森の戦士
カイルの剣は、斧を手放したターラの両手にがっちりと握られていた。
これが実戦なら、そんなことはもちろんできないだろう。突き進んでくる刃を素手で握れば、無惨な結果になることは明白だ。
しかし、カイルの剣には魔法の布が巻かれていた。鋭い刃も、今は金属の板と変わりがない。
その刃は、ターラの急所に届いていなかった。従って、ルール上は問題なく試合続行となる。
「なんか、ずるい」
そんな声があちこちから聞こえてきた。
だが。
「あれを掴んで止めたっていうの!?」
「俺にはできないな」
マギとマシューがつぶやく。
「すげぇな」
「あれは、凄い」
ガロンと、そしてシーズまでもが思わず声を漏らす。
「あいつ、やるな!」
興奮したようにヒューリが叫んだ。
カイルは動かない。
カイルは、動けない。
突きを掴んで止められたことも驚きだったが、掴まれた剣がまったく動かせないことも驚きだ。
途方もない力だった。文字通り、カイルはピクリとも剣を動かすことができなかった。
「うおぉぉぉぉっ!」
突然ターラが声を上げた。
「ぬおぉぉぉぉっ!」
その両腕に血管が浮かび上がる。
「くそっ!」
カイルが、渾身の力で剣を押さえ付けた。
だが、歯を食いしばるそのカイルごと、ターラは剣を持ち上げ始めた。
「まじかっ!」
ヒューリが目を剥く。
ヒューリと観客たちが目を見開くその前で、カイルの踵が地面から浮いていった。
ターラより小さいとは言え、カイルも十分大きな男なのだ。それを剣ごと持ち上げるなど、普通では考えられない。まさに常識外れの怪力だった。
カイルは、すでにつま先立ちになっている。本当にその体が浮かび上がってしまいそうだ。
「うがぁぁぁぁっ!」
ターラが叫んだ。
「持ち上がる!」
観客が叫んだ。
次の瞬間。
「ぬあっ!?」
妙な声を上げたターラが、後ろへとたたらを踏む。剣を握った両腕を振り上げて、ターラの体が後ろへとよろめいた。
そこに、剣を捨てたカイルが飛び込んでいく。
「甘いぜ!」
拳を握り締めたカイルが、ターラに向かって突っ込んでいった。
ターラの懐はガラ空きだ。よろめくその状態では避けることもできない。
「ぶっ飛ばす!」
カイルの拳が、ターラの鳩尾を全力で殴った。
刹那。
「ふんっ!」
ターラの魔力が一瞬にして上昇する。
ドスッ!
カイルの拳が、防具を着けていないターラの腹にめり込んだ。
と、誰もが思った。
だが。
「くっ!」
カイルが、顔をしかめて拳を引く。そして、飛び退くようにターラから距離を取った。
双方ともに体勢を立て直して正対する。
「あの一瞬で、身体強化魔法かよ」
カイルが呻いた。
分厚い板を殴ったような感覚。拳と手首に痛みが走る。
高速で治癒魔法の呪文を唱えながら、カイルはターラを睨み付けた。
そのカイルに、ゆっくりとターラが近付いてくる。
拳の応急手当を終えたカイルが、半身になって身構えた。しかし、その手に武器はない。残念ながら、どう考えてもカイルに勝ち目はないように思われた。
ターラが無言で近付いてくる。
カイルが無言で迎え撃つ。
「終わったな」
観客席から、諦めたようなつぶやきが聞こえてきた。
その時。
「これ、返します」
ターラが、カイルに剣を差し出した。
「今度は、ちゃんと戦います」
目を丸くするカイルにターラが言う。
そして。
にこっ
髭面が笑った。人懐こい顔で、髭面が笑っていた。
その顔を、呆れたようにカイルが見つめる。
戦いの場には似合わない親しげな笑顔を、カイルはじっと見つめていた。
これは、国の威信を懸けた戦いなのだ。勝つことがどれほど重要な意味を持つか、ターラにだって分かっているはずだ。
奪い取ったカイルの剣をそのまま使ってもよかった。剣を場外に投げ捨てて、自分の斧を拾い直してもよかった。どちらを選んでも、それでターラは圧倒的優位に立てたはずなのだ。
それなのに。
「まったく」
カイルが言った。
「あんた、大バカ野郎だな」
笑いながら、カイルが言った。
自分から一歩近付いて、カイルが剣を受け取る。そのままさらにターラに近付いて、丸太のような太い腕を、カイルはバシンと叩いた。
「大会が終わったら、一杯やろうぜ!」
「はい!」
握手を交わして、両者が再び距離を取る。カイルは剣を構え、ターラも斧を拾って、今度はきちんとそれを構えた。
気持ちのいいフェアプレー。
二人の行動は、観客たちの心を鷲掴みにした。
「感動した!」
「かっこいいぞ!」
「二人とも頑張れ!」
大声援が飛び交う。コロシアムが大いに盛り上がる。
