リスティ

 本戦初日は、第一回戦の二戦と、第二回戦の一戦が予定されていた。

 初日の最後の試合。それは、シードを引き当てた予選上がりの選手と、東のカサール代表リスティとの試合だ。


 カサール王国は、イルカナの東にある。そのさらに南東には、キルグ帝国があった。

 大陸でも一、二を争う強大な軍事国家、キルグ。ヒューリの故郷クランを滅ぼした国だ。

 カサールとキルグが接する国境線は、比較的短かった。とは言え、常に領土拡大を狙っているキルグがカサールを放置しておくはずがない。

 数年前、カサールはキルグから大規模な侵攻を受けたことがあった。

 その時、国土防衛に大きく貢献したのがリスティだ。


 リスティの戦い方は、無茶苦茶だった。それは、無法者の喧嘩を見ているかのよう。

 キルグの大軍に何の躊躇いもなく飛び込んでいき、がむしゃらに剣を振り回す。その剣が折れてしまうと、敵兵に飛び掛かって武器を奪い、また戦い続ける。

 剣、槍、斧、時には盾や兜、はては石や砂までをも武器にして、リスティは戦い続けた。

 驚異的な速さと反射神経、そしてあり得ないほどの体力。狂犬を思わせる血走った目と、全身から迸る強烈な殺気。

 その姿に、敵兵は怯えた。その姿は、味方の兵さえも恐れさせた。


 敵陣を切り裂くように、リスティが駆ける。そのリスティは、だが無闇に戦っているのではなかった。

 リスティは、常に将校を狙った。小隊の長、中隊の指揮官を、リスティが次々と潰していく。

 キルグ軍が徐々に混乱していった。陣形や隊列が乱れていった。そこにカサール軍が突撃を敢行して、一気に趨勢が決まった。

 リスティの名は、カサール国内と、同時にキルグ帝国内に知れ渡った。この戦い以降、カサールはキルグから大規模な侵攻を受けていない。


 救国の英雄リスティ。

 カサール軍最強の兵士。


 しかしリスティの階級は、いまだに最下級のままだった。国民も、リスティを尊敬の対象とは見ていない。

 軍の上官たちも、国民も、リスティに対する評価はみな似たようなものだ。


 何を考えているのか分からない男。

 気持ちの悪い、不気味な男。


 キルグとの戦いの後、報奨金を受け取ったリスティは、昇進も、王の謁見すらも断ってさっさと家に帰ってしまった。

 その後も、軍の訓練には参加するが、行事には一切参加しない。

 出歩くことはほとんどないし、友人もいない。


 気だるそうに生きる男。

 だが、戦となれば恐るべき強さで敵を蹂躙する狂犬。


 人と交わることもなく、かと言って騒ぎを起こすでもないリスティを、カサールは持て余していたのだった。


 そのリスティが、舞台の上に立っていた。右手には、何の変哲もない片手剣。布で刀身を覆ったその剣を無造作に握っている。

 対する相手の武器は、前の試合の選手と同様、槍だ。加えて、背中に一本の剣を背負っていた。

 槍使いが、同時に剣を持つことは珍しくない。本来なら鞘に入れて腰に差しておくのだろうが、刀身を布で覆っているため、鞘に入れることができないのだろう。

 その男の武装を見て、フェリシアがつぶやいた。


「結構立派な装備ね」


 遠目からでも分かる、鮮やかに装飾された鍔や柄。それは防具も同様で、鎧、ガントレット、ブーツのすべてが上等な品で揃えられている。さすが本戦出場者という装備だ。

 それに比べて、リスティの装備は地味の一言。剣は初心者が買うようなありふれたものだし、皮鎧とブーツはかなり使い古されている。ガントレットは着けてさえいなかった。


「どっちが国の代表か分からないわね」

「あれがやつのスタイルなんだろう」


 フェリシアに答えたミナセが、少し離れた場所にひっそりと座る一人の女を見る。


「あの女は、間違いなく毒味役と、危険が迫った時の盾役なんだと思いますよ」


 ヒューリがそう言った女がそこにいた。選手関係者席の片隅から、じっと舞台を見つめている。

 その表情から気持ちは読み取れない。だが、ミナセには分かった。意識を捉えることのできるミナセには、女の気持ちがはっきりと分かった。


「複雑だな」

「えっ、何?」

「いや、何でもない」


 フェリシアに微笑んで、ミナセは舞台を見る。

 審判が選手たちから離れていった。いよいよ試合開始だ。


「さてと、やつの実力を確かめさせてもらうか」


 ミナセと、そして観客たちが注目する中、第二回戦が始まった。



 試合開始と同時に、槍の男は少し下がってリスティと向き合った。どうやら男は慎重派らしい。

 プロフィールによると、男は傭兵だった。つまりは対人戦闘のプロ。

 傭兵の装備は稼ぐ金額で決まる。フェリシアが感心するほどの立派な装備と、予選を勝ち抜いてきたという事実が男の実力を物語っていた。


 その男の正面で気だるそうに立っていたリスティが、首をバキバキと鳴らし始めた。


「こんなにグルグル巻きにされたんじゃあ、てめぇをぶった斬ることはできねぇな」


 右手の剣を軽く持ち上げる。


「衝撃も吸収されちまうから、殴り殺すにしても時間が掛かりそうだ」


 残念そうに、リスティが言った。


「だけどまあ、それはそれで、楽しめるってもんだよなぁ」


 にたぁ


 リスティが、不気味な笑みを浮かべた。

 直後。


「うぉぉぉぉぉっ!」


 咆哮が響き渡る。


「何だ!?」


 突然叫び始めたリスティを、相手の男が驚いて見る。

 その目が、さらに大きく広がった。


 狂犬を思わせる血走った目と、全身から迸る強烈な殺気。

 飢えた猛獣がそこにいた。獲物を襲い、その肉を引き裂き、すべてを食らいつくさんとする獰猛な獣がそこにいた。


 男は傭兵。戦場は何度も経験してきている。

 厳しい戦いも経験してきた。狂気に支配された異常な世界もその目で見てきた。

 その男が、震えていた。

 危険だとか勝てないとか、そういう次元ではない。


 殺される!


