謎の老人

 本戦の一戦目は、エイダの圧勝で終わった。


「ロッドをあんな風に使うとは」

「考え抜かれた戦術だったわね」


 ミナセとフェリシアが感心したようにつぶやく。


「な、エイダは強かっただろ?」

「はい、強かったです!」

「フッ」


 自慢げなガロンと、興奮気味のミアと、不気味なシーズ。

 そんな三人とは対照的に、マシューとマギは冷静だ。


「とりあえず、最低限の目標は達成だな」

「そうね。次が本命だものね」


 対戦表はすでに公開されている。エイダの次の相手は、サイラスだ。


 マシューたちは、サイラスを見返すために修行の旅に出た。もう一度パーティーでサイラスに挑むために腕を磨いてきた。

 だが、その中で一人だけ、個人技に磨きを掛けるメンバーがいた。パーティー戦だけでなく、一対一でも戦える準備をしているメンバーがいた。

 それがエイダ。

 旅の途中から、エイダは自分自身の変革に取り組むようになっていったのだった。

 その理由を、エイダは語らない。だが、ほかのメンバーは何となく察していた。


 それはおそらく、サイラスと戦うためではない。

 それはおそらく、フェリシアと出会ったからだ。


 火の魔法の第四階梯、エクスプロージョン。風の魔法の第四階梯、フライ。フェリシアは、それらを無詠唱かつ瞬時に発動させていた。

 ランクAの魔術師であるエイダでも、そんなことはできはしない。エイダの知る限り、そんなことができる魔術師はいなかった。


 冒険者たちも恐れる強力な魔物、ベヒモス。そのベヒモスに、フェリシアは一人で平然と向かっていった。

 前衛職並の軽やかな動きと冷静な心。

 魔術師は後方から支援するものという常識を、フェリシアは根底から覆していた。


 エイダは圧倒された。ランクAという称号に満足していた自分を恥ずかしく思った。

 そしてエイダは変わった。自分の常識を捨てた。魔術師という定義を、エイダは捨てた。


 エイダがこの大会への参加を強く希望したのは、サイラスとの対戦を実現するためという以上に、自分がどこまで通用するかを試したいという思いがあったからだった。


「それなりに戦えるといいな」

「大丈夫。あの子ならやれるわよ」


 無表情なままで舞台を降りていくエイダの姿を、マシューとマギがじっと見つめる。

 そのエイダが、観客席のある一点を睨み付けた。その視線の先にあるのは、美しいアメジストの瞳。


「負けない」


 試合中にも見せなかった激しい闘志をその瞳に向けながら、エイダは控え室へと戻っていった。



「何だか寒気がするんだけど」


 ブルリと震えたフェリシアが、両手で自分の肩を抱く。

 

「風邪ですか? 魔法掛けときます?」

「ありがと。大丈夫よ」


 気遣ってくれるミアに笑顔を返して、フェリシアは舞台へと視線を戻した。

 試合場では、審判団が舞台の損傷の有無を確認している。医療スタッフや警備の兵士たちも所定の位置へと移動を始めていた。準備が整えば、すぐに二戦目が始まるはずだ。

 熱気に包まれる観客席では、選手紹介の冊子をめくりながら観客たちが盛り上がっている。


「次も面白い試合になりそうだな」

「ああ。何たって、”拳”だからな」


 第一回戦の二戦目。一人は槍使いだ。

 槍は、対人戦、対魔物戦のどちらにおいても非常によく使われる、最もポピュラーな武器と言える。

 その槍使いに対するのは……。


「拳士って、初めて聞いたわね」

「格闘術の使い手なのかな?」


 フェリシアのつぶやきに、ミナセが答えた。

 拳士というのは、冒険者ギルドの分類にもない珍しい職業だ。”拳”という言葉から、武器を使わないのだろうとミナセは予想していたが、実際には見てみないと分からない。

 だがその選手は、職業以上に人々の関心を引く特徴があった。


「その人、おじいちゃんだって聞いたわよ」

「私も聞いた」


 予選が進むにつれ、その選手の注目度は上がっていった。プロフィールに情報がないので実年齢は分からなかったが、どう見てもその選手は老人だった。その老人が、なんと予選を突破して本戦へと駒を進めた。


「どんな選手なのかな」


 いつも冷静なミナセにしては珍しく、そわそわしながら次の試合を待っている。

 大会には興味がないと言っていたミナセだったが、いざ始まってみれば、ほかの社員の誰よりも夢中になって観戦をしていた。


 ジャーン、ジャーン、ジャーン!


