶらせていた。

 そこに。


 ジャーン、ジャーン、ジャーン!


 早くも次の試合開始の合図が聞こえてきた。

 興奮冷めやらぬ場内に、二人の選手が姿を見せる。


「いよいよね」

「いよいよだな」

「いよいよだ」

「……」


 マシューたちの顔が引き締まった。

 今度ばかりは、ガロンもガハハと笑わない。

 

 第二回戦の二戦目。

 エイダ対サイラスの試合だ。


 硬い表情のエイダと、飄々とした表情のサイラス。

 観客席から見ていても、二人の放つ気の違いがはっきりと分かる。その二人が、審判を挟んで向かい合った。


 エイダの装備は一回戦と変わらない。左手には、槍のように使って観客を驚かせたあのロッド。鎧のかわりに着るのは、丈の短いワンピースに皮のベルト、そして緩やかに纏うローブだ。

 相変わらずの典型的魔術師スタイル。相変わらずの、近接戦闘には向かないスタイルだった。


 対するサイラスの右手には、やや小振りの両手剣。サイラスの愛刀で、とあるダンジョンで手に入れたという秘宝だ。それを、規定の布できっちりとくるんでいる。

 武器は一級品。国を代表する選手にふさわしい名剣だ。

 しかし、防具は……。

 町を歩くのと変わらない、ごく普通の布の服。靴はもちろん履いているが、冒険者が選ぶようなブーツではない。ガントレットも、そして当然ヘルムもない。

 剣を持っていなければ、それはまるで、町の中を散歩しているかのようなスタイルだ。戦いに臨む姿としては、エイダのほうがまだマシと言える。


「あいつって、いつもあんな感じなんですか?」


 ヒューリがマシューに聞いた。

 苦笑しながらマシューが答える。


「以前戦った時も、やつは軽装備だった。やつの最大の武器は速さだ。だから、やつは重たい鎧なんて着ないのさ」

「なるほど」

「だが今回、やつは国の代表としてここに来ている。だから、形だけでも鎧を着けてくると思ったんだが」

「鎧どころか、何にも防具を着けてないですね」

「まったくだ。あれじゃあ、エイダがやつを捉えるのは難しいだろう」

 

 二人の会話を聞いていたマギが、舞台を睨みながら言う。


「あいつの口癖は、”俺は自由に生きる”だからね。まったく、軍の兵士長になったんだから、少しは体裁を考えなさいっての」


 残念というよりも、その顔は完全に怒っている。


「それでも、エイダは勝つ」


 突然、力強い声が聞こえた。

 ガロンが驚いて隣を見る。


「エイダは勝つ」


 そう言いながら、舞台の上に立つエイダを、シーズが強く見つめていた。



「ルールは以上だ。質問は?」

「ないよ」

「……」


 サイラスは返事をするが、エイダは相変わらずの無反応。小さくため息をついて、審判が離れていく。

 審判が下がると、サイラスとエイダは、開始線まで移動して向かい合った。


 審判が手を挙げる。

 静まり返ったコロシアムに、審判の声が響いた。


「始め!」


 ウォー!


