どっちも頑張れ

「あれは、ちょっとひどかったですね」

「そうね。まさに狂犬っていう感じだったわ」


 眉根を寄せるミアに、フェリシアが答える。


「あの男は、敵に回しても味方につけても面倒だろうな」


 ゴクリと酒を飲み込んで、ヒューリが言った。

 後味の悪い試合だった。本来なら、選手たちの戦い振りを肴に酒が進むところなのだろうが、リスティの試合は、大会の高揚感に思い切り冷や水を浴びせるものだった。

 相手の選手は、しばらく入院することになるそうだ。命に別状がなかったのは非常な幸運だったと言える。


 三人の話を聞きながら、ミナセがグラスをクルクルと回している。ミナセも当然その試合を見ていた。だからこそ、そしてミナセだからこそ、一緒に見ていたミアやフェリシアとは少し違う印象を持っていた。

 離れていたから確証はないのだが。


「あいつ、もしかすると……」


 ミナセが小さくつぶやく。しかしそのつぶやきは、ヒューリの大きな声に遮られて誰にも聞かれることはなかった。


「まあ暗い話はなしにしようぜ! 明日はいよいようちの最強剣士、ミナセ様の試合なんだからな!」

「そうですよね!」


 同じく大きな声を上げるミアに、ミナセは苦笑気味。


「明日はエイダさんも団長さんも試合があるんだ。私より二人を応援してやれ」

「もちろん応援しますよ! って言っても、明日は私、仕事で行けないんですけど」


 残念そうにミアが言う。


「かわりに明日は私が行くぞ! ミナセのことは、私が全力で応援してやるからな!」

「だから、私のことはいいって」


 肩を叩くヒューリにミナセが言うが、ヒューリはまったく意に掛けない。


「お前の相手は謎の老人だろう? 観客としちゃあ、老人の健闘を期待するに決まってる。ってことは、お前の応援が減るってことだ。だからその分、私が応援してやる!」


 妙な理屈を言うヒューリに、ミナセは困り顔。


「ミナセは、注目されるの好きじゃないものね。ヒューリ、応援は目立たないようにね」

「そんなつまらないことができるか!」

「そうです、応援は常に全力でしなければいけません! ヒューリさん、私の心も会場に持って行ってください!」

「おう、持って行ってやるぞ!」

 

 ヒューリとミアが勝手に盛り上がる。

 迷惑そうなミナセをフェリシアが笑う。

 最初は沈んでいた四人の夕食も、結局最後は、いつも通り賑やかに進んでいったのだった。



 本戦二日目。予定されている対戦は、今日も三つ。

 最初の試合は、開催国イルカナ代表で、もと漆黒の獣の団長カイルと、イルカナの西に広がるコメリアの森代表、ターラの一戦だ。

 本大会最初の招待選手同士の対戦。昨日のリスティの試合で重苦しい雰囲気となったコロシアムも、一夜明けた今日は、再び熱気に溢れている。


 選手関係者席には、ヒューリと、そして今日もマシューたちがいた。エイダの試合は二戦目。観戦の本命はもちろんそれだが、ほかの試合や選手にもマシューたちの関心は高い。

 並んで座るヒューリに、マシューが聞いた。


「カイルってやつとは知り合いなんだろ?」

「はい」

「国の代表に選ばれるくらいの男だ。やっぱり強いんだよな?」

「まあ、そうですね」


 ヒューリが曖昧に答える。

 以前ヒューリは、手合わせでカイルを圧倒していた。ヒューリにとっては何とも答えにくい質問だった。

 はっきりしないヒューリに首を傾げながら、マギが言う。


「あの漆黒の獣の団長だったんでしょ? 冒険者で言えば、ランクAくらいの実力はあるんじゃない?」


 それに、ガロンが大きな声で反応した。


「ランクAか、そいつは楽しみだな。ガハハハ!」


 隣のシーズは、響き渡るガハハにも無反応。ほかのメンバーと違って、エイダの試合以外には興味がないのかもしれなかった。


「対戦相手のターラって男は、あんたと同じで斧を使うみたいよ」

「斧を使うのか。そいつは楽しみだな。ガハハハ!」


 ガハハ連発のガロンを苦笑気味に見ていたヒューリが、その目を周囲に向けた。ひと通り関係者席を見渡すが、マシューたちのほかに見知った顔は見当たらない。

 今日はカイルの試合なのだ。もと漆黒の獣の団員や、副団長のアランが来ていてもおかしくないと思ったのだが、誰も来ていないようだ。

 アランたちは、今やロダン公爵配下の正規兵。カイルの応援に駆け付けたい気持ちはあっただろうが、どうやら全員が仕事を優先したようだ。

 何色にも染まらぬ自由な意志を表すと言われた漆黒の装備。その装備を解いて、団員たちは決して自由とは言えない仕事をしている。

 団員たちの顔を思い出しながら、ヒューリは小さく微笑んでいた。


 そのヒューリが、関係者席の隅っこに固まっている集団に目を留める。年寄りから子供まで、総勢十数人。大家族が全員集合しているという感じだが、全員がとても緊張した顔で舞台を見下ろしていた。

 みすぼらしくはないが、上等とは言えない服装。田舎からやってきましたと言わんばかりの、しかし何とも微笑ましい木訥な雰囲気。


 もしかして……


 ヒューリが思い出す。

 大きな体を窮屈そうに折り曲げながら、小さな声で挨拶をする姿。

 ヒューリにからかわれながら、故郷の森のことを一生懸命話してくれた大男。

 楽しくて、何となくホッとできた時間。


 こりゃあ、どっちを応援したらいいのか迷っちゃうな


 舞台に視線を移しながら、ヒューリの顔には苦笑いが浮かんでいた。

 その時、ちょうど試合開始の銅鑼が鳴った。


 ワー!