 大きな銅鑼の音が響き渡る。次の試合が始まる合図だ。

 大歓声の中、二人の選手が場内に姿を見せた。

 前を歩くのは槍使いの男。その後ろを、一人の老人が歩いている。

 少しばかり曲がった腰と見事な白髪。そして、顔に刻まれた深い皺。杖をつくでもなく、しっかりとした足取りで歩いてはいるが、その選手は、どこからどう見ても老人だった。


「あれでほんとに予選突破したのかよ」


 あちこちからつぶやきが聞こえてくるが、同時に結構な数の声援も飛んでいる。


「じいちゃん頑張れー!」

「若いもんなんかに負けるんじゃねぇぞ!」


 判官贔屓というのは、どこの世界にもあるらしい。年齢、武器の有無、いずれをとっても明らかに不利な老人に対して、多くの観客が応援をしていた。


 審判と選手の二人が舞台に上がる。

 男の槍が規定の布で覆われていることを確認し、老人が武器を隠し持っていないことを確かめて、審判はルールの説明に入った。

 審判を挟んで、男と老人が向かい合う。


 緩やかに立つ老人を見ながら、槍の男は考えていた。

 間近で見るのは初めてだったが、男は老人の戦いを予選で見てきている。

 ふわりふわりと攻撃をかわし、ゆらりゆらりと動きながら、相手を舞台の端へと誘い込む。そして最後は、するりと体を入れ替えて、相手の背中を軽くひと突き。試合場の外へと押し出された相手は悔しそうに顔を歪め、老人に促された審判が、慌てて試合終了を告げる。

 速さや力強さは感じない。だが、その試合運びは並の者にできることではなかった。


 相手のペースにハマらないよう気を付けながら、持久戦で行くのが最善

 体力勝負になれば、自分が有利になるのは明らか


 槍の男は落ち着いていた。審判の説明を聞きながら、男は冷静に老人との戦い方を考えていた。


 ルールの説明が終わり、審判が下がっていく。選手の二人も開始線まで移動する。


 審判が手を挙げた。

 会場が静まり返った。

 審判の声が響いた。


「始め!」


 ワァー!


 大きな歓声が二人を包み込む。

 ぼんやりと立つ老人に向かって、男が槍を構えた。


「いけぇ!」


 観客の声がする。

 だが、二人は動かない。


「何やってんだ!」

「戦えー!」


 急かす声にも、二人は動かなかった。

 槍の男が老人に集中する。


 あのとぼけた姿に、みんなやられてきたんだ


 老人は、構えもせず、戦意すら見せずにただ立っている。

 そんな相手をじっと見ながら、男が気持ちを落ち着かせる。


「二人とも、戦って」


 審判が戦いを促すが、男はそれも無視した。

 こうして向かい合っているだけも、相手は体力を消耗していくはずだ。


 勝ち方なんてどうでもいい

 俺は、必ず次に進む!


 何を考えているのか分からない老人を睨みながら、男が自分に言い聞かせる。

 勝利することだけを考えながら、男が槍を構える。

 だが。


 何もせずとも消耗していくのは、男も同じだった。緊張したこの状態が、体力よりも気力を削っていく。

 老人から仕掛けてくる気配はない。試合開始から、ずっと同じ姿勢でぼんやりと立ち続けている。


 ふざけた奴だ


 男は思った。


 ムカつくジジイだ


 老人を見ながら男は思った。


 くそっ!


 男が吐き出す。


 ふざけんな!


 心の中で、男が悪態をつく。

 そして。


「ふざけんな!」


 耐え切れなくなった男が、ついに動いた。急激に間合いを詰め、老人に向かって自慢の槍を繰り出す。

 過酷な予選を勝ち抜いてきた槍だ。その一撃が鈍いはずなかった。

 しかし。

 その槍を、老人がゆらりとかわした。下がるでもなく、手で受け流す訳でもなく、その位置に立ったままで槍をかわした。


「くっ!」


 素早く槍を引いて、男が再び槍を構える。


 こいつ、やっぱり強い!


 渾身の突きが、いとも簡単にかわされた。その事実が男の心を乱していく。

 老人が、また元の立ち姿に戻った。何事もなかったかのように、ぼんやりとこちらを見ている。


 たったの一合。

 それなのに、男の頬を汗が流れ落ちていく。

 男は動けない。その男の目の前で、老人が、初めて口を開いた。


「もう来ないのか? 来ないなら、わしから行くぞ」

「!」


 男が震えた。

 予選で一度も自分から攻めていかなかった老人が、攻めてくる。


「うおぉぉぉっ!」


 瞬間、男は前に出た。猛烈な勢いで老人を攻め立てる。

 男を突き動かしているのは、恐怖。得体の知れないものへのいい知れない恐怖だった。


「やぁっ!」


 男が槍を突く。

 老人がゆらりとかわす。


「こいつ!」


 男が槍を払う。

 老人がふわりと逃げていく。


「畜生!」


 男が槍を叩き付ける。

 老人が、いとも簡単に避けていく。

 自分が冷静でないことは男にも分かっていた。それでも腕は止まらない。足が勝手に前に出て行く。

 老人を攻め立て、老人を追い掛け、やがて男は舞台の端へと誘い込まれた。

 そして。


 トン


 するりと体を入れ替えた老人が、男の背中を軽く押した。


「なっ!」


 押された男が落ちていく。手をバタつかせ、空中でもがきながら、男は舞台の下へと落ちていった。


「そこまで!」


 うぉー!


 審判の声が歓声にかき消されていく。


「すげぇぞじいさん!」

「ほんとに勝っちまった!」


 舞台の下では、男が呆然と座り込んでいた。大喜びの観客たちに応えることもなく、老人は静かに舞台を降りていく。


「あのおじいちゃん、結構強いわね」


 フェリシアが言った。


「そうだな」


 答えて、ミナセは両手の拳を握る。

 その顔には、小さな笑み。


「やっぱり、世の中は広いな」


 ミナセの顔には、挑戦的な笑みが浮かんでいた。

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