 観客が盛り上がる。


「負けるな魔術師!」

「姉ちゃん頑張れー!」


 エイダを応援する声が聞こえる。

 不利だと言われながらここまで勝ち残ってきたエイダに、観客は大いに期待をしていた。


 エイダがロッドを構える。第一戦と違って、エイダは後ろに下がることをしなかった。

 剣をだらりと下に向けたままのサイラスを、無表情なまま、目だけで睨む。そのエイダに、サイラスが話し掛けてきた。


「お前、強くなったな」


 驚いて、エイダが目を見開く。


「あの時のお前が、今と同じくらい強ければ、俺もあれほど簡単には勝てなかっただろうよ」


 ギュッ


 エイダが強くロッドを握った。

 そして今度は、険しい顔でサイラスを睨む。


「自由に生きたいと言っていたお前が、なぜ軍なんかに入った?」


 聞かれたサイラスが、笑って答えた。


「そうだなぁ。まあ、いわゆる魔が差したってやつかな」

「魔が差した?」

「そうさ」


 トボケた答えに、エイダの目が吊り上がる。


「怒るなよ。ほんとのことなんだから」


 そう言いながら、サイラスが剣を構えた。


「そろそろ始めないと、うちのお偉いさんたちの視線が痛くなってきた。行くぜ」

「くっ!」


 突然の開戦宣言にエイダは唇を噛んだが、それも一瞬。即座にエイダも戦闘体勢に入る。

 そのエイダの魔力が、急激に上昇していった。


「来い!」


 サイラスが招く。


「行く!」


 エイダが応じた。

 次の瞬間。


 ダンッ!


 エイダの足が、強く舞台を蹴る。


「なんだ!?」


 観客たちが、驚きの声を上げた。


「えっ!?」

 

 マシューたちでさえ、驚きで目を見開いた。


 エイダが、跳んだ。

 だがその方向は、前でも後ろでも、右でも左でもない。


 エイダの体は、垂直に跳ね上がっていた。その体が、真上に向かって昇っていく。

 上昇を続けるエイダが高速で呪文を唱える。その跳躍が頂点に達した時。


「フライ!」


 エイダが叫んだ。

 エイダが、宙に浮いたまま静止した。


 どよめく会場の真ん中で、サイラスが笑う。


「へぇ、大したもんだ」


 エイダを見上げるサイラスが、楽しそうに笑った。


 風の魔法の第二階梯ジャンプと、第四階梯フライの連続発動。フェリシアの魔法をヒントにエイダが編み出した、対サイラス用の戦法だ。

 速さではサイラスに勝てない。魔法を発動する前に、間違いなくサイラスの剣がやってくる。

 だからエイダは、戦う土俵を変えた。サイラスでは手の届かない空中を目指した。

 フライを無詠唱で発動することは、エイダにはできない。だが、第二階梯のジャンプならできる。

 サイラスを倒すために、そしてフェリシアに少しでも近付くために、エイダはこの戦い方を編み出したのだった。


「シーズ、お前知ってたな!」


 大声を上げるガロンを見ることなく、シーズが答える。


「敵を欺くには、まず味方から」


 その顔には、シーズにしては非常に分かりやすい、得意げな笑みが浮かんでいた。



「降りてきてくれよ。それじゃあ何にもできないじゃねぇか」


 上を向いてサイラスが言うが、エイダは返事をしない。

 返事のかわりに、エイダは眼下のサイラスに右手を向け、そして魔法を発動した。


「フレームアロー!」


 直後、無数の炎の矢が放たれる。

 火の魔法の第一階梯、フレームアロー。それがサイラスに向かって降り注いだ。


「すげぇ!」


 あちこちから感嘆の声が聞こえてきた。

 第四階梯のフライ。それをごく短時間で発動させるばかりでなく、発動させたまま、並行して攻撃魔法を連続で放つ。それは恐ろしく高度な技術だ。


 地上のサイラスに、空からフレームアローが襲い掛かる。サイラスがそれを避け、あるいは剣で受け止める。

 フレームアローの威力は決して高いとは言えなかった。一発や二発直撃させたところで、大きなダメージを与えることなどできはしない。

 だが、それが数十発ともなれば話は別だ。防具を着けていないサイラスがそれを浴び続ければ、間違いなくただではすまない。

 

「一方的だ!」


 どこからか聞こえた声の通り、宙に浮くエイダが一方的にサイラスを攻めていた。誰がどう見ても、サイラスに反撃の余地などない。

 しかし。


「やっぱりあいつ、化け物ね」


 マギがつぶやく。


「まったくだ」


 隣のマシューが、渋い顔で言った。

 二人が見ているように、そして観客たちも気付き始めているように、サイラスには、一発もフレームアローが当たっていない。

 まさに連射と言っていい間隔で、エイダはフレームアローを放っていた。普通の相手なら、真上から降ってくる無数の炎の矢を防ぐことなどできるはずがなかった。

 それを、サイラスは完璧に防ぎ切っている。その顔には焦りも恐れも浮かんでいない。


「あれでもだめなのか」


 ガロンが嘆く。


「……」


 シーズが無言で戦いを見つめる。

 フライを発動したまま、長時間攻撃魔法を放ち続けることは難しい。いずれはエイダの魔力が尽きる。地上に降りてしまえば、エイダの勝利はあり得ない。

 まさかの番狂わせを期待していた観客たちが、ちょっと残念そうな顔をした。マシューたちでさえ、沈んだ空気を漂わせ始めていた。

 それでも。


 ヒュンヒュンヒュン!