 これは試合だ。降参すれば、それで戦いは終わる。だが、男の思考はそこに至らなかった。

 男は戦場にいた。戦場で、死の淵に立たされたまま、男は動くことすらできずにいた。


「死ね!」


 猛獣が動いた。凶悪な殺気をまとった剣が、男に向かって振り下ろされる。

 それを男は、槍でがっちりと受け止めた。凍り付いた心とは関係なく、体はしっかり反応してくれた。

 男の目の前で、狂った目が再び笑う。

 口の端を吊り上げて、悪魔が笑った。


「殺す!」


 狂気と共に、再び剣が男に襲い掛かってきた。

 力任せに、滅茶苦茶に剣が振り回される。そのすべてを槍が受け止める。

 絶え間なく攻撃は続いた。だが、その攻撃は単調だ。しかも、防御のことなど何一つ考えていない。

 客観的に見れば反撃は可能。男の実力からすれば、剣をかわして槍を繰り出すことはできるように思えた。

 しかし。


「おらおらぁっ!」


 リスティが叫ぶ。


「くっ!」


 男が必死に槍を操る。

 男の目に余裕はない。恐怖に支配された男の頭には、反撃に出るという選択肢がなかった。


 一方的にリスティが攻める。

 一方的に男が守る。


 時間が経つにつれて、男の動きが鈍っていった。

 時間が経つにつれて、リスティの動きが加速していった。


 リスティが槍の男に迫る。

 リスティは、槍の男を完全に翻弄していた。

 それなのに、リスティは男の体に剣を打ち込むことをしない。その剣は、槍が体制を整えるのを待ってから、槍に向かって振り下ろされている。

 いつでも終わらせることのできる戦いを、明らかにリスティはわざと続けていた。


 観客が、それを声もなく見ている。審判は、顔をこわばらせたまま動けない。

 それは、もはや試合などではなかった。

 狂った男が怯える男をいたぶるだけの、残酷な見せ物。


 もう見たくない


 誰もがこの戦いの終わりを望んでいた。


 その時。


 ガキィーン!


 打ち下ろしたリスティの剣が、折れた。布で巻かれた刀身が、根本から折れて舞台の上をクルクルと転がっていく。


「今だ!」


 観客の誰か叫んだ。

 男は耐え切った。


 今こそ反撃の時!


 ところが。


「嘘だろっ!?」


 男は、反撃をすることができなかった。


「殺してやる!」


 剣を投げ捨て、無防備な体をさらしたリスティが、素手で男に掴み掛かっていく。


「ひぃっ!」


 リスティに背を向けて、男は逃げ出した。

 転がるように男は逃げる。狂ったようにリスティが追い掛ける。

 男の足がもつれた。リスティが男に追い付いた。


 ブチッ!


 リスティが、男の背中から、革紐が引きちぎって剣を奪い取る。

 男が体勢を立て直すのを待って、またもやリスティが男に襲い掛かっていった。


「もうやめて」


 観客が言った。


「やめてくれ!」


 何人もの観客が訴えた。

 もはや男に戦意など見られない。剣を受け止めることだけで精一杯、自分の命を守ることだけで精一杯だ。

 その姿を見ていた審判が、ついに動いた。試合を止めるために、二人に近付いていく。


 と、またもや。


 バキッ!


 鈍い音が響き渡る。

 今度は、男の槍が折れた。凶暴な剣を受け止め続けていたその槍が、ついに折れた。


「あっ!」


 誰かが声を上げた。


「ぐあっ!」


 男が呻き声を上げた。

 槍の柄を砕き、それでも勢いを止めることのないリスティの剣が、男の肩を直撃する。

 剣は魔法の布で覆われていた。衝撃は大きく吸収されているはずだ。それでもなお、リスティの剣は、男を舞台に叩き伏せるだけの威力を持っていた。

 肩を押さえて男がうずくまる。


 審判が、片手を上げて言った。


「そこま……」


 その言葉が終わるより早く、リスティが、うずくまる男の頭に、剣を振り下ろした。


「きゃあ!」


 観客席から悲鳴が上がる。

 男の体がぐらりと揺れた。声を上げることもなく、男の体が崩れ落ちた。

 その上に、リスティが跨がって剣を振り上げる。


「やめろ!」


 審判が駆け寄って、その腕にしがみつく。


「終わりだ! お前の勝ちだ!」


 必死に試合終了を告げる。


「医療班!」


 舞台の外で指示が飛んだ。医者とヒーラーが舞台に駆け上がってくる。

 観客は一言も発しない。ある者は目をそらし、ある者は泣いている。


 リスティが、腕を下ろした。しがみついたままの審判を引きずるように、二歩三歩と後ろに下がる。

 そこでようやく、審判がリスティから離れた。そして審判は、目を見開いた。

 リスティが、倒れた男を見下ろしている。

 その顔は笑っていた。口の端を吊り上げたまま、リスティは、気持ちの悪い笑みを浮かべていた。


「狂犬……」


 審判が、掠れた声でつぶやいた。

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