 大歓声が沸き上がる。審判に続いて、カイルとターラが姿を見せる。

 ヒューリが立ち上がって叫んだ。


「どっちも頑張れー!」

「どっちも?」


 大きな声を上げるヒューリを、マシューたちが驚いて見ていた。



 審判を挟んで二人の選手が向かい合っている。

 その一方の男。


 背はかなり高い。鍛え抜かれた鋼のような体は、見ているだけで迫力を感じる。

 その身に纏う美麗なアーマーは、ロダン公爵から賜った逸品だ。磨き上げられたプレートが、光を反射して輝いていた。

 右手に持つのは愛用の大剣。それは間違いなく両手剣のはずなのだが、男が持つと、まるで片手剣のように見えてしまう。

 精悍な顔立ちと、強い意志を宿した瞳。

 もと漆黒の獣の団長。今はロダン公爵直属の正規兵となった、イルカナ王国の代表カイルだ。


「最初に聞いた時はどうかと思ったが」

「なかなかどうして、なかなかのもんだな」


 イルカナは、経済大国と言われることはあっても、軍事大国と言われることはない。戦士として名を知られているのはロダン公爵ばかりで、ほかに強い将も兵もいなかった。

 そのイルカナの代表として選ばれたのがカイルだ。

 知名度としては十分だった。一般市民の間ではともかく、貴族や軍人であれば、誰もが一度はその名を聞いたことがあった。

 しかし、カイルはもと傭兵。ロダン公爵の配下に加わったのもつい最近のこと。


「傭兵上がりがいい気になりやがって」


 そんな心無いことを言う者も少なくはなかったのだ。

 だが、陰口を叩いていた連中でさえ、今のカイルを見て文句を言う者などいないだろう。


 威風堂々。


 舞台の上のカイルは、国を代表する戦士としてふさわしい威厳を放っていた。


 そのカイルと向かい合う選手も、また大きい。

 身長は、長身のカイルよりもさらに高い。分厚い胸板と盛り上がる筋肉。防具らしい防具を着けていないがゆえに、肉体が発するその迫力に圧倒されてしまう。

 両手に一本ずつ握っているのは斧。その斧は、普通の人間であれば両手で扱うもののはずだ。それが、この男が持つと小さな手斧のように見えてしまう。しかも、その斧は柄も金属でできていて、斧頭と柄が一体となっていた。そんな斧をこの男が振るえば、衝撃を吸収する布など意味をなさないであろうことは容易に想像がつく。

 そこにいるだけで恐ろしいほどのパワーを感じさせる男。

 人間離れした肉体を持つ、髭面の大男。

 コメリアの森にある五つの小国の代表としてやってきた、森の戦士ターラ。


 その男の目は、だがしかし、落ち着き無く揺れていた。

 観客席からでは分からなかったが、その髭面は明らかにこわばっていた。


「ルールは以上だ。二人とも分かったか?」

「大丈夫だ」


 審判に聞かれて、カイルが冷静に答える。

 ターラは、答えない。


「分かったか?」


 少し大きな声で聞かれて、驚いたようにターラが言った。


「はい! よろしくお願いします!」

「……」


 審判は呆れ気味。


「もう一度説明するか?」

「はい! あ、いえ、大丈夫です」


 自分の返事がおかしかったことに気付いたのだろう。髭面が見事に赤く染まっていく。


「じゃあ、始めるぞ」


 そう言って、審判が二人から離れていった。

 二人も、開始線まで移動する。


 審判が片手を挙げた。

 観客席が静かになった。


「始め!」


 審判が手を振り下ろすと同時に、観客席が熱気に包まれる。


「いけぇ!」


 カイルとターラの戦いの幕が切って落とされた。



 カイルが静かに剣を構える。

 ターラが、斧を持つ手で額の汗を拭う。


 油断なく相手を見つめていたカイルが、隙だらけのターラに言った。


「あんたはいい奴だと思うぜ。だけどな、いろんな意味で、俺は手を抜く訳にはいかないんだよ」


 ジリ……


 カイルの足が、舞台を踏み締める。


「悪いが、勝たせてもらう!」


 瞬間、カイルが動いた。大きな剣が、滑らかに伸びていく。

 音もなく、ゆえに速さを感じさせず、しかし、実際には恐ろしく速くて鋭いカイルの突き。


 ターラが目を見開いた。

 カイルの体と同化しているかのような一本の剣が、自分に向かってくる。


 明らかにターラの反応は遅れていた。

 その剣は、弾くことも避けることもできないように思われた。

 あっという間に試合が終わると、誰もが感じた。

 しかし。


 ガシッ!


 カイルの剣が、止められた。


 ゴゴン!


 重たい何かが、舞台の上に落ちる音がした。


「なっ!?」


 カイルの目が大きく開く。


「うそだろ!?」


 観客たちが目を剥く。


「あんなのありか?」


 ざわめきが起きた。


「へぇ」


 ヒューリが、感心したように声を上げた。


 カイルの動きは完全に止まっている。カイルの剣は、ピクリとも動かない。

 カイルの剣は、斧を手放したターラの両手にがっちりと握られていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る