ご機嫌のヒューリが、心から楽しそうに声を張り上げた。
「気に入った、気に入ったぞ!」
カイルが鋭くターラを睨む。
ターラの目も、今はしっかりとカイルを見ていた。
ジリ……
カイルの足が舞台を踏みしめる。
「行くぜ!」
今度もカイルが先に仕掛けていった。
剛剣が真横から振り抜かれる。それを、斧ががっちりと受け止めた。
瞬間、カイルの体がくるりと回転する。剣が反対側から、さらには下から上へと振り上げられる。
慌てて体を後ろに逃がすターラを、カイルが鋭く追う。カイルの剣が、ターラを執拗に狙っていった。
カイルが攻める。猛烈に攻め込んでいく。
大きな剣が止まらない。
一撃と一撃の間が驚異的に短い。大剣とは思えない素早い攻撃が、止まることなく連続してターラを襲う。
ターラは防ぐだけで精一杯だ。両手の斧は、完全に盾と化している。その盾さえも間に合わず、後ろへ後ろへとターラは追われていった。
ターラの暮らすコメリアの森は、魔物や獣が闊歩し、流れ着いたお尋ね者たちが盗賊となってうろつき回っている。
それらの脅威に立ち向かい、森の平和を守っているのがターラだ。
ゆえに、剣を相手にすることはあっても、剣士を相手にすることはほとんどなかった。
魔物や獣、盗賊たちとはまるで違う動き。考え抜かれた攻撃と剣技。しかもそれは、諸国に名を知られた一流の剣。
初めて目にするその剣を、ターラは必死に防いでいた。
「こりゃあ、あの大男に勝ち目はないな」
残念そうにマシューが言う。
「そうね。善戦はしてると思うけど」
マギも、ターラの勝利は難しいと見ていた。
試合は一方的。ターラに反撃の余地があるとは思えない。
観客が肩を落とす。多くの観客が、心優しき大男の負けを予想して、残念そうな顔をしていた。
その中で。
「だけど」
小さな声がした。
「あいつ、全部防いでる」
つぶやくようなヒューリの声がした。
ほとんどの観客がターラの負けを予想し始めた中で、ヒューリだけは、まだターラに勝機があると見ていた。
諦めるな!
ヒューリが無言で声援を送る。
歯を食いしばって戦い続けるターラを、同じように歯を食いしばりながら、ヒューリは強く睨み付けていた。
その時。
「にいちゃん頑張れ!」
「負けるなターラ!」
「戦士の意地を見せるのじゃ!」
少し静かになった観客席から、大きな声が聞こえてきた。選手関係者席の隅にいた一団が、立ち上がってターラに声援を送っている。
その声が届いたのだろうか。
それとも、カイルの攻撃に目が慣れてきたからだろうか。
ターラの斧が、振り下ろされたカイルの剣を、下から弾いた。
受け止めるだけで精一杯だったその斧が、はじめて剣を弾き返した。
「くっ!」
強烈な衝撃で、カイルの剣が腕ごと持って行かれる。カイルの体勢が大きく崩れる。
そこにターラが、斧を振りかざして襲い掛かった。
カイルは間一髪で斧をかわすが、かわした直後にはもう次の斧がやってくる。
斧の攻撃が止まらない。怪力のターラが振るう斧は、剣で受け止めることなどできはしない。
突然攻守が逆転した。二本の斧を、カイルが必死にかわし続ける。
「うおぉ、すげぇ!」
マシューたちも観客たちも、ターラのまさかの反撃に驚きを隠せない。
ヒューリは、なぜか得意顔。
「いいぞ、にいちゃん!」
「そこだ、いけ!」
隅っこの一団も興奮気味だ。
ターラが攻める。
カイルが逃げる。
カイルほどの腕の持ち主であれば、力任せの攻撃など簡単に攻略できるはずだ。
しかし、ターラの攻撃は速かった。その斧は、驚くべき鋭さでカイルに迫ってきた。
やっぱりこいつ、強い!
感嘆と、そして焦り。
先ほどとは真逆の展開だ。今度はカイルが、反撃の糸口さえ見い出すことができない。
斧が唸る。
観客たちが目を見開く。
斧が疾る。
観客席にどよめきが広がっていく。
両手の斧を自在に操り、両手の斧で旋風を巻き起こしながら、舞台の上で大きな体が躍動していた。
大国に挟まれた広大な森。その森を守り続ける心優しき男。
コメリアの森最強の戦士、ターラ。
猛者たちの集まるこの大会で、その実力が、今明らかになった。
ターラが攻める。カイルがかわす。
斧を受け止めることのできないカイルは、まさに逃げ回っていると言っていい状態だ。
ついにカイルは、舞台の角へと追いやられてしまった。
一歩後ろに舞台はない。少しでも下がればそこは場外だ。
「やばいよやばいよ!」
イルカナの観客たちは青い顔。
「勝った!」
ターラの応援団は、すでに勝利を確信していた。
それでも。
負けてたまるかよ!
