エイダ

 イルカナの王都アルミナは、区域によってその顔を変える。

 王宮をはじめ、貴族や金持ちの屋敷が建ち並ぶ北西区域。

 一般市民が多く住む南西区域。エム商会の事務所もこの区域にある。

 比較的所得の低い市民と、貧困層が暮らす南東区域。アルミナの町の中では治安の不安定な区域だ。

 そして、規模の大きな公共施設や新しい建物が多い北東区域。遺跡の存在と、さらには戦争によって再開発が遅れていた区域だ。だが、その分この区域はとても計画的に整備されていて、アルミナでは最も整然とした町並みを見ることができる。

 その北西区域に、今大会の本戦会場となるコロシアムがあった。

 

「エイダさん、勝ちますよね!」

「もちろんさ!」


 興奮気味のミアの隣で、ガロンが笑う。


「あいつは、そこそこ強い」


 ミアを挟んで、反対からシーズが言った。


「そこそこって……」


 横に並んで座るマシューとマギが苦笑する。

 その五人の後ろには、ミナセとフェリシアがいた。


 みんながいるのは、観客席の一角に設けられた選手関係者席だ。少し離れたところには、壁で仕切られた貴賓席があって、イルカナ三公爵や各国の随行団が座っているはずだ。

 エム商会からは、三人が観戦に来ている。

 大会期間中、ミナセだけは休みにしてもらっていたが、ほかのみんなは普通に仕事があった。ミナセが勝ち上がった場合、準決勝は土曜日、決勝は日曜日なので、そこは全員で応援に来ることにしているが、それ以外の日で全員が揃うことはない。


「エイダさんって、すっごく強いんですよ!」


 ミアが、振り向いてミナセとフェリシアに力説する。二人はそれを微笑みながら聞いているが、積極的に肯定することはしなかった。

 一般的に、一対一の戦いにおいて魔術師は不利だと言われている。攻撃にしても防御にしても、魔法より武器の方が圧倒的に早くその動作に移れるからだ。

 魔術師は後衛職。後方からの攻撃と支援がその主な役割。ミナセも、そしてフェリシアも、エイダが勝てる可能性は低いと考えていた。

 と思いつつ、じつは二人とも、エイダがどう戦うかについては興味津々だ。


 ランクAの冒険者。

 地元ウロルでは名の知れたパーティーのメンバー。


 客観的な情報はそれくらい。

 だが、ミアの話によれば、エイダは第三階梯魔法を無詠唱で発動している。攻撃魔法の威力は、放ったファイヤーボールの直径から判断して、漆黒の獣のもと副団長アランに匹敵するだろう。

 対人戦闘も、対魔物戦闘も経験は豊富。まさに現役の一流冒険者。

 ただし、エイダは常にパーティーで戦ってきている。前衛職がいること前提の戦いしかしていないはずだ。

 それでもエイダは、予選を突破した。

 ミナセもフェリシアも、エイダの予選を見ていない。どう戦うのか想像がつかない。

 だからこそ。


「勝てるといいわね」

「そうだな」


 控え目な言葉とは裏腹に、二人は大きな期待をエイダに寄せていた。


 ジャーン、ジャーン、ジャーン!


 大きな銅鑼の音が響き渡った。試合が始まる合図だ。

 歓声が沸き起こる。同時に、スタッフと二人の選手が入場してきた。

 招待選手の五人は全員シードなので、二回戦からの出場だ。さらに、予選勝ち上がりの五人のうち一名がシード。四人が一回戦からとなる。

 本戦初日の今日は、一回戦の二試合と、二回戦の一試合が予定されていた。


 中央に作られた舞台に一人の男が上った。そして観客席をぐるりと見回すと、静かに片手を上げる。

 歓声が止んでいく。コロシアムが静まり返る。

 男が、声を張り上げた。


「これより、武術大会本戦を開始する!」


 ワァー!