 エイダの闘志は衰えない。

 エイダの魔力が増していく。フレームアローの密度が増していく。


 サイラスが、表情を引き締めた。防御を続けるその姿から、先ほどまでの余裕が消えた。


「こりゃあもしかして」

「それでもやっぱり」


 期待と諦めが拮抗する。

 観客たちが、手に汗を握る。


 エイダが攻める。

 サイラスが防ぐ。


 二人の戦いに、その場にいる全員が見入っていた。

 息詰まる戦いに、その場にいる全員が身を乗り出していた。


 その時。


「あっ!」


 マギが叫んだ。


「やばい!」


 誰かが叫んだ。

 観客たちが息を呑む。全員が見つめるその先で、エイダが下降を始めた。

 いや、下降という表現は正しくない。エイダは、落下していた。しかも、フレームアローを放つ右手と、左手に持つロッドと、そして頭を地上に向けている。エイダはまさに、頭から真っ逆さまに落ちていた。


 落下しながら、エイダは魔法を撃ち続ける。炎の密度がさらに増していく。

 エイダはフライを解除していた。残る魔力のすべてをフレームアローに集中させていた。


 空中から放つフレームアローがサイラスに当たらない。

 そんなことは、エイダも想定済みだ。

 そもそもフレームアローでは、数発当たったところで大したダメージなど与えられない。審判も、それで試合が決まったとは思わないだろう。

 だから。


 これが本命の一撃!


 エイダがロッドを握り締める。

 その目が眼下を睨み付ける。


 雨のように降り注ぐ炎の矢。極限にまで密度を増した炎の矢。

 それを防ぎ続けるサイラスが、”降ってくる”エイダに気付くことなどできはしない。そんな余裕がサイラスにあるとは思えなかった。

 ゆえに、エイダの攻撃はサイラスを直撃するだろう。

 炎の矢とは比較にならない重い一撃。ロッドによる直接攻撃。

 しかし。


「あいつ死ぬ気か!?」


 あの高さから、しかも頭から落ちて、エイダが無事で済むとは思えなかった。


「まさか相打ち覚悟なのか!?」


 立ち上がって、思わずヒューリも声を上げた。

 あちこちから悲鳴が上がる。エイダが一直線に落ちていく。


 フレームアローの弾幕に、エイダのロッドが紛れ込む。

 叫びと悲鳴が響き渡る中で、そのロッドが、直上からサイラスに襲い掛かった。


「危ない!」


 誰かが叫んだ。


「穫った!」


 エイダが叫んだ。


 その時。


 ヒュアァ


 突如として、強い突風が吹き荒れる。

 炎の矢が飛び散った。

 エイダの体が地上に落ちた。

 横たわるエイダの喉元に、サイラスが、剣を突きつけていた。


「……」


 コロシアムが静まり返る。

 観客たちが、ポカンと口を開けて舞台を見つめる。


 倒れているエイダの目は、開いていた。

 その目は、目の前のサイラスをしっかりと捉えていた。

 その目で悔しそうにサイラスを睨み付け、そしてエイダが、絞り出すように言った。


「……負けだ」


 サイラスが、真剣な顔で言った。


「タイミングが遅過ぎる。お前は、俺に感謝すべきだ」


 唇を噛んで、エイダが視線をそらす。


「まあ、でも」


 サイラスが、表情を和らげた。


「お前、やっぱり強くなったな」


 楽しそうにサイラスが笑う。

 たっぷり十秒ほどたった後に、審判が言った。


「勝者、サイラス!」


 その声を聞いても、観客たちは、しばらくの間声を出すことさえできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る