カイルの目は、まだ死んでいない。
カイルの目は、まだ勝機を探していた。
その目が睨む。
ターラの目、ターラの斧。
その目が睨み付ける。
ターラの体、ターラの足元、ターラの立っているその位置。
その目が、何かを決意した。
残る闘志を奮い立たせて、カイルが動いた。
「いやぁぁぁっ!」
気合いとともに、カイルが剣を振る。
真横からの剣撃。大剣が、ターラの右から胴を薙ぎ払う。
しかし、その攻撃は完全に見切られていた。
「そんなもの!」
斧が剣を迎え撃つ。
ゴンッ!
鈍い音がした。
ヒュンヒュン!
回転しながら、カイルの剣が吹き飛んでいく。
「終わった!」
誰かが叫んだ瞬間。
カイルの体が沈み込んだ。
カイルの体が前に出た。
カイルの両腕が、ターラの腰をがっちりと抱え込んだ。
「うりぁぁぁぁっ!」
気合いとともに、カイルがターラを持ち上げる。
目を丸くするターラの巨体を、全身の力とバネを使ってカイルが持ち上げた。
「ふがっ!?」
あわてて斧を手放して、ターラがカイルの体を掴みに掛かる。
だが、遅かった。
「おりぁぁぁぁっ!」
カイルがターラを投げ捨てた。
ドーン!
大きな音がした。
土埃の舞う舞台の下で、目を開いたまま、大きな体が仰向けになっていた。
「場外!」
審判の声が観客たちの耳を打つ。
ウォー!
人々が歓喜の声を上げる。
人々が、呆然と立ち尽くす。
逆転に次ぐ逆転。
追い詰められたカイルが、土壇場の奇襲で驚くような勝利を上げた。
大歓声が沸き起こる。全方位からカイルの名が聞こえてくる。
勝者を称える声が、会場全体に響き渡っていた。
しかし。
カイルは、なぜか観客に応えることをしない。肩で息をしながら、舞台の下をじっと睨んで動こうとしなかった。
そのカイルが、舞台の下に飛び降りた。そして、仰向けのまま唇を噛んでいるターラに、膝を折って顔を近付ける。
「あんたも国の代表だろ? だったら、舞台に上って最後までしっかり勤めを果たせ」
言われたターラは、ぎゅっと両手を握り締め、それでも素早く立ち上がった。
カイルが、舞台に上がる階段に向かって歩き出す。ターラも無言でそれに続く。
先を行くカイルが、ふと歩みを緩めてターラと肩を並べた。その顔は、勝者とは思えないほど険しい。その表情のままで、カイルが言う。
「まったく、みっともない!」
強い声に、ターラがピクッと震えた。
「すみません」
小さな声で言って、ターラが背中を丸める。
すると、カイルがさらに強い声を上げた。
「お前のことじゃねぇ! 俺のことだ!」
「えっ?」
驚くターラにカイルが言った。
「実戦じゃあ、場外なんてねぇんだ。あんなへなちょこな投げで、お前を倒すことなんてできやしない。試合には勝ったが、真剣勝負なら俺は負けてたんだよ!」
カイルは心底悔しそうだ。
その顔を見て、今度はターラが言った。
「なら、わしもおんなじです。だって、わし、あんたの剣を、最初に素手で握っちまいましたから」
恥ずかしそうに、ターラが頭を掻く。
それを聞いたカイルが、ターラを見て目を見開いた。
そして。
ガシ!
ターラの肩を、がっちりと抱いた。
「まったく、お前ってやつは!」
カイルが笑う。
ターラが驚いてカイルを見る。
「さっきの約束、忘れるなよ」
カイルが言った。
「大会が終わったら、一杯やろうぜ!」
ターラが答えた。
「はい!」
人懐こい笑顔で、嬉しそうにターラが答えた。
二人が並んで舞台に上がる。
そのまま中央へと歩いていき、二人は並んで立った。
「勝者、カイル!」
ワー!
勝ち名乗りを受けて、カイルが片手を上げた。
その手を下ろして、隣に立つターラの手をがっちりと握る。ターラも、その手をしっかりと握り返した。
カイル! カイル!
興奮した観客たちが叫ぶ。
ターラ! ターラ!
感動した観客たちが名を叫ぶ。
「よかった! よかったぞ!」
頬を紅潮させ、両手を高く突き上げて、大きな声でヒューリも叫んでいた。
本戦二日目の、第一戦。
二人の戦いは、本大会でも一、二を争う名勝負として、人々の記憶に深く刻み込まれたのだった。
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