 再び観客が盛り上がる。場内が熱気に包まれていく。

 開会の宣言をした男が舞台を降り、入れ替わりに審判と二人の選手が上った。そのうちの一人、女の選手に観客の視線が集中した。


 丈の短いワンピースに皮のベルト。その上から緩やかにローブをまとっている。

 左手には持つのは、魔石を埋め込んだロッド。帽子は被っていないものの、どこからどう見ても、典型的な魔術師のスタイルだ。

 つまりはどう見ても、その装備は一対一の近接戦闘には向いていない。


「こだわりがあるのね」


 フェリシアが感心したように言った。

 本大会の注目選手。女で、しかも魔術師。

 予選から多くの人の関心を集めていたが、多くの人が予選敗退を予想していた。それが、予想を覆して予選を突破。


「エイダさん、がんばれー!」

「姉ちゃん負けるなー!」

「魔術師の意地を見せろ!」


 ミアと、そして観客たちが声援を送る。対戦相手が可哀想に思えてしまうほど、コロシアムはエイダの応援一色だった。

 大声援の中、二人が舞台の中央で向かい合う。その二人の間に審判が立って、ルールの説明を始めた。


 予選と本戦のルールはほとんど変わらない。場外負けの判定が、”試合場の枠から全身が出たら負け”から”舞台から全身が落ちたら負け”に変わるだけだ。

 審判の説明に、男は時々頷いているが、エイダはまったくの無反応。

 それを見て、呆れたようにマシューが言う。


「あいつの社交性の無さは、筋金入りだな」

「社交性じゃなくて、社会性でしょ」


 マギに訂正されて、マシューが肩をすくめた。

 その横では、ミアを挟んでガロンとシーズが話している。


「相手の武装は、片手剣に小型の盾。防具はチェインメイルか。典型的っていうより、古典的って感じだな」

「だが、盾はエイダに有効だ」


 それを聞いて、ミアが首を傾げる。


「盾があると、エイダさんが困るんですか?」


 舞台を見たままで、シーズが答えた。


「魔術師は、連続攻撃ができない。最初の攻撃が盾で防がれてしまえば、次の魔法を放つ前に敵の接近を許してしまう。そして、やられる」

「じゃあ……」


 ミアが、不安そうにシーズを見た。

 その目を見つめ返して、シーズは……。


「……フッ」


 不気味に笑った。

 それきりシーズは何も言わない。


「ミアちゃん、まあ見てろ」


 反対側から、にかっと笑ってガロンが言った。



「ルールは以上だ。質問は?」

「大丈夫だ」

「……」


 終始無言のエイダを渋い顔で見て、審判が離れていく。

 予選の審判から、エイダについては申し送りがされていた。


「あいつはまったく返事をしない。無視して試合を開始してよし」


 審判が下がると、エイダと対戦相手は、開始線まで移動して向き合った。

 互いの距離は、およそ四メートル。あっという間に詰められる距離だ。


 相手の男が、剣と盾を構えてエイダを睨む。エイダは、左手にロッドを持ったまま突っ立っている。

 その姿を見て、男がにやりと笑った。


 情報通りだ


 男は、本戦でエイダと戦うことが分かると、すぐに情報を集めに掛かった。

 エイダの戦い方は単純だ。試合開始と同時に大きく後ろに下がりながら、ファイヤーボルトかアイスボルトを放ってくる。どちらも第二階梯、それもランクAの冒険者が放つ魔法だ。威力はそれなりにある。

 これをまともに食らった相手は、その場で終わるか、こらえたとしても二発目で仕留められてしまう。二発目までうまくかわしても、三発目がすぐにやってきて、エイダに近付くことすらできずに倒される。初級の魔術師とは比べものにならないほど、エイダが魔法を放つ間隔は短かった。

 だが。


 この盾と鎧ならいける!


 男の防具は、魔法への耐性を持った特別製だ。第二階梯程度の魔法なら、その威力のほとんどを無効化してくれる。つまり、エイダの攻撃を無視して前に出ることができる。

 本戦に出場するほどの選手なのだ。装備も、その実力にふさわしい逸品だった。


 審判が手を挙げる。

 男が腰を落とす。

 静まり返った会場に、審判の声が響いた。


「始め!」

「行くぜ!」


 開始と同時に男は駆けた。盾を前面に押し出して、一直線にエイダに向かっていく。

 開始と同時に、エイダは後ろへ跳んだ。予選と同じように、相手と距離を取ろうとする。

 男がにやりと笑った。


 ファイヤーボルトでもアイスボルトでも、来るなら来い!


 魔法が効かない以上、エイダとの距離を詰めるのは簡単だ。接近してしまえば、剣士である自分が負けるはずがない。

 勝利を確信しながら、男は剣を振り上げた。

 しかし。


「なにっ!?」


 男の目は、予想とは違うエイダの姿を捉えていた。

 エイダは、魔法を放つ様子を見せていない。かわりにエイダは、まるで槍のようにロッドを構えていた。

 慌ててブレーキを掛けるが、勢いのついた体は止まらない。二歩三歩とそのまま前に出る。中途半端なその動きで、男の体勢が崩れた。


 まずい!


 エイダは突きを放つ構え。ロッドとはいえ、それを頭や胴に食らえば、有効打と見なされて試合が終わってしまう。

 咄嗟に男は盾を構え直した。正面から来るロッドに備えて、男が歯を食いしばる。

 ところが。


 ドカッ!


 突如として、男の右足に強烈な衝撃が走った。


「くっ!」


 顔を歪めて男が膝を付く。

 エイダのロッドは、最初から男の足を狙っていた。防具で守られていない男の太ももを、鋭い突きが直撃した。

 崩れ落ちた男は、それでも素早く顔を上げる。その目が、ロッドを振り上げるエイダを捉えた。

 男が慌てて盾で頭をかばう。

 そこに、ロッドが振り下ろされる。

 しかし。


 ガン!


 それは、盾ではなく、男から離れた真横の舞台を叩いた。


 なんで?


 男が目を見開いた次の瞬間、ロッドが真横から振り抜かれた。予想外の連続攻撃に、男はまたも盾を向ける。

 だが、それは少し遅かった。


 ガキィーン!


 不完全な向きでロッドを受けた盾が、弾かれた。その衝撃に、膝を付いた状態の男が耐えられるはずがない。

 盾が、男の手を離れて舞台に転がる。同時に男の体も舞台に転がった。

 起き上がろうとした男が、唇を噛んで、動きを止める。

 顔面数センチのところに、寸止めされたエイダのロッドがあった。


「それまで!」

「ウォー!」


 審判の声を歓声がかき消していく。


「すげぇ!」

「魔術師とは思えない!」


 観客たちが興奮している。大歓声の中で、ミナセとフェリシアも驚いていた。

 魔術師であるエイダが、魔法を使わずに勝ってしまった。その戦いぶりは、二人がまったく予想していないものだった。


「凄い! エイダさん、凄過ぎる!」


 ミアが飛び跳ねて喜んでいる、

 その隣で、シーズがボソッと言った。


「あいつは、そこそこ